土曜日に、文化会館を借り切ってする大きな研究発表会があった。
僕はその運営や進行の責任者の立場だった。


前日の金曜日から、荷物を文化会館に運び込む。
同僚に「明日、駐車場を1カ所封鎖するから、コーン2本とトラ竿1本、俺が忘れていたら出発前に指摘してくれ。」と頼む。
「わかりました。コーンとトラ竿ですね。トラ竿って黄色と黒の竿ですよね。」
「うん。それ。」
車にその同僚と乗り込んで、文化会館まで運転する。


着くまで、FMラジオを聴いていく。長野ローカルのミュージシャンの曲がかかる。
よくこの程度の曲で、自分自身で売ってもいいって判断したよなあって感じの曲ばかりで呆れる。
「ひどい曲だなあ。」
あまりのひどさに笑うしかない。


文化会館が目の前まで来たときに、ふと気がついた。
「あ。コーンとトラ竿忘れた。」
「あ。」
「だから言ったじゃねえか。コーンとトラ竿、俺が忘れてたら言ってくれって。頼りにならねえやつだなあ。」
「そうでしたね。あはは。」
「あははじゃねえよ。うるせえよ。」
文句を言いながら引き返す。


荷物やコーンを文化会館に入れて準備をすませる。
車に乗り込もうと駐車場を歩いていると文化会館のコーンが積んであるのを目にする。
「あのコーンを使えば、コーンは持ってこなくてもよかったんじゃないか?トラ竿だけ持ってくればよかったんだよ。」
「そうですね。あはは。」
「あははじゃねえよ。」
ひとつの課題をクリアするのには、クリアに直結しない、かなりの無駄な労力や知力も使うもんなんだって、そういうもんなんだって、帰り道、運転をしながらそう思った。


この研究発表会のために、かなり詳しいスタッフ・マニュアルを作成した。
以前、旅行会社の人がイベント用に作成してくれたマニュアルを作り直したものだ。
お手伝いしてくれる人(業者を除いて約40名)に配布をしたけれど、当日、現実を目の前にして変更点がいくつも発生したし、思わぬトラブルがいくつも発生して、走り回った。
「これはどうしたらいいですか?」「ここはこうしたいんですが?」
完璧主義の人が多いせいなのか、いろんな人から質問される。
みんな困っているんだと思ったから、できるだけ優しく、落ち着いて回答をした。
その人たちには、比較的優しく対応ができたと思う。
僕は前向きの人には親切なんだと自分を見ていて思う。


それは、たぶん中学や高校生の頃に読んでいたカール・セーガン博士の「COSMOS」(朝日新聞社)という本の影響があるのだと思う。
この本の中で、博士はローマの統治下であったアレキサンドリアで、ヒパチアという科学者であった女性をキリスト教信者が殺し、アレキサンドリアの図書館からすべての本が一掃されたことについて言及をしている。
西洋はそのときから科学にとっては暗黒の1000年を過ごしたのだ。


その図書館があれば、科学ももっと進化していたはずだ。
僕はこの本を読んだとき、俺はヒパチアのような女性を守る人になろうと思った。優秀で前向きな人を守ることは、人類のためになるからだ、と。
直接的な関連はないけれど、僕はたぶん、こんなことがベースになって、前向きに頑張ろうとしている人に対して、自分が障害にならないようにと思うのだと思う。


必要がないと思って、何度も運ぶかどうかまよった余分なパソコンとプリンターも、文化会館に持ち込んでいて正解だった。急に印刷が必要となるものが出てきたのだ。そしてまた、メインのパソコンを頼んでいた人が電源コードを忘れてきたので、急遽、プリンターの電源コードで代用したのだ。もしプリンターを持ってきていなければ、会がうまく進行できなかった。
運び込むか最後まで迷っていた同僚と「持ってきていてよかったなあ」と笑いあった。


研究発表会が始まって、ある程度軌道に乗ってから、楽屋に行った。
スーツを脱ぐと両脇から上が汗でびっしょりと濡れている。
ネクタイを外そうとしたら、結び目が濡れて固くなっていた。
「けっこう、頑張ってたんだな、俺。」鏡を見ながらそう思った。


研究発表会は片付けも含めて5時頃には終わった。
それから職場に荷物を運び込んで、後片付けをした。


打ち上げはまた後日ということだったので、帰る途中にカレー屋でカレーを食べながら、有斐閣のリーガル・クエスト「会社法」の本を読んだ。
研究会の発表の時、プロジェクターの光を一時的に遮る必要があり、プロジェクターのレンズの前に何か置く必要があった。
そのとき、僕がとっさに担当者に渡したのが、この会社法の本だった。


My Kiasu Life in JAPAN-会社法

適度に厚く、自立するので重宝した。「会社法」は本当に役に立つ。
強い光に当たったせいで、表紙の印刷が2カ所ほど溶けている。
中身に関係がないから、僕は気にしない。ひとつの課題をクリアするには、それなりの犠牲もつきものなのだと思った。


実家に電話をした。姉が出たので話をする。
母の体調はよくもないが、安定はしているらしい。
松茸ご飯や栗ご飯を持ってきてくれる人がいて、豪華な食事を取っていると笑っていた。
でも「今週は帰れない」と話すとがっかりしたようだった。


そして土曜日はくたくたに疲れていたせいか、夜の8時には寝てしまった。


日曜日には部屋の整理をした。本をかなり売り、CDやDVDをコクヨのMEDIA PASS!というソフトケースに入れ替えた。100枚くらい入れ替えたら、スペースがだいぶ広がった。


それでも改めて見ると、僕の部屋には本当にいらないがらくたが多すぎる。
バッグや押し入れを開けるたびに、呆れた気分になってしまう。


立川志の輔らくごのごらく3「みどりの窓口」「しじみ売り」と立川志の輔らくごのごらく5「新・八五郎出世」の2枚のCDを聴いた。


My Kiasu Life in JAPAN-らくごのごらく3

My Kiasu Life in JAPAN-らくごのごらく5

現実に苦情の矢面に立つことの多い僕には「みどりの窓口」はどうもなかなか笑うことができなかったが、人情話の「しじみ売り」はよかった。「新・八五郎出世」も心に響いた。


それにしても落語の話っていうのは、なかなかきれい事で終わらせないものだなあ、と思う。人間の下品さや愚かさをもしっかりと演じていく。
そこが、なかなか僕には受け取りづらい面もあるけれど、でもそこがきっと落語の持つ魅力なのだろうということは、僕にもわかる。


**おまけ**
カールセーガン博士のCOSMOS下巻「栄光のアレキサンドリア」「科学を圧殺した暴徒たち」より抜粋


My Kiasu Life in JAPAN-cosmos下

私たちの歴史のなかでは、輝かしい科学文明が花を開いたことが一度だけあった。それはイオニア人たちが目をさましたおかげであった。その科学文明のとりでは、アレキサンドリアの図書館だった。そこで2000年ほど前、古代のもっとも優れた科学者たちが、数学、物理学、生物学、天文学、文学、地理学、医学などの基礎を築いた。私たちは、いまも、その基礎のうえに立っている。
(中略)
ここには、現代の世界のタネが、はっきりとみられる。このタネが根を広げ、花を咲かせるのを、何が妨げてきたのだろうか。
コロンブスやコペルニクスや、その時代の人たちが、アレキサンドリアでなされた研究を再発見するときまで、西洋の社会は1000年ものあいだ暗闇のなかに眠っていた。それは、なぜなのか。
私は、この問題に、単純な答えを出すことはできない。しかし、私はつぎのことを知っている。アレキサンドリア図書館の歴史を通じて、そこの有名な科学者や学者たちが、そのころの社会の政治的、経済的、宗教的な仮説に真剣に取り組んだ、という記録はどこにもない、ということだ。
星の不変性については研究されたが、奴隷制度が正しいかどうかは研究されなかった。当時、科学と学問とは、特権的な、少数の人たちだけのものだった。アレキサンドリアの数多くの人たちは、図書館のなかで、どのような偉大な発見がなされているかについて、露ほどの知識も持ち合わせてはいなかった。新しい発見は説明されることも、広く多くの人に知らされることもなかった。
研究の成果は、一般の人たちの役には、ほとんど立たなかった。機械や蒸気技術の発見は、主として武器の完成や、迷信の強化や、王様の楽しみのために、役立てられた。科学者は、人びとを苦役から解放するために機械の力を役立てようとは一度もしなかった。
古代の偉大な知的業績が、すぐに実用面に応用されることはほとんどなかった。科学が大衆の想像力をかき立てることも決してなかった。
沈滞や悲観論や、神秘主義へのもっともいまわしい降伏を止める力は、どこにもなかった。そして、ついに暴徒が図書館に焼き打ちをかける日がやってきた。そのとき、彼らを止める者は、だれもいなかった。
この図書館で最後まで働いていた科学者は、数学者であり、天文学者であり、物理学者であり、新プラトン派哲学の指導者でもあった。この人は、あらゆる時代のどの科学者よりも幅広い業績を残した。
この人は、ヒパチアという名の女性であった。
彼女は、西暦370年にアレキサンドリアで生まれた。当時、女性たちは、自分たちの進路を自ら選ぶことはほとんどできず、また、財産の一種と考えられていた。しかし、ヒパチアは、自由に、無意識のうちに、伝統的な男性の領域へとはいりこんでいった。
彼女は非常な美人であった、とあらゆる記録が述べている。彼女に結婚を申し込んだ男性は数多くいたが、彼女はそのような申し入れのすべてをことわった。
ヒパチアの時代のアレキサンドリアは、すでに長いあいだローマの統治下にあり、街は非常に緊張していた。奴隷制度が、古典的な文明社会から活力を奪っていた。キリスト教の教会は、次第に大きくなり、力を強めつつあった。そして、異教徒の影響力や文化を消し去ろうと試みつつあった。
ヒパチアは、そのような激しい社会的勢力の震源地のうえに立っていた。アレキサンドリアの教会の主教であったキュリロスは、ヒパチアをひどく嫌った。なぜなら、彼女はローマの知事と親しくしていたし、学問と科学のシンボルでもあったからである。昔の教会は、学問と科学とを、異教徒のすることとみなしていた。
彼女は、個人的にきわめて危険な立場にいたが、しかし、学問を教えたり、本を出版したりすることはやめなかった。しかし、西暦415年、彼女は仕事に向かう途中、キュリロスの教区民である狂信的な暴徒に襲われた。
彼らはヒパチアを馬車から引き降ろし、着物を引き裂き、アワビの貝がらで彼女の肉を骨からはがした。彼女の遺体は焼かれ、彼女の仕事は消し去られ、彼女の名前は忘れられた。そして、キュリロスは、聖人にまつられた。

僕の仕事の関係で、女性の上司がFMラジオの生放送に出ることになった。
放送時間は10分間もある。
前日から弱気で「私、こういうの苦手なの。生放送なんて。」と言う。
「大丈夫ですよ。失敗したと思ったら、大声でピーって言えばいいんです。」
そう教えておいた。


当日、僕は別室で、彼女が電話を通して行っている生放送を聴いていた。
普段よりかなり大人しく、声も小さめだ。
アナウンサーが言うことに、「はい。」とか「そうです。」みたいなことしか言わない。
どうしちゃったんだよ。聴きながら不安になってきた。


「職場の近くに新築の寮があるんですよね」とアナウンサーが言う。
「そうです。徒歩500メートルのところに。」


徒歩500メートル?交通手段で距離が変わるのか!
やっちゃったな。と一瞬思ったけれど、面白かったので、爆笑した。
終わったあと、その上司に「徒歩5分はわかるけど、徒歩500メートルって斬新ですね。寮まで車だと何メートルくらいになるんですか?」なんて言っていじめていたら「うるさい!」って怒られた。


今週も金曜日の夜に実家に帰った。
夜は9時には寝て、朝は7時過ぎまで寝ている。
そして朝ご飯を作って、食べて、それからまた寝る。
そんな風にして、土曜日は1日のほとんどを寝て過ごした。
高校時代に、友達に「俺は死ぬまで寝ていたい」なんて言っていたのを思い出した。
確かに実家では信じられないくらい寝られる。


そんな怠惰な生活をしていたら、天罰なのか、隣の家から電話がかかってきて、日曜日に実家の地元の運動会の飲み会の設営を手伝うようにと言われる。
めんどくさいなあ、と正直思う。俺は昔っから運動会なんて大嫌いなのだ。
おまけに母がおなかが痛いなんて言い出す。下痢が続いているのだそうだ。
母に下痢止めの薬を飲ませる。脱水にならないようにと姉から電話で注意をされる。
「どうなの?具合は。」
「だからさっきも言ったように下痢みたいだけど。」
「ひどいの?いつから?」
「知らないよ。知るわけないだろう。」
「なんで知らないのよ!」
姉との姉弟関係も長いが、なかなか分かり合うことができない。


運動会は前日の雨で中止になったが、午後4時からの飲み会は行うのだという。
3時30分頃に集会所に行くと、近所の人が働いていたので手伝う。
ビールやコップを1階から2階まで持ち上げたり、料理を運んだりした。
ちょうど疲れてきた頃、飲み会が始まった。
「母が脱水症状を起こしているみたいなので、これで帰ります。」
そういって僕は一杯も飲まずに、飲み会の会場を後にした。


実家に帰ると、姉が僕の部屋の本を整理するのだと言う。
「まじで?そこに手を出すと大変だぞ。」
警告するが、どうしてもするのだという。
「廃品回収に出す売れない本」「売れる本」「残しておく本」の3種類に分けろというので、分ける。
本の多さに圧倒される。
「売れる本」と「廃品回収に出す売れない本」が多い。
残しておく本に僕が選んでいるものはSFが多い。俺はサスペンスよりもSFに価値を置いているんだなあ、と自分の行動を通じて自分をまた少し知った。


百科事典の入っていた大きな本棚は、姉が「解体して、月曜日に処分場に持って行く」と言う。
「解体?」
「ハンマー1つあればできるわよ。あなたが高校時代まで使っていた机もそれで解体したんだから。」
「あの机、壊しちゃったの?まだ姪が使っているんだと思っていた。」
「小さいし、もう古いから。」
ショックを隠せない状態の僕に姉は平気な顔で言う。
「本棚も壊すから、庭に運んで。」
庭で本棚を壊す。確かに、ハンマー1つあれば解体も簡単だ。ハンマーで叩くと、金属製の木ねじが飛び出してくる。
それから、また部屋に戻って本の仕分け作業をする。


夕食は、母の体調も考えて、消化のいいうどんにした。
母が取り寄せた讃岐うどんで、作るのに手間はけっこうかかったけれど、ダシの味がすばらしかった。


夕食後、ブックオフに本を売りに行った。140冊くらい持ち込んで、そのうち15冊くらいは値が付かなかった。残りの125冊で5200円だった。
高いのか安いのかよくわからない。
でも帰りの車のなかで「売っちゃったんだなあ」とため息が出た。
一度楽しませてくれた本を売ることが、こんなにさびしいことだとは知らなかった。
値をつけられるというのも(それも1冊数10円という値段に)、悔しい思いがした。
本を焼く人は、いずれ人を焼くようになるのだという文句が運転をしながら何度も頭に浮かび、別に俺は焼いたわけじゃないと、何度も自分にいいわけをした。


日曜日の夜はそんなわけで、家に帰ってからも1人で片付けを続けて、11時過ぎまで部屋の整理をしていた。
部屋は随分と広くなった気がしたけれど、まだまだくだらないがらくたが山のようにある。


月曜日の朝、姉と解体した本棚を市の焼却場まで運ぶ。
焼却場にいたのはすごく親切な職員で、車から運び出すのを手伝ってくれた。


もう使う当てのないワープロやプリンタも処理した。
これは別の最終処分場に運び込む。
以前、姉が運び込んだときは処分場の職員に山ほど文句を言われたらしいが、今回は警戒もしていたので、もめることもなく、それなりに和やかに処分を頼むことができた。


実家に帰ると、母が相変わらずおなかが痛いという。僕も痛くなってきた。
それから、やっぱり朝食のときに鮭をもっと焦げ目が出るまで焼くべきだった、などということを後悔しながら、布団に潜って苦しんでいた。


昼過ぎにある程度快復したので、また長野まで戻った。
ここにも本がいっぱいあるなあ、と思う。
休日があれば、整理ができるのに。
3連休も過ぎてしまうとあっという間だ。

今週も金曜日の夜に実家に帰った。


土曜日は素晴らしくきれいに晴れ渡った一日で、暑くもなく寒くもなく、快適だった。
姉が午前中に来て、2人で母のシーツを交換したり、洗濯をしたりした。


その後、母を連れて秋の道をドライブした。
母は梨を買いたがり、選果場に車を駐めて、大きな梨をいくつか買って帰ってきた。


帰ってきてから昼ご飯を作り、それを食べると、僕は眠たくなってそのまま2階にある自分の部屋で寝てしまった。


3時30分頃に起きて、そう言えば2時頃にシャワーを浴びると言っていた母はどうなったのかと見に行った。


もうシャワーも終えて、ベッドに横になっていた。ずいぶんと疲れた様子だったので声をかけると「気持ちよくて、つい長時間シャワーを浴びてしまった」と言って目をつぶっていた。本当に疲れたらしい。
翌朝も、体に力が入らないと、朝からふらついていた。
(僕が長野に戻った後、姉からのメールで、母が朝飲む薬と夜飲む薬を間違えていたらしく、ふらついていたのはそれも一因ではないかという。)


僕もそろそろ勉強を頑張らないといけない時期になってきた。
実家の自分の部屋を整理し、勉強できる環境を作り始めた。
実家の自分の部屋に積もりに積もったがらくたを処分していく。それにしても、世界中からよくこれだけ不必要なものを集めたものだと、自分のことながら呆れた気持ちでいっぱいになる。
塗ると色の変わる口紅が1ダースほども出てきた。
いったい、誰にあげるつもりだったのか。自分の馬鹿さ加減に涙が出そうだ。


本気で、勉強するときには、僕は机を部屋の真ん中に置く。
寝るときは別室だ。


それにしてもあまりにもひどい環境なので、環境作りが少し進んだだけで疲れてしまい、すぐに寝てしまう。
寝ながら、読まなければならない法律の本を片隅に追いやり、ロベルト・ボラーニョという現代文学の巨人と言われる人の書いた「通話」(白水社)という短編集を読み始める。


My Kiasu Life in JAPAN-通話

チリやスペインの現代史に詳しくない僕には、作品の背景となっている社会情勢がよくわからないので、読んでいてもあまり面白くない。読解力も不足しているのだろう。
それでも、法律書を読みたくないがために無理して読み進め、とうとう法律のテキストを40ページほど読む間に、1冊読み終えてしまう。


僕はこの短編集のなかでは、「芋虫」と「アン・ムーアの一生」が気に入った。
特に、理解をして気に入ったわけではなく、ただ「芋虫」では、自分の高校時代を振り返ることができたことと、「アン・ムーアの一生」では、セックスとドラッグに溺れ、結婚から逃げ出し、誠実だった相手を自殺させ、それでも人生を肯定的に生きているアン・ムーアに(もちろん、どう見ても彼女は負け犬だけれど)、どこか勇気づけられたからだ。
ここまでひどくても、人は生きていけるのだと、彼女が示してくれた気がしたからだ。


日曜日の朝、僕が部屋を整理していると、姉が来て、カセットテープが山ほど入った棚を処分するのを手伝ってくれる。もう、僕の家にはカセットテープを聴くコンポもないのだ。
棚は姉が処分してくれるという。


テープとタイトルの紙を可燃ゴミの袋に突っ込み、ケースを不燃ゴミの袋に突っ込む。
その作業中、ケースだけでテープのないものがあった。
ケースには手書きで「The doors Morison's day」と書いてある。
俺の最初の彼女がくれたテープだとすぐに思い出した。


好きなバンドはベイ・シティ・ローラーズとドアーズ。
そんな女の子がいると知って、僕は彼女こそ僕にぴったりの人だと思った。
僕たちは仲がよかった。僕はあまり怒らなかったし、彼女も僕を怒らなかった。


ドアーズの個人的なベストアルバムを作ると彼女が言って、それがこのテープだった。
僕はクリスタル・シップとピープル・アー・ストレインジとソウル・キッチンを入れてもらった。
今なら、LAウーマンやライダー・オン・ザ・ストームも入れてもらうところだけれど、その2曲は入っていない。


ときどき、彼女は古着屋で買ったといって、モリソン風の服を着てきた。
最初の頃、僕は彼女と会う約束をするたびに、38度や39度の高熱を出し、よくふらつきながらデートをした。
気持ちが悪くてあまり食事もできず、「会うたびに風邪を引くなんて、私のことが嫌いなの?」と聞かれたことを覚えている。
「そんなに器用に風邪を引けるわけないだろ。」


でも、結局、別れてしまって(僕が振ったような形になってしまった)、そのおかげで今こうして、僕は孤独なままでドアーズを聴きながら、ブログを書くことができる。


あの頃を取り戻すことができるなら…。いや。もうやめよう。


ケースだけ取っておくのも意味がないと思ったので、手書きのタイトルは可燃ゴミの袋へ、ケースは不燃ゴミの袋へ放り込んだ。彼女の笑顔や、泣き顔や、甘えたような声が一瞬よみがえって、それから俺と無関係な世界に消えていった。
もう2度と会うことはないんだと自分に何度か言い聞かせた。
今度もし会っても、もう彼女も別人になってるよ。
そう思った。


長野まで、高速道路を運転して帰りながら、立川志の輔の「らくごのごらく1 ハンドタオル・死神」のCDを聴きながら帰ってきた。
姉が最近、志の輔の公演に行き、志の輔は本当に面白いと言っていたのが気になっていたからだ。あんなに大笑いしたことは、最近なかったと。


My Kiasu Life in JAPAN-らくごのごらく

確かに笑えるし、何よりも賢い。
ここのところ、先代の円楽をよく聴いていて、確かに円楽も文句なくいいのだが(円楽にはリアリティがある)、志の輔の落語には賢さがある。
このままでは話が行き詰まる、と思っているときに、思わぬ見事な展開をし、それがよく考えると最も優れた解決方法だとわかって、みんな安心して笑えるのだ。
特に「ハンドタオル」は、これが新作落語のお手本だというような素晴らしい作品だった。
まくらもいい。
トラックを不必要に切ってあるので、途中で噺がぷつっと切れるのが、多少気にはなったがいいCDだと思う。


DVDで高倉健の映画「遙かなる山の呼び声」を観た。


My Kiasu Life in JAPAN-遙かなる山の呼び声

倍賞智恵子がいい。。
若い女の子たちは無意味にダイエットをしているが、倍賞智恵子を見ていると、彼女は働いて体を動かせるように、やせているのだということがわかる。
やせることは目的ではなく、手段なのだ。


My Kiasu Life in JAPAN-遙かなる山の呼び声1

同じように高倉健の筋肉も、作った筋肉ではなく、柔らかでしなやかな強さを感じる。
無意味に血管が浮き出ず、動きやすそうな体なのだ。


My Kiasu Life in JAPAN-遙かなる山の呼び声2

ハナ肇の演技もいい。悪には悪の道理があり、一度高倉健に喧嘩で負けると、完全に子分になってしまう潔さがさっぱりしていていい。そんな脚本で、それを無理なく演じている。


今のドラマは狡さばかりが目につくが、こういう狡さのまったくないおとぎ話のようなお話も、たまに観るにはいいよなあ、と思った。

今週も金曜日の夜、実家に帰った。
夜の高速道路を走っていると、抜く車にトラックが多いような気がして、運転に気を遣う。
気がつくと時速90キロ前後で走っていることがあって、弱気だなあと思ったりするけれど、アクセルを踏み込む勇気がなかなか出てこない。
疲れてるのかなあ?まあ、そうなんだろうなあ。
サービスエリアに行って目をつぶるが、なかなか回復しない。
いつもよりも実家に着くまでに時間がかかった。


実家の近くに小学校がある。
土曜日は保育園の、日曜日には幼稚園の運動会があって、週末の間、1日中騒がしかった。
ああ俺も幼稚園の頃、運動会に行ったなあ、と思い出す。


走っていって、途中でコートを着て、それからまた走ってゴールするという競技があった。
僕が走っていくと、コートの袖の部分が、前の人が脱いだままで、内側に引きづり出されていて、どうやって着たらいいのかわからずに困った。
それでモタモタしていたら、シスターにも怒られるし、家に帰ってからも親に怒られるし、理不尽な気持ちでいっぱいだったけれど、ただ怒られていた。


そんなこともあったし、昔から足が遅かったせいもあって、僕はずっと運動会が嫌いで、親に見られることも心の底からいやだった。


小学校6年のときは、僕はなんだか知らないけれど、運動会のリーダーみたいなことをさせられていた。
リハーサル時にうまくいかないことがあると、何でもかんでも俺のせいにされて、それから教師という職業も世界で一番嫌いになった。こちらは未だに治らず、未だに教師が嫌いだ。
来れば必ず怒られるので、親には参観日に来てもらうことも嫌いだった。


俺が親になったら絶対に運動会にも参観日にも行かないようにしよう(子供のために)。
子供が親に来てほしいというのは嘘だという気持ちを忘れないでいよう。
そう、子供の頃は思っていたが、いろんな人に話を聞いてみると、僕は圧倒的に少数派で、多くの子供は親が来るのを本当に心待ちにしているらしい。
信じられない話だ。おまけに、撮影までしてもらって喜ぶらしい。
俺なら運動会でドジしている姿を録画なんかされていた日には、間違いなくグレるだろう。


運動会と聞くと、そんなわけで、僕は気分がむかむかしていたものだったが、ようやく大人になったせいか、俺に関係がなくていいんなら、盛大にやってくれ、と大らかな気持ちでいられるようになった。
運動会での遊戯なのかグランド・ファンク・レイルロードの「ロコモーション」が流れているのを聴いたりしていると、自然に微笑みが広がっているのを感じる。
「選曲がいかしていていいよな」なんて思う。
もう俺には関係がない世界なんだと思うと、嬉しくてほっとする。
スピーカーからの大音量の声を聴きながら、つい昼寝をしてしまう。


実家に鳩時計があって、時報のたびに鳴く。
1時なら1回、2時なら2回、12時だと12回鳴く。
そのほかにも30分に1回鳴く。


普段は気にとめていないが、目が覚めてくると、布団のなかで目をつぶったまま何回鳴いたか確認をする。
3回しか鳴かないとまだまだ眠れると思ってほっとするが、7回も鳴かれたりすると、もう起きないといけないのかと腹立たしい。
実家に来ると本当によく眠ってしまう。


食事は僕が作るが、もうベッドにまでは運ばず、母が台所まで歩いてくる。
「あなたに食事を作ってもらうなんて情けない」と母は泣く。
反応に困る。
「私が作るよりもおいしい」と言われるとさらに反応に困る。
「だろ?」とでも言えばいいのだろうか。
僕は基本的に15分以上かかるような料理は一切作らないけれど、それなりにおいしい料理は作れる。


今回は長芋のとろろを作ってみた。
すりこぎでするなんて工程は、めんどくさいので当然しない。


長芋の皮をむき、大根をおろすようにおろし金でする。
皮はむかなくていいという説もあるが、あのすね毛みたいな根っこを見たら、俺は食欲を失うので、めんどくさいと泣きながら、ピーラーを使ってむく。僕の理想は、すべての食材がバナナのように、簡単に皮がめくれるようになることだ。
ペットボトルに入っている液体の味噌(これはいろいろに超便利。でも、ときどきボヘッという音とともに大量の味噌を吹き出して、すべてを台無しにすることもある。姉貴は化学調味料が入っているからとあまり使わない。僕はめんどくさいから当然使う。)とだし汁を適当に足す。
西友で売っていたカレイの切り身を焼き、焼き終わったら、「あちあち」と言いながら手で骨を外し、身を長芋のなかに落とし込む。実際には身が柔らかいので、勝手に落ちていくはずだ。完全に骨が取り切れていないか不安があっても大丈夫。食べるときに「骨が入っているかもしれない」と一応、一声かければいい。
また、このとき、実家にはフードプロセッサーがあることを頭に思い浮かべるが、あんな道具をおまえは本当に洗うのか?と自問自答して、結局使わない。
卵の黄身も入れる。
すべてを普通の箸でぐちゃぐちゃにかきまぜて、ごはん(白米)にかけ、最後に、なぜかわからないけれどおまじないのように焼き海苔をのせる。
麦ご飯にしないのは、めんどくさいから。
できあがり。


実際には、カレイを焼くところから始めるから、13分くらいでできるはずだ。
当然、並行して味噌汁なんかも作る。料理は絶対にスピードが大切だ。
何もないときでも食器や道具を洗ったり、何かすることが必ずある。
口は動かしていてもいいけれど、手も絶対に料理の間は止めたらだめだと思う。


そんな感じで週末を過ごして、また長野に戻ってきた。


DVDで「シャーロック・ホームズ」を観た。


My Kiasu Life in JAPAN-シャーロックホームズ

以前、ベーカーストリートの221B(ホームズの事務所はここにある設定になっている)に行ったことがある。確かホームズの銅像が建っていた。でも、あまり人気がないようだった。


僕は一応、4編以外はホームズはすべて読んだ。4編が何なのか知らないが、読んでいた当時は未訳ということで、日本に存在しなかったのだから仕方がない。
ホームズの真似をして、パイプ煙草も大学時代、2年くらい吸っていた。
煙草会社のブレンドとは無関係に、自分の好きな香りや味にできることがパイプ煙草の魅力だ。
100%バニラ風味、ということもできる。


My Kiasu Life in JAPAN-シャーロックホームズ1

映画を観ていると、自分も煙草が吸いたくなってきて困った。
煙草は部屋のどこかにあるとは思っていたけれど、灰皿とかを用意するのが面倒であきらめた。
代わりに最近、はまっているチョコレートを2枚ほど食べてしまった。


My Kiasu Life in JAPAN-シャーロックホームズ2

映画はばかばかしいものの、それなりに面白く、会話が皮肉たっぷりなのもイギリス流で気に入った。
映画のなかで電車の出発が遅れ、そのことについて駅員と話しているのを見て、「その当時から100年くらいは経ったと思うけど、未だに毎日遅れてるよ」と登場人物に話しかけたい気がした。


ご都合主義はもちろんふんだんだけど、でも会話が楽しく、この映画なら、もう一度観てもいいと思った。

土曜日に宿舎で、畳替えの予定が入っていた。
土曜日の朝には、宿舎にいて、業者が畳を持ち出すのを見ていなければならない。
夕方は、業者が畳を入れるのを見ている必要はない。
業者が朝、畳を運び出すときに、部屋の合い鍵を渡して、「終わったら、ポストから鍵を放り込んでおいてくれ」と言えばいいだけだから。


ここのところ、金曜日の夜といえば、実家に帰っていた。
でも土曜日の朝、宿舎にいるということは、金曜日の夜に長野にいるということだ。
金曜日の夜には、以前の職場の仲間たちと長野の繁華街である権堂で飲んでいた。
久しぶりに会う仲間と、世界で一番くだらない話をする。
楽しく飲み歩いていたが、帰ってきたのは3時過ぎ。


翌朝、二日酔いのぼんやりとした頭で、昨晩、飲み歩いていたときの自分を思い出す。
昨日行った店を何軒も思い出す。
遊び慣れてるよなあ、すごいよなあと思う。
財布のなかに、お札が1枚も入っていない。特に意識もしてないのに、帰りの代行代だけをキープして飲み、ちゃんと帰ってこられるのが不思議だ。
自分の中に、小学校の頃読んでいた、北欧神話のいたずら好きの神であるロキが潜んでいて、酔っぱらう度に顔を出してくるような気がした。


畳替えの業者が畳を運び出してくれるのを二日酔いの顔でぼんやりと見ていた。合い鍵を渡し「終わったら、ポストから鍵を放り込んでくれればいい」と言う。
畳のなくなった部屋の真ん中に残されたベッドに体を横たえる。
複雑で後味の悪い夢をたくさん見た。


昼頃にあまりの空腹で目を覚ました。
昨日、最後まで飲んでいた友達に電話をする。


「昨日、途中でお金がなくなったって言ってたよね。帰れた?」
「なんとか。」
「ごめん。俺、反省した。あんなに飲み歩いてちゃいけないって。」
「僕を引っ張って、僕が嫌だというのに、次から次へと店に連れて行って。大人が子供を連れ回すみたいな感じでしたよ。」
「…よくわからないな。それって、俺が子供っぽかったって意味?」
「違いますよ。先輩が大人です。」
「そうか。そうさせられていたんだよな、君に。仕向けられていたんだ。俺は。あのとき…。」
「違いますよ。でも、またよろしくお願いします。」


畳替えの業者が畳を持って来る前の、午後4時頃に宿舎を出て、実家に向かった。
まだ気持ち悪かったが、捕まってもアルコールが検出されることはなさそうだった。
高速道路は車両火災などで通行止めの箇所が多くあって、実家まで帰るのはいつもよりも時間がかかった。


実家に着くと、姉が夕食を用意していてくれた。
それを食べて、9時頃には寝た。
そしてまた、変な夢をたくさん見た。
アルコールは本当に精神的にも肉体的にも残す影響が大きすぎるよな、と思った。


日曜日の朝から、月曜日の昼まで、母の食事はすべて僕が作った。
母は心拍数がとても高く、すぐに息切れもするが、症状は落ち着いているようだった。
「私は、治るのかしら。」
「治るだろ。きっと。治るよ。」
すぐにハアハアと苦しそうに息切れをする母を見ていると、本当に、早くよくなるといいなあ、と思う。


そういえば、本が出版された。
以前、東京の職場でいっしょだった友達が、本を書くと言い、僕も少しだけ協力したのだ。


My Kiasu Life in JAPAN-start book

僕が書いた文章を、学陽書房という法律書を出すような出版社が、校正をしてくれる。
日本語の能力が高くて、僕が言いたかったことを、べつの表現に代えてくれる。
校正が、本当に的確なので、指摘を受けている最中にも、すごくいい医者にかかっているような気がしていた。


執筆に協力したということで、僕にも完成した本が送られてきた。
こんなに嬉しいものだとは思わなかった。
俺でさえ、嬉しいのだから、メインで執筆していた友達はきっとすごく嬉しいだろうなあ、と思った。
それから、飲み話で終わらせずに、本当に本にまでするなんて、あいつの実行力ってすごいなあ、と思った。


ハート・ロッカーを観た。


My Kiasu Life in JAPAN-hurt locker

イラクの市街地で、命がけで爆発物を取り除く兵士たちの話だ。
彼らは命を戦場でやりとりをする。
失敗すれば死に、成功すれば明日もまた戦場に行くことができる。


My Kiasu Life in JAPAN-hurt locker1

平和な祖国は、戦場で暮らした兵士から見ると豊か過ぎる。1本のジュースを命がけで飲む戦場から見ると、食料が豊富にありすぎる世界はむしろ異常で、ここが自分が生きる場所だとは思えない。
平和で豊かな生活に疲れ、兵士たちのなかには、再び戦場に行く者もいる。


My Kiasu Life in JAPAN-hurt locker2

こういう映画を見ると、僕はあの戦争について何も知らなかったんだということを痛感する。そして自分の精神的な弱さも、肉体的な弱さも、改めて感じる。
俺にはこの戦場は、耐えられないだろうと思う。


いい映画で、僕自身は個人的には、何度も見直すべき映画のように思う。
僕に足りないところをこの映画は示してくれているように思った。


それから「重力ピエロ」もDVDで観た。


My Kiasu Life in JAPAN-重力ピエロ

母親がレイプされて生まれた弟。本当の父親は連続強姦魔。
育ての父親は地方公務員。
人を性格づけるのは、遺伝なのか、環境なのか。


小説では面白かったが、映画ではつまらなかった。
映像になればなるほど現実感が薄くなり、くだらない作り話に見える。
30件もの余罪がある連続強姦単独犯も、短期間に10件以上重ねられる放火単独犯も、これだけ証拠があるのに捕まえられない警察なんかいるわけないだろ、と思う。
出演者も、演技力がほとんど要求されないこの映画に、力を持て余しているように見えた。


My Kiasu Life in JAPAN-重力ピエロ1

でも、今の日本はこうなのかもしれないな、という覚めた視点でも見ていた。
悲しくても泣きわめかず、自分を殺し、自分が認める数少ないものだけを愛し、裏で手を回し、表では淡々と日々を過ごしていく。
韓国映画に見られるようなムダな熱さがなく、ぬるい。
観ていてもつまらないが、役者だって、泣いたり怒ったりわめいたりできる方が面白いだろう。


My Kiasu Life in JAPAN-重力ピエロ2

途中から、映画のあまりのつまらなさにうんざりとして、字幕を英語にして、英語の勉強用教材だと無理して思いながら、最後まで観た。


民事訴訟法のテキストを読み終わった。読み終わっただけで、何一つマスターしていないような気がするけれど、それでも、今の段階では、読み切ることが大切だと思っている。ペースはまあまあだと思う。

水曜日に、職場で3人掛けの重い木のイスを持ち上げようとして腰をひねってしまった。そのときは「やっちゃったなあ。痛いなあ」という思っただけだったけれど、翌朝から腰が痛くてたまらなくなり、物事を集中して考えられなくなって困った。左足をつくと鈍痛が来るので、右足体重で歩いていた。


職場近くの薬局で「アンメルツゴールドEX」というすごい名前の薬を買って塗っていたら、塗った場所がとても熱くなって、「アチ!アチ!」なんて心のなかで叫ぶくらいだったけれど、不思議とその後、痛みが引いて、夕方頃には普通に歩けるほどに快復した。
もう今では痛みはかなり引き、どこか遠いところでたまに痛む程度になっている。全治4日程度の筋肉痛ってことだったのだと思う。


金曜日の午後、仕事を半日休んで実家に帰り、医師から母の病状について話を聞いた。


今年の夏は暑く、熱中症対策として水を飲むことの重要性が連日のように報道された結果、必要以上に水を飲んだ心臓病の患者の心臓が、増えた血液を処理しきれなくなって、肺炎を起こしたり肝臓に鬱血をしたりむくんだりしたらしい。
「今年はそういうわけで、夏なのにむくむ患者が多くて、ちょっと異常です。」


母もむくみがひどくて入院をしたのだが、母の場合は微妙なコントロールが必要で、ただ利尿剤を飲ませて水を出せばいいだけではないらしい。その説明を受けた。難しい病気なんだということはよくわかった。


土曜日の朝、母が退院した。完治というわけではないのだけれど、退院と聞いて、母は嬉しそうだった。
母が入院をしている間、ずっと付いていてくれた看護実習中の学生が、休みの日だというのに、母の退院を聞いて病室に駆けつけてくれた。
「いろいろ勉強になりました。ありがとうございました。退院おめでとうございます。」
頭を下げている学生に、こちらの方こそありがたく、本当にいい子なんだなあと思った。


久しぶりに、実家で母に夕食を作ってあげた。
ジャガイモを茹でてオリーブオイルで炒め、ついでに鶏のササミとピーマンとトマトも炒めて、最後にバターとビールで作ったソースをかける、というあり合わせのもので作った簡単な料理だ。
冷凍だったササミの肉があまりおいしくなくて、味は今ひとつって感じだったけれど、母は嬉しそうだった。


その他の時間は基本的には暇だったので、カール・ハイアセンの「復讐はお好き?」(文春文庫)を読み始めたら、土曜日のうちに全部読んでしまった。


My Kiasu Life in JAPAN-復讐はお好き?

法律のテキストは10ページ読むのにも一苦労なのに、550ページもある小説を簡単に1日で読破してしまうあたり、俺のなかの何かが間違っている感が否めない。


この「復讐はお好き?」はろくでもない夫に殺されかけた妻が、死んだふりをしたまま夫に復讐を図るというシンプルなストーリーだが、挿入されるストーリーに含蓄の深いものが多くあり、この本のなかから学んだものも多かった。


尻に鉄砲の弾が食い込んだままになっていて、痛みのあまり貼付型の麻酔薬フェンタニルを盗んでいた男が(正確には、ホスピスに忍び込んで、意識がもうろうとしている患者から引っぱがして自分に貼る)、ガンの終末期の女性患者から諭されるシーンは印象的だった。


「わたしが信じているのは、ひとはいくつになっても変わることができるってことよ。わたしはいま81歳だけど、それでも今日より明日のほうがよりよい人間になれると思っている。明日がなくなるまで信念は変えないつもりよ。」


読みながら、俺もこういう信念を持とうと思った。今日より明日のほうが賢く、人に対して優しく誠実でいられるように努力をしようと。それが少しでも、と思った。


読み終わった後、法律の知識を身につけようと一応、テキストも読みはじめたのだが、本当に少ししか賢くなった気がしないほど、少ししか読まなかった。でもまあいい。少しずつ自分を変えていけばいい。俺は人にも自分にも、もともとかなり寛大だ。


DVDで松田優作の映画「最も危険な遊戯」を見た。70年代の映画で、古さは否めない。


My Kiasu Life in JAPAN-最も危険な遊技

たった1人の男が警察権力に勝てるという発想が、21世紀に生きる僕たちにはもうない。
それから警察が1人の男を確保するために、その恋人を誘拐(正確には略取)することもあり得ないことを知っているし、走っている車を、人間が走って追いかけ、追いついてしまうということがあり得ないことも知っている。
でも、それでもこの映画は楽しめる。


松田優作の魅力は不思議な魅力だ。走っているシーンを見ながら同じ人間だと思えなかった。だからあり得ない設定でも、それなりの納得ができるのだと思う。似た俳優がどれだけ努力をしても、松田優作にはなれない気がする。これだけやりたい放題やって、しかも魅力を感じさせるのはいったい何なのだろうと思う。


70年代のこの映画を観ていると、女優にもリアリティのある強さや美しさを感じる。こんな女がいたらなあ、と思う。裸のシーンを見ても、きれいだなあ、と思う。
まあたとえ身近にいたとしても、もちろん、相手にはされないだろうけれど。

母がまた月曜日に入院した。
元気になっていると思っていたので、入院したと聞いてかなりショックだった。
「あなたが帰ってきて、頑張りすぎたから」と姉は僕を責めるが、帰らなければ怒られ、帰れば帰ったで怒られ、じゃあ俺はどうすればいいんだ、と思う。


だからというわけでもないが、今週末は実家には帰らず、金沢に行った。
高速道路を運転して糸魚川駅まで行き、そこから金沢まで特急に乗った。


糸魚川駅まで行く間、ずっと木村カエラのベスト盤CDを聴いていた(今頃!)。


My Kiasu Life in JAPAN-木村カエラ

俺たちのようなロック好きの大人も十分に聴ける本格的なロックCDだ。
テレビに出てくる奴らのたいていの音楽は、ダンスはうまいのかもしれないが、曲もださく詩もばかばかしく、次のサービスエリアに着いたらCDをゴミ箱に叩き込んでしまおう、と思うほど腹が立つものが多いが、木村カエラの音楽は安心して聴ける。宇多田ヒカルのように歌が圧倒的にうまい訳じゃないけど、ロック好きにはこっちの方が絶対にいい。
小中学生のよくわかってないやつから金を巻き上げようというのではなく、音楽をキチンと作ろうという誠実さと賢さを感じる。いい子だよなあ、って聴きながら思う。


高校の頃、地学が好きだったので「糸魚川静岡構造線」のことは何度も読んでいた。
「どんなところなのだろう」とその頃から思っていた。
実際に行ってみると、糸魚川は大きなセメント工場が広がる、昭和を感じる街だった。
駅前の有料駐車場に車を駐めて、電車が来るまで街を歩いたけれど、ひすいなどを観光客に売っている店があるだけで、僕が興味をひかれるようなものは何もなかった。


糸魚川から金沢までは1時間30分くらいかかった。
初めて見る金沢はビルが建ち並ぶ都会だったが、人が少なく、それから仙台のような垢抜けた感じがなかった。
暑くて、ホテルにチェックインすると、シャワーを浴びて、夕方まで寝ていた。


夕方になって、友達と会い、21世紀美術館を見て、金沢城公園を歩いた。
美術館は収蔵品が思ったよりも少なく、金沢城公園には広大な芝生の上にカラスばかりがいっぱいいて、なんだかつまらなかった。


食事はカニやノドグロなどが出て豪華だったし、たっぷり過ぎるほどの量が出て、食べ過ぎで苦しいほどだったが、お客が僕たちしかいないせいでどこか気詰まりだった。
友達とは別れ、そのままホテルに戻って寝た。まだ9時頃だったのだが、やたらと眠くて、寝てしまった。
起きたらもう7時だった。


起きてから少し勉強をして、駅前のオイスターバーで牡蠣を6つばかり食べて、それで金沢の旅行は終わりだった。


日本海側に行ったら、何か人生の転機みたいなものにぶつかるような予感がしていたが、大はずれだった。
糸魚川駅から、また木村カエラを聴きながら、車をぶっ飛ばして帰ってきた。


DVDで「消されたヘッドライン」というサスペンス映画を観た。


My Kiasu Life in JAPAN-消されたヘッドライン

ハリウッド映画らしく、主人公の新聞記者役のラッセル・クロウの相棒は、とても新聞記者には思えない超美人。
この段階で「あり得ない」とため息が出たが、その後、どんでん返しのたびに話が小さくなっていくという展開は意外だった。


My Kiasu Life in JAPAN-消されたヘッドライン12

My Kiasu Life in JAPAN-消されたヘッドライン1

ちなみに、「消されたヘッドライン」という邦題は意味不明で、正しくは(どのタイミングをタイトルにするかは考えものだけど)「載せなかったヘッドライン」「消されそうになったヘッドライン」、「消されてもべつによかったヘッドライン」、「締め切りを待たせたけれど、何とか間に合ったヘッドライン」だと思う。消されたヘッドラインは特にない。


「脳内ニューヨーク」もDVDで観た。


My Kiasu Life in JAPAN-脳内ニューヨーク

正直言って意味不明。134分もの間、この暗く、よくわからない映画につきあった自分をほめてやりたいと思う。
この映画は23もの映画賞を取っているらしいのだが、どのあたりがいいのかを説明をしてもらいたいところだ。
ストーリーはあまりに面倒で説明する気もさらさらないが、なぜ、チケット売りの恋人の家はいつも壁が燃えている(火事の状態)のかなど、わからないことだらけだ。
見終わった後、生きていくのが嫌になる。


My Kiasu Life in JAPAN-脳内ニューヨーク1

人生は失望の連続。希望を持つたびに裏切られるのだ、という、真実は突いているがひどい話で救いがない。


My Kiasu Life in JAPAN-脳内ニューヨーク2

暗さと狂っている感があって、見終わった後しばらく「俺はまともに口がきける状態なのか」が少し不安になるほどだった。


ユーキャンのテキスト「不動産登記法」の上巻を金沢にいる間に読み終わった。今回のペースはなかなかよかった。こんな調子で、今後も勉強を頑張りたいと思う。

仕事でいろいろとあって、かなり頭に来る一週間だった。


金曜日の午後、半日、仕事を休んだ。規則上5日の夏休みが取れる。
これで、ようやく2日の夏休みを消化した。あと3日もある。


金曜日の午後は、部屋で洗濯をし(洗濯すべきものを洗濯機に放り込んで寝てただけだけど)、髪を切り、本を2冊買って、それから実家に帰った。


途中、渋滞にも巻き込まれて、家に帰ったのは午後9時頃だった。

入道雲の中で、氷の固まりが上下をして激しく静電気を生み出しているのだろう。

高速道路を走りながら、夜に見る入道雲は、なかで稲妻が走り、美しかった。


母は相変わらずだったが、先週よりは少し元気になったように思う。


寝ころんで本を読んでいたが、いつの間にか寝ていた。起きたら朝の7時だった。
なぜ実家に帰ると(エアコンも俺の部屋にはないのに)こんなによく眠れるのか不思議だ。


先週は名古屋のホテルに泊まったが、暑さで寝苦しく、エアコンを入れたら今度は寒すぎて眠れなかった。
「寒くて眠れない」と夢のなかでイチローと会話をした。
「俺がホテルに文句を言ってやる」とイチローは言ってくれたのだが、せっかくのヒーローとの会話が世界一つまらない話題で残念だった。
その直後に、起きて、エアコンを切ったのだが、すぐに暑くなり、寝苦しさは朝まで続いた。


今週の土曜日は、午前中に30分ほど外出する用事があって、その後は特にすることもなかった。
布団に寝ころんだまま、ジョン・グリシャムの「アソシエイト」(新潮文庫)の上・下巻を一気に読んだ。


My Kiasu Life in JAPAN-アソシエイト上

My Kiasu Life in JAPAN-アソシエイト下

「アソシエイト」はグリシャムの「法律事務所」と同様、新人弁護士の物語だ。
読んでいて、俺も就職した頃には、彼の「法律事務所」を読んで、「就職をしたからには1日18時間勤務でもしてやる」なんて思っていたことを思いだした。
就職をしてみたら、現実には、そんなに仕事をする必要はまったくなかった。
僕は毎晩、飲み歩いて遊んでいた。


読んでいてつくづく感じたことは、自分の甘さだった。12時就寝、5時起床。酒は飲まない。「疲労感を無視しろ、集中するんだ」現実にそう自分に言い聞かせながら生活をしているやつが、世の中にはいっぱいいるんだと改めて気づかされた。昼食を30分以内で切り上げ、残りの時間すべてを仕事に捧げる奴らが。
チリの地下700メートルに埋まっている男たちが現実にいるように、そういう世界も現実にある。
読みながら何度も「俺は甘かった」と心の中で思った。


最近、職場の同僚が、仕事をしないばかりか、周りの人に仕事を押しつけている姿を苦々しく思っていた。
でも、その姿は、自分の姿でもあったのかもしれない。自分がやるべきことをやらずに逃げている姿を、彼に投影させていたのかもしれない。
人のことを苦々しく思う前に、自分を変えるべきだと僕は読みながら考えていた。


読んでいたら、すごくやる気が出てきた。先週末、落ち込んでいたのが嘘のようだ。
今抱えている仕事のなかで、こなせない仕事なんか、自分にはないようにも思えてきた。
勉強だって両立できるはずだ。
いつまで続くかわからないが、この気持ちを強く持って、これからも頑張っていきたいと思う。


DVDで韓国映画の「寵愛」を見た。


My Kiasu Life in JAPAN-寵愛

ヌードモデルと小説家の恋。
映像はきれいで、どこか現実離れしたストーリー。
確かに女優のヌードはとてもきれいだけれど、どうしてこんな女に惚れてしまうのか、僕は今ひとつこの小説家に感情移入ができなかった。


My Kiasu Life in JAPAN-寵愛1

それから、俺、韓国映画のラブシーンって激しいとか濃厚とかよく言われるけど、あんまりうらやましくない。
なんだか男にとって今ひとつな気がするんだよなあ。


My Kiasu Life in JAPAN-寵愛2

そして、最後のシーンを見てから「この映画以前どこかで見たことがある」ってようやく思い出した。
いつ見たのか忘れたけど、確かに見たことがある。
「なんて記憶力だ」と自分自身に対してすこし呆れた思いがした。

小池龍之介の「考えない練習」(小学館)を読み終わった。


My Kiasu Life in JAPAN-考えない練習

五感で感じたこと以外は、とりあえず思考をしない、そうすれば心の平穏がもたらされる。そうなんだろうなあ、と思う。
こういう考え方で救われるときだって、きっとあるんだと思う。
でも、なんだか俺は今、心の暴走が止められなくて、自分が悲しいのか怒っているのか救われているのかもあまりよくわからなくなっている。


最近、感じているのは行き詰まり感だ。
そう思っているだけなのかもしれないし、妄想なのかもしれないけれど、今の僕にはリアルな痛みだ。
いろいろな出来事が起きて、自分の容量を超えてしまったような気がする。
女の人は、こういうときに、泣くのかもしれない。
でも、僕はもう泣き方なんか忘れてしまった。


週末は実家に帰った。母が退院して家にいたが、ずいぶんと年を取ったような気がして胸が痛んだ。
土曜日の午後、中津川駅に車を駐めて名古屋に飲みに行って、楽しかったけれど、終わってみれば虚しさだけが残った。
金山のボストン美術館を見て、再び、中津川駅経由で、長野まで帰ってきた。


この短い旅の間に、ようやくユーキャンのテキスト「民法 下」を読み終わった。
とにかく時間がかかりすぎで、自分のことなのだが、あきれたような気持ちになる。
もう少し、前向きなやる気ってものがないのかよ、と自分自身に対して思う。


ちょっと疲れているせいで、鬱気味なのだと思う。
疲れているせいだと思いたい。

違う課の上司が、来週は夏休みを取らせてもらうと言ってきた。
「いいですね。バカンスですか。」
「アラブだよ。」
「アラブ?ドバイとかですか?僕、ドバイなら知り合いがいますよ。」
「違うよ。アラボンだ。アラボン。」
アラボンが新盆のことだと理解できるまで少し時間がかかった。僕の地元では「しんぼん」と言う。
そういえば、お父様を亡くされていた。気まずい思いがした。


金曜日の夕方に姉から電話があった。僕はまだ仕事中だった。
「今日は何時頃に実家に帰れそう?」
「10時頃かな?」
「お母さんがまた入院しちゃったよ。」
朝から食欲がなく、脱水症状になったらしい。
話しながら、僕の消化器官が重くなってきた。
無理矢理くじを引かされて「残念でした。不運でした」と司会者に宣言されたような気分になった。


7時に仕事を終えて、須坂インターの前で食事をして、それから実家まで車を走らせた。
普段は高速道路を時速100キロメートル以下で走行することなどないのだが、心が弱っているのか、姉の「運転気をつけてね。ここで事故でも起こされたら、私はもうパンクしちゃうから。」という声が原因なのか、単純に疲れて眠たいだけなのか、アクセルを踏む足に力が入らず、気がつくと時速80キロメートルギリギリで走っていて、自分で驚いた。


先日ラジオで、日本の教習所では、時速80キロメートルで走っているときは80メートルの車間距離を開け、時速100キロメートルで走っているときは100メートルの車間距離を開けるように教えるが、わかりづらい。ドイツの教習所では、時速何キロで走っていても、前の車の位置まで2秒かかるようにしなさい、と教えている。なんて話をしていた。そっちの方が合理的だからそうするべきだ、なんていう話だった。
ドイツの教習所では、というのが口癖みたいになっている人のようだった。


車を走らせながら、2秒ってどのくらいの距離なのか考えてみた。
時速80キロメートルの時の2秒は
80000m/3600秒*2秒=約45m
時速100キロメートルの時の2秒は
100000m/3600秒*2秒=約55m
日本の車間距離の半分しかない。本当にこれでいいのか?ラジオ番組で話していたおじさんに聞いてみたい気がした。


実家に帰ってからも、なかなか心が晴れなかった。
寝る前に高速道路に乗る前に本屋で買った、ゲッツ板谷の「メタボロ」(幻冬舎)を読み始めた。


My Kiasu Life in JAPAN-メタボロ

本を読みながらも痛みを感じた「ワルボロ」の続編である。
高校に入った板谷の状況はますます痛く、ひどいものとなっていく。最近、「もう怒らない」という本を読んだりして「怒り」という感情にネガティブな意味しか感じなくなっていた僕は、目を背けたいような気分にもなったが、それでも読んでいた。


板谷の過ごした高校時代はまさに地獄。でもその状況に慣れていく過程に僕は希望を感じた。僕自身が、この地獄を乗り越えられるかと言えば、僕には無理だ。
ある意味、彼は英雄でもある。
初体験を経て、彼女もできるが「ワルボロ」のような爽快さはなく、トーンも暗めだ。


それでも、一気に読んでしまい、読み終わったときはもう1時近かった。もう、寝ようと思って、布団に横になった。
彼に比べれば、俺の不運なんてどうってことがないような気分になっていた。
最後まで読んで、救われた気がした。


翌日、姉に言われて5軒ほど「新盆参り」というものをした。
もう準備がしてあって、僕はそれを届けてお参りをするだけなので簡単だ。
「母の代理で、お参りさせていただきます。」
そう言って頭を下げて挨拶をして、それから仏壇に向かって拝む。


自宅の玄関の両側に1.5メートルほどの高さの石垣があり、その上に1メートルほどのブロック塀がある。
僕はその上を歩くのが好きで、よく歩いていたのだが、近所の家のおじさんに「あぶない。ブロック塀が崩れたらどうするんだ!」と怒られて、それからしなくなった。
確かに、今考えると危ないかもしれない。普通はそんなところを歩こうとはしないものだ。


そんな僕を怒ったおじさんも亡くなって、僕は新盆参りで久しぶりに、遺影となったおじさんの顔を見た。
懐かしさで、少し涙が出そうになった。


その後、母の見舞いに行った。
点滴で回復をしたせいか、思ったより元気そうで、ほっとした。
そして、母は月曜日の夕方に退院した。


実家では掃除だの整理だので意外と忙しく働いていたが、暇な時間はアンドレイ・クルコフの「ペンギンの憂鬱」(新潮社クレストブックス)というロシアの小説を読んでいた。


My Kiasu Life in JAPAN-ペンギンの憂鬱

閉鎖する動物園から「何を持って帰ってもいい」と言われ、サーシャという名の皇帝ペンギンを1匹連れ帰る売れない小説家ヴィクトル。
暑い日は摂氏40度にもなり、寒い日には摂氏マイナス10度にもなるキエフの環境は、ペンギンを憂鬱症にしてしまう。何しろペンギンは南極の動物だから。


彼は、生きている人の死亡記事を書かされるという仕事を始める。依頼されたまま、死亡記事を書くと、記事になった人間が死んでしまう。俺はいったい何の仕事をしているんだ?


中途半端にミステリータッチだが、なんとも心が安らぐ小説で、本来読まなければならない民法の本を放り投げたまま、もっぱらこの本ばかり読んでいた。
ラストシーンもとても気に入ったが、でもまあ、人を選ぶ小説で、僕は面白かったけれど、誰が読んでもいいというたぐいの小説ではない。


母の見舞いに行ったとき、看護師さんがまだ病室で働いていた。
仕方がなく、デイルームに行き、そこに置いてある本を眺めていたら、村上春樹訳のサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」があった。


My Kiasu Life in JAPAN-ライ麦畑でつかまえて

僕は今までの人生で、この本を2度読んだ。
初めて読んだ10代のときは、この本には俺のことが書いてあると思った。2度目に読んだ20代の初期のときもそう思った。
母を待つ40分ほどの間に、読めるだけ読んだ。


今読むと、主人公がいい感性を持っているだけに、社会に受け入れられない、そして受け入れられようとしない姿に、痛々しさを感じる。
そして今の俺なら、きっと彼に説教をする。ポールの反対側に、俺も回ってしまったんだなあ、と寂しい思いがした。


それから、この本は社会的な成功を収めようとする人は(小説家や漫画家になろうという人は別として)「読むべきでない」本だと痛切に感じたし、そしてまた、僕自身はこの本を10代のうちに「読んでいて」本当によかったと思った。


そしてこの本が、いかに自分の価値観の形成に寄与したかを再認識をしたし、「ライ麦」を読まずに偉くなったやつなんて、どんなに偉くったって意味がないって未だに僕自身がしっかり思っているあたり、少し自分のことが好きになった。