こんにちは!

 

みほりの日記にようこそ!

 

娘はどうにか無事に小学校を卒業しました。

 

中学校に入学しましたが、狭い町なので、違う小学校の子達でも

みんな知り合いでした。

そんな中でも、娘は軟式テニスに入り、毎日部活に励んでいました。

 

又、中学校でも、小学校のように運動会があります。

相変わらず、親たちは、ビールを飲んでのドンチョン騒ぎ。

我が家は3人で静かにお弁当を食べていましたが、

 

中には、親が来れない子が居て、娘がそんな子を連れて

昼食を食べに来ました。

4人で楽しく食事をし、そんな娘を私は誇らしく思いました。

 

でも3年生の運動会の後、娘も何が原因なのかわからず、

いじめに遭うようになったしまいました。

毎日、学校に私が送り届けるようにしていましたが、

 

だんだん、クラスにいく事が出来ず、保健室登校になってしまいました。

娘は、保健室でも行かないよりはましだから、頑張ると言い、続けました。

この頃は中学3年生の3学期。

 

高校受験もあり、本人が一番苦しんでいました。塾に行ってましたが、

ほとんどが同じ学校の生徒だったため、塾もいく事が出来なくなりました。

「自分はこんなで、高校にいけるのか?」「自分に甘えているのではないか?」・・・

 

私は、担任の先生に相談したり、学年主任の先生に相談したり、校長先生にも相談

カウンセリングの先生にも相談し、でも良い状況にはなりません。

 

思い切って、教育委員会に話をしたり、不登校の子と親の県の機関に連絡をしても

何も変わりはしませんでした。

 

そんな姿を見ていてくれた、違う学年の先生がいてくれました。

毎日、学校に通っている私に「○○さんのお母さん、私に電話をいただけないですか?」

と、携帯電話の番号をそっと渡してくれました。

 

娘に聞くと、全く接点のない先生とのこと。

この日の夜、娘と一緒に電話をしてみました。

 

先生から「お二人の頑張りを見ていて、何もしない学校に憤りを感じました。私は、娘さんとは

関りが無いので、本来であれば、口を出してはいけない立場なのですが、学校には内緒で、良ければ

力にならせてください」 とのこと。

 

娘と涙を流しながら、お願いしたことは言うまでもありません。

 

このような先生に、巡り合えたことを、本当に、感謝いたしました。

 

 

 

 

こんにちは!

 

みほりの日記にようこそ!

 

主要都市から移り住んだのは、村と言う雇用促進住宅。

 

長女は6年生の2学期から、転校生としてこの村の小学校に通いだしました。

前の小学校では、登校班と言うものがなく、友達と学校にいっていて、

登校班は、初めてでした。

 

私が、ベランダで、洗濯物を干していると、娘の登校班が通ります。

娘はどこにいるのか?心配で、見ていると、なんと一番後ろから、

それも1mも班から離れてついて行くのでした。

 

もう1週間たつのに、いつもこんな思いをして、通学していたなんて・・・

涙が流れましたでも本人が一番つらい思いをして居る、と思うと

ベランダから「長女ー。がんばれー」と叫んでいました。

 

学校に行っても、つらい思いをしていたのに、長女は、我が家が大変なので

私には、なるべく自分の辛さを言わずにいたのです。

そのことに、この時やっと気が付きました。

 

学校から帰ってきたら、1言「今日はどうだった?」と聞くようにして、

本人は「大丈夫だよ。」と言い、本心を話してくれませんでしたが、

やっと、クラスの子から「都会から来た。」「生意気だ。」「着てる服が私達と違う。」等

 

言われてると、話してくれました。

私も、授業参観があったので、様子をみるため、以前の学校では着なかった、

モノトーンのワンピースを着ていきましたが、農家の方が多い場所だったため

 

私も、浮いていました。

今まで住んでいた所では、のびのびジーンズをはいて、運動靴等で来るような方は、

白い目で、見られてましたが、ここでは、反対でした。上記のような格好に

 

エプロンをつけてくるのが、当たり前、スカートなんか履いてくるのは、

非常識らしいのです。

同じ県の中でも、場所によってこんなに違う事、同じ県なのに「都会から来たから・・」と

言われたり、私は、授業参観とかだけなので、何とかなりますが、長女は毎日です。

 

住んでいるところには、小さなスーパーが1件あるだけで、コンビニもありません。

1時間かからず、車で今まで住んでいた所まで出かけられるため、

安いものを買い込むため、土曜日・日曜日は以前の所まで3人で行ってました。

 

娘も、それを楽しみにしていましたが、ある日、「毎週○○市に行くなんて・・」

と、言われた。と泣いて帰ってきました。

娘は普通に友達に話をしたつもりだったようですが、そのことが「生意気」

 

と受け取られていじめられたようです。

中には、ファミリーレストランに行ったことが無い子が居ると聞いて、

またまた、びっくり。娘はなるべく学校では目立たないようにしているようでした。

 

前の学校では、春に運動会をしたのですが、ここでは、秋に運動会をするので

6年生では、2回運動会をすることになってしまいました。

 

ここでもビックリ、親たちが、お酒を飲んだり、出前を頼んで、席まで持ってきて

もらい、5家族くらいで集まり、飲めや食べれやで大騒ぎです。

こんな運動会は見た事がなかった私達親子は、またまたビックリ。

静かに3人で、いつものように運動会用のお弁当を作ってきたもので済ませました。

 

まだまだ、学校の事で、悩みは続きます。

 

 

 

 

 

こんにちは!

 

みほりの日記にようこそ!

 

私達親子3人は、義母が入院している間に、この家を

出ることにしました。

色々ありましたが、コンサルタント会社の社長に、

住みたい場所を伝えると、雇用促進住宅に住めるように

手続きをして下さる事になりました。

 

自宅を出ていくにあたって、その日に主人が病院に行き

義母に、家を出ていく事を伝えました。

思っていた通り、義母はすぐに主人の妹を呼び出し

自宅に確認に行かせたようです。

 

判った時は、大騒ぎだったようですが、どこに行ったのか

判らず、もちろん私達3人は私の実家にお世話になっていたのですが

私の両親も、不甲斐ない主人に、冷たく

 

主人も肩身が狭いので、朝は5時に家を出て、夜は両親が寝てから

23時頃に帰ってきました。そんな事をしている主人を

両親が快く思わないのは当然です。

 

そうでなくても、義母の取り巻きたちが、実家を探りに来て

私の車がある事は確認していたようですので、主人の車は

別なところに置くように、駐車場を借りていたのです。

 

そうしないと、義母が何をしてくるかわからなかったので・・・

 

主人は今まで、粗末に扱われたことなどないので、すぐに弱音を吐きだしました。

「これでは、メンタルが壊れる。どこか、3人で暮らせるところがないかな?」

と、言い出しました。

 

私は、(まだ決まってなかったのですが)雇用促進に入れる事が決まったので

実家から出ていく事を両親に伝えました。

すると、父が「お前たち2人はどうなっても知らんが、孫はここに置いていけ。」

「俺たちが、面倒を見る」と言い出したのです。

 

でも小学校6年生だった娘は「ママたちと一緒に居たい」ときっぱりと

言ってくれたため、一緒に実家を出ることとなりました。

 

しかしまだ、雇用促進住宅には住めないので

ウイークリーマンションを借り(私が家賃を払いました)

騒動が起きてから、初めて、ほっとする時間が持てました。

 

ここは、温泉もあり、娘と一緒に入ったり、マンションの下の店舗には

お店があった為、少なくても食べたいものが食べれたり、

つかの間の幸せな時間を過ごせたのです。

 

しかし、この幸せな時間はすぐに終わります。

次は雇用促進住宅(今まで住んでいたところから車で1時間以上離れたところに住みました)

で過ごしながら出会った悲劇・・・です。

こんにちは!

 

みほりの日記にようこそ!

 

この間、色々な方にお世話になりました。

 

主人の県の職員の同級生

弁護士さん

近所のご夫婦や友達・先輩夫婦等

 

その中に、先輩夫婦から紹介していただいた

経営コンサルタントの社長さんがいました。

 

主人から、頼まれて私が、コンサルと会社に良く行くようになり

従業員も10人以上はいたと思います。

 

ある日、主人から頼まれた書類を渡しに行ったとき、

社長から、ちょっと、一緒に来てもらいたいところが

あるから、と、社長の車についてくるように言われ

 

車2台で(自分の車を運転)言われたように、ついていきました。

とある、大きなショッピングセンターの駐車場で止まり

「???」の私に、車を止めて、社長の車で移動をすると言われて

 

助手席に乗りました。

私は「どこにいくのでしょうか?」と、乗る前に聞きましたが、

「私の知り合いが、相談に乗ってくれる人がいるから、そこまで行きます」

 

との返事。「主人がいなくて、わたしでいいのでしょうか?」

と聞くと、「奥さんからお願いした方がいいんですよ」とのこと

 

納得して、社長の車に乗り(相談に乗ってもらって5か月くらい経過してましたので、信頼してました)

なんと、高速道路に入りました。

「どこにいくのでしょうか?」と聞くと、「おいしい、お蕎麦屋さんがあるから

食べに行きましょう。奥さんも大変な状況の中、少し息抜きも必要ですよ」

 

と、言われビックリ!

「困ります。」と言っても、高速道路の助手席。

 

なんだかんだ言って、お蕎麦なんか食べに行かず、ホテルに車は滑り込み

『なんで、こんな人にホテルに連れ込まれないとならないのか』と、意地でも動かなかった

ので、この件は未遂に終わりました。

 

紹介いただいた先輩夫婦にこのことを、伝えると、「えー、みほりさんにも手を出したの?

女癖が悪くて、社員の中にも愛人がいて、奥さんがいつも悩んでるんだよ、奥さんにつたえてもいい?」

と、言われもちろん、私はOK。

 

こんなこともありました。

もっと上げればきりがないくらいです。自宅はのちに競売にかけられました。

今だから、書ける事がたくさんあります。

あり過ぎて、書ききれないです。

 

こんにちは!

 

みほりの日記にようこそ

 

私が、老後を楽しく過ごせるためのコンサル&コーチング

に至るまでの経緯を書いていきたいと思います。

 

長くなりますが、

 

少しずつ話をしていきますので

お付き合いください

 

私は、母から、「産むつもりがなかった」子供だったそうです。

結婚して、すぐに妊娠、

 

父とはお見合いで、いわゆる亭主関白。

 

母の母 私の祖母は体が弱かったので、

一緒に住んでくれる男性と母は結婚をしました。

 

父は、帰ってくると、靴下まで

母に脱がせるような人だったので、母も大変だった。

 

ただ、父は高卒でしたが、一流企業の支店長

お金には、苦労しませんでした。

 

でも、そのストレスは長女の私に

また世間体を大切にする母は、

学業は、100点が当たり前

 

70点以下だと、押し入れに入れられ。

夕飯抜き

 

母と父が2階に行ってしまうと

祖母が、おにぎりを作って、押し入れから

出してくれました。

 

そんな、家庭なので、大学を落ちた時は

「人間じゃあない」と言われました。

 

それを聞いていた。妹は

「私、あんなこと言われたら生きていけなーい」(笑)(笑)

と、私の時は県外の大学はお金がないから

ダメ、と言われていたのに

 

妹は、個別推薦で、

県外の大学にとっとと、入学。

 

私は、学校推薦で、有名私立大学を

担任の先生から勧められたのですが、

 

そんな、「身分不相応な大学は

行かせれない」と言われ、

親の言う大学を受験し、

 

見事に落ちました。

 

浪人するなら、今狙っている大学より

上の大学に受かると約束できなければ

 

浪人はさせれない、といわれ

 

「人間ではない・・・等々」言われ

傷ついてる私は、浪人は出来ず

 

親のいわれるまま、専門学校に行きました。

 

今度は、就職です。

 

私が通った専門学校は

いわゆる、花嫁修業みたいな学校だったので

 

何も手に職をつけれる学校ではなかったため

 

学校からの就職相談はありません。

 

自分で、見つけて、

面接をしなければなりませんでした。

 

世間体を気にする母

 

「あんたみたいな、落ちこぼれの子を雇ってくれるところなんて

ないでしょうね。(笑)(笑)」

 

と、毎日地獄の日々でした。

でも祖母がいつも、励ましてくれていたので

 

祖母の為に、頑張ろう!

 

と、何社も就職試験面接を受けました。

 

何件落ちたか、忘れましたが。

 

就職を申し込むと又、母に

「どうせ、またおちるんでしょ」

と言われるので、

 

母に内緒で、履歴書を送信した、就職先から

電話が入り

たまたま、母が電話を取ってしまったため

 

「○○○会社から、今電話があったけど、

ママは知らなかったから、

びっくりして、話の内容が判らなかったじゃないの。

 

親が知らないなんて子を○○○会社が受け入れるわけないでしょ」

 

と、怒り心頭

 

「全く、そんな一流企業を受けて、受かるはずがないじゃない・・」

 

等々、罵詈雑言。

 

「相変わらずだな」と思いながら

でも祖母は、「大丈夫、あなたの良いところをわかってくれる

会社が絶対あるから、頑張りな」と言ってくれました。

 

母は「この娘に、良いところなんてあるはずがないじゃん(笑)(笑)」

と、一笑。

 

このころになって、私は、母に喜んでもらおう、母に褒めてもらおう

という、思いはやっとなくなりました。

 

ところが、この会社に就職が決まり、

大卒しかとらない会社だったらしいのですが、

 

学科試験の時に、私だけが、わからないところがあり

質問をしていました、

 

そんな私を、その他の試験を受けていた方たちは

「そんなこともわからないの?」というような目で見られ

 

恥ずかしい思いをしましたが、

それが、面接官やその支店長に、好印象を与えたらしく

 

20人くらい受けていたのですが

(後で判ったことですが、私を除いてみんな大卒だったそうです。)

 

2人合格の中の一人になったのです。

 

その時の母の言葉、今でも覚えてます。

 

「さすが、私の娘ね、あなたは出来る子だと思っていたのよ。

自慢のむすめだわ、」

と言い。

 

親戚中に電話をしまくり、

就職するにあたり、

保証人をお願いするのにも、

 

母たちの仲人さんや、父の兄に、鼻高々に

お願いに行く母と父でした。

 

こんな家庭に居る私は

早く、こんな家から出たい、と思う気持ちは

 

年々膨らんで、

それが、とんでもない

選択をしてしまうことにつながります。

 

 

次回をお楽しみに

 

 

こんにちは!

 

みほりの日記にようこそ!

 

主人と私は、この悪党から逃げるため、色々試しました。

 

知人から紹介いただいた、弁護士に相談いたしましたが、

弁護士の間でもこの2人は有名な様で、関わりたくないと

断わられました。(数人の弁護士さんです。費用はもちろん

私が払いました)

 

今度は、なぜか探偵会社。

話が、筒抜けになっているのではないかと主人が頼み、お金を出すのは

私。この時は必死でした。

 

盗聴器はついていませんでした。が、そこで探偵の方から

提案されたのは「殺す」と言う事。

「今、工事をしている鉄橋の柱の下には何人も埋まってるから

バレないよ」と言うのです。

 

ビックリしましたが、真剣に考えました。

人間、追い込まれると、常識が判らなくなるんですよね。

 

でも、かろうじて私が「殺して今はその呪縛から逃れられるけど、

一生その事を背負うことになるんだから、断ったほうがいい」

と、伝えれました。

 

私が、この判断を出来なければ、行っていたかもしれないです。

今思うと、本当に、理性を保てて良かったと思います。

 

なんだ、かんだでたどり着いたのは、暴力団やそのような方と交渉できる

弁護士。結局はお金で解決しなくては収まらないとの事。

 

でも主人は、お金がありません。とんだ社長です。私が接骨院で貯めたお金と、車を売ったお金が

全財産。自宅も住宅ローン・主人も買ったばかりの車を、残金なく売る事が出来た事

だけでも、良かったようなものです。

 

相手の言い値は「800万」でも弁護士が交渉してくれて「300万」になり

これ以上は下げれないとのこと。

結局、私が払いました。(あんなに、社長社長と自負していた人なのに)

困難時は、子供でした。

 

この間も、義母はまだみほりが○○家をつぶした。と

病院中に噂を流し、見舞客にも触れ込んでいました。

親子ともども、見せかけの○○家です。

 

実家の父から、「総合病院に行っても、あの家に嫁いできたみほりさんが

とんでもない人らしいよ」と話をしていたのを聞いた。

と、言われました。父から、「お前はどれだけ有名人なんだ」と呆れられました。

 

 

まだまだ試練は続きます。

こんにちは!

 

みほりの日記にようこそ!

 

前科3犯に、強迫されても、仕事は半年分

決まっていました。

 

でも、それは県の仕事で、主人からはこの仕事を

受けるとき、「この仕事は、とても大掛かりな仕事で

収入は、ほとんどない、と言うか赤字になるけど

この後の仕事が増えるから、この仕事を成功させないとならない」

 

と、言っていた仕事でした。

主人は、この仕事を、県から取り上げられると思っていましたが、

 

本当に大掛かりな仕事だったので、他の個人で出来るような仕事では

無かったため、主人に仕事を続けるように県から言ってきました。

 

県は、仕事を遅らせるわけにはいかない為、主人には「今後も仕事が続けられるように

考えているから、この仕事は、最後までお願いしたい」

 

と、言われお坊ちゃんな主人は、「この仕事を成功させれば

今まで通りには行かないけど、仕事をさせてもらえる」

と、喜んで、赤字の仕事をやり遂げました。

 

こうなると、県や市は、全ての仕事を主人がやり遂げたので、

前科3犯が、脅してきたことも、『全て主人がしたこと』と

責任を取らし、県や市からは、「1年間仕事をやすんでくれたら、その後

この話が、下火になるだろうから、その時は、また仕事を渡すから

この書類にサインをしてもらいたい」

 

と、言われ、それにサインをしました。

 

主人の県の職員の同級生からは「また県や市の仕事が出来るなんて、甘い考えは

捨てろ、もうお前はこの業界からは捨てられたのだから」

 

と言われてまだあきらめのつかない主人は、県の担当のトップの人の家に

行って、土下座をしてくる、そうすれば、長い付き合いだから・・・

 

と同級生に伝え

「まだ、どうにかならないか?」と期待を持っていました。

 

しかし、同級生であるがために主人に厳しい言葉をかけてくれているのに

(私にはそのように感じました)

 

まだまだ、甘く「みほりと一緒に土下座をしてくる」と言う主人に、

主人の同級生は、「まだ、みほりさんにそのような事をさせるのか。土下座を

してくるなら、お前ひとりで行ってこい」と、言ってくれたのです。

 

市や県や国の仕事は、問題なく仕事をしていれば、きちんとお金も入ってきますが、

ひとたび、問題を起こすと、全て弱い立場の方に擦り付けられてしまう。

 

主人が悪いのですが、どんなに主人の父が、天皇から勲章をもらったとしても

県や国は自分たちは叩かれないようにする為、いらないものは容赦なく切り捨てていく

のだと、ここでも良い時、落ちた時の人間関係の模様を

様々と、見せられました。この時私は30代後半。

 

 

 

 

こんにちは!

 

みほりの日記にようこそ!

 

全国のイベントが終わりました。私と娘も参加させていただきました。

 

でも、この後、結婚して1年もたたないうちに、

又、大変なことが、降りかかるとは、想像していませんでした。

 

人が入らない山奥の雪深い場所での仕事を主人のお義父さんが切り開いた場所で、

県の仕事をすべて、主人が受け継いでいました。

その仕事を、雇用した2人組が、仕事をしたように見せかけて、終わったと報告し、

 

主人も専務も、仕事が終わっていることを確認せず、県に終了した事を報告

そして、お金を振り込んでもらいました。

 

でも実際は、この2人組の担当した場所は、全く仕事をしてなく、材料等を

どこかに隠してしまいました。

そして、仕事をしていないことを証拠として写真を撮り、そのほか、色々な証拠を

並べあげ、県と主人を脅しにかかったのです。

 

新聞社やテレビ局などにも、話をもっていったようですが、前科3犯なので

そこのところは、相手にしなかったようですが。

でも、県や主人には、「報道関係にも手をまわした。」と脅してきたのが、始まりでした。

 

主人も、義母も、私さえ、まさか、会社がつぶれるようなことになるなんて、この時はまだ

判っていなかったのです。

 

このような、大変な事態に陥ると、甘やかされ苦労をしていない主人は、

ピンチを乗り切るすべを知らなく、相談する人は、県の関係の主人の同級生がたまたま、

関係系列の課に勤めていたので連日家に来てもらい、県の対応・我が家のおかれてる状況を教えてもらっていました。

 

又、主人がこの仕事を受け継ぐときに相談に乗ってくれていた、お兄さんのような存在の方

に、「お金を借りに行くから、みほりも妻だから頭を下げてくれ」と、頼まれ知らないご夫婦に

頭を下げてお金を借りに行くなんて・・・と思いましたが、それどころではなくなってきました。

 

いきなり、仕事が出来なくなり、主人は借金だらけ、現金は持っていない人でした。

100万円さえも、貯めていなく、そこから、カードでキャシングを何社したでしょうか?

 

義母は狂いだし、近所や取り巻きの人たちに「みほりが、贅沢三昧をした、外車に乗り、アクセサリーを

買いまくり、海外旅行をしまくったから○○家がつぶれそうになってる」と、言いまくりました。

 

知ってる方は、私が接骨院で稼いで、経営していた時から現金で買って乗っていた車です。

私は、借金はなるべくしたくない、父が借金が大嫌いで家まで現金で作った人なので

そのように育てられた私は、お金が溜まって余裕が出来たので、軽自動車の中古車に乗っていたので

買い換えた車を、持って行ったのです。

 

その為、借金はこの車にはなかった。主人はこの事件が起きる3か月前に国産車で900万近い

車を借金で買っていたため、売ってもお金にならないため、私の車を売ってお金にしました。

 

それなのに、義母は私の悪口を言い回り、一人で家に居ると、包丁を持って「殺してやる」

と、追いかけてきます。

そして、近所の人や取り巻きが家に来ると、涙を流して、「みほりに殺されそうになった」と

言うのです。

 

それでいて「息子の方につかなくて、私(義母)についた方が得だよ、お金を出してあげるから

又接骨院を開きなさい。私の方につきなさい」というのです。

 

それを断ってからは、2人きりになると、追いかけてガラスの灰皿を投げてきたり、

本当に、殺されそうになりました。

主人が、2回の部屋に逃げ込んでカギをかけれるようにしてくれ、少しは安心して

家にいる事が出来るようにはなりましたが、事態は最悪の方へ

 

今度は、義母が部屋から出てこなくなり、1週間、心配で主人にいい加減部屋を見に行ってもらいたい

と、お願いしてやっと義母の部屋に入って、布団に寝て、熱を出し、吐いてる義母を発見

救急搬送をして、入院。

 

この夜、主人の妹(専務の妻)と前妻の娘と弟、その他誰がいたかわかりませんが、

私に殺されかけた、と義母が言ったため、自宅に押しかけてきました。

「みほり、出てこーい。出てこなければ、このドアをぶち壊して、中にはいるぞー」

と大騒ぎ、主人に電話してこの状況を説明して帰ってきてほしいと、言っても

 

逃げていて、帰ってきません、この時主人は義母と仲の良い近所の人のところに出かけて

義母の言ってることが違う、と話に行ってたのです。

でも、それどころではないのです、子供もおびえて、2人で震えていました。

 

金属バットを持ってきてるのです。

私は、近所の私の事を知ってくれてる方にどうしようもなく電話で話

そこのご主人が、近所に行って帰ってこない主人を迎えにいき「何をしてるんだ、

みほりさんと娘さんがどんな状況になってるか、知ってるんだろう。家に帰って

2人を守れ」と、言ってくれたそうです。

 

やっと、主人も帰ってきて、近所の方が騒ぎに警察を呼んだようで、警察も加わる騒ぎに

なってしまいました。

 

でも、こんなことは序の口でした。

 

こんにちは!

 

みほりの日記にようこそ!

 

この年は全国のイベントを私の住んでいる県で開催する事になっていました。

その為、その実行委員会の青年部の会長になっていた、彼は、

その催し物の準備で大忙しでした。

 

その為、妹婿の専務取締役に仕事を任せっぱなしになっていました。

私から見ても、頼りない人で、主人も義母も、いつもバカにしていました。

そのような人に、半年以上も、現場をまかせっきり、

 

又、新しく入った人が、1か月もたたないうちに、自分の弟も

雇ってほしいと、主人に行ってきたみたいで、能天気な主人は

その人も、雇用してしまいました。

 

してしまいました。と、書くには、2人が揃ったことで、とんでもない事

になるのです。

 

こんな時に、主人は、高級車を新車で買い、従業員から、そんな金があるなら

給料を上げろ、と陰口をたたかれていました。

 

主人は、綺麗なもの、高級なものを買う事が大好きでした。

1つの仕事が終われば、何百万と入るし、県や国からお金が入るので、未払いと

言うことがなかったのです。

 

手元に、現金が無くても、お金が必ず入ってくるので、高級品を買いまくっていました。

私にも、高級バックやアクセサリー、服、靴等々、もちろん娘にもそうでしたが、

自分と並んで歩く私や娘も、彼のアクセサリーの一部でした。

 

何を私と娘が着て行くか、私がどのアクセサリーを付けるかを決めて、自分の服装や

時計、バック、アクセサリーを決めます。

普通は、女性を男性が待っていて、早くしろ、と言われると思いますが、

 

我が家は、反対でした、私と娘が支度が終わり、30分以上は待たされます。

小学2年生の娘は、出かける事がうれしくて、待っていられなく、

何度も、「おとうさん、まだー?」って呼びに行くことがたびたびでした。

 

それは、そうと、主人がイベントデザインの事を夢中で行っていて、現場に行かなかったことで

事件は起きました。

なんと、主人が、雇って入れた2人は前科3犯の悪人だったのです。

 

前の会社でも、問題を起こしていて、お金で解決して辞めてもらっていたのでした。

それを、私が「前の会社に確認してから雇った方がいいよ」と言ったにもかかわらず、

主人は、やっぱり、確認しないで、雇用してしまったのです。

 

市と県と国を巻き込んだ、とんでもない事件に発展していきます。

こんにちは!

 

みほりの日記にようこそ!

 

結婚相手は10歳上の自営業の方でした。

お父さんが、その仕事を立ち上げ、

2代目として、その仕事を引継ぎ、県や国からの仕事を

 

していたため、仕事がなくなる事なんて、本人も家族も

夢にも思っていなかったでしょう。

 

2世帯住宅で、

とても広く、家具とかも素敵で、モデルハウスのような家でした。

 

お義母さんが1階で、私たちは2階で住み、ただ、玄関は一緒でした。

前妻の子供が長女と長男がいて、長女はおばあちゃん子で、高校の帰りに

バイク通学の為、ほとんど毎日来てました。

 

長女は人懐こい子で、私は別に嫌でもなく、来たら挨拶して

私の子はその時小学校2年生だったので、お姉ちゃんが出来た

みたいで喜んでいました。

 

ただ、お義母はキツイ性格で、何かと命令され

「oo県でこの業界では1番の家に嫁いできたんだからね。」

と、何かと自慢。

 

確かに、皇居にも呼ばれて、勲章をもらった写真もあったので

それはそうかもしれませんが、そんなに鼻にかけなくても・・・

と思う私でした。

 

主人も、前の夫ほどではないにしろ、良く義母の部屋に居たり

娘も来ているので、それはそれ、と私も割り切って生活していました。

 

以前と違い、生活費もきちんと頂けるし、高級食材を買いに行き、

私は慣れていない為、義母を車に乗せて一緒に買い物に行くと

「それだけしか、買わないの?」と言われる始末。

 

夫は気に入らないと、ずっーと沈黙。

何を怒っているのかわからず、聞いてみるが、無視

いよいよ、雲行きが悪くなってきたなあ。と思いながら、

 

怒ってる事をやっと聞き出し

なんと、「私の新聞の置き方が気に入らなかった」とのこと

ビックリ。

そんなことで1週間も、黙っているなんて・・・

 

前の奥さんも、怒ると口を利かなくなったので

2人で3か月も、無視していた事を聴き

私は、そのような事は無理なので、気に入らなかったら

いって下さい、とお願いした次第です。

 

結婚して半年くらいたった時

「新しい社員を入れる」と主人が言ってきました。

私は「仕事が出来る人なの?」と聞くと

 

「○○市の○○のところで働いてたというから、

大丈夫だよ。」とのこと。

 

「それなら、○○さんを知ってるなら、どんな人なのか

聞いてから、採用したほうがいいんじゃないの。

必ず聞いてから、雇用したほうがいいよ」と伝えた。

 

何度も、「○○さんに電話した?聞いた?」

と、たずねると判ってるから、との返事。

 

そんな中

「明日から、そのAさんが、仕事に来るから、みほりも挨拶しろ」と言われたので

「○○さんに聞いたの?その人の素性」と聞くと

主人は「聞いたよ。大丈夫だよ。」というが、なぜか私は、胸騒ぎがしました。

 

この後、この人Aさんを調べなかった事でとんでもない事件が起きるのです。