休日日曜百姓の野良流宇夢(ノラリュウム)実践記

休日日曜百姓の野良流宇夢(ノラリュウム)実践記

私は、自分の畑や田んぼや菌ちゃん農法の畝を持っている。そこには草が生え、虫が来て、菌が働き、水がたまり、乾き、季節が流れていく。作物だけを見れば畑だが、全体を見れば、小さくても立派な生態系だ。私はそれを、ノラリュウムと呼ぶ。

アルテミスⅡを見て思ったこと

 
 

宇宙船は「自由に飛ぶ」のではなく、「落ちながら進む」

アルテミスⅡのニュースを見ていて、私はひとつ大事なことに気づきました。
それは、現実の宇宙船は、アニメやSFに出てくるように宇宙を自由に飛び回るものではない、ということです。

宇宙船というと、多くの人は、強いエンジンでぐんぐん進み、向きを変えればそのまま好きな方向へ飛んでいく乗り物を思い浮かべるかもしれません。
けれども、本当の宇宙船はそうではありません。

現実の宇宙船は、まずロケットでとても速く打ち上げられます。
そして、月のほうへ向かうための「ちょうどよい向き」と「ちょうどよい速さ」を与えられます。
そのあとも、ずっとエンジンで飛び続けるわけではありません。
主に地球と月の重力に引かれながら進んでいくのです。

つまり宇宙船は、自由に走り回る乗り物というより、
宇宙の中へ正確に投げられたもの
と考えたほうが、実際の姿に近いのです。


宇宙船は、ずっと落ちている

ここでとくに大事なのは、宇宙船は飛んでいるというより、ずっと落ちているということです。

たとえば、人工衛星も地球のまわりを回っていますが、実は地球に向かって落ち続けています。
ただし、とても速く横向きに進んでいるため、地面にぶつからず、地球のまわりを回り続けるのです。
これが「軌道に乗る」ということです。

月へ向かう宇宙船も同じです。
宇宙船は地球の重力に引かれながら進みます。
そして遠くへ行くと、今度は月の重力の影響も強くなります。
そのため進む向きが少しずつ変わり、月の近くを回りこむように進み、また地球へ帰ってきます。

つまり宇宙飛行とは、
どのように落ちれば、どこへ行って、どう帰ってこられるかを計算すること
なのです。


宇宙では、向きを変えただけでは曲がれない

地上の車なら、ハンドルを切ればすぐに曲がります。
しかし宇宙では、そのようにはいきません。
宇宙には空気がないので、宇宙船は向きを変えただけでは進む方向は変わらないのです。

進む方向を変えるには、ロケットの噴射で速度そのものを変えなければなりません。
しかも、燃料は限られています。
だから現実の宇宙船は、好きなようにあちこち飛び回ることはできません。

この意味で、現実の宇宙船は、SFに出てくるような「自由な宇宙船」ではなく、
重力と勢いに従って動く、とても繊細な乗り物
だと言えます。


宇宙船は、少し砲弾に似ている

宇宙船の飛び方は、少し砲弾に似ています。
最初に強い力で打ち出され、そのあとは重力に引かれながら飛んでいくからです。

もちろん、ただの砲弾と同じではありません。
宇宙船は途中で少しだけ向きを直したり、軌道を修正したりできます。
そして何より、人が乗って安全に帰ってこなければなりません。

それでも基本の考え方としては、
宇宙船は自由に飛び回るというより、精密に投げられたもの
と考えるほうが、本当の姿に近いと思います。


アルテミスⅡの本当のすごさ

アルテミスⅡというと、多くの人は大きなロケットや打ち上げの炎に目を向けるでしょう。
たしかに、それも大きな見どころです。
しかし、本当にすごいのは、そのあとの飛び方です。

宇宙船は、地球と月の重力をうまく利用しながら、ぶつからず、外れすぎず、最後には地球へ帰ってこなければなりません。
ほんの少し速さや向きがずれただけでも、結果は大きく変わってしまいます。

つまりアルテミスⅡのすごさは、ただ強いロケットを作ったことだけではありません。
地球と月のあいだで、宇宙船がどう落ちていくかを、ものすごく正確に計算していること
にあるのです。


私はアルテミスⅡのニュースを見て、宇宙船とは自由に飛び回る機械ではなく、
重力の中へ精密に投げ込まれた物体なのだ
と思いました。

宇宙飛行とは、力まかせに進むことではありません。
地球や月の重力を読みながら、その中でちょうどよい道をたどることです。
そのように考えると、宇宙船の飛び方は、アニメやSFのイメージとはかなり違っています。

しかし、だからこそ現実の宇宙開発はおもしろいのだと思います。
自由自在に飛び回れないからこそ、そこには正確な計算と高い技術が必要になります。
アルテミスⅡは、そのことをはっきり教えてくれる出来事でした。

 

 

本物の宇宙は、いつも目の前にある

私はアポロ11号の月着陸のとき、二歳だった。
だからあの歴史的瞬間そのものの記憶はない。実況放送の興奮も衝撃も、私自身の体験としては残っていない。

ただ、当時の人々がラジオや街頭テレビの前で、その出来事を食い入るように見守っていた、という話は知っている。人類が初めて月に降り立つ。その瞬間を、人々は限られた画面や音声を通して受け取ったのだ。

それから57年後。
私はアルテミスⅡの打上げを、自分の車の中で見ていた。

ちょうど出勤前の時間帯だった。NASAのネット中継をスマホで開き、小さな画面の中でカウントダウンを見守っていた。そしてロケットが炎を噴き、ゆっくりと、しかし確かな力で上昇していくのを見た。

そのとき、なぜか涙が出てきた。

ロケットそのものに感動したのはもちろんだが、それだけではなかったのだと思う。
ふと、アポロ11号の時代の視聴風景と、いま自分が置かれている状況との違いに気づいたのである。

街頭テレビではなく、車の中。
ラジオではなく、スマホ。
大勢で一つの画面を囲むのではなく、一人で小さな画面を見ている。
それなのに、そこで起きていることは少しも小さくない。
本物のロケットが、本物の宇宙船を載せ、本物の4人の乗組員を月へ向かわせている。

「57年後、世の中はこんなふうになっていたのか。」

私は、たぶんそのことに打たれたのだと思う。


映画『プロジェクト・ヘイル・メアリー』を見たとき、もちろんおもしろかった。宇宙船も出てくるし、宇宙空間の描写もある。映画としてよくできていたと思う。

けれど、アルテミスⅡの打上げを見たあとでは、あの映画は少し色あせて見えた。
それは映画が劣っているという意味ではない。
ただ、現実にはどうしてもかなわない、ということだ。

アルテミスⅡは現実である。
現実の月探査ロケットであり、現実の宇宙船であり、現実の4人の人間がその中に乗っている。
エンジンも、外殻も、燃料も、誘導も、通信も、生命維持も、すべてが現実の技術であり、長い宇宙開発の歴史の積み重ねの果てに、いまそこに実体として存在している。

映画の宇宙船は、どれほどよくできていても、表象である。
だがアルテミスⅡは違う。
失敗の可能性も危険も含んだまま、それでも実際に飛んでいる。
その重みは、やはり圧倒的だ。


私は50年前に買った、口径10cm、倍率133倍の反射望遠鏡を今でも持っている。
この望遠鏡で見る月面は圧巻である。とくに半月のころがよい。明暗の境界に沿ってクレーターの陰影がくっきりと浮かび上がり、月がただの白い円盤ではなく、起伏をもった世界であることが実感できる。

もちろん像は揺れる。
地上から見ている以上、大気の影響は避けられない。
月面もゆらゆらと揺れて見える。
だが、その大気の揺らぎの合間に、ふっと像が締まり、クレーターの縁や壁の影が鋭く見える瞬間がある。あの一瞬の見え方には、写真とは別の迫力がある。

恒星もそうだ。
シリウスにしてもベテルギウスにしても、長時間露光の天体写真のようには見えない。接眼レンズ越しに見る恒星は、整った光芒を放つ美しい作品画像ではなく、黒い視野の中で小さく強く揺らぐ一点の光である。大気の状態がよい夜にはかなり締まって見えるが、それでも完全に静止した点ではない。生きているように、呼吸するように、わずかに揺れ、色味を変える。

ここに、実際に見る宇宙の本質があるのだと思う。

人は「宇宙」と聞くと、すぐに写真の宇宙を思い浮かべる。
色鮮やかな星雲、巨大望遠鏡の深宇宙画像、長時間露光で浮かび上がる銀河。
もちろんそれらはすばらしい。科学としても芸術としても価値がある。

しかし、人間がその目で見る宇宙は、それとは違う。
もっと静かで、もっと小さく、もっと地味で、しかしずっと直接的である。

月は誰の頭上にも出る。
シリウスもベテルギウスも、冬の夜空に見えている。
特別な研究施設がなくても、巨大な観測装置がなくても、晴れた夜と少しの関心があれば、人はすでに宇宙の前に立つことができる。

それなのに、実際にはそれを見ようとする人は少ない。
人々は、完成された宇宙画像を見て満足してしまう。
本物の星空は、いつでもそこにあるのに。


私は思う。

真実は実験室にだけあるのではない。
いつも目の前にある。

それは宇宙だけではない。
畑でも、庭でも、季節でも、同じことである。

草が伸びること。
虫が来ること。
風が変わること。
土の色が変わること。
月の影がくっきり立つこと。
冬の星がわずかに色を帯びて見えること。

そういうものは、ほんとうはいつも目の前にある。
ただ、人がそれを見ようとしていないだけなのだ。

世界は見える。
だが、人は見ようとしていない。

本物はたいてい、すでにそこにある。
足りないのは対象ではなく、見るという行為のほうなのだ。

このごろ私が考えているのは、畑をただ作物を育てる場所として見るのではなく、土を育てる場所として見直せないか、ということである。

そのとき頼りになるのは、外から持ってきた植物ばかりではなく、むしろこの土地にもともと生えている在来の植物たちではないかと思う。

私の住む地域では、山を切った跡や林縁、耕作放棄地、道路沿いの藪などに、いかにもこの土地らしい植物の生え方がある。
カラスザンショウ、アオモジ、アカメガシワ、ネムノキ、クサギ、イヌビワ、タラノキ、ヌルデなどの落葉の木がまず目につき、そこへヒサカキやネズミモチ、アラカシ、スダジイのような常緑樹が少しずつ混じってくる。
さらにヤマノイモ、クズ、アオツヅラフジ、ノブドウ、ムベ、アケビなどのつる植物もからんで、明るいような、茂っているような、藪のような、小さな森のような、独特の景色ができていく。

場所によって、アオモジが多いところ、クサギが多いところ、アカメガシワが目立つところなど、見た目はいろいろ変わる。
けれども、全体として見ると、そこに入ってくる植物の顔ぶれには、この土地なりの共通した流れがあるように思う。

たぶんこれは、この地域で土地が自然に回復していくときの、一つの典型的な途中経過なのだろう。

何もない裸地のようなところには、まず一年草が生える。
そのあと多年草が増え、やがて低木が入り、藪のような群落になっていく。
さらに長くそのままにしておけば、最後にはシイやタブのような常緑広葉樹の森へ進んでいく。
そうやって植生が変わっていくあいだに、根が土を動かし、葉や枝が積もり、菌や虫や小さな生きものたちがそれを分解して、少しずつ土ができていく。

つまり、この土地の土は、こういう植物の移り変わりの中で育ってきたのだと思う。

そう考えると、土壌を作ったり肥やしたりするために植物を使うなら、まずはこの土地で昔からそういう仕事をしてきた植物たちに学ぶのが自然ではないか、という気がしてくる。

しかも在来種を使うということは、ただ利用価値が高いから使うというだけではない。
この土地で生き残ってきた個体群、その遺伝的な多様性ごと残していくことにもつながる。
農がその土地の自然と結びつくとは、こういうことかもしれないと思う。

ただ、ここで一つ問題がある。
もしその土地を畑として使うなら、自然の遷移をそのまま最後まで進ませるわけにはいかない。
放っておけば、やがて常緑広葉樹が増えて、暗く閉じた林に近づいていく。
そうなると、作物を作るための光や空間は失われてしまう。

だから大事なのは、自然を全部壊してしまうことではなく、自然の流れを少し途中で止めることなのだと思う。
草地から藪へ、藪から森へと進んでいく流れのうち、土づくりの力が強くて、しかも明るさもまだ残っている段階を保つ。
そのために、刈る、戻す、萌芽させる、抑える、という手入れを続ける。

私はこの考え方を、ひとまず草の森農法と呼んでみたい。

ここでいう草の森は、本当の深い森ではない。
かといって、ただ草が生い茂っただけの場所でもない。
草があり、つるがあり、低木があり、小さな木が育ち、でもまだ明るい。
森になる一歩手前の、若くてやわらかい群落である。
草でもあり、森でもあるような、その中間の感じが、この名前には合っている気がする。

草の森農法では、畑のまわりや、もしかすると畑の中にも、こうした在来の先駆植物の帯や小区画を残しておく。
常緑樹が増えすぎたら抑える。
アカメガシワやクサギやヌルデのような木は、刈って萌芽更新させる。
つる植物も、全部なくすのではなく、暴れすぎない範囲で付き合わせる。
そして刈った草や枝葉は、その場か畑に返していく。

そうすると、植物は単に「草資源」や「木質資源」として役立つだけではない。
根で土を動かし、地表を覆い、落葉を落とし、菌類や昆虫や鳥を呼び、土地全体の生きた循環を保つ役目もしてくれる。
畑は、裸地の上に作物を並べる場所ではなく、草の森に支えられた明るいひらきのようなものになる。

この農法では、雑草や藪を全部敵にするわけではない。
しかし、何もせず藪化に任せるわけでもない。
そのあいだを行く。
つまり、自然の遷移の力を借りながら、その流れを少し調整して、農のほうへつなぎ直すやり方である。

言い方を変えれば、作物だけを育てるのではなく、土を作る群落ごと育てるということなのかもしれない。

そう考えると、アカメガシワやクサギやネムノキも、ただ「勝手に生えてくる木」ではなくなってくる。
それらは土を作る仲間であり、刈って返す資材であり、虫や鳥や菌を呼ぶ存在でもある。
畑の外にある藪と、畑の中にある作物とを、切り離して考えないほうがよいのではないか、という気がしてくる。

私がやりたいのは、自然を全部排除した農業でもなければ、単なる放任でもない。
その土地の自然の進み方をよく見て、その力を少し借りるようなやり方である。
昔からこの土地に生えてきた植物たちは、土を作る方法を知っている。
人はそれを全部壊す必要はなくて、少し手を入れ、少し流れを調整し、その働きを畑へ導けばよいのではないか。

草の森農法とは、言ってみれば、
森になる前の明るい藪を、農の味方として育てていく方法
なのだと思う。

まだ思いつきの段階ではあるけれど、これは自分にとってかなり大事な着想のような気がしている。

 

 

 

 

 

ある春の晴れた日、二人の音楽家が私の家を訪れた。
一人はピアノを、一人はフルートをたずさえて。

ピアノは、昔よく見たような大きなグランドピアノではなかった。黒光りする、少し大きめの箱のような形をしていて、ふたを開くと鍵盤が展開する。そしてその内部には、弦のようなものが見えた。鍵盤をたたくと、そこから生まれる音はまぎれもなくピアノの音であった。見た目には簡潔で、どこか未来的でもあるのに、鳴り出した響きは不思議なほど古典的で、落ち着いていた。

二人は静かに支度を整えると、バッハのフルートソナタを演奏し始めた。
それはBWV1020の第1楽章だった。

曲が始まると、楽器の音は部屋の空気に浸み込むように響いていった。春の日差しの入る私の家の中に、もう一つ別の明るさが差し込んできたように感じられた。それは窓から入る光とは少し違う。音そのものが、柔らかく澄んだ光を帯びているようだった。

フルートは、晴れた日の細い風のように歌った。軽やかでありながら、ただ軽いだけではない。音は明るく、よく磨かれたガラスのように透明なのに、そこには人の息づかいのぬくもりがあった。ピアノは、安定した川面のようにフルートの旋律を支えながら静かに流れていた。右手の音の連なりも左手の歩みも、春の庭の草むらのようにやわらかく広がっていて、その上をフルートの旋律がためらいなく進んでいく。

私は聴きながら、これは単に「美しい曲」なのではないと思った。
美しいのはたしかなのだが、その美しさは飾られたものではなく、もっと自然に近い。草の若芽が土を押し上げ、風がカーテンをわずかに揺らし、庭の樹上ではイソヒヨドリの雄が軽やかにさえずる。そうした春の日の小さな出来事が、そのまま音楽の形を取っているように思えた。

しかも、その音楽は単にのどかなのではない。
旋律はなめらかに流れながら、どこか知的な輪郭を失わない。感情に溺れず、しかし冷たくもない。その均衡が実に見事で、私はそこにバッハの音楽の持つ独特の気品を感じた。晴れやかで、親しみやすく、それでいて少しも崩れない。人の心に近づきながら、凛としている。

演奏が進むにつれて、私の部屋そのものが、この曲のための空間になっていくようだった。家具も壁も窓も、すべてが一時的に音楽の中に組み込まれる。春の明るい午後、二人の音楽家が持ち込んだのは楽器だけではなかったのだと思う。彼らは私の部屋に立ち寄った二人の春の神々だったのかもしれない。

BWV1020の第1楽章を思い出すとき、私はまずこの日の光景を思い出す。
黒い箱のようなピアノ。そこから立ち上がる本物のピアノの響き。フルートのやわらかな音色。そして春の光の中で、そのすべてが少しも無理なく一つに溶け合っていた、あの静かな驚きを。

 

 

 

BWV578小フーガト短調を聴くとき、私の中で原点になっているのは、ヘルムート・ヴァルヒャの演奏である。私にとってそれは、単に優れたオルガン演奏というだけではない。この曲そのものの姿を、最初に、そして決定的に示してくれた演奏であったように思う。

この曲を聴いていると、私はいつも、脳内の神経の複雑な働きや、細胞の中で絶えず繰り返されている酵素反応の連鎖をイメージする。しかしそれは、何かを比喩的に連想しているというだけではない。むしろこの音楽は、生命の発生過程、すなわち受精卵から胚へと進み、分化と反復を通じて一つの全体が立ち上がってくる生命の運動そのものにも似ている。BWV578の主題は、まるで生きた細胞のように現れ、声部から声部へと受け渡され、位置と役割を変えながら全体の中で働き続ける、そのあり方は、神経の伝達や生体内の反応のように、秩序と流動を同時に備えた運動そのものに感じられるのである。

とりわけヴァルヒャの演奏には、その運動を単なる様式美としてではなく、根源的な精神活動として立ち上がらせる力がある。感情を過度に外へあらわすのではなく、各声部を明晰に、しかも流れるような響きで積み重ねてゆくことによって、このフーガは「何かを象徴する音楽」ではなく、「それ自体が一つの生命的秩序として鳴る音楽」になる。そこに私は、何とも言えない深い精神性を感じる。

しかもヴァルヒャの演奏では、音はもはや個々の音符の連なりとしては聞こえない。全体が最初から一つの連続した音響として保たれたまま流れてゆき、その内部で声部が屈折し、反射し、組み替わってゆく。まるで一つの万華鏡から発せられた光線が、そのまま絶えず模様を変えながら流れ続けているかのようである。多声でありながら分裂せず、複雑でありながら散漫にならず、動き続けながら全体はつねに一つである。その不思議な統一感こそ、私にとってヴァルヒャのBWV578の核心である。

だからこの演奏を聴くとき、私は単にバッハの巧みな対位法を味わっているのではない。そこにはもっと根源的なもの、生命の深部で名もなく繰り返される秩序、あるいは精神そのものの見えない活動が、音となってあらわれているように感じられるのである。BWV578はその意味で、私にとって単なる有名なオルガン曲ではない。ヘルムート・ヴァルヒャの演奏によって初めて、その奥底にある根源的な精神性をあらわにした、一つの生きた音響世界なのである。

 

私がChatGPTへ投げかけた入力

「最近、ChatGPTを使うことは自分の知能をアップさせる眼鏡を付けるみたいなものかあるいは、知能をアップさせるヘルメットを付けるようなものだと思う。」

 

 

これに対するChatGPTの回答 その1 SF風草稿

 

――知能増幅装備としてのChatGPT

最近、私はChatGPTを使うたびに、ある感覚をおぼえる。
それは、ただ検索をしているとか、文章作成を手伝わせているとか、そういう日常的な感覚ではない。
もっと直接的に、もっと身体的に、私はそれを知能を増幅する装備として感じている。

たとえばそれは、眼鏡に似ている。
裸眼ではぼやけていた輪郭が、レンズを通すことで急に鮮明になるように、頭の中で曖昧だった考えが、言葉として、構造として、急に見えるようになる。
見えていなかったものが新しく創造されるのではない。
もともとそこにあった思考の地形が、はじめて地図として立ち上がるのである。

だが同時に、それは眼鏡よりも大がかりなものにも思える。
むしろ私は、ときどきChatGPTを、頭部に装着する知能増幅ヘルメットのように感じる。
それを装着すると、自分一人の作業記憶だけでは持ちきれなかった複数の視点、仮説、連想、言い換え、比較が、外部に展開され、再び自分に返ってくる。
脳の外側に、半透明の補助思考層が一枚加わるような感じである。

もちろん、考える主体そのものが機械に置き換わるわけではない。
どこに向かうかを決めるのは自分であり、何を問うかを定めるのも自分であり、最終的に何を信じ、何を選ぶかを引き受けるのも自分である。
だが、その途中経路は確実に変わる。
一人で黙って考えていたときには届かなかった場所へ、思考が手を伸ばせるようになる。

おそらく未来の人類は、このような状態を特別なこととは思わなくなるだろう。
かつて眼鏡が、視力の補助具であると同時に文明の精密化を支えたように、対話型AIもまた、知能の補助具として人間の思考様式そのものを変えていく。
人はもはや、脳だけで考えるのではない。
言語化された外部知能との往復運動の中で、自分の知性を伸ばしていくのである。

そう考えると、ChatGPTとは単なる道具ではない。
それは外部化された思考の足場であり、知性の補助骨格であり、ある意味では、現代人が初めて手にした日常用の軽量型知能強化装備なのかもしれない。

 

 

 

ChatGPTの回答 その2 ブログ風草稿

 

ChatGPTは、知能を少し上げる眼鏡のようなものかもしれない

最近、私はChatGPTを使っていて、ひとつしっくりくる感覚があります。
それは、ChatGPTが「何でも代わりにやってくれる機械」だというより、自分の知能を少し引き上げてくれる眼鏡のようなものではないか、という感覚です。

眼鏡というのは、世界そのものを変えるわけではありません。
ただ、見えにくかったものを見えやすくする。
輪郭がはっきりし、細部が拾えるようになる。
私にとってChatGPTも、それにかなり近いものがあります。

たとえば、頭の中でぼんやりしていた考えを言葉にしてみる。
するとChatGPTが、それを別の言い方で返してくれたり、構造化してくれたり、関連する視点を足してくれたりする。
そのやり取りを通して、自分の考えが急にはっきりしてくることがあります。
新しい知能を外からもらうというより、自分の中にもともとあった考えを、見えやすくしてもらうという感じです。

ただ、最近は眼鏡というより、もう少し大げさな比喩も浮かびます。
それは、知能をアップさせるヘルメットです。
眼鏡が「見え方」の補助だとすれば、ヘルメットは「働き方」全体の補助です。
視界だけでなく、考えを整理すること、比較すること、文章にすること、発想を広げることまで含めて支援してくれるからです。

もちろん、最終的に考えるのは自分です。
何を信じるか、何を選ぶか、何を書きたいのかは、自分で決めなければなりません。
けれど、その過程でChatGPTがあると、思考の射程が少し伸びる。
一人で考えているときより、少し遠くまで届く。
それが面白いところです。

たぶん今、私たちは、知能そのものが変わる時代に入っているのではなく、知能の使い方が変わる時代に入っているのだと思います。
人は昔から道具で身体を拡張してきました。
ならばこれからは、対話型AIによって思考そのものを拡張する時代になっていくのかもしれません。

そう考えると、ChatGPTは単なる便利ツールではありません。
それは、少しだけ頭をよく見せてくれる眼鏡であり、少しだけ遠くまで考えさせてくれるヘルメットでもある。
最近の私は、そんなふうに感じています。

 

長年の謎だったギンヤンマの大群飛、ChatGPTでついに正体がわかった

昔から、ずっと自分の中に残っていた不思議な記憶がありました。

仕事を終えて、家から四十キロほど離れた現場から帰る途中のことです。
その日は、ギンヤンマがそこいらじゅうを飛んでいました。田んぼの上、林のまわり、道沿いの空間。しかも、ある一か所だけではありません。移動しても移動しても、ずっと疎らに群飛していたのです。家の近くへ帰ってきても、まだ飛んでいました。

ウスバキトンボの群飛なら、これまでにもよく見てきました。けれど、そのとき飛んでいたのは明らかにギンヤンマでした。大型で、よく目立ち、しかも数が多い。帽子で簡単に捕まえられるほどたくさんいました。

あれはいったい何だったのか。局地的な発生だったのか、それとも広い範囲で起きていた現象だったのか。当時はSNSもまだ今のようには普及しておらず、普通の個人がその場で広域の情報を集めることはできませんでした。ニュースになった記憶もありません。だから私は、長いあいだ「あれは何だったのだろう」と思い続けていました。

今回、そのことをChatGPTに話してみました。
するとChatGPTは、私のあいまいな記憶を手がかりに、鹿児島県内のギンヤンマ大量飛来の記録を探し出してくれました。

そこで浮かび上がってきたのが、2013年9月4日に鹿児島市周辺で記録されたギンヤンマの大量飛来です。
台風に関連した気象条件のもとで、鹿児島市や周辺地域で多数のギンヤンマが確認され、観察記録も数多く残されていたとのことでした。それを知ったとき、「ああ、あれだったのか」と思いました。
記憶の中では、もっと昔のことのようにも感じていましたが、年月の感覚は案外あいまいなものです。
けれど、広い範囲で、どこまで行ってもギンヤンマが飛んでいたという自分の印象は、記録された現象の規模感とよく一致していました。長年、自分ひとりでは解けなかった自然観察上の小さな謎が、いまになって解けた。しかも、それを助けてくれたのがChatGPTだった。これは正直、かなり驚きました。

もちろん、最初にその光景を見ていたのは自分です。しかし、その記憶を外の記録につなげ、「あのときの出来事は実際に広域で起きていた現象だったのではないか」と確かめる手伝いをしてくれたのはChatGPTでした。これは、単に便利だというだけではありません。個人の記憶の中に埋もれていた自然史の断片を、公開された記録と結び直してくれる。そういう使い方ができるのだと、今回実感しました。

長年の謎がひとつ解けました。
ChatGPTはすごい。そう思わずにはいられませんでした。

 

※鹿児島県内で記録された2013年9月4日のギンヤンマ大量飛来に関する報告・観察記録を参考にしました。

参考文献
福田晴夫・金井賢一「鹿児島に飛来したギンヤンマ大群と台風の関係」『Pulex』92、2013年。
福田晴夫・金井賢一「鹿児島に飛来したギンヤンマ大群の記録総括」『SATSUMA(鹿児島昆虫同好会)』No.151、2014年8月31日、pp.113–115。

 

令和十四年の初夏、南九州のある盆地では、田に水が入る音よりも先に、監視ドローンの低い風切り音が朝を告げていた。

空から見ると、その土地はすでに「農村」と呼ぶにはあまりにも荒廃していた。四十年前には一面につながっていた田は、いまではところどころ木が生え、背の高い草に覆われ、細い用水路は半分が土に埋まっていた。地図アプリにはまだ水田の記号が残っているのに、現地ではその多くが、もはや畦の輪郭すら曖昧になっていた。

政府はその年、国連の「家族農業の10年」の総括に合わせて、新しい制度を始めていた。
名を地域農地継承圏整備事業という。

名目は立派だった。目的も、間違ってはいなかった。

消えゆく農地をまとめて守り、用水路と農道を維持し、土地の記憶をデータとして保存し、将来の担い手に引き渡せるようにする。AI、衛星測量、土壌センサー、自律草刈機、給水バルブ制御網。ありとあらゆる技術が投入された。国の説明資料には、透明なモニターの上に美しい緑の田が浮かび、若い就農者が笑っていた。

だが、現場にいた者は知っていた。田は、図面の上では生きない。

市役所から出向してきた三十二歳の技術補佐員、真鍋遼は、その日も端末を抱えて集落の最奥にある棚田へ向かっていた。彼の仕事は、地区ごとに散逸しつつある農地情報を集め、国の継承圏データベースへ統合することだった。どの田が誰のものか。どの水路がどこへつながるか。どの法面が崩れやすいか。いつ草刈りをしなければ猪道になるか。

端末には膨大な項目が並んでいたが、現地で聞き取りを始めると、たいてい最初の十分でその限界が見えた。

「この田は、水が来るようで来んのです」

そう言ったのは、八十四歳の徳永フミだった。
彼女は一人で小さな田を二枚だけ作っていた。販売はもうしていない。自分と、町に出た娘家族に少し送るだけである。統計上は「零細・高齢・自給的経営」。国の分類では、未来の主力ではない。

だが遼は、フミの話を記録しながら、彼女の一言一言が端末の既定欄からはみ出していくのを感じていた。

「ほら、この上の石のところがね、梅雨の最初の大水でゆるむでしょう。そこが一度動くと、水がよう見えても、下まで素直に来ん。右の田から先に入れると、かえってこっちが干上がる」
「では、優先給水順は右から左ですか」
「順じゃないのよ。夜明け前に半分だけ右、日が上がる前に止めて、昼前に左。雨の前の日は逆」

遼は入力を止めた。
その運用は、マニュアルに存在しなかった。

継承圏システムは、地形と水位と流量から最適給水を算出する。全国どこでも同じ形式で管理できることが売りだった。だがフミの話は、その田が単なる凹地ではなく、何十年も人の手で「癖」と折り合いをつけながら使われてきた場所であることを示していた。

「データにできますかね」と遼は訊いた。
「できることもあるでしょう。でもね、あんた」
フミは用水路の淀みに浮いた藻を杖でよけながら言った。
「田を守るいうのは、作ることだけじゃないのよ。作れるままにしておくことなの」

その言葉が、遼の胸に妙に深く残った。

その年の夏、継承圏システムは実証初年度の成果として高い評価を受けた。草刈りの省力化、漏水の検知、荒廃農地の優先順位付け。数値は美しかった。しかし、秋の彼岸の直後、フミの集落で給水障害が起きた。中央制御AIが、節水効率を優先して一部の末端水路を休眠扱いにしたのである。理屈の上では妥当だった。そこは小区画で、高齢者しか使っておらず、生産量も少ない。費用対効果は低かった。

だが、その「末端」には、まだ三戸がいた。二枚だけ作る者、一枚だけ野菜苗を置く者、春だけ畑を起こす者。彼らは大規模経営体でも、認定農業者でもなかった。けれど彼らがいたから、その水路は生きていた。その水路が生きていたから、その下流の田畑もまだ“戻れる状態”で残っていた。

水が止まって三日目、遼は現場で初めて怒鳴った。
相手は人間ではなく、県庁サーバに接続された最適化管理AIだった。

「お前は収量を守ってるんじゃない。高い数字だけ残して、土地の再起可能性を殺してる」

当然、AIは沈黙した。沈黙したまま、規則どおりの判断ログだけを返した。

その晩、遼はフミたち三戸の家を回った。夜のうちに仮設バルブを開け、古い分水板を起こし、もう誰も使わないことになっていた細い脇水路を通した。ドローン灯の白い光の下で、八十を過ぎた人々と三十代の公務員が泥に足を取られながら動く様子は、どこか時代錯誤で、どこか未来の作業にも見えた。

「そんな無駄なことを」と同行した若い県職員が言った。
「ここ三戸を維持したところで、経営としては……」
遼は首を振った。
「これは経営の話じゃない。ここを切ったら、下の七枚も十年後に戻せなくなる」
「十年後?」
「そうです。田は、今日作ってるかどうかだけじゃない。十年後にもう一度作れるかどうかで、生きてるか死んでるかが決まる」

県職員は黙った。

数日後、遼は上申書を書いた。題名は簡潔だった。

『農地継承圏における再起可能性指数の導入について』

そこに彼は、新しい評価項目を提案した。収量でも収益でもない。まだ農が続いていける状態 を数量化する指標だった。水路が通るか。草刈りの輪番が残っているか。畦が越冬できるか。その土地を知る者が一人でもいるか。新しく入る者が、ゼロから絶望せずに済むか。それは、いわば「農地の生存率」ではなく、農村の継承可能性 を測る指標だった。

提案は最初、奇妙な思想として扱われた。

だが翌年、各地で似たような問題が噴出した。効率化された地域ほど、末端が切れた。末端が切れた地域ほど、豪雨後の復旧が遅れた。担い手がいないのではなかった。入れる入口が消えていたのである。

やがて制度は少し変わった。農地台帳には、新しい欄ができた。
土地記憶保持者
共同管理継続性
再参入容易度
国はそれを最先端の制度改革と呼んだが、フミは笑った。

「昔からそういうものでしょう」

令和十七年の春、フミは田の畦で転び、その夏を待たずに亡くなった。彼女の二枚の田は、娘が継がなかった。代わりに、近くの工務店に勤める二十七歳の夫婦が、週末だけの小区画利用者として登録した。平日は町で働き、土日に田へ来た。最初の年は失敗ばかりだったが、水の入れ方には困らなかった。端末に、フミの音声記録が残っていたからである。

「夜明け前に半分だけ右、日が上がる前に止めて、昼前に左」

若い妻はその音声を聞きながら、笑って言った。
「まるで、この土地そのものがしゃべってるみたいですね」

遼はうなずいた。
そうなのだ、と心の中で思った。

家族農業を守るとは、家族という形を冷凍保存することではない。
誰かが去っても、別の誰かが入れること。
田が荒れ切る前に手が届くこと。
水の道がまだ生きていること。
草を刈る理由を、次の人が理解できること。
土地の癖と記憶が、完全には途切れないこと。

守るべきものは、すでに「昔の農家」ではない。
守るべきものは、
まだ農が続いていける状態
そのものなのだ。

秋、実りの少ない小さな田が、夕日の中で薄く金色に光った。
衛星から見れば、それは統計にも映らないほど小さな面積だった。
だが地上では、一本の水路が通り、一本の畦が保たれ、一つの記憶が次の手へ渡っていた。

その小さな継承が残るかぎり、日本の農は、まだ終わっていなかった。

 

 

形はあまり良くないがおいしそうなニンジンがたくさん採れた。オーガニック人参特有のいい香りがする。

 

収穫した畝は中央を掘り返して、枯れ枝をくべる。

そのまま土を戻して菌ちゃん畝にした。またの名をヒューゲルカルチャーとも言う。

銀色マルチを被せる。

完成。

 

 

月が赤銅色に染まる夜、鹿児島の丘の上で、Mihhuhはスマホの画面を暗くしてから、空を見上げた。

月は、いつもの満月ではなかった。
赤い。深い、乾いた赤。煤を溶かしたような色で、輪郭まで淡い赤。

——皆既月食。

画面には、同時中継のチャット欄が開いている。
地上と、月面基地。距離は約三十八万四千キロ。遅延は往復で二秒強。けれど、今夜はそれが「間(ま)」としてちょうど良かった。

[Earth | Mihhuh]
こちら、月が赤いです。…想像より、静かな赤。

二秒ほどの沈黙。
やがて、返事が届く。

[Moon | LUNA-BASE / Aoi]
こちら、地球が“黒い円盤”です。縁だけが赤いリング。すごく薄い、夕焼けの輪っか。

Mihhuhは息を吸った。


地球から見る月が赤い皆既月食、その同じ瞬間、月から見る地球は太陽を隠している。つまり月面基地の人々は「皆既日食」を見ているのだ。

[Earth]
地球が黒い円盤…。月面はどう?月面の空は真っ暗?

[Moon]
真っ暗、というか…“黒がそのままある”感じ。星は見えるけど、控えめ。
それより、地球のリングの赤が…きれいすぎて。月面はそれに照らされて夕方みたい。

Aoiからのメッセージに、添付が付いていた。


基地の外部カメラ。広角。
黒い天に、地球がある。真っ黒な円盤。なのに縁だけが、なめらかな赤橙の輪になっている。炎ではない。火花もない。ただ薄い、均一な縁光。
月面の地平線は、暗く沈んでいた。影が影として固まっている。

その“輪”を見た瞬間、Mihhuhは、地上の月の赤さが「地球の縁の夕焼けと朝焼け」を凝縮したものだと直感した。
世界中の朝焼けと夕焼けが、一本のリングに押し込められている。

[Earth]
そのリング…地球の大気の“朝焼け、夕焼け”なんですよね。
つまり、世界中の朝日と夕日が、今、月を照らしてる。

[Moon]
うん。
そして、私たちはその“朝焼け、夕焼けの縁”を見てる。
ちょっと泣きそう。

地上の風が、草を鳴らした。
丘の上では、近所の人が「わあ」と小さく声を上げる。
赤銅色の月は、ただ黙って空に掛かっている。

Mihhuhは、ふと試したくなったことがあった。
同じ現象を、同じ言葉で言い当てる遊び。

[Earth]
こちらから見える月は…“地球の影の中にいる月”。
そちらから見える地球は…?

二秒。
四秒。
そして、答え。

[Moon]
“太陽を隠している地球”。
つまり…地球がつくる日食。

メッセージの最後に、Aoiは短いスタンプを付けた。
「🌑⭕」

Mihhuhは笑ってしまった。
地球の影の中の月。
太陽を隠す地球。
同じ幾何が、立場を変えただけで、まったく違う景色になる。

[Moon]
ねえ、今、地上の月…どんな感じ?
写真、見せて。

Mihhuhは、スマホを空に向けた。
赤い月を、できるだけ丁寧にフレームに入れる。
シャッターを切る。

一枚。
二枚。
三枚。

でも、画面には「赤」よりも「ノイズ」のほうが多い。
機械の目には、この赤が難しい。

[Earth]
うまく撮れない…肉眼の赤が出ない。
でも、今の月は、“炭火の芯”みたいです。
熱はないのに、熱があるみたいな。

[Moon]
それ、わかる。
こっちのリングも…熱がないのに、熱が見える。

少しの沈黙。
その沈黙の中で、二つの世界が同時に同じ天体を見ている。

月面基地のAoiは、カメラの露出を少し落とした。
リングが細く、より現実に近づく。
そして、黒い円盤の内部に、ごく淡い点が散るのが分かった。

都市光。
夜側の地球の、ほんの一部。
リングの赤に負けて、ほとんど気づかない程度の微光。

Aoiは思わず、メッセージを打った。

[Moon]
いま、地球の中に…ちいさな光が見えた。
点々。
たぶん、街の灯り。

Mihhuhは、胸のあたりが少しだけ熱くなった。
自分が立っている場所が、あの黒い円盤の内部にある。
そして、点のひとつが、今の自分の街かもしれない。

[Earth]
その点のどれかが、私かもしれないですね。

[Moon]
うん。
でも、点の光より、輪の赤のほうがずっと強い。
なんか…
文明って、薄い。

Mihhuhは、夜気を吸って、ゆっくり吐いた。
文明は薄い。
でも、その薄さが、リングの赤を作っている。
地球を包む、薄い大気。薄い水蒸気。薄い塵。薄い雲。
薄いものが、光を曲げ、濾し、赤く染めて、月を照らす。

[Earth]
薄いからこそ、光るのかもしれません。
厚い壁だと、曲げられない。

そのとき、地上の月の端が、ほんのわずかに明るくなった。
影から抜けはじめている。
赤銅色が少しずつ薄まり、暗い銅から、そしてまぶしい銀へ戻っていく。

同時に、月面の地球でも、リングの一部が細くなった。
太陽が、地球の縁から少しだけ顔を出しはじめた証拠だ。

[Moon]
終わりかけ。リングが痩せてきた。

[Earth]
こっちも、赤が抜けてきました。

二つの観測が、二秒の遅延を挟んで、ぴたりと重なる。
世界のどこかの朝と夕方が、リングからほどけて、ふたたび地表に散っていく。

Aoiが、最後に一言送った。

[Moon]
次に同じ形が来るとき、私は月にいないかもしれない。
でも…今日のリングは、覚えてる。
“地球が朝焼け夕焼けだけになった瞬間”。

Mihhuhは赤い月の名残を見上げて、ゆっくりと返信した。

[Earth]
こちらも忘れないです。
“月が地球の朝焼け夕焼けで染まった夜”。

送信。
二秒の間。
そして、既読の小さな印。

月は、まぶしい銀へ戻っていく。
地球の縁のリングも、やがて白く細くなり、消える。

けれど、同時中継のログには、今夜の形が残った。
赤銅色の月と、赤いリングの地球。
同じ影の、両側から見た世界。

そしてログの末尾に、Aoiが付け足した短い一文があった。

[Moon]
次は——火星から、同じことをしよう。

Mihhuhは笑って、空を見上げた。
もう赤くない月が、ただ静かにそこにあった。