玉野市の宇野港界隈を1時間半ほどウロついてまいりましたが
15時45分宇野港発第4便の出航時刻が迫って来ました
本四架橋によって、連絡船から瀬戸大橋へと大動脈のルートが大きく変化しましたが
架橋後も30年以上に亘ってフェリーによる代替ルートとして生き存えた宇高航路もまもなく終焉を迎えます
1910(明治43)年に宇高連絡船として運航が始まって以来109年の歴史とのこと
明治43年と云えば私の祖父の生まれた年だ
記憶違いで無ければ、太宰治や松本清張、黒澤明、山本薩夫監督などの著名人も同じ年の生まれだったように思う
生きていれば皆109歳だったのか~
ご訪問頂きましてありがとうございます
前回の宇野港 鉄道連絡船の遺構から続きます
2019年12月8日![晴れ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/438.png)
![晴れ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/438.png)
時刻は15時半を過ぎました
連絡船廃止後も宇高国道フェリー、四国フェリー、本四フェリー(日通フェリー)の3社で12隻、一日120往復運航されていた宇高航路
2009年3月の高速料金の割引開始の施策以降、衰退の一途を辿り
現在はかつての航跡が嘘のような四国急行フェリー1社による1隻、一日5往復の運航となっております
宇野港発の第4便に乗船します
第一しょうどしま丸は高松港発の第3便として入港し、宇野港発第4便として出港するまでそのまま港で待機していますが
隣の四国汽船の宇野-直島(宮浦)航路は便数も多く、所要時間も片道20分なので・・・
第一しょうどしま丸が宇野港に14:05に入港した時にフェリーあさひが入港中でしたが
14:25に宇野港を出たフェリーあさひは、15:15に宇野に帰って来て、先程15:30に再び出港して往きました
直島(宮浦)-高松は便数が少ないので注意
帰りの第4便も積載車両は少ないみたい
最大旅客定員490名
この便は何人乗ったのかな
これまで宇高航路と宇野線、本四備讃線を利用して岡山と香川間のプチ乗り鉄も愉しむ事が出来ましたが
これからは直島(宮浦港)経由になりますね
高松-直島はフェリーで50分、高速艇なら30分でそれぞれ一日5往復で10往復
直島-宇野はフェリー20分、高速艇15分でそれぞれ一日13往復と7往復で20往復
フェリーでの直島-高松は高松-直島より10分多い60分かかります
隣の直島(風戸港)行きのフェリー「せと」越しの旧宇野駅方面
宇野港から高松への下り便は狭い直島水道で上下便が対向するのを避けるために葛(かずら)島の右の葛島水道を通りますが
宇野から宮浦港へ向かう航路は直島水道を通るようです
15時30分に一足早く出港したフェリーあさひが宇高東航路を逆に宮浦港へ向かっています
さあ、いよいよ出港です
宇野港では頭から突っ込んでいるので離岸後180度回転して船を反転
連絡船は貨車の航走に前も後ろも関係なかったので宇野、高松港どちらも頭から着岸してましたが
自動車を航走する為、フェリーは高松港では着岸前に反転してお尻から着岸します
2012年10月18日に運行休止となった宇高国道フェリー
就航当時の看板
廃止前のテレビ番組で、高速道路通行料に対して資本主義下の競争では無く、税金の投入による値下げによって窮地に至るのは納得がいかないと話されていたのが印象的でした
反転を終えて宇野港を後に![船](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/384.png)
![DASH!](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/178.gif)
![船](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/384.png)
![DASH!](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/178.gif)
連絡船時代に国鉄(JR)のホーバークラフトや高速艇しおかぜの発着場があった埠頭の先端は東に延長されて280mの大型客船バース(第一突堤)となり、3万トン級の外航旅客船が接岸できる水深10mの耐震強化岸壁になっています
みなとの情報 宇野港 宇野港湾事務所
宇野港界隈を短時間ですが歩いてみて
「可笑しな」と言っては怒られるかも知れませんが
変なアートがやたらに飾られているのに連絡船を顕彰するような物はほとんど目にしませんでした
後で調べると産業振興ビル内に連絡船の写真や模型が飾られていたそうではありますが・・・
唯一の遺構である第2バースも取り壊し中といった感じのままで、駐車場の中に違和感を醸しながら佇んでいます
おそらく残す計画では無かった遺構を保存会の要望で取敢えず破壊を免れたままの状態という印象
立て看板ひとつで予算も殆ど無くて整備されて無いという状況に見えました
訳のわからないアートをあちこちに並べるくらいなら、隣に残る宇高丸バース跡も併せて案内板くらい設置すればいいのに・・・
玉野市を宇野市と呼び間違えるほどに全国区に押し上げた連絡船の功績は大きいと思いますが何故だろう?
宇野港を離れて行く船上でふとそんな事を考えていました
JRの高速艇しおかぜは連絡船とホーバークラフト廃止後も存続しましたが、旅客減に伴い1990年3月31日運航を休止し、翌1991年3月16日に廃止となって、JRの宇高航路は完全に廃止となりました
また、全く知りませんでしたが、四国フェリーが24時間運航を中止するまでは、強風などで本四備讃線の瀬戸大橋橋上区間に通行規制がかかった場合、快速マリンライナーは宇野行に臨時変更され、宇野から高松へフェリーによる代行輸送が行われていたそうです
宇野港を後に葛島水道へ
四国に渡る人々にとっては、宇野港はロマンあふれる瀬戸内海の旅情の第一歩であり
また、四国から岡山へ向かう人々にも直島水道を越えて待望の本州上陸の地でもありました
しかし、
宇野駅で列車を下りた人々はホームから直接桟橋を渡って船中の人となり
高松から連絡船に乗って来た人々も殆どホームからは出る事無く列車に乗り込み、岡山駅へと向かいます
玉野市の人々にとって、連絡船の旅人達は単に通過していくだけで何も落としては往かなかった
自分たちが利用するに際しても、連絡船よりフェリーの方が運賃も安くて便数も多かった
こんな事が影響して、玉野市民に連絡船への愛着をもたらせ得なかったのではないかと妄想を膨らませていました
あくまで勝手な推測ですので事実はわかりません(;^ω^)
上り便では直島と葛島(かずらじま)の間を通って来ましたが、下り便は葛島と児島半島の間を通ります
玉野市は三井造船の城下町です
左舷に葛島、右舷には大型クレーンが林立した造船工場が続きます
造船王国日本の象徴として一翼を担った名門企業も中国・韓国勢に歯が立たず厳しい状況ですね(◞‸◟)
15:55
航跡は玉野競輪の看板から一直線に続きます
この宇高下り航路で最も楽しみにしていた風景
宇野港口飛州灯台(うのこうぐちとびすとうだい)が左舷前方に近づいてきます
文字通り宇野港の入口にある灯台ですが、ここの住所は葛島に属する香川県
とんがり帽子型の趣のある灯台が岩礁の上に建ってます
切り絵 瀬戸の春(直島水道) 荻原幹生(暈し加工入れてます)
元宇高連絡船の船長の荻原幹生氏が船長時代に発表した切り絵作品(12枚セットだったかな)を当時に購入して部屋に飾ってありますが
その中の1枚であるこの「瀬戸の春」は
宇野港口飛洲灯台越しに葛島と荒神島の間から直島水道を宇野へ向かう連絡船(阿波丸かな)を描いているお気に入りの作品です
岩礁を廻り込むようにカーブを描く航跡
直島経由の高松行ではこちらを通らないので
宇高航路廃止後はもう見る事は出来ません
左舷やや後方に宇野港口飛州灯台
左舷前方には荒神島と青い国四国
江戸時代に讃岐国と備前国の漁場争いで井島と大槌島の中央に引かれた境界線はびっくりする位岡山県の沿岸に迫っています
香川県って面積は日本一狭いけど海域も含めるとどうなんだろう?
結構広い様な気がします
第一しょうどしま丸は香川・岡山県境に沿うような形で葛島水道を進んでいます
左舷からは女木島や高松港の遠景が望めます
左舷後方
荒神島、葛島がだんだんと小さくなっていきます
夕日を浴びる赤いファンネル
宇高上り航路と下り航路でこれだけ距離が離れてますが
宮浦港から高松への便はこの辺りまで大きく回り込んで備讃瀬戸東航路を横断します
もう直ぐ夕日が瀬戸内海に沈みます
大槌島の左に南・北備讃瀬戸大橋の吊り橋、右に岩黒島・櫃石島橋の二つの斜張橋のシルエット
備讃瀬戸東航路の大型船は大槌島の左の夕日の中を進んでいます
犬戻鼻沖で児島半島と離れやや東に舵をきり備讃瀬戸東航路を横断します
その備讃瀬戸東航路を上り・下りそれぞれ200隻が運航する宇高航路が交わりますが、宇高航路はこの10年間でかなり便数が減っているので現在はどの位かわかりません
2017年に宮浦港から高松港へ向かう四国汽船のフェリーに乗った時のGPSルートログと比べてみると
直島の宮浦港から高松へ向かうフェリーも備讃瀬戸東航路を横断する地点は宇高西航路と同じ場所を横切るようです
このため宮浦-高松のフェリーは宇高航路の高松-宇野間と変わらない60分を要するようです
備讃瀬戸東航路を横切り終わると取舵いっぱい
艫(とも)を大槌島へ向けて高松港へ向かいます
瀬戸は日暮れて
夕波小波♪~
16:19
備讃瀬戸東航路を横切ると左に向きを変えて真っ直ぐ高松港へ向かってます
瀬戸内海の夕焼けに大槌島のシルエット
サンポートも夕陽に染まってます
真っ直ぐに大槌島へ延びる航跡
女木島
屋島と女木島に挟まれた海域はジャンボフェリーが頻繁に航走しています
スマホで宇高航路のアメブロ記事を読んでるとジェンボフェリーの広告が頻繁にポップアップします(^^;)
高松港玉藻防波堤灯台が近づきます
いやいや、勿論近づいているのは船ですけど(;^_^A
せとしるべと夕陽
惜しい!海だったらダルマ夕日になってたかもね
高松港に入港しました
反転を終えて接岸します
5000トン級の船が接岸可能な1番乗り場
着岸しました
下り便もほぼ1時間の航海
もう陽が落ちたのかな
これから積み込みの後、17時05発の第4便として宇野港へ向かいます
3000トン級岸壁の2番乗り場には小豆島や直島行のフェリーが夕闇迫る中で発着しております
この近くにある高松港旅客ターミナルビルは旧高松駅の連絡船のりばだったようで
ここに宇高連絡船鉄道レールモニュメントがあるそうな
そして、3階には宇高連絡船記念展示場も・・・
やるなサンポート高松(≧∇≦)/
かがわプラザへ移転したそうですΣ( ̄ロ ̄lll)
・・・・
疲れたのかな
言葉少なく・・・
まだ17時だというのに夕闇迫る高松駅
宇高東航路と宇高西航路のGPSルートログ
最後の宇高航路乗船
身体全体で感じて来ました
天気も良く充実した一日でした
観音寺にて伊予西条行に乗換
ジオグラフィカのGPSルートログは琴電琴平駅スタートでした
少し遅延が発生して定刻より6分遅れで伊予寒川駅に到着です
ガーミンGPSルートログ
再生エラーが出る場合は⇒こちら
予讃線 伊予寒川-多度津
土讃線 多度津-琴平
徒歩にて 金刀比羅宮参拝
高松琴平電鉄琴平線 琴電琴平-高松築港
徒歩にて1番のりばへ
宇高東航路 高松-宇野
宇野港界隈探索
宇高西航路 宇野-高松
徒歩にて高松駅へ
予讃線 高松-伊予寒川
本日もお立寄り頂きましてありがとうございました
大変長くなってしまいましたが、最後までご覧になって頂きましてありがとうございました(^-^*)/
おわり
追記
これを載せたかったのに忘れてました!(= ̄▽ ̄=)V
では、また![バイバイ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/128.png)
![バイバイ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/128.png)