地球史の時代境界を示す区切りとしてGSSP、Global Boundary Stratotype Section and Point(国際境界模式層断面及びポイント)という界面がある。これは、IUGS(International Union of Geological Sciences:国際地質科学連合)が、地質時代の「ある節目」を以て区切る境界について、その特徴を最もよく示す地点を世界中から1つだけ選んでGSSPに認定するものだ。
地質時代、すなわち日本でいえば江戸時代とか明治時代というような区切りに於いて、これまで名称未定だった地質時代の一つに、第四紀更新世(約78.1万年前~12.6万年前)があった。この模式地として千葉県市原市田淵の養老川右岸に見られる露頭と、イタリアの二か所の候補との比較検討が長いこと議論されてきたのだが、更新世前期との境界が顕著に観察されることと、そこで見られる白尾火山灰層(詳細は後述)の正確な年代特定ができていることから、今年1月17日、中期更新世に対してチバニアン(千葉時代)という名称が正式に与えられたことは、テレビなどでもニュースにもなったので記憶に新しい。
なお、これまでにもチバニアンやその始まりについて書かれたウェブページなどはたくさんあるものの、何を以てチバニアンの終わりと定められているかを説明した文書はあまり見当たらず、いきおい、それを正しく理解している人も少ない様なので、それについて後ほど書いておく。
チバニアンが示す最も重要なポイントは、
チバニアン以前の時代は地球の磁極が現在の磁極(正磁極)とは反対だったということ。
つまり、北極と南極が今とは逆だったということである。これを逆帯磁といい、チバニアン時代の始まりから遷移時間をかけて現在の磁極へと変わったということを意味する。
これらをまとめると、国際地質科学連合は「かつて逆磁極であった地磁気が、現在の地磁気(正磁極)へと逆転が始まった約77万年前を中部更新世の始まりとし、そのあとに続く後期更新世との境界とする」ということを決定していた(2004年)が、千葉県市原市田淵の養老川右岸に於いて、長野県の御嶽山の噴火降灰によって形成された白尾火山層が77.4万年前であることが確認されたと同時に、同地に於いて地磁気反転の証拠もはっきりと見られることから中期更新世を「チバニアン」と命名、この地を模式地とすることが決定されたということである。
地磁気逆転について、上野の国立科学博物館に説明がある。
ここではあまり詳しく書かれていないが、この地磁気逆転という現象は、実はそれほど珍しいことではなく、過去360万年の間に11回起きたことが展示されているが、チバニアンの始まり以降は全く変わっていないこの逆転、なんとカンブリア紀中期には100万年間に26回という回数で生じていたという。一方、白亜紀には4000万年もの間、殆ど変わらなかったというから、単純な一定の周期で逆転が起きているわけではなさそうだ。ただし、気まぐれということではないので、そこに何等かの法則はあるはず。地磁気は個体である内核と液体の外殻との相関的な振る舞いに依存するところが大きいらしいということはわかっているが、まだその解明には至っていないという。
子供のころからち地質関係には興味を持っている小生としては、チバニアンについては正式に決定されるずっと以前から一度行ってみたいと思っていたのだが、今回、ようやく行くことが出来たので、手記としてまとめておく。草木が枯れて川の水量も少なくなっている冬場は露頭が見やすく、地質調査などの巡検には最も適した季節であり、ハチやヘビなどの危険動物もいないので、冬は露頭へのアプローチも安全なのだ。
現地までの道のりについては、千葉大・大学院工学研究院の関屋教授執筆の旅行手記が分かりやすいので、紹介しておく。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/essfr/12/2/12_158/_pdf/-char/ja
このチバニアンが観察される田淵の最寄り駅は小湊鉄道の月崎駅で、千葉駅から内房線で五井まで行き、そこで小湊鉄道に乗り換えるという方法になる。
小湊鉄道は本数が少なく、昼間の時間帯には1時間に一本という場合もあるので、時刻表に従って行動計画を立てる必要がある。また、距離の割に乗車時間はかなりかかるため、その辺りもよく考えて計画するとよい。因みに小生の住む埼玉からは、待ち時間も入れると月崎駅まで片道約4時間の行程となった。切符は、飯給(いたぶ)よりも先に進む場合には往復券よりも安い一日フリー乗車券がお勧めだ。月崎は飯給の一つ先となる。当日であれば、どの駅でも乗り降り自由となる。といっても1時間に一本なので、何度も乗り降りするというのはあまり現実的ではないかもしれないが。
内房線から小湊鉄道へはこの改札で乗り換える。乗り換えではなく、五井駅から入場する場合にも、いったんJRの改札を経てこの乗り換え口で改札する。切符は、フリー乗車券も含めすべて写真の左に見える券売機で購入する。
小湊鉄道は、キハ200というディーゼルの車両が使用され、1両乃至2両編成の単線で鉄道ファンにも人気の高い路線だ。この日も、撮り鉄乗り鉄が何人か同乗していた。月崎駅までは小一時間ほどである。列車内にはトイレがないので、先に済ますとよい。乗車するとディーゼルエンジンの音が心地いい。また、ここでは閉塞区間を通行するためのタブレットの入ったタブレットキャリア(環っか)の受け渡しが行われており、昭和な郷愁が漂う。さらに遮断機も警報機もない第四種踏切も多く、通過の都度、運転手は警笛を鳴らす。
月崎駅はこんな感じの無人駅だ。
駅舎内には、こんな手作りのバナーが貼ってあった。
駅前には広場があり、改札を出た左にバリアフリーの広いトイレがある。駅構内にもトイレがあるが、こちらは昭和な汲取り式のトイレで、殆ど使用された形跡はなかった。駅前広場の反対側にはヤマザキYショップがあるが、店舗はこの界隈でこの一軒だけだ。小湊鉄道の切符もここで販売している。もちろん、一日フリー乗車券を持っていれば買う必要はない。
駅の改札を出たら、このヤマザキYショップの前を右に進む。道なりに歩いていくと、小湊鉄道の踏切を跨ぐ。そのまま進み、県道81号線に突き当たるT字路となるので、そこを右折する。月崎駅からT字路までは800m。
右折したらそのまま道なりに進むと、切通のカーブなどを経て、右に田淵会館という看板が見えてくるので、そこで県道を離れ、田淵会館へと斜め下方向に進む。先程のT字路からここまでは、約900mとなる。途中の切通カーブの部分には歩道がない上、車の数も少なく、いきおい、結構飛ばしている車も多いので歩行時には注意が必要だ。
田淵会館のところを下っていくとチバニアンという看板や垂れ幕も多くみられるようになる。
河川敷に降りる手前に、写真の様なチバニアンの説明が書かれたパンフレットが置かれているので、これを入手する。また、チバニアンに関する簡単な説明版もあるので、参考にするとよい。ただしこれらのパンフレットを見ても、初見では現地で露頭を見上げてどこがチバニアンなのか、どうなっているのかなどを完全に理解するのは少し難しいかもしれないので、詳細は後述する。現地まではここから約500mである。
河川敷に着くと、丸く削られた石がたくさん見られる河原となっており、岩質が柔らかいことが分かる。
遊歩道はないので河原をそのまま歩く。河床は泥質で柔らかくて滑りやすい上、歩く場所は川の水位とほとんど同等なため、滑ると靴ごと水没するので注意深く歩く必要がある。
そして到着するここが、チバニアンが見られる地層だ。この地層は上総層群国本(こくもと)層の一部であるが、チバニアンというのは冒頭で述べたようにモノの名前ではなく時代を表す言葉なので、チバニアンが見られるという言い方は正しくはなく、「チバニアンを示す地層が見られる」という方が正しい。
この地層は東北東−西南西に走向し、傾斜が北西に10度となっていて、半深海〜陸棚で堆積した層であり、多くの火山灰を挟んでいることや、多くの微化石を多く含んでいるので正確な年代測定が可能なことなどが特徴だという。座標としては、北緯35度17分40秒 東経140度8分47秒に位置する。
上図に赤く書き入れた線は、78万年前に噴火した長野の古期御嶽火山のテフラ(火山砕屑物)が数㎝の厚みでここに堆積したもので、白尾(びゃくび)層という凝灰岩の地層であるが、ちょうど地磁気逆転の時期の目印となっており、逆磁極期から過渡期(磁極遷移帯)を経て正磁極期に移っていく様子が、この地で連続して分析・観察できる。
写真の赤い線が噴火した御嶽山からの白尾火山灰層で、その下は逆磁極、赤い線から上は磁極遷移層を経て正磁極となる。
因みに第四紀の始まりは258万年前と定められているが、それは松山逆磁極期の始まりを持って定義されたもので、258万年前から78万年前までを松山期(逆磁極期)、それ以降現在までをブリュンヌ期(正磁極期)と呼んでいる。すなわち、この地磁気逆転開始時期、つまり松山・ブリュンヌ期がチバニアンの始まりというわけだ。
また、この時期は人類史上として、北京原人(かつてシナントロプスと呼ばれた)やジャワ原人(かつてピテカントロプスと呼ばれた)などのホモ・エレクトスが東アジアに出現し、ヨーロッパではネアンデルタール人が誕生して間もないころのことだ。
写真は、科学博物館に展示されている、中国周口店で発見されたホモ・エレクトスの一つ、北京原人。彼らは逆磁極の中で生活していたことになる。
ところで、正磁極と逆磁極は磁石が回転して逆さまになるのではなく、まるでモーターを逆回転させたときのように、一度止まって逆になるそうだ。つまり、磁極がない時間があることになる。逆磁極の時、遷移期間における自然現象はどうだったのか。生物に対してどのような作用があったのか。磁極を感じ取って行動する渡り鳥などがいたとすると、その様な動物たちは何を頼りにしていたのか。
ところで、チバニアンの次、つまり後期更新世についてはまだ正式名称が定まっておらず、タランティアンという名称がUSGSで検討されているという。この後期更新世の始まり、つまりチバニアンの終わりの区切りについては、海洋酸素同位体ステージ(MIS:Marine Oxygen Isotope Stage)のMIS5とMIS6の境界と定められている。
大気の気温分析には、海中の微生物である有孔虫の成分である炭酸カルシウムに含まれる酸素と酸素同位体の比率を測定し、気温を推測する方法が用いられる。これは、温度によってその含有比率が異なるからだ。この手法によって氷期・間氷期を表したものを海洋酸素同位体ステージ(MIS:Marine Oxygen Isotope Stage)といい、現在から過去へ遡って番号が振られ、奇数を間氷期、偶数を氷期としている。重い海水が多いほど多くの同位体が取り込まれるので、酸素同位体比は氷期に大きく間氷期に小さくなる。下図のMIS5のところがチバニアンの終了時期だ。
日本列島で言えば、下末吉海進の最盛期でもあった最終間氷期のピークが12.6万年前であるから、チバニアンの終わりである12.6万年と一致する。この時期は地球規模で高温、高海水準期だったという。
従ってチバニアンは、
78.1万年前の地磁気逆転開始時期から12.6万年前の最終間氷期までの期間を示す地質時代の名称ということになる。
この様な逆磁極期と正磁極期、そしてその遷移期がはっきりと見られるというのは大変興味深い。時間があれば、ぜひ訪れて頂きたい場所の一つだ。今後、日本の地名が地質時代に適用されるということは恐らくないだろうから、最初で最後ということで一度見学しに行くとよいと思うのだが、雨の後などは養老川の水位が上がるため、現地についても露頭まで行けないこともありそうなので天候などについては十分に注意されたい。
地球の地場は25~65μT(マイクロテスラ)。これは5Aの電流が流れている導体線から25~65㎝離れたところの磁気の強さと同等という僅かな磁気だが、二ホンミツバチなどもこの磁気を感知して飛ぶ方向を定めているという。だとすると、地磁気逆転が起きる理由はもとより、生物へ与える影響など興味深いことがたくさんある。
この100年ほどで、地磁気は5%弱まっているという。単純計算すると、2000年で地磁気が消滅することになる。実際はもっと複雑な要素が絡むので違った状況となるであろうが、弱まっていることは事実の様だ。下図は地磁気観測所のデータ。これを見ると、かなり速い速度で磁気が減少していることが分かる。
とはいえ、これまでにもそういうことが何度もあったにも拘らず、動物たちは絶滅することなく生き延びている。磁気を頼りに生活をしている人類は、向こう2000年の間に磁気消失に対してどう対応していくのか。自分、特に長生きしたいとは思っていないが、2000年後の地上は見てみたいと思う。