お彼岸も明けて、9月も残り僅かとなりました
今日は快晴の爽やかな風が心地よい秋の一日でしたが、週末にはまたまた台風24号が日本列島を直撃する恐れがあり、明日からは雨になる予報です
今回もご訪問ありがとうございます
今年で夢の架け橋と言われた瀬戸大橋が開通してから30年になります
あにばぁさりィィィ〜30th
昭和34年の調査開始から完成まで約30年
昭和63年(1988年)4月10日に瀬戸大橋(瀬戸中央自動車道、本四備讃線)は開通しました
本四連絡橋「児島-坂出ルート(瀬戸大橋)」は、瀬戸内の名勝・鷲羽山(倉敷市)から対岸の番の州埋め立て地(坂出市)までの海上部約9.4㌔を6つの橋と4つの島内高架橋で結ぶ、総工費1兆1千3百億円の世紀のプロジェクトでした
難工事と新たな工法の開発、また工事だけでなく、瀬戸内きっての景観を誇る同ルートの環境アセスメント、漁業補償、用地買収といったそれらに携わった関係者数千数万の人たちの思いが架橋に秘められています
昭和30年5月11日の宇高連絡船紫雲丸沈没事故をきっかけに高まった架橋気運は昭和34年の国の調査でいっきに弾みが付き、沿岸各県の激しい架橋争奪戦とその裏で繰り広げられた政治の駆け引きに揉まれながらの、3ルート同時着工の決定
一転して、石油ショックによる工事凍結と待望の起工式
明治22年(1889年)に大久保諶之丞が、架橋構想を提唱してから、くしくも100年目の昭和63年に、着工から10年の工期を経て、夢の架け橋は現実に本州と四国を跨ぎました
4月10日の開通式典に先がけて4月2日にサイクリング、3日にウォーキングで瀬戸大橋が開放される催しがあり、この4月3日のブリッジウォークに参加して来ました
昭和63年の4月3日は日曜日で、次の日曜の10日には本四備讃線、瀬戸中央自動車道(国道30号線)がいよいよ開通します
この4月3日の3週間ほど前には、青函トンネルが開業しており、瀬戸大橋開業によって旅客鉄道・貨物鉄道JR7社の路線が全て線路で結ばれ、それに伴って実施されたダイヤ改正で「一本列島」という言葉も生まれました
さて
JRで伊予三島駅から坂出駅へ向かいます
記憶は定かでないですが、まだ本四備讃線開通前なので、切り替え前の旧宇多津駅を通る予讃本線を通ったように思われます
関連リンク↓↓↓
【追記】2020-08-27
人( ̄ω ̄;) スマヌ
この瀬戸大橋ウォークの実施された1988年4月3日の約半年前
本四備讃線開業前の1987年10月に予讃本線の切り替えは行われていました
よってこの日は旧宇多津駅を通る予讃本線でなく、現在の高架の宇多津駅を通過したようです
当時のメモによると参加費は1,000円だったようです
募集人数に乗算すると、すごい金額になりそう
午前10時15分に坂出駅を出発し、徒歩で坂出北インターチェンジへ向かいます
※当時の掲載写真はネガフィルムからスキャンしましたが、30年の経年劣化が激しくてフィルムの化学変化とカビによって元の色が失われており、できる限りの素人補正を施しましたが、見苦しい部分もあるかと思いますが御了承下さい
画像を拡大(出来るかな?)すると料金所の向こうに続く人の波にびっくりです
番の洲高架橋トラス部より南備讃瀬戸大橋東側を望む
この南橋台(7A)は水深50mの海底から建設したルート最大のコンクリート建造物で総重量100万tの巨大アンカレッジとの事
5Pと6Pの橋脚間の中央支間が1100m、橋脚から橋台までが南北とも274mで南橋台が50m、北備讃瀬戸大橋との共用橋台の4Aの半分25mで1,723mとなるが、この標識は橋台分75mを含んでいないと思われます
いよいよ南備讃瀬戸大橋を渡ります前をゆく女性に続いて渡ろうと思います
今回もお立ち寄り頂きましてありがとうございました
では、また
次回へ続きます