土曜日に、文化会館を借り切ってする大きな研究発表会があった。
僕はその運営や進行の責任者の立場だった。
前日の金曜日から、荷物を文化会館に運び込む。
同僚に「明日、駐車場を1カ所封鎖するから、コーン2本とトラ竿1本、俺が忘れていたら出発前に指摘してくれ。」と頼む。
「わかりました。コーンとトラ竿ですね。トラ竿って黄色と黒の竿ですよね。」
「うん。それ。」
車にその同僚と乗り込んで、文化会館まで運転する。
着くまで、FMラジオを聴いていく。長野ローカルのミュージシャンの曲がかかる。
よくこの程度の曲で、自分自身で売ってもいいって判断したよなあって感じの曲ばかりで呆れる。
「ひどい曲だなあ。」
あまりのひどさに笑うしかない。
文化会館が目の前まで来たときに、ふと気がついた。
「あ。コーンとトラ竿忘れた。」
「あ。」
「だから言ったじゃねえか。コーンとトラ竿、俺が忘れてたら言ってくれって。頼りにならねえやつだなあ。」
「そうでしたね。あはは。」
「あははじゃねえよ。うるせえよ。」
文句を言いながら引き返す。
荷物やコーンを文化会館に入れて準備をすませる。
車に乗り込もうと駐車場を歩いていると文化会館のコーンが積んであるのを目にする。
「あのコーンを使えば、コーンは持ってこなくてもよかったんじゃないか?トラ竿だけ持ってくればよかったんだよ。」
「そうですね。あはは。」
「あははじゃねえよ。」
ひとつの課題をクリアするのには、クリアに直結しない、かなりの無駄な労力や知力も使うもんなんだって、そういうもんなんだって、帰り道、運転をしながらそう思った。
この研究発表会のために、かなり詳しいスタッフ・マニュアルを作成した。
以前、旅行会社の人がイベント用に作成してくれたマニュアルを作り直したものだ。
お手伝いしてくれる人(業者を除いて約40名)に配布をしたけれど、当日、現実を目の前にして変更点がいくつも発生したし、思わぬトラブルがいくつも発生して、走り回った。
「これはどうしたらいいですか?」「ここはこうしたいんですが?」
完璧主義の人が多いせいなのか、いろんな人から質問される。
みんな困っているんだと思ったから、できるだけ優しく、落ち着いて回答をした。
その人たちには、比較的優しく対応ができたと思う。
僕は前向きの人には親切なんだと自分を見ていて思う。
それは、たぶん中学や高校生の頃に読んでいたカール・セーガン博士の「COSMOS」(朝日新聞社)という本の影響があるのだと思う。
この本の中で、博士はローマの統治下であったアレキサンドリアで、ヒパチアという科学者であった女性をキリスト教信者が殺し、アレキサンドリアの図書館からすべての本が一掃されたことについて言及をしている。
西洋はそのときから科学にとっては暗黒の1000年を過ごしたのだ。
その図書館があれば、科学ももっと進化していたはずだ。
僕はこの本を読んだとき、俺はヒパチアのような女性を守る人になろうと思った。優秀で前向きな人を守ることは、人類のためになるからだ、と。
直接的な関連はないけれど、僕はたぶん、こんなことがベースになって、前向きに頑張ろうとしている人に対して、自分が障害にならないようにと思うのだと思う。
必要がないと思って、何度も運ぶかどうかまよった余分なパソコンとプリンターも、文化会館に持ち込んでいて正解だった。急に印刷が必要となるものが出てきたのだ。そしてまた、メインのパソコンを頼んでいた人が電源コードを忘れてきたので、急遽、プリンターの電源コードで代用したのだ。もしプリンターを持ってきていなければ、会がうまく進行できなかった。
運び込むか最後まで迷っていた同僚と「持ってきていてよかったなあ」と笑いあった。
研究発表会が始まって、ある程度軌道に乗ってから、楽屋に行った。
スーツを脱ぐと両脇から上が汗でびっしょりと濡れている。
ネクタイを外そうとしたら、結び目が濡れて固くなっていた。
「けっこう、頑張ってたんだな、俺。」鏡を見ながらそう思った。
研究発表会は片付けも含めて5時頃には終わった。
それから職場に荷物を運び込んで、後片付けをした。
打ち上げはまた後日ということだったので、帰る途中にカレー屋でカレーを食べながら、有斐閣のリーガル・クエスト「会社法」の本を読んだ。
研究会の発表の時、プロジェクターの光を一時的に遮る必要があり、プロジェクターのレンズの前に何か置く必要があった。
そのとき、僕がとっさに担当者に渡したのが、この会社法の本だった。
適度に厚く、自立するので重宝した。「会社法」は本当に役に立つ。
強い光に当たったせいで、表紙の印刷が2カ所ほど溶けている。
中身に関係がないから、僕は気にしない。ひとつの課題をクリアするには、それなりの犠牲もつきものなのだと思った。
実家に電話をした。姉が出たので話をする。
母の体調はよくもないが、安定はしているらしい。
松茸ご飯や栗ご飯を持ってきてくれる人がいて、豪華な食事を取っていると笑っていた。
でも「今週は帰れない」と話すとがっかりしたようだった。
そして土曜日はくたくたに疲れていたせいか、夜の8時には寝てしまった。
日曜日には部屋の整理をした。本をかなり売り、CDやDVDをコクヨのMEDIA PASS!というソフトケースに入れ替えた。100枚くらい入れ替えたら、スペースがだいぶ広がった。
それでも改めて見ると、僕の部屋には本当にいらないがらくたが多すぎる。
バッグや押し入れを開けるたびに、呆れた気分になってしまう。
立川志の輔らくごのごらく3「みどりの窓口」「しじみ売り」と立川志の輔らくごのごらく5「新・八五郎出世」の2枚のCDを聴いた。
現実に苦情の矢面に立つことの多い僕には「みどりの窓口」はどうもなかなか笑うことができなかったが、人情話の「しじみ売り」はよかった。「新・八五郎出世」も心に響いた。
それにしても落語の話っていうのは、なかなかきれい事で終わらせないものだなあ、と思う。人間の下品さや愚かさをもしっかりと演じていく。
そこが、なかなか僕には受け取りづらい面もあるけれど、でもそこがきっと落語の持つ魅力なのだろうということは、僕にもわかる。
**おまけ**
カールセーガン博士のCOSMOS下巻「栄光のアレキサンドリア」「科学を圧殺した暴徒たち」より抜粋
私たちの歴史のなかでは、輝かしい科学文明が花を開いたことが一度だけあった。それはイオニア人たちが目をさましたおかげであった。その科学文明のとりでは、アレキサンドリアの図書館だった。そこで2000年ほど前、古代のもっとも優れた科学者たちが、数学、物理学、生物学、天文学、文学、地理学、医学などの基礎を築いた。私たちは、いまも、その基礎のうえに立っている。
(中略)
ここには、現代の世界のタネが、はっきりとみられる。このタネが根を広げ、花を咲かせるのを、何が妨げてきたのだろうか。
コロンブスやコペルニクスや、その時代の人たちが、アレキサンドリアでなされた研究を再発見するときまで、西洋の社会は1000年ものあいだ暗闇のなかに眠っていた。それは、なぜなのか。
私は、この問題に、単純な答えを出すことはできない。しかし、私はつぎのことを知っている。アレキサンドリア図書館の歴史を通じて、そこの有名な科学者や学者たちが、そのころの社会の政治的、経済的、宗教的な仮説に真剣に取り組んだ、という記録はどこにもない、ということだ。
星の不変性については研究されたが、奴隷制度が正しいかどうかは研究されなかった。当時、科学と学問とは、特権的な、少数の人たちだけのものだった。アレキサンドリアの数多くの人たちは、図書館のなかで、どのような偉大な発見がなされているかについて、露ほどの知識も持ち合わせてはいなかった。新しい発見は説明されることも、広く多くの人に知らされることもなかった。
研究の成果は、一般の人たちの役には、ほとんど立たなかった。機械や蒸気技術の発見は、主として武器の完成や、迷信の強化や、王様の楽しみのために、役立てられた。科学者は、人びとを苦役から解放するために機械の力を役立てようとは一度もしなかった。
古代の偉大な知的業績が、すぐに実用面に応用されることはほとんどなかった。科学が大衆の想像力をかき立てることも決してなかった。
沈滞や悲観論や、神秘主義へのもっともいまわしい降伏を止める力は、どこにもなかった。そして、ついに暴徒が図書館に焼き打ちをかける日がやってきた。そのとき、彼らを止める者は、だれもいなかった。
この図書館で最後まで働いていた科学者は、数学者であり、天文学者であり、物理学者であり、新プラトン派哲学の指導者でもあった。この人は、あらゆる時代のどの科学者よりも幅広い業績を残した。
この人は、ヒパチアという名の女性であった。
彼女は、西暦370年にアレキサンドリアで生まれた。当時、女性たちは、自分たちの進路を自ら選ぶことはほとんどできず、また、財産の一種と考えられていた。しかし、ヒパチアは、自由に、無意識のうちに、伝統的な男性の領域へとはいりこんでいった。
彼女は非常な美人であった、とあらゆる記録が述べている。彼女に結婚を申し込んだ男性は数多くいたが、彼女はそのような申し入れのすべてをことわった。
ヒパチアの時代のアレキサンドリアは、すでに長いあいだローマの統治下にあり、街は非常に緊張していた。奴隷制度が、古典的な文明社会から活力を奪っていた。キリスト教の教会は、次第に大きくなり、力を強めつつあった。そして、異教徒の影響力や文化を消し去ろうと試みつつあった。
ヒパチアは、そのような激しい社会的勢力の震源地のうえに立っていた。アレキサンドリアの教会の主教であったキュリロスは、ヒパチアをひどく嫌った。なぜなら、彼女はローマの知事と親しくしていたし、学問と科学のシンボルでもあったからである。昔の教会は、学問と科学とを、異教徒のすることとみなしていた。
彼女は、個人的にきわめて危険な立場にいたが、しかし、学問を教えたり、本を出版したりすることはやめなかった。しかし、西暦415年、彼女は仕事に向かう途中、キュリロスの教区民である狂信的な暴徒に襲われた。
彼らはヒパチアを馬車から引き降ろし、着物を引き裂き、アワビの貝がらで彼女の肉を骨からはがした。彼女の遺体は焼かれ、彼女の仕事は消し去られ、彼女の名前は忘れられた。そして、キュリロスは、聖人にまつられた。

































