プロムナード -18ページ目

プロムナード

古いこと、新しいこと
いつでも、どこでも
思いつくまま、気の向くまま

ワイヤレス給電が最近にわかに脚光を浴びてきている。ワイヤレスでの充電や給電は何も目新しい技術ではなく、古くからコードレス電話の子機や電動歯ブラシなどでお馴染みであるが、これまでのワイヤレス給電は電磁誘導方式によって微小な電力の供給を行っていたのに対し、最近では磁界共鳴方式によって大電力の供給が可能となってきた。更に送電受電間距離も大きくなった。従って、今後の主流は磁界共鳴になると言われている。この磁界共鳴をまとめる団体をAirFuel Allianceといい、規格をAirFuel規格と呼んでいる。


これまで、磁界共鳴で使用される電磁波の周波数がISMバンドの6.78MHzを使用することとなっているため、その法整備、つまりライセンスに関する総務省の認可に時間がかかった事などから、商品展開はされておらず、いきおい、これまでのワイヤレス給電の機器は総て電磁誘導方式となっていた。この代表がQi(チー)と言う規格で、これが現在のワイヤレス給電のスタンダードだ。因みにチーとは漢字で「氣」と書く。

今後はこれらが次第に磁界共鳴方式にシフトしていくものと考えられるが、その変遷の過程では両者が混在することからマルチモード、すなわち電磁誘導と磁界共鳴の両方をサポートする送電装置が出てくるだろう。当分の間はマルチモードが主流になるものと考えられる。

現在の専らの技術焦点は電力伝送の効率で、送電された電力がどの程度受電できるかというところだ。電磁誘導にせよ磁界共鳴にせよ、この伝送効率は性能評価に於ける重要なパラメータだ。つまり、ケーブル接続による充電効率がほぼ100%である事に対し、どの程度の効率が出せるかというところが、各社しのぎを削る舞台となっているわけだ。

更に価格も問題だ。これらの方式の最大の競合は100均の充電ケーブルである。つまり、開発者たちには100円に近い価格で、しかも100%に近い充電効率をもつ商品開発を求められている。それが現在の状況である。

ところで、ワイヤレス給電、本当に必要なのだろうか。

もちろん、その答えはYes。理由は、ケーブル接続による充電の場合は使用経年によって充電ケーブルが断線したり、コネクタがヘタること、モバイル機器の場合などではコネクタを装備させることから完全防水出来難いことなどがあげられよう。つまりワイヤレス給電の方が、利便性は高いということだ。

しかし実はこのワイヤレス給電、市場の立ち上がりが緩慢なのだ。利便性が高い事はわかっているのだが、立ち上がらない。何故か。答えは市場のマーケティング方法にある。

要は、市場のトレンドセッターに市場を牽引させる必要があるということなのだ。

ぶっちゃけ、小生も含むいわゆるエンジニアが四の五の言って逆立ちしたとことで、キラーアプリなんか出てくるはずがないというということに早く気付く必要があろう。もしも小生がマーケティング担当だったら、「ワイヤレス給電?それどこの宮殿?」的ボケをかます様な弱年層にニーズを探りに行く。コンサの必携品のペンラなんかもいい。コンサ会場の椅子の脇に配置されたダッシュボードボックスに突っ込めば充電できる。これはゼッタイ喜ばれるだろうし、小生もマジで欲しい。或いはテーブルに置くオーナメントとか、部屋の装飾とか、そんなニーズも出てきそうだ。

クラブやスナックのママさんへのヒアリングも興味深い。電飾関係が電源ケーブルの呪縛から開放させるというメリットがウケるかもしれない。電池切れもないし。

あるいは、電池の交換が面倒な高齢者達に「充電の手間が無くて済むとしたらどうです?」みたいなヒアリングしても良いだろう。実際リモコンも使用頻度によっては頻繁に電池切れする。

こういうユーザーにとって、実は充電効率なんて全く関係なく、たとえ効率が50%だっていいのだ。実際、彼等が比較ベンチマークなんかするとは考え難く、要するに簡単で手軽でメンドクなければいいはずなのだ。その意味、開発エンジニアたちは商品の仕様や性能に固執しすぎであり、しかしそれが仕事であるならば彼等に市場ニーズを探らせるのではなく、商品メーカーとしてはもっと破壊的な発想をするマーケティングへの抜本的な市場開発を働きかけることが必要だろうと考える。

市場開拓のために、もっとアナログ文系人やミーハー連中の間に飛び込ませるべきだ。新しい商品市場を開拓するのだから、既成概念に囚われていてはダメで、突拍子もない様なアイデアを募らなければ、市場の活性化は望めない。

最近、どうやらiPhoneの新機種(おそらく7?)にワイヤレス給電が装備されるという噂が流れている。これは一つのトリガーになると思う。市場を牽引するiPhoneがその方向に走れば、少なくとも若い衆はついて行く。利便性だけを訴求してもダメで、そこにオサレ感覚も必要だ。

エレガントでスマート。そして便利。これがキーワードだ。

「出来るビジネスマンやキャリアウーマンやインテリモデルやタレント達がスタバで開くAir Macは、ワイヤレスで給電を受ける」。こんなのがトレンドセッターになるかもしれない。

そして、もう一つの要素がある。それは常に充電状態であること。

これが適用される例は防災グッズだろう。万が一のために用意しておく防災グッズは、定期的な点検が必要だが、なかなかそうは行かず、すわっという時に電池切れになっているということはゼッタイ起き得るのだ。非常時に非常用装置が働かず大惨事を引き起こした原発事故以降、そういう点検の風潮は高まったものの、毎日意識する事は不可能だ。月に一度か二度程度でもいいから充電点検をすべきだが、これが出来ない。それに対するソリューションこそ、ワイヤレスによる自動給電(充電)だろう。タイマー付きで週に一度充電させておけば安心だ。

備えあれば憂いなし。これもキーワードだ。

さらに、JAXAからこんな話も聞いた。航空宇宙ニーズへの7ソリューションとして、
軽量コンパクトで高信頼性
設計製造の自由度の向上
メインテナンスの合理化
ケーブルなしで総てのモジュールへ同時に送電
金属接触面がないので、磨耗劣化もない
完全なる体環境パッケージへの封入
活線状態での作業時に起きる感電事故の撲滅

があるという。この辺りはBtoBとしてのアプリケーションだが、航空宇宙関係でのワイヤレス化による恩恵実績は、やがてBtoCでも活かされてくると思われる。具体的には、民間でロボットアーム部分での給電などがスタートしているそうだ。これが活かされると給電ケーブルの屈伸ストレスから開放されるので寿命が著しく工向上するという。しかもケーブルの取り回しもないし、小型化が可能だ。

今後様々なアプリが登場するだろう。

ワイヤという束縛からの解放がすぐそこまで来ている。

パソコン用のUSB型1セグチューナーを使って、パソコンを広帯域受信機に返信させると言うワザがあることを友人から聞き、早速試してみた。

使用機材は、PC以外にアキバなどで格安で売っているUSB 1セグチューナーとフリーソフトでダウンロード可能なSDR(Software Defined Radio)というアプリだけ。後は必要に応じたアンテナを用意すればよい。




写真がそのUSB1セグチューナー。小生は440円で調達した。1セグチューナーの構成は、フロントエンドがシリコンチューナーでバックエンドがデモジュレータ(復調)となっている。アプリソフトはSDR Sharpと言うソフトを用いる。

ただしこのソフトがサポートしているデモジュレータチップはREALTEK社のRTL2832Uなので、1セグチューナーに搭載されているチップがこのデバイスである事を確認する必要がある。このデモジュレーターは、DVB-Tや1SEGを含むISDB-Tのみならず、広範囲な放送形式をサポートするチップだ。

インストールするには、まずUSB1セグチューナーのドライバソフトのインストールから始める。ただし1セグチューナーとして使うわけじゃないので、別の汎用ドライバをインストールする。ここではZadigを使う。以下からダウンロード可能だ(今日現在)。

http://zadig.akeo.ie/

ダウンロードページ
http://zadig.akeo.ie/downloads/

インストールに当たっては、まずチューナーを挿入しドライバをインストールする。挿入すると自動的にインストールが始まるがそれは中止させる。すると「インストールできませんでした」といった様なメッセージが出る。それは気にしないでそのまま終了させる。尤もこの標準ドライバーがインストールされてしまったとしても、Zadigを実行することで新しいドライバーが上書きされるらしい。

インストールが正しく出来ているかどうかという状態は、コントロールパネル\ハードウェアとサウンド\デバイスとプリンター\デバイスマネージャで確認できる。インストールが完成すると、写真の様にデバイスドライバーが「Universal Serial Bus Driver」の管理にあることが表示される。


引き続き、SDRをインストールする。ここでは上述したSDR Sharpというアプリを使う。ここからダウンロード可能(今日現在)。

http://airspy.com/download/

この中にあるファイル、sdrsharp-86.zipというファイルをダウンロードする。 ダウンロードされたファイルはZIP圧縮されているので解凍する。解凍するといくつかのファイルが含まれたフォルダが作成される。そのフォルダの中にあるinstall-rtlsdrというバッチファイルをクリックして実行するとDOS画面が開き、いくつかのファイルが自動的にインストールされる。これが終了したらおしまい。

後は中にSDRSharpという名前のExeファイルがあるから、それをクリックすればアプリが立ち上がる。左上に見える三角ボタンをクリックするとすぐに受信が開始され、スペクトラムが表示される。その後は好みによって異なる様々な調整を行うことによって、目的とする表示形式が設定可能だ。


写真は、FM放送を受信してみたもの。ご覧の様に、搬送波中心周波数を軸として正規分布状に帯域を使って送信されていることがスペクトラムとして目視で確認できる。もちろん、音声はステレオで再生される。これは優れものだ。

さて、次は理論計算と実際を見比べながらアンテナを色々製作してみよう。


日頃から懇意にさせて頂いているオーディオ技術者の方から、アキバで開催のアナログオーディオフェアを紹介されたので行ってきた。


アナログオーディオフェア2016


このフェア、タイトルにアナログと銘打っている通りアナログレコードに関わる究極的技術やその試聴をテーマとする展示会なので、いきおい、来場者の大半が金持ち(っぽい)男性、しかも一癖ありそうなウルサ型年配者だらけという、実にコアでディープなめっちゃ濃い展示会だった。逆に学生などは殆ど見かけなかったのだが、そもそもアナログレコードなんて見たこともなければ、まして取り扱い方なんぞ知る由もない世代の輩にしてみれば、「何がそんなにいいの?」な世界だろうからいなくて当然だろう。

今日びの若い人にとって音楽メディアはCD、もしくはネット配信によるMP3がデフォルト。CDはデジタル処理されているからサンプリングによる量子化ノイズ以外のアナログノイズは発生しないので、ずっと聞き易い。しかも取り扱いも楽。一方、巷には強いこだわりを持って気を吐く往年のアナログレコードファンもいる。
お互いに不可侵状態でもある。そんなところがオーディオ世界に於けるこれまでの大まかな構図だろう。

ところが最近になって、アナログレコードが若年層で見直されているらしい。

これは年配者にとって、もしも自分たちが絶えてしまえばアナログレコード文化も絶滅してしまうという危機感からの開放であり 、自説やうんちくを聞いてくれる若い人が増えることでもあり、さぞかしニンマリしていることと思う。尤も、そういう話を長々と聞かされる方としては、多少ウザいかもしれないが。

ところで、このアナログレコード回帰理由の一つに、アナログレコードが「新しいメディアとしてオシャレだから」という理由もあるそうなのだ。なるほど、と思った。つまり、

彼等、若い人にとってアナログレコードは「新しいもの」なのだ。

確かにこれまで見たこともないだろうし、どうやって操作するのか知らない人が大多数だろうから、あの黒い大きな円盤はかなり不思議なモノなのかもしれない。また、アナログレコードはCDに比べてサイズが大きいのでジャケット写真も大きく、ビジュアル的にインパクトが大きいのも確かだ。

しかも実際に聴いてみた感想としては、CDに比べて音は優しく柔らかく、ずっと聞いていても疲れないなどと評価していると聞く。いわずもがな、CDには可聴音のカットオフ周波数があるなどの理由によるのだが、近年は若人たちもハイレゾの音を好む様になってきていることも確かなので、このムーブメント、すなわちCDのカットオフを不快と感じてハイレゾへ、さらにカットオフなしというアナログレコードへの回帰は、老若問わずオーディオを趣味とする人々に於ける一つの流れとして拡大傾向にあると言ってよいだろう。

また、本当かどうかはよく判らないが、MP3の様な可聴レベル以下の音や聴覚特性に影響のない音がカットされた音をずっと聞き続けると、高音に対する聴力が退化するという話を聞いたことがある。アナログ音への回帰は、本能的にそういう危険から 回避しようとしているということもあるかもしれない。

ともかく、アナログレコードの再生音が若い人の間でも見直されているということは大変興味深い。

しかし、本当にアナログレコードの音を忠実に再生させるためには、アナログターンテーブルからスピーカーまでの、

オーディオシステムに於いて、たとえその一部にせよ手抜きがあってはだめなのだ。


これまで市場には、 CDにせよDVD-Audio、或いはSACDでも、
アンプからスピーカの経路までの音声伝達経路技術に関しては、高度な技術による再生装置が現在までに多く存在している。が、アナログオーディオを評する場合には、メディアから音を取り出す部分、実はここが重要なのである。早い話、どんなに優秀な再生装置があったにしても、完全なる音のピックアップが出来なければ、再生される音は素材の不出来を隠す様な厚化粧が施された音に過ぎない。つまり、音の再生に当たっては、四の五の言わず、とにかく原音を忠実に取り出すという作業が必要なのだ。CDや磁気ディスクはデジタルデータの取り出しであるが、アナログレコードからのデータ取り出しは、メカ的な微小振動を電気信号に変換するという、まさに職人芸なアナログ世界だけで出来る世界なのである。

そこに敢えて提案を持ち込んだ製品がある。パナソニック、テクニクスブランドの新製品ターンテーブルだ。


TECHNICS SL-1200G


これ、「高まる市場要求に対し、満を持して」なのか、「時期を見計らって、市場に仕掛けを持ち込んだ」のか、どちらだろうか。

音の再生は。アナログレコードからピックアップされた
物理的振動がスピーカーの振動へと伝送され、更にそれが空気の振動として鼓膜に伝達されるというシステムで稼動するのだから、最終的に再生された音が良くなかった場合、その責任の所在がはっきりしないから、良いターンテーブルだけを出してもシステムとしてはあまり意味はないのだ。
 
「音、うまくピックアップしたから、後は頼むよ」では、無責任なのである。

それゆえ、パナソニックはテクニクスブランドの復活として、まずはアンプを中心とする再生環境を提供し、次の展開として音の流れを遡上する様にターンテーブルの開発へと駒を進めたのだろう。解説によれば、この新発売のターンテーブルは、かつての商品と概観上はよく似ているもののメカや電子回路、部材等々、総て全く別物だという。

   


アナログレコードはCDより音が良いという巷の意見。これはプラシーボ効果みたいなもので、正確に言えば「アナログレコードは再生装置によってCDより音が良くなる」なのだ。しかもそこには「飛躍的に」という副詞も加わる。その辺り、違いを知るためにも、ぜひ本当に良い音を生成できる装置でアナログレコードの音を聴いてみて欲しい。

いよいよ、日本技術の棚卸しが終わり、新しい年度が始まった。


今、小生の手元には、昔買ったたくさんのアナログレコードがある。それらの音を忠実に再生できる環境で再度聴き直してみたい。もちろん、それを実践するためには自宅に最高級の再生装置を揃えれば良いのだが、先日バイクを買い換えたばかりだし・・・


日曜日の深夜に、テレビ愛知にて企画制作されテレビ東京系列6局ネットで放映される「乃木坂工事中」という番組がある。この番組の前身は、2011年から始まった「乃木坂ってどこ?(通称、のぎどこ)」という、MCを務めるバナナマンと乃木坂のメンバーによるバラエティ番組で、それをリニューアルした乃木坂工事中は、引き続き乃木坂情報発信として君臨する老舗中の老舗の番組である。これまでにも新曲の発表やコンサートの告知などが逸早く行われることから、ファンの間で知らない人はいないスタンダードな番組だ。

さて、各種新聞でも報道されている通り、6月5日深夜のこの番組で、乃木坂46の15thシングルのセンターとして、1期生の一人、

齋藤飛鳥の大抜擢が発表された。

齋藤飛鳥に関する詳細はWikiなどで書かれているのでここでは省略するが、とにかくミャンマー人の母親を持つハーフであることや人形の様な顔立ちをしていること、また業界屈指の小顔ということなどが奏功してピンでモデルも兼任している子でもあり、外見的には東洋的な神秘感が漂う独特の雰囲気を持つ子である。しかし、そういった外観以外にも、齋藤は相当に不思議な子でもあるのだ。


齋藤は、これまで長いことアンダーとしてのポジションだったこともあってバラエティ番組などでもあまり弄られることがなかったのだが、実は極めて思慮深い子であり、言葉の使い方が文学少女の様を彷彿とさせる秀逸な子でもある。

一方、なぜアイドルをやっているのかと勘繰りたくなるほど発言が引っ込み思案で、つい最近も他の放送で「センターはプレッシャーが強いので、絶対やりたくない」と言い切るほど、或る意味敢えてネガティブ発言を表面に出すというキャラをも持ち備えている。

ところが、ファンや運営はその相反性を見抜いていて、本当に嫌なのではないということを知っているのだ。これがもし、打算的な計算に基づいているのであれば嫌味も出てくるのだが、彼女の場合は本当に分水嶺の上で悩んでいるということをファンや運営は理解しており、いきおい、ファンは背中を押したいし、運営もそこを十分に認識している。だからこそ、今回の抜擢を決定したのだろうと推測できるのだ。

先に封切りになった乃木坂46のドキュメンタリー映画では、中心メンバー達だけが焦点されていて齋藤等のアンダー系は殆ど登場していなかったのだが、実は 中心メンバーもこの齋藤に近いキャラの持ち主であり、いうなれば

齋藤的な子が乃木坂46のマジョリティであるともいえると考える。

齋藤は言動として大変印象深いことをいう事が多々あり、小生はすこぶる頭の良い子だと考えている。もちろん多忙な芸能活動が災いして、社会常識的な知識は欠如している様も見受けられるが、それは覚えればいいことで、思考回路やプロセスなどに就いては一般的なタレントと比べてむしろ秀でていると思う。

今回の発表ではボロボロに泣いていたが、恐らく怖さと嬉しさが半々だったのだろう。

夏曲だし、多分明るい曲じゃないですか。私、そういう明るい曲似合わないし、本当にごめんなさいとしか言えない。本当に今いい調子で乃木坂がきているのに、私のせいで売れなくなっちゃう…」と涙は止まらず。

ネガティブ思考と奥ゆかしさは、ともすれば見間違う事がある。日本人的な奥ゆかしい作法や思慮は、外国人から見るとネガティブに見えることも多々ある。これまではそれを損であるとされてきた。が、近年、日本人のこの美徳概念が実はきわめて尊いものであるという認識が海外にも知られる様になってきた。そう考えると、
齋藤の様なキャラは日本人キャラのダイジェスト版なのかもしれない。嬉しいと思う気持ちと怖いと思う気持ち。両方とも事実だろう。その両方をどう制御してバランスとるか。今後の活躍を見守っていきたい。

ところで全く別件だが、今回の新聞発表を見ると「齋藤」という字が「斎藤」、「斉藤」と記されていておかしかった。結論から言えば「齋藤」が正しいのだが、「齋藤」の略形が「斎藤」で、「斉藤」は「齋藤」とは全く別。

26年ぶりにバイクをHONDA XLR250 BAJAからYAMAHA TX250 SEROWへ変えた。


HONDA XLR250 BAJA

YAMAHA TX250 SEROW


本当はずっと乗り続けるつもりだったのだが、半月版損傷を煩って約10ヶ月近く乗らずにいたら流石に古いバイクのオイル等は瀕死だったらしく、全くエンジンがかからなくなってしまったというのが実情だ。

なので直してでも乗りたいという後輩に譲り、買い換えた次第である。この後輩、9台もバイクを持っており、あれこれメインテナンスしているので今回譲ったバイクもレストア出来なければ部品取り用として有効だろう。因みにCDI(Capacitive Discharge Ignition )は製造中止なので、入手は困難となっている。

26年も経つとさすがに技術革新もあり、性能や乗り心地に驚くほどの進化がある。まず感動したのはセル始動だ。これまでエンジン始動で、どんだけ苦労してきたか。。。交差点の右折車線で突如エンストしたときや、人里離れた林道のゴツ石にハマってエンストしたとき、或いは暗くなった雨の林道でコケたとき、キックがままならない状況で人知れず気持ち悪くなったことが何度もあったが、そういうことはこれで解消できそうだ。「オフロードの醍醐味はキックだよ」と嘯いていた自分が恥ずかしい。

もう一つ大きな違いはFI(フューエルインジェクション)。これもオフロードに装備される時代となった。これまでは、機嫌を伺いながらチョークの引きを調節しながらエンジン始動していたが、今は昔の始動方法。要は始動なんぞで苦労していないで、早く行こうということか。隔世の思いだ。

また、スタンドが立っているときやギアがニュートラルでない場合にはエンジン始動が出来ないフェイルセーフシステムになっているのは驚きだった。

この辺りで、BAJAから乗り換えた初見としてのインプレをまとめておく。メーカー発表の諸元は次の通り。



・ セル始動が楽
  とにかく、スイッチ入れればエンジンがかかるというのは有難すぎる

・ 信頼できるFI(フューエルインジェクション)
  ご機嫌伺いながらチョークを引いてエンジン始動するという手間が要らない

・ 両足着くシート
  高BAJAは860mmでSEROWは810mm。この違いは大きく、しかもスリムなので両足がちゃんと着く安心感は極めて大きい

・ 重心が中央下にまとまっている
  ニーグリップによる安定性が極めて大きい

・ ハンドル角が大きく、取り回しが楽
  狭い道でのU-ターンが楽に出来る

・ 1速ギヤ比が高いため、低速での粘りが強い
  トライアル的な使用を意識してあるので低速での安定性があり、ふらつかない

・ 車重はBAJAより重いが、軽く感じる
  サイズがBAJAより小さいためか、押さえが利く

・ フロントフェンダーが細く、走行ラインが見易い
  フェンダー幅がトライアル譲りで、ラインの見極めが楽

・ クラッチが軽い
  BAJAのクラッチは重く、長距離運転時には握力が利かなくなることが多かった

<問題点>
・ 車載工具スペースが小さい
  BAJAのリアシートには車載工具がたくさん入った

・ 書類入れと称すスペースへのアクセスに工具が要る
  2014年以前のSEROWは、進行方向右側にある工具スペースへのアクセスにも工具が必要だったらしいが、
  現バージョンはクイックファスナーになっている。
  左側の書類入れは、今でもドライバーを使って開ける必要があるため、蝶ネジに取り替えた(M6/15mm)。
・ スタンドの接地面積が狭く、ぬかるみでの接地が不安
  スタンドがけしたときの車体倒れが大きいある意味安定性は大きいが、スタンドへの負担が大きいので
  ぬかるみでのスタンドがけは注意が必要

・ ミラー交換時には右側が逆ネジ
  これはヤマハ独自のこだわりであり、標準ミラーの場合には奏功するのだが
  カスタム化する場合には逆ネジ対応のミラーを調達するか、逆ネジアダプタが必要となる。

・ 6速がない
  高速走行時、アクセルオフしたときに惰行が伸びないためにアクセルを開ける必要があり、燃費に影響。


今後こいつと連れ添うが、かつての様なドキドキからマッタリへの転換が楽しみである。初日、100kmほど慣らし運転を行ったが、思いがダイレクトに伝わる素直さが素晴らしい。

BAJAとSEROWの違いを判り易くいうならば、BAJAはお転婆でやんちゃなAKB48で、SEROWは清楚でなでしこ系な乃木坂46。


久しぶりに100均グッズの分解をしてみた。今回はテレビアンテナ分配器。

アンテナ分配器

1本のアンテナを2台のテレビで共有するためのデバイスで、地デジだけでなくBS/CSアンテナも使用できるものだが、家電製品量販店では数百円から千円以上するものまで各種あるなか、さすがに100円のものは見たことがない。

アンテナ分配器の中

蓋を開けると(こじあけると)100円とはいえ、高周波での動作となるのでFR4のガラエポ基板が使用されているのだが、電子部品点数は極めて少なく、BS/CSアンテナ向けとしてテレビから送り込む直流を通過させるダイオードとそれと並列に置かれたコンデンサ、それとInとOutの通過でフィルタリングするためのビーズ型フェライト、そしてIn/Out用端子だけというきわめてシンプルな構成となっている。ぱっと見で、回路図に落としてみた。

これだったら確かに100円で十分おつりがくるだろう。


 

ダイオード、コンデンサ、フェライト

その点、数百円のものはもう少し部品点数も多いのかもしれないが、最低限ということであればこの構成で差し支えないのかもしれない。ただし、ゲインの減衰がどうなのかまでは見ていないが。

地デジの電波が微弱だったり、衛星からの電波が受信し難い場所などでの使用では問題あるかもしれないが、2台のテレビで見たい場合に、指し当たってこの100円もので試してみるというのもよいのではないだろうか?うまく行けば、安上がりだし。

100均は、いつでも庶民の味方である。


4月も下旬になると、桜前線は津軽海峡を渡り北海道で満開を迎える。悠久の時を超えてこの流れはずっと続く自然の営みであるが、近年の桜の花の色は昔と少し違うのではないかと言うことに最近気付いた。

つまり、昔の桜の方がもっと赤かったのではないかと思うのだ。


これは知り合いから指摘されてふとそう思ったことなのだが、確かに最近の桜(この場合はソメイヨシノ)の花びらは、花の中央付近はピンク色しているものの 全体としては相当に白く、いきおい、白の占有率が圧倒的に大きい。ところが記憶にある桜の花の色はもっとピンク色をしていて、今の桜の色とはずいぶん違う気がするのだ。

もちろん、昔の桜の花写真などを調べれば判ることなのだが、なにせ何十年も前の写真などは色が退化してしまっているし、印刷されたパンフレットなどに描かれているものは色修正がされてているだろうから参考にはならず、いきおい、記憶にある桜の色との比較することを余儀なくさせられるわけだが、その比較において感じることとしては、やはり昔と今とでは色が異なる気がするのである。

そういうことを言うと、たいていの人は同意してくれて、昔と全く同じだという人は稀な様だ。従って余計そう感じられるのだが、その原因は地球温暖化などを含む環境の変化によるとか、遺伝的問題によるとか諸説ありそうだが、

小生はどうもこの原因は「思い込み」にあるのではないかと考えている。

つまり、本当は昔も今も変わらないのだが、桜の花はピンク色だと思い込んでいることに原因があるのではないかと思うのだ。

この思い込みというのは五感に訴える商品開発に於いては非常に重要な要素であり、扱いを間違えると、例えどんなに商品の機能やパフォーマンスが高くても市場では駆逐されてしまう。つまり人の感性に訴える商品は、ユーザーの思い込みに対して忠実である必要があるのだ。

最近、オーディオ関係の開発エンジニアの方から「ドイツとイギリスでは再生音に対するこだわりが異なる」という話を聞いた。そもそもスピーカーから出てくる再生音は、音源から出された電気信号が途中の信号処理や使用される部品の仕様や特性、さらにスピーカー性能などの伝達経路によって異なるために機種やメーカーによって大きく異なってくる。それはよく知られていることであるが、そこに嗜好というパラメータが入ると、くだんの話のようにドイツ人が満足する再生音とイギリス人が満足する再生音とでは、同じ音源からの再生音でも違うらしい。

このパラメータの根底にあるものの一つに「思い込み」がある。つまり、その思い込みとの差分が大きいと違和感を感じ、差分が小さければ満足するというわけである。再生機を商品化する場合には、極端に言えば原音に忠実なことよりも聴者の思い込みに忠実な方が商品価値があるといっても過言ではないのだ。

これは、映像でも同じで、先に述べた桜がよい例だろう。白よりもピンクがかった桜を再現した方が、少なくとも日本人は美しいと感じ、満足感が得られる。たとえ本当の色ではないにしても満足感を与えられることが出来れば商品価値は高いものになる。

これはすでにテレビではとうの昔から採用されている、いわゆる「絵作り、色造り」」という技術で、日本製のテレビを輸出する場合などには、仕向け先によってデフォルトの色調整を変えて出荷しているのだ。実際にデジカメで撮影した写真をパソコン画面で見た場合とそれをテレビに移した場合とでは色がまるで異なるという経験をした人も多いと思うが、これが色造りだ。

色とか音といったようなアナログな情報の記憶は相当に曖昧であり、絶対値としてはっきり記憶することが難しい。もちろん世の中には絶対音感を持った天才もいるが、多くの人はそれらの物理量は相対値として記憶しているだけである。したがって、テレビに映る花がピンク色していないと桜だと思わない、それくらい記憶と現実には差異があるということになる。

人によって思い込みは異なるが、ある程度の国民性とか国民的嗜好というものはありそうだ。確かに、子供たちに空の色を描かせると、国によって異なる色を使うという話を聞いたことがある。ひょとすると桜の花も、国や年齢によって異なるかもしれない。

そんなことを考えているうちに、桜はもうすっかり葉が茂る季節になった。


2月11日、上野にて

今年も桜がたくさん咲き、そして散っていった。毎年見る光景ではあるが、かつて小生の上司は「毎年桜が咲くのを見るにつけ、これからあと何回桜を見れるのかなと思うんだよね」といった言葉の意味、最近なんとなく感じるようになった。

花には植物の数だけの種類があるといえば大袈裟だが、日本人にとって桜は特別といわれる。ぱっと咲き、さっと散る。日本的美学か。今年、2月11日に早咲きの河津桜とメジロを見てから3月26日にソメイヨシノが開花、末に満開となり、1週間後には散っていった。

桜と梅。

最近気づいたのだが桜は茂りが撮影され、梅は一厘の花が撮影される。そうか。桜は一日の差もなく一斉に咲く壮麗感が潔ぎよく、散り際も未練を断つように潔いのだ。


質素で純潔で清楚。そういえば香りすらなく、散った後の木には痕跡を残さない。

また、来年も逢いたいね。

 

 

ペンライトと言う商品があるのをご存知だろうか。コンサート会場などで客席で曲に合わせて振るスティック上のライトのことだ。会場に於ける盛り上がりはこのペンライトの有無で大いに変わるのため、最近は必携品となっている様だが、かつては使い捨てのサイリウムが主流だった。
 

 

ルミカ製、ルミエース2
 

ペンライトの前に、サイリウムの発光原理に就いて簡単にまとめておこう。

サイリウムは分離された二種類の液体とそれを封じ込めた容器及び外装容器で構成されている。一つは蓚酸ジフェニルと蛍光色素(色素増感太陽電池:Dye Sensitized Solar Cellの色素「Dye」と同意)の混合液と過酸化水素水(消毒で使われるオキシドール)だ。この二つの液体が混合されると蓚酸ジフェニルが過酸化水素水によって二酸化炭素に分解されるが、そのときに蛍光色素に対して発光するに十分なエネルギーで励起され、蛍光色素が価電子帯に戻る時に放たれる光がサイリウムの光である。広義で云えば、電子がエネルギーを放って発光するLEDとよく似ている。この混合は、容器を強く叩くことで中の容器が破壊されて混合される仕組みとなっている。

つまり、サイリウムを発光させるためには物理的な衝撃が必要なのだ。この衝撃、普通に叩く程度であればよいのだが、コンサートなどで興奮状態にあると叩く力が強すぎることがあり、実際、外側の容器まで破損する事件が起き、蛍光物質が外に漏れて座席や服が汚れる騒ぎとなったことがあった。それがサイリウムの使用を禁止した動機らしい。

そこでペンライトの復活だ。

元々ペンライトは工事現場などで車両の交通整理などで疲れているもので、そう、警察による検問で車を誘導するときに使うアレで、古くは豆電球を使ったものであったが、近年は発光源をLEDとしたものが主流である。現在はこれがサイリウムのアトガマとしてもっぱらコンサートライトで使われている様だ。LEDであれば電池の持ちもいいし、原則として球切れの心配も無い。

かつては赤、緑、黄、青などの単色タイプだけだったため、猛者たちはコンサートに様々な色のペンライトを携えて参戦していたが、近年は一本で多色のものが出始め、色についても三原色だけではなく混色によって様々な色を発光するタイプのペンライトが見られるようになった。実際、曲に合わせてペンライトの色が統一されると盛り上がりも一層高まり、高い高揚感が得られるというもの。

しかし、3時間を越えるコンサートで少し気になるのは乾電池の寿命である。

3時間程度のコンサートであれば電池切れという問題はあまりないだろうが、それでも終盤戦になったころに薄暗くなったペンライトを振るのはなんとなく切ない。もちろん換え電池を持参するのが定法ではあるが、好奇心的に、一応、どの色の時が最も長時間発光できるかをチェックしてみた。それがこのグラフだ。

測定に当たっては、ルミカ製、ルミエース2キラキラタイプを用いた。

 


4.5V定電圧源から電圧を供給して実測

 

 

 

 

電流値測定結果


ご覧の様に、というか想像通り、RGB(Red:赤、Green:緑、Blue:青)の三原色が最も電流値が低く、それらの混色によって生成される色の場合には電流値は増大し、三つの色が総て混色している白は最大値となっている。

アルカリ乾電池は内部抵抗が大きいので電圧降下が生じるため、負荷をかけた時の入力電圧はそれによって変動するので、ここでは乾電池を用いずに定電圧電源から電圧を供給して電流を測定した。本製品の仕様は乾電池3本駆動なので、4.5Vの定電圧を用いた。


測定結果、会場統一色で振るときは別として、思い思いに振るときには三原色を選んで振っておいた方が電池の持ちはよいことが判った。特に青がオススメである。

 
「ニッポンの未来は♪ 世界がうらやむ♪」 

1999年、つんく♂プロデュースのモーニング娘。は、Loveマシーンという武器を携えて停滞気味だった日本人を煽った。今から遡ること17年前のことである。あれから17年が経ち、その後「日本の未来」はどうなったか。そして今から17年後から見た今の日本は、どんな時代に見えるのだろうか。

近年、海外からの観光客が軒並み増えた。特に中国からの客が著しく、マスコミでも連日のように報道されている。これは17年前には殆ど聞かれなかったことだ。

日本は観光資源大国  -外国人観光客に金を使ってもらう方法 

http://ameblo.jp/millimeter-wave/entry-11990260261.html 

ここで述べたように、2001年の来日客数は約470万人であり、それに対し昨年はなんと1千974万人と4倍に増えている。しかも、伸び率はエクスポーネンシャルカーブを描いている。


彼等の来日目的は何なのか。

海外から多くの観光客が土産にと日本製の商品を買って行くことはよく知られている。それは日本製品が高品質であるからだ。ところが1960年代ぐらいまでは「Made in Japan」と言えば粗悪品かコピー品の代名詞であり、およそオリジナリティの無いものだったのだ。当時は海外に於いて、多くの人が購入品に「Made in Japan」という銘版が付いているのを見て落ち込んだという。

その後、日本は「じゃ、それを克服しよう」と、品質の改善に躍起となった。そして気がつけば、「日本製」は高品質の代名詞となった。苦労された先人たちの努力には本当に頭が下がる。

さて、品質とは何か。

考えてみると、ここで云う品質とは「ある基準を満たしていること」であり、明確に数値化することが可能なパラメータだ。従ってその基準に合致するためのパーツを用い、確立されたプロセスを遵守すれば品質は確実に得られる。つまり、日本でなくても高品質をプロデュースすることは可能なのだ。極端に言えば、少なくとも工業製品であれば、基準に合格した部品を使って完全自動組み立て工場で製造し、完全自動梱包されれば、品質の歩留まり管理は可能である。ということは誰でも何処でも誰でも出来る。日本でなくても出来る。スイッチさえ入れればできる。今やそういう時代だ。

そこでもう一度考えてみる。日本に旅行に来る観光客は、何を求めて日本に来るのか。

もちろん日本には多くの自然の観光資源がある。しかし、数値的に測定して世界一という観光資源は殆ど無い。世界一大きい所、世界一広い所、世界一高い所、そう云う観光資源には乏しい。

では、なぜ海外から日本へ観光に来るのか。

それは、日本の持つフシギな価値観、つまり測定不可能な品質とも云うべき「上品さ」なのではないか?そう考えるのだ。

ここで、上品とは何かを調べてみた。

高尚で洗練されている
謙譲するが、さりとて自己卑下しない
言葉遣いが丁寧
喜怒哀楽を激しく顔に出さない
動作がゆっくりしている
大きな音を立てたり大きな声を出したりしない
清楚
あと腐れることなく、引け際は潔い


らしい。

男性的というより、相当に女性的ではあるが。。 まるで桜の木だ。そう云えば日本人の桜好きな理由が分かる気がする。

これらの要素を良く見ると、どれも閾値というものはなく極めて感覚的なものであって、相対的なものだ。つまり上品と下品の中間点は状況によって著しく変わるのだ。この価値観が日本的な品質なのだろう。

そう云えば、侘び、寂び、雅といった古来から伝承されている日本の精神性の様なものも、この上品さを表わすものじゃないだろうか。この日本人の精神性というものは、外国人には極めて難解なものであり、いきおい彼等にとってそれがそのまま異文化であって、それに触れたいが故に日本へ旅をしにくるのだろう。つまり、「世界一なんとか」な景色を見たいという欲求ではなく、日本的上品さが見たいのだ。

優雅にして華麗なる千鳥ヶ淵のソメイヨシノ

この上品さこそ、基準がはっきりしないがゆえに合格点と言うものが存在しない「不確かな基準」であり、しかし確実に存在するものであり、そして他国には当分真似はできない世界がうらやむ日本の伝統芸なのだ。

今、世界がうらやむ日本のセールスポイントはこの上品さだと再認識すべき時期にある。その昔、バイクの免許試験を受けたときに実施試験で落ちたやつが、教官から「なんか、乗れていないんだよね」と言われたという。

なんだそれ??

しかし、これこそ感覚の世界でもあるのだ。その判定基準に合致するか否かは数値では表わせない。判断する人の感性や経験に委ねられる。上品か下品か、その中間だけどどちらに近いか。それを判断できるのは世界広しと言えども日本人だけかもしれない。日本人は、この「上品計り」をずっと定量することなく持ち続ければ、世界は日本をうらやむ。


質素にして可憐なるオオシマザクラ


日本が日本として世界に冠たるには、「上品」というキーワードを忘れてはいけない。