今月15日に109年の歴史に幕を下した宇高航路
 
本来なら30年前の瀬戸大橋開通時に廃止となっていても不思議ではないと思うのですが
 
連絡船廃止後も四国フェリー(四国急行フェリー)、日通フェリー(本四フェリー)、宇高国道フェリーの民間3社による激しい競合は続きました
 
高松市と玉野市は頻繁に行き来するフェリーによって職場や学校が共有され、まるで隣町の様な密接な関係でした
 
しかし、2009(平成21)年の「ETC通行料土日祝日上限1000円」で状況は一変します
 
競合3社のうち本四フェリー(津國汽船)が高速道路値下げの施行直前に撤退
 
施行後は瀬戸大橋の通行量が一挙に増加し、フェリーの利用者は減少の一途を辿ります
 
2012(平成24)年10月には宇高国道フェリーが運航を休止、
 
唯一残った四国急行フェリー(2013年までは親会社の四国フェリーが運航)も24時間運航を中止して減船・減便を重ねて
 
2017(平成29)年4月からは1隻、5往復になってました
 
また、航路衰退の要因は高速道路の割引施策だけではなく
 
愛媛県四国中央市の三島川之江港を発着するRORO船や神戸港と高松港を結ぶジャンボフェリーに航路が分散し、
 
宇高航路の1時間の航行時間も長距離トラックドライバーの休憩には短すぎ、
 
フェリーの減便によって通勤・通学客も鉄道に移行していくという状況になって
 
かつての大動脈も、遂には行政からも不要の烙印を押されてしまいました
 
 
ご訪問頂きましてありがとうございます(≧∇≦)/
 
 
金毘羅さんの参道を駆け下りて琴平線の発車時刻に間に合ったものの
 
うっかりミスで、危うくフェリーに乗り遅れるところでしたあせる
 
何事も最終確認のチェックは必要ですね(^▽^;)
 
現在時刻は12月8日の13時丁度です晴れ
 
高松港の5千トン級岸壁に接岸している第一しょうどしま丸に乗り込みます
 
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13:00
旅客の乗船は既に終わって車両の積み込みが始ってましたアセアセ
 
13:01
切符は割引のある往復切符を購入しましたが
 
往路の改札券をもぎ取られた後の撮影になってしまいました( ̄ー ̄;
 
片道740円が復路70円引きの1,410円です
 
13:01
積載車両はそれほど多くなく、半分未満だったように思います
 
13:03
まだ出航前だというのにフェリーうどんには長蛇の列が出来てました
 
もう食ってる人もいるしぃ~(°o°:)
 
さすがにうどん県のフェリー、大人気です
 
13:06
甲板はお別れ乗船と思しき方々でいっぱい
 
13:07
サンポートを背にして、5000トン級岸壁(1番乗り場)を離れて行きます
 
ギリギリ乗船だった為に乗船前の港湾施設の撮影が出来ませんでしたが
 
左側の岸壁が3000トン級岸壁(2番乗り場)で小豆島や直島行のフェリーが発着しております
 
さらにその先には第1、第2浮桟橋があって、
 
小豆島、直島行の高速艇や女木島・男木島行の雌雄島海運の小っちゃなフェリーなどが発着してます
 
1999(平成11)年から2000億円をかけて旧高松貨物駅跡地を高松市の新たな拠点として再開発されましたが、ことでん新高松築港駅は中止となり、用地はバスターミナルの拡張に転用されました
 
1988年の連絡船時代以降、初めてサンポートを訪れたのが2年前で、あまりの変わり様にビックリしました
 
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切り絵船長 荻原幹夫作品 再開発前の高松駅と高松港 
 
現在の高松駅の場所は、連絡船へ乗り継ぐ必要が無くなったので西へ300メートル移転しているようです
 
高松で数少ない空襲を逃れた戦前の近代洋風建築だった
 
「旧高松港管理事務所(旧県営桟橋)」(1927年竣工)も2013年に解体されて今はもうありません(◞‸◟)
 
浮桟橋(県営桟橋)、本四フェリー、四国フェリー、宇高国道フェリー乗り場方面
高松港に接岸中の宇高連絡船より 1988年撮影
 
13:08
 
13:08
船の左舷には540m続く玉藻防波堤の先端にせとしるべと呼ばれる高松港玉藻防波堤灯台
 
赤灯台として連絡船時代に親しまれた高松港西防波堤灯台を改築移設したそうです
 
奥の細長い島は女木島
 
13:09
右舷からは屋島の北嶺、南嶺の全貌が望めます
 
13:11
高松港を出ると玉藻防波堤先端の赤灯台を掠めるように左に向きを変え、前方に瀬戸大橋が見えてきます
 
13:15
航跡の奥には屋島と高松港
 
このように安心して航路を辿れるのも
 
前々回記事でも紹介させて頂いた戦後の掃海作業に挺身された航路啓開隊のおかげです
 
その想いを胸に甲板上の風を浴びてます
 
13:15
右舷からは通称鬼ヶ島こと女木島が望めます
 
13:17
白い女木島灯台沖を通過します
 
31年前に宇高連絡船土佐丸から撮った女木島です↑
 
意識して撮った訳ではありませんが、偶然ほぼ同じ位置から撮影してます

昔は畑だったんでしょうかね?現在は森になってるようですが島の形は全く変わりませんね
 
13:18
今日は暖かく、ずっと甲板にいても大丈夫です
 
13:19
高松港を出て14分・・・
 
13:22
ちょうどこの辺りでしょうか?
 
昭和30年5月11日の早朝、高松港を出港して17分後の事でした・・・
 
乗客781人、乗組員66人、貨車15両を積載して高松港を出港した宇高連絡船紫雲丸と貨車18両を積んで宇野港を出港した第三宇高丸が濃霧の高松沖で衝突し、紫雲丸が沈没
 
事故の犠牲者168人のうち、100人が修学旅行生でした
 
暫し黙祷
 
そのなかで、犠牲者30人(児童77人中29人、PTA会長1人)を出した愛媛県周桑郡三芳町(後の東予市で現西条市)の庄内小学校の修学旅行の目的地は金毘羅さんと高松でした
 
庄内小学校の修学旅行では、連絡船は移動手段では無く、大きな船に乗る機会も少ない田舎町の子供達に往復2時間の船旅を体験させてあげようという親心があだとなった悲惨な事故でした
 
64年の歳月が流れて
 
犠牲となった児童の親など遺族の多くも既に鬼籍に入り、
 
事故の記憶は、その子らの同級生や兄弟を除いて知る人も少なくなりました
 
そして遂に宇高航路も無くなります

高松市西宝町の西方寺の境内には遭難者慰霊碑が瀬戸内海を見下すように建っているそうです
 
 
 
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13:25
平成12年9月進水、詫間町の讃岐造船鉄工所で建造
 
13:32
進路を右に変えて左舷に大槌島
 
13:40
これから荒神島と直島に挟まれた直島水道に向かいます
 
この辺りは肉眼でもすぐ近くに岩礁が確認出来ます
 
直島水道は最も広いところで500m、南口は僅かに180mしかなく、そのうえ付近には帆掛石、俎石(まないたいし)、牛ノ子礁の岩礁があって更に狭く感じます
 
そのため、宇高航路開設時には連絡船は葛島と児島半島に挟まれた葛島水道を上下便とも航行していたそうです
 
13:40
 
13:42
直島水道に入ります
 
右舷前方に直島宮浦港
 
昭和25年3月25日未明、ともに貨物便の紫雲丸と鷲羽丸がこの辺りで衝突して紫雲丸が沈没
 
昭和23年4月より上りを直島水道、下りを葛島水道と決めていましたが石炭節約の為に貨物便は例外だったそうです
 
ただし、上下便が直島水道で行き交うおそれがある時は、下り便は葛島水道を航行しなければならない規則でしたが、前日に愛媛県の伊予三芳-伊予桜井間で列車事故があり、その影響でダイヤがかなり乱れていたのが遠因となり、両船が直島水道で行き交わさせる事になったという
 
船長、機関長ら乗組員7名が死亡した紫雲丸は引き揚げられ再び就航しましたが5年後に第三宇高丸と衝突して大惨事となります
 
この時、偶然にも三芳町の庄内小学校の修学旅行生が乗り合わせたのは何か因果を感じさせられます
 
この事故の後、上下便の航路が完全に分離されました
 
13:45
左舷には大槌島、その手前の岩礁に灯台が建ってます
 
俎石と帆掛石でしょうか?
 
【後補足】
手前が俎石灯標、奥が帆掛石立標
コチラのページからリンクさせて頂きました
 
31年前、宇高連絡船土佐丸から撮った同方面の写真
 
思った以上にネガの劣化が激しいです(^▽^;)
 
13:46
左舷前方に荒神島
 
13:46
右舷には直島宮浦港
 
フェリーあさひが入港中で赤かぼちゃも見えます
 
31年前の宮浦港 手前に岩礁があります
 
13:48
宇野から直島への下り便も東航路を通っているようです
 
13:48
直島と荒神島の狭い間を抜けて行きます
 
13:49
荒神島と葛島の間から見える大きなクレーンは三井造船玉野事業所
 
下り便ではあちら側(葛島水道)を通ります
 
南備讃瀬戸大橋の橋台のケーソンはここで作られました
 
三井造船は7Aケーソンを受注するために、玉野造船所1号、2号ドックを合体して巨大ケーソン専用の大型鉄構組立ドッグに改造しました
 
改造費に25億円をかけた思い切った先行投資でした
 
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1982(昭和57)年3月17日、ルート中最大の7Aケーソンは、玉野市の造船所から海上22kmを航海して、坂出市沖へ曳航されました
 
帰りの下り便は造船所のすぐ前を通ります(*^∀゚)ъ
 
スクラップ記事もあったかも
 
帰りの便までに探しておきましょうかね(・∀・)
 
赤いファンネルと送電線
13:49
直島と荒神島を結ぶ送電線の下を潜ります
 
13:51
直島水道を航行する第一しょうどしま丸
 
直島水道を航行する宇高連絡船土佐丸
1988年3月13日撮影
 
13:51
左舷後方に大槌島と南備讃瀬戸大橋が望めます
 
13:52
葛島と直島の間を航行します
 
13:54
直島水道を抜けました
 
13:56
宇野港が近づいてきました
 
13:57
フェリーの発着場は宇高連絡船の桟橋があった場所より左に位置します
 
宇野港に入港する宇高連絡船土佐丸
1988年3月13日撮影
 
さよなら連絡船キャンペーンで操舵室が公開されてました
 
13:57
宇高連絡船の発着所はあの玉野競輪の看板の立っている山の手前に第1バースと第2バースがありました
 
13:58
宇高東航路(上り航路)の航跡
 
13:58
宇高国道フェリーの発着場跡は少し離れています
 
14:00
風戸港と宮浦港の直島行のフェリーが2隻接岸していました
現在は直島への玄関港として機能している宇野港
 
14:01
第一しょうどしま丸は宇野港では船首を前にしたまま接岸します(高松港では後部から接岸)
 
31年前 宇野桟橋に接岸中の宇高連絡船から葛島方面
 
14:05
宇野港に接岸しました
 
14:06
宇野港「連絡船の町」プロジェクト
 
14:07
フェリーうどんはかなり売れたみたいですニヤリ
 
14:07
 
14:08
瀬戸大橋を渡ることが出来ない原付や自転車はフェリーが便利ですね
 
14:08
トラック22台が収容できる車両甲板
 
14:09
第一しょうどしま丸 993トン
 
このまま宇野港発第4便の15時45分まで待機するようです
 
これから第4便の出航まで、1時間半ほど宇野港をウロウロと・・・
 
宇高連絡船の痕跡などを探ってみたいと思います音譜
 
第4便の出航時間は15:45
 
今度は間違えないようにね
 
 
今回もお立寄り頂きましてありがとうございました
 
次回も見てねv(*'-^*)b
 
つづく
 
では、またバイバイ
 
 
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