こんにちは!
みほりの日記にようこそ
私が、老後を楽しく過ごせるためのコンサル&コーチング
に至るまでの経緯を書いていきたいと思います。
長くなりますが、
少しずつ話をしていきますので
お付き合いください
私は、母から、「産むつもりがなかった」子供だったそうです。
結婚して、すぐに妊娠、
父とはお見合いで、いわゆる亭主関白。
母の母 私の祖母は体が弱かったので、
一緒に住んでくれる男性と母は結婚をしました。
父は、帰ってくると、靴下まで
母に脱がせるような人だったので、母も大変だった。
ただ、父は高卒でしたが、一流企業の支店長
お金には、苦労しませんでした。
でも、そのストレスは長女の私に
また世間体を大切にする母は、
学業は、100点が当たり前
70点以下だと、押し入れに入れられ。
夕飯抜き
母と父が2階に行ってしまうと
祖母が、おにぎりを作って、押し入れから
出してくれました。
そんな、家庭なので、大学を落ちた時は
「人間じゃあない」と言われました。
それを聞いていた。妹は
「私、あんなこと言われたら生きていけなーい」(笑)(笑)
と、私の時は県外の大学はお金がないから
ダメ、と言われていたのに
妹は、個別推薦で、
県外の大学にとっとと、入学。
私は、学校推薦で、有名私立大学を
担任の先生から勧められたのですが、
そんな、「身分不相応な大学は
行かせれない」と言われ、
親の言う大学を受験し、
見事に落ちました。
浪人するなら、今狙っている大学より
上の大学に受かると約束できなければ
浪人はさせれない、といわれ
「人間ではない・・・等々」言われ
傷ついてる私は、浪人は出来ず
親のいわれるまま、専門学校に行きました。
今度は、就職です。
私が通った専門学校は
いわゆる、花嫁修業みたいな学校だったので
何も手に職をつけれる学校ではなかったため
学校からの就職相談はありません。
自分で、見つけて、
面接をしなければなりませんでした。
世間体を気にする母
「あんたみたいな、落ちこぼれの子を雇ってくれるところなんて
ないでしょうね。(笑)(笑)」
と、毎日地獄の日々でした。
でも祖母がいつも、励ましてくれていたので
祖母の為に、頑張ろう!
と、何社も就職試験面接を受けました。
何件落ちたか、忘れましたが。
就職を申し込むと又、母に
「どうせ、またおちるんでしょ」
と言われるので、
母に内緒で、履歴書を送信した、就職先から
電話が入り
たまたま、母が電話を取ってしまったため
「○○○会社から、今電話があったけど、
ママは知らなかったから、
びっくりして、話の内容が判らなかったじゃないの。
親が知らないなんて子を○○○会社が受け入れるわけないでしょ」
と、怒り心頭
「全く、そんな一流企業を受けて、受かるはずがないじゃない・・」
等々、罵詈雑言。
「相変わらずだな」と思いながら
でも祖母は、「大丈夫、あなたの良いところをわかってくれる
会社が絶対あるから、頑張りな」と言ってくれました。
母は「この娘に、良いところなんてあるはずがないじゃん(笑)(笑)」
と、一笑。
このころになって、私は、母に喜んでもらおう、母に褒めてもらおう
という、思いはやっとなくなりました。
ところが、この会社に就職が決まり、
大卒しかとらない会社だったらしいのですが、
学科試験の時に、私だけが、わからないところがあり
質問をしていました、
そんな私を、その他の試験を受けていた方たちは
「そんなこともわからないの?」というような目で見られ
恥ずかしい思いをしましたが、
それが、面接官やその支店長に、好印象を与えたらしく
20人くらい受けていたのですが
(後で判ったことですが、私を除いてみんな大卒だったそうです。)
2人合格の中の一人になったのです。
その時の母の言葉、今でも覚えてます。
「さすが、私の娘ね、あなたは出来る子だと思っていたのよ。
自慢のむすめだわ、」
と言い。
親戚中に電話をしまくり、
就職するにあたり、
保証人をお願いするのにも、
母たちの仲人さんや、父の兄に、鼻高々に
お願いに行く母と父でした。
こんな家庭に居る私は
早く、こんな家から出たい、と思う気持ちは
年々膨らんで、
それが、とんでもない
選択をしてしまうことにつながります。
次回をお楽しみに