1999年、つんく♂プロデュースのモーニング娘。は、Loveマシーンという武器を携えて停滞気味だった日本人を煽った。今から遡ること17年前のことである。あれから17年が経ち、その後「日本の未来」はどうなったか。そして今から17年後から見た今の日本は、どんな時代に見えるのだろうか。
近年、海外からの観光客が軒並み増えた。特に中国からの客が著しく、マスコミでも連日のように報道されている。これは17年前には殆ど聞かれなかったことだ。
日本は観光資源大国 -外国人観光客に金を使ってもらう方法
http://ameblo.jp/millimeter-wave/entry-11990260261.html
ここで述べたように、2001年の来日客数は約470万人であり、それに対し昨年はなんと1千974万人と4倍に増えている。しかも、伸び率はエクスポーネンシャルカーブを描いている。
彼等の来日目的は何なのか。
海外から多くの観光客が土産にと日本製の商品を買って行くことはよく知られている。それは日本製品が高品質であるからだ。ところが1960年代ぐらいまでは「Made in Japan」と言えば粗悪品かコピー品の代名詞であり、およそオリジナリティの無いものだったのだ。当時は海外に於いて、多くの人が購入品に「Made in Japan」という銘版が付いているのを見て落ち込んだという。
その後、日本は「じゃ、それを克服しよう」と、品質の改善に躍起となった。そして気がつけば、「日本製」は高品質の代名詞となった。苦労された先人たちの努力には本当に頭が下がる。
さて、品質とは何か。
考えてみると、ここで云う品質とは「ある基準を満たしていること」であり、明確に数値化することが可能なパラメータだ。従ってその基準に合致するためのパーツを用い、確立されたプロセスを遵守すれば品質は確実に得られる。つまり、日本でなくても高品質をプロデュースすることは可能なのだ。極端に言えば、少なくとも工業製品であれば、基準に合格した部品を使って完全自動組み立て工場で製造し、完全自動梱包されれば、品質の歩留まり管理は可能である。ということは誰でも何処でも誰でも出来る。日本でなくても出来る。スイッチさえ入れればできる。今やそういう時代だ。
そこでもう一度考えてみる。日本に旅行に来る観光客は、何を求めて日本に来るのか。
もちろん日本には多くの自然の観光資源がある。しかし、数値的に測定して世界一という観光資源は殆ど無い。世界一大きい所、世界一広い所、世界一高い所、そう云う観光資源には乏しい。
では、なぜ海外から日本へ観光に来るのか。
それは、日本の持つフシギな価値観、つまり測定不可能な品質とも云うべき「上品さ」なのではないか?そう考えるのだ。
ここで、上品とは何かを調べてみた。
高尚で洗練されている
謙譲するが、さりとて自己卑下しない
言葉遣いが丁寧
喜怒哀楽を激しく顔に出さない
動作がゆっくりしている
大きな音を立てたり大きな声を出したりしない
清楚
あと腐れることなく、引け際は潔い
らしい。
男性的というより、相当に女性的ではあるが。。 まるで桜の木だ。そう云えば日本人の桜好きな理由が分かる気がする。
これらの要素を良く見ると、どれも閾値というものはなく極めて感覚的なものであって、相対的なものだ。つまり上品と下品の中間点は状況によって著しく変わるのだ。この価値観が日本的な品質なのだろう。
そう云えば、侘び、寂び、雅といった古来から伝承されている日本の精神性の様なものも、この上品さを表わすものじゃないだろうか。この日本人の精神性というものは、外国人には極めて難解なものであり、いきおい彼等にとってそれがそのまま異文化であって、それに触れたいが故に日本へ旅をしにくるのだろう。つまり、「世界一なんとか」な景色を見たいという欲求ではなく、日本的上品さが見たいのだ。
優雅にして華麗なる千鳥ヶ淵のソメイヨシノ
この上品さこそ、基準がはっきりしないがゆえに合格点と言うものが存在しない「不確かな基準」であり、しかし確実に存在するものであり、そして他国には当分真似はできない世界がうらやむ日本の伝統芸なのだ。
今、世界がうらやむ日本のセールスポイントはこの上品さだと再認識すべき時期にある。その昔、バイクの免許試験を受けたときに実施試験で落ちたやつが、教官から「なんか、乗れていないんだよね」と言われたという。
なんだそれ??
しかし、これこそ感覚の世界でもあるのだ。その判定基準に合致するか否かは数値では表わせない。判断する人の感性や経験に委ねられる。上品か下品か、その中間だけどどちらに近いか。それを判断できるのは世界広しと言えども日本人だけかもしれない。日本人は、この「上品計り」をずっと定量することなく持ち続ければ、世界は日本をうらやむ。


