快晴に恵まれた穏やかで暖かな冬の日晴れ
 
高松港から宇野港への1時間の船旅は
 
女木島灯台、大槌・小槌島と瀬戸大橋、直島水道入口の帆掛石・俎石(まないたいし)・牛ノ子礁の岩礁地帯、直島、荒神島、葛島と次々と懐かしい風景が右舷と左舷そして航跡の奥へと現れては消えてゆきます船DASH!
 
このうえ宇高連絡船のぶぉ~んという汽笛があれば最高ですが・・・
 
あっという間の宇高上り航路の船旅でした照れ
 
 
ご訪問頂きましてありがとうございます
 
松の門が取れる前に何とか本年初投稿アセアセ
 
今年もよろしくお願い申し上げます
 
前回の高松-宇野 宇高東航路を往くからの続きです(;^ω^)
 
(瀬戸大橋島巡りは高松港へ戻ってから続きます)
 
宇野港に14時05分に着岸、高松港出航が13時05分でしたので丁度1時間の順調な航海でした
 
時刻は12月8日の14時10分になりました晴れ
 
これから第3便の15:45までの1時間半ほどウロウロしますが・・・
 
まずは高松港で撮れなかった切符売り場に寄っていこうかな
 
14:10
お別れ乗船で普段フェリーに乗り慣れない方の利用も多いらしく
 
車検証を用意して並ばずに乗船手続きが捗らないとか新聞記事にありましたが
 
これからは四国島民でもフェリーに乗ったことないなんて当たりまえになるかも
 
14:11
赤いファンネルは四国フェリーの伝統?
 
素敵な宇野港と四国フェリーの絵が飾られてました
 
14:13
記念スタンプもありましたが、何に押そうかな
 
14:14
持ってきた時刻表とパンフにスタンプ押して、
 
乗船時間を間違えない様にフェリーの時刻表も頂きました
 
14:17
先日の四国急行フェリーの記者会見では、いつでも再開できるよう施設は維持するとの事でしたが・・・
 
どうなるのでしょうかね
 
14:18
四国フェリーの左(東)隣りは四国汽船のフェリー発着場
 
直島や小豆島行のフェリーが発着しています
 
14:20
フェリー乗り場を後にして、まずは現在のJR宇野駅へ行ってみます
 
連絡船が廃止された1988年の雑誌「季刊旅と鉄道」冬の号には
 
玉野市では「ポートルネッサンス21」と題した宇野港(田井地区)の造成事業が計画されているとありました
①本四架橋によって交通変革が起こることが予想される
②JRの跡地が宇野駅周辺にあるのでそれを有効利用する
③造船不況に対応する
 
玉野市には、田井、宇野、日比の三つの港があり、それぞれを機能分担していく
 
田井は造成により3万トンクラスの船が入港出来るようにして物流機能を持たせ、宇野は観光港として整備していくという事でした
 
さてさて、どのような変貌を遂げてるのかな
 
14:22
バスターミナルの向こうに見える小さくてオサレな駅が現在の宇野駅のようです
 
14:24
左に傾いてる?ゲラゲラ
 
いやいやアートの飾りのせいでそう見えただけ
 
14:25
1面2線の宇野線の終着駅で場所も以前とはかなり違うような・・・
 
14:25
1994(平成6)年に旧駅舎の北に新築され移転したらしいです
 
そしてその翌年から始まった駅前再開発によって連絡船の接続駅だったかつての名残はほぼ消え去ったそうな
 
14:27
宇高連絡船の接続駅として優等列車や貨物列車が次々と入線して、構内には側線、機回し線、引き込み線などが幾本もある広大な駅でした
 
現在は茶屋町-宇野間に普通列車が1時間に1本というローカル線になっていますが、毎週土曜日には観光列車のラ・マル・ド・ボアが岡山-宇野間で1往復されているそうです
 
連絡船時代の宇野駅 1988年3月13日撮影
 
3番線隣の留置線上の長い編成13両の客車を牽引するEF65は寝台特急瀬戸
 
宇野駅の構内で観光ボランティアの方に連絡船の遺構は残っていないかと訊ねると、
 
ほんの少しだけ岸壁の一部が保存されているとのこと
 
1988年3月13日撮影
3番線には国鉄末期に登場した213系の9両編成の備讃ライナー

ホームの向こうには接岸中の土佐丸の操舵室とファンネルが見えています
 
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宇野駅のホームから接岸中の連絡船が見えますキラキラ
 
第一バースに接岸する土佐丸
 
第一バースに接岸中の阿波丸

 

動画で暫し当時の雰囲気を(*´∇`*)

思い出の国鉄(宇高航路) 6分15秒

 
「青い国四国」はディスカバー・ジャパンのキャンペーンでした
旅は新しい発見の連続 国鉄の5,084ヶ所の駅があなたのディスカバーの旅をお待ちしています
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出帆時刻表を見ると、連絡船の殆どは第一バースに接岸していたようですね
 
長編成の寝台特急瀬戸が3番線の隣に留置されていました
 
手前の駅舎側の1番線には115系(湘南色)が入線して来ました
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さようなら そして ありがとう
 
さようなら夢海路
 
どっきん四国の富田靖子さんと切り絵船長萩原幹生さんの作品も写ってる
 
 
 
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さてさて
 
そんな宇野駅はいったい何処にあったのでしょうね
 
遺構があるという場所の方へ歩いてみます
 
14:34
向こうに瀬戸内温泉たまの湯という施設が出来てるけど、この門は歩いて其処まで行く通路らしい
 
向こうの山は見覚えがあるぞ~
 
玉野競輪の看板のある山
 
宇高連絡船の発着場や連絡船上から何度も目にしたので良く覚えてます
 
ジオグラフィカで周辺の地図を見てみると
 
宇高連絡船発着場第二バース跡とあります
 
これが遺構のようです
 
第二バースとは・・・
 
1988年 高松港
実は前々からこのようにA、Bと複数の岸壁がある場合
 
陸と海とどちらから1、2、3と数えて行くのだろうと疑問でした
 
多分陸から海へと数えていくのだろう
 
そうしないと増築した場合におかしなことになってしまう程度に考えていたのですが・・・

地図を見ると、第二バースの右側(海側)の護岸が
 
こちらが第一バースですよ!というような形をしています
 
う~ん・・・??
 
結論だけ先に書くと、
 
空中写真で検証した結果、第二バースの右(海)側は連絡船の発着バースではなく、宇高丸バースでした
 
詳しくは後ほどに・・・
 
14:34
この辺りかな?
 
31年前に第二バース横から第一バースを眺めた下の写真と
 
葛島の形が同じに見えてます↑↓
1988年3月13日撮影
 
探訪当日には状況を把握できないまま、現地で写真のみ撮って帰って来ましたが
 
連絡船時代の写真と比べても良く判りません
 
そうだ空中写真で見れば判るかも

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地理院地図に1975年に撮影した空中写真がありました
 
二つの連絡船の岸壁の右(東)に現在と全く同じ二つの窪みが写っていますが連絡船の発着場ではないようです
 
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残っている遺構が第二バースだとすると
 
第一バースは其処よりもまだ左の陸側(西)に在った事になります
 
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1980年宇野港
 
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2007年宇野港
鉄道がスリムになって広い車道が作られ、
 
連絡船の発着場は第一バース、第二バースともに埋め立てられたようですね
 
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現在と同じ護岸になっている2008年の空中写真に当時の護岸を書き込むとこんな感じかなてへぺろ
 
現在のフェリー乗り場も沖合へ迫り出していますね
 
14:37
この辺りは当時の形が残ってます
 
14:38
ここも宇野駅の構内だったので、鉄道関連の遺構だと思われます
 
調査していると宇高連絡船愛好會のページに辿りつきました
 
そのなかに宇高丸バースの遺構というのがありました
 
説明が簡素なので良く判りませんが、掲載されている写真の場所がこの場所のようです
 
隣にもうひとつ窪みがありますが、おそらく其処も同じ施設だと推測されます(間違っているかもしれません)
 
HPには近代化産業遺産の認定証の画像も掲載されていますが、ここを何度か歩いたはずですが気付きませんでした
 
宇高丸バースとは1930(昭和5)~1961(昭和36)年まで使用されていた貨車航走施設の事で、
 
宇高連絡船初の自力貨車航走施設であり、宇高連絡船初の自力貨車航走船「第一宇高丸型」専用航走場として活躍したそうです
 
宇高丸バースは現在埋め立てられていますが基礎部分は見る事ができるそうな
 
この宇高丸バースの説明板が第二バース遺構の場所に以前はあったようですが・・・
 
今回探訪した時にはありませんでした
 
この説明板を目にしていれば実際に確認する事が出来たのに残念です(T▽T)
 
また、産業振興ビルには1970(昭和45)年頃の宇野駅と宇野桟橋周辺を再現した模型や連絡船や当時の写真も展示されているらしい
 
これも是非とも見たかったけど
 
宇高航路も既に無く
 
時遅しえーん
 
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1988年4月3日の瀬戸大橋ウォークの帰りに撮った観光船讃岐丸
 
3月13日に訪れた宮島航路の廃船がまだ繋留されており写ってますね
 
玉野競輪の看板の下に写ってるタンク群も鉄道関連の物だったのでしょうか
 
現在は撤去されて無くなってました
 
宇野港界隈の風景は一変しましたが、対岸の山容と玉野競輪の看板は不変です
 
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コチラ側は第一バースと判ったので
 
最初はここが第二バースの遺構かと考えていましたが、間違っていた事が判明
 
14:40
それにしても、よくぞ遺してくれたものです
 
これが無いと全く手がかりが無くなってしまいますアセアセ
 
14:40
この案内板の写真では接岸した連絡船を海側から撮ってる
 
14:41
遺構も海側からしっかりと撮っとけばよかった(◞‸◟)
 
14:42
 
14:43
これが唯一の海側から撮った遺構ですが全体が収まってません(;´∀`)
 
先程の宮島航路の廃船上から連絡船の発着場を撮った写真
 
海側からならこの中に写ってる筈です
 
第二バースの可動橋付近を拡大して見ると・・・
 
見つけた!(≧▽≦)
 
上の写真(14:43撮影)と比べると、写ってない左の部分を除いて
 
石段と二つの係船柱(ボラード)も一致してます
 
構造物の在るべき位置と形状も一致してますのでほぼ間違いないと思われます
 
14:44
先ほどの写真は瀬戸内温泉たまの湯の右辺りに係留されていた宮島航路の廃船上からこちらに向かって撮った写真です
 
因みに、たまの湯は露天風呂と内湯のある天然温泉で岩盤浴もあるそうな
 
入浴料は土日祝日だと一般で1900円
 
営業時間は10:00~23:00
 
定休は第三火曜日
 
この日は沢山の車が駐まってました
 
どうにか遺構の連絡船時代の状況が判って来ましたが
 
探訪当日は全く判らず手がかりを求めてまだまだ彷徨います
 
護岸沿いに辿りました
 
埋め立てられた連絡船の第一、第二バースの他の二つの窪みは
 
1961(昭和36)年まで使われたという自力貨車航走施設の宇高丸バース跡でした
 
14:56
案内板の左側が連絡船が頭を突っ込んだ第二バースになります
 
この先に可動橋があって貨車の航走作業が行われていました
 
 
上の写真は第一バースでの航走作業ですが、同じ構造です
 
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15:00
瀬戸内温泉たまの湯前の護岸
 
ここは宇高丸バースの跡だったようです
 
15:01
たまの湯前から連絡船の発着バース方面
 
第二バースの遺構の手前に二つの宇高丸バース跡の窪みがあります
 
15:02
たまの湯前の浮桟橋上から直島・葛島水道方面
 
連絡船発着バースを離岸して葛島水道へ向かう下り便の伊予丸
 
15:05
タンク群は撤去されて温泉施設以外は更地のままです
 
ホテルが出来るという話もあるそうな
 
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1988年3月13日撮影
養鶏用、家畜用完全配合飼料メーカーとして近畿から岡山、広島、四国地区を中心に販路を持っていた中国飼料(株)も2011年に主力顧客の破綻による不良債権が影響して破産に至ったそうな(◞‸◟)
 
15:07
このエリアは現在、直島(宮浦・本村)行や豊島(家浦・唐櫃)-小豆島(土庄)行きの旅客船の発着場となっています
 
ここから延びる防波堤は再開発時に作られました
 
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1988年3月13日
 
当時は連絡船が発着する為、防波堤はありませんでした
 
15:19
たまの湯前の護岸には当時のコンクリートの構造物が残ってますが・・・
 
かつて、自力貨車航走船がこの奥にあった宇高丸バースに接岸していた
 
15:19
対岸の岸壁の向こうには四国急行フェリーと四国汽船のフェリー乗り場が見える
 
宮浦港行のフェリーあさひ
 
その向こうには乗って来た第一しょうどしま丸が停泊しています
 
宇野港を出港する連絡船上からの埠頭先端のホーバークラフト乗り場とフェリー乗り場
 
現在ここには3万トン級の岸壁が出来てます
 
15:20
旅客船乗り場の向こうの埠頭には
 
連絡船時代、長い宇野駅のホームの先まで歩くとJRのホーバークラフトと高速艇しおかぜの乗り場がありました
 
海の新幹線、ホーバークラフトとびうお号は1時間で1往復していましたが
 
二つのプロペラから出る騒音は半端なく大きかったです
 
15:22
操車場の後は駐車場とキャンプ場になってましたよ
 
15:25
かつての宇野駅跡はだだっ広い公園広場
 
この辺りは旧宇野駅の駅舎があったと思われます
 
15:28
連絡船の痕跡など無視された街かと思いきや
 
古ぼけたビルに土佐丸の勇姿が・・・
 
でも…
 
あぁ、もうそういう時代じゃ無いんだという
 
なんか余計に寂しくなって、フェリー乗り場へ引き揚げます
 
15:31
先程直島水道を航行していた宮浦港からのフェリーあさひはもう出港
 
宇高東航路を宮浦港へ向けて逆行していきました船DASH!
 
15:31
第一しょうどしま丸への車両の積み込みも始まってます
 
15:34
切符は往復券を買ってあるので必要ないけど
 
とりあえずパチリカメラ
 
大変長くなってしまいましたが
 
今回もお立寄り頂きましてありがとうございました
 
次回は宇高西航路(下り航路)で高松港へ戻ります
 
これが本当に最後の宇高航路乗り納めになります
 
では、またバイバイ
 
次回に続きます