ヘンリエッタ・バーネット・スクール
前回ハムステッド・ガーデン・サバーブを開発したのはヘンリエッタ・バーネットであることを紹介しました。今回はその彼女の名を冠した学校を紹介します。
前回のブログを書く時、ハムステッド・ガーデン・サバーブを開発したのは誰だろうかと疑問に思い、2010年夏、ピカデリーサーカスのウォーター・ストーンという書店で買った本で調べてみたら、「ヘンリエッタ・バーネット」というすでに引退生活に入っていたそれも女性が開発したことを知りました。
この前の2月11日ハムステッド・ガーデン・サバーブ散策時に撮った写真をほぼ撮った順番にこのブログに掲載していますが、今回掲載しようとした写真の建物が何なのかさえ分からず撮りました。用途も名前もわからず紹介するのもちょっとまずいなと思い、手元のロンドン全図で調べてみました。そうしたら、どうも前回紹介したばかりの彼女の名前を冠した学校らしいということがわかりました。
私は、名所旧跡を見学することはあまり興味がなく、もっぱら古い時代の街の形が残る旧市街の路地や小路を散策することが大好きです。建物の設計を生業とするものとして、その適性にかけることかもしれませんが、建物の有名無名についても、建物の設計者が誰かということについてもあまり興味がなく、ただ私が綺麗、美しい、面白いと思う建物だけを撮っています。当然のこととして、この学校も、ただ綺麗だと思ったから撮りました。
この学校が、小学校なのか、中学校なのか、高等学校なのかよくわかりません。ただ、日本の学校でこんな立派な校舎を見た事ありますか。日本の学校建築のほとんどが外装もデザインも味気ない無味乾燥な貧相なものばかりです。この事一つとっても日英の文化程度の差をかんじます。子供を育てる学校の校舎が貧相なのが当たり前になっていることが、日本の街並みが貧相でも構わないと思う心を育てていると思います。
ヘンリエッタ・バーネット
ハムステッド・ガーデン・サバーブの開発は、ヘンリエッタ・バーネットというハムステッドの街をこよなく愛する一人の女性のある意志によるものです。
それは、彼女が1901年に地下鉄ノーザンラインがハムステッド・ヒースの奥、ハムステッド駅の一駅北のゴルダーズ・グリーンまで延長される話を聞いたことから始まります。地下鉄が延長され、ハムステッド・ヒースが住宅地として乱開発され無くなってしまうことは目に見えています。そのことを危惧した彼女は、ハムステッドで既に安穏な引退生活に入っていましたが、自らの手で、ハムステッド・ヒースが人口が過密な住宅地に変貌することを防ぐとともに、ハムステッド・ヒースの自然を残しつつ、彼女の理想とする住宅街をつくることを思い立ちました。
彼女は、その思いつきを実現するため手始めとして、ハムステッド・ヒースの北の外延部80エーカー(=80エーカー×4,050㎡/エーカー=324,000㎡=32.4ha)とその外周部の土地を獲得しました。そして、既に郊外住宅で実績を上げていた地方の建築家バリー・パーカーとレイモンド・アンウインに街の設計と建物の設計を委ねました。
今でこそ、ロンドン随一の高級住宅街になっていますが、彼女が意図した住宅づくりは、決して高所得者向けだけのものではなく、商工業者の中所得者向けの賃貸住宅づくりを意図したものです。その賃貸料は、ロンドンの中心市街地の中程度の住宅の賃貸料の2倍を最大限度にしていました。その賃貸料に見合う住宅づくりを目指しました。それでいてこの豊かさです。
ハムステッド・ガーデン・サバーブ廻りの地図
2010年夏に歩き回った「ハムステッド」は、ロンドンの北の原野「ハムステッド・ヒース」の傍らにあります。ハムステッドの街は、1850年代に鉄道が敷かれ最寄駅として「ハムステッド・ヒース駅」ができ、そのハムステッドヒースを切り開き、郊外住宅地として開発されました。1800年代後半には今の形に近い街並みができ上がりました。1900年代初頭には、地下鉄ノーザンラインも開通し、街の中心部に「ハムステッド」駅ができました。地下鉄の方がロンドンの中心街に出るのに交通の便が良いため、地下鉄ハムステッド駅周辺が街の中心ダウンタウンになっています。
「ハムステッド・ヒース」の原野は、ハムステッドの市街地の北側に広がっています。「ハムステッド・ガーデン・サバーブ」は、その「ハムステッド・ヒース」を隔てた北側にあります。
下の地図は、私が持っているロンドン市全図をコピーしたものです。上が64、65ページ(ゴルダーズ・グリーン駅周辺とハムステッド・ガーデン・サバーブ地図)、下が82、83ページ(ハムステッド駅、ウェスト・ハムステッド駅、サウス・ハムステッド駅周辺地図)です。エリアでは隣り合わせでありながら、その地図では18ページも離れているところに掲載されていました。2010年の夏に「ハムステッド」という名のつく駅の周辺、つまり82、83ページのエリアを探し回ったにもかかわらず、「ハムステッド・ガーデン・サバーブ」が見つからなかったはずです。まさかハムステッド・ヒースを隔てた北の向こう側にあったとは。それも「ハムステッド」駅の一駅行った「ハムステッド」という名のつかない「ゴルダーズ・グリーン」駅が最寄であったとは。
ミードウェイ
今回もハムステッド・ガーデン・サバーブ(HAMSTEAD GARDEN SUBURB)の紹介です。
私達が訪れた日は、冬のロンドンには珍しく、雲ひとつなく快晴でした。
今回の旅行は、ロンドンに実質いたのは4泊5日ですが、
街歩きをしていて傘を差したのは、1回だけ。
それも傘をささなくても済みそうな小ぶりの、わずか30分程度の雨でした。
外国旅行をしていて、どういうわけか今までほとんど雨に降られたことがありません。
いつも小さなショルダーバッグに折畳み傘を携帯して街巡りをするのですが、
天気には恵まれていて、ほとんど傘を使ったことがありません。
旅行に限っては、私は晴れ男なのでしょう。
ハムステッド・ガーデン・サバーブは、
1906年に開発が始まり1920年に街ができあがりました。
街のほとんどの建物が100年以上経過し、今でも人が住み使用されています。
住宅の形式は、ディタッチド・ハウス(戸建て住宅)、
セミ・ディタッチド・ハウス(戸建てに見えるけれども実は2住戸で1棟の住宅)、
それに、テラスド・ハウス(3住戸以上が連接する長屋形式の住宅)です。
いずれも専用庭がついた「ハウス」という名がつく形式の住宅ばかりです。
一戸一戸の規模大きく、すべて地上2階建てです。
さすが、ロンドンの郊外住宅街の最高峰です。
エドワ―ディアン・スタイルの特徴である背の高い勾配屋根が付いています。
ここにはもちろん屋根裏部屋があって、かわいい小窓が屋根面を彩っています。
この勾配屋根の付いた住宅がイギリス人のもつ「ハウス」イメージです。
こうした「ハウス」の住人でなければ一人前の人間にみなされないようです。
だから、ひとかどに成功すると「ハウス」に住みたがり、あこがれの的です。
ましてや、その最高峰が立ち並ぶハムステッド・ガーデン・サバーブに住むことは、
日本で言えば、田園調布に住むようなものでしょうか。
でも街の規模、住宅の素晴らしさの点では田園調布のそれを圧倒していますが。
今回は街の中心、フリー・チャーチのあるセントラル・スクエアに向かう大通りミードウェイ(MEADWAY)沿いの住宅、街並みの景観を紹介します。
念願のハムステッド・ガーデン・サバーブ
2月10日(金)から15日(水)までの6日間、東京都建築士事務所協会港支部の研修旅行でロンドンのタウンハウス巡りをしていました。
私は港支部の研修委員をしています。研修委員は、建築士事務所協会港支部会員に対する講習会や研修見学会や研修旅行を企画立案し、それを手配したり、実行したりする役割を担わされています。去年の11月の港支部役員の運営会議にこの旅行企画を提案したら、まさか通るとは思っていなかったこの案が賛成多数でそのまま通ってしまいました。
その提案は、JTBの「ロンドンとっておき6」という格安ツアー商品を利用した格安旅行の提案でした。旅行者の少ない厳冬期を狙ったロンドン六日間(航空券とAクラスホテル宿泊代+朝食付き)ツアーで、相部屋でも構わないならば10万円ちょっとの国内旅行並みの料金で、ロンドン滞在中は、旅行ガイドが付かない原則参加者全員自由行動の旅行の提案でした。つまり、飛行機と宿だけを確保し、ロンドン滞在中の行動スケジュールは、すべて参加者が各々自由に企画できる旅行でした。もちろん、一人でロンドン市内を歩き回ることについて不安に思われる方には、私がガイドになって、ロンドンのタウンハウス巡りとコッツウオルズの日帰りバスツアーのメニューも用意していました。結局19名の応募がありました。
その提案が通ったため、私は普段の会社の仕事や建築士事務所協会本部の理事活動の他に、その旅行スケジュールの作成、一般会員の方々への参加者募集、参加者名簿の作成、JTBへの航空券やホテルの手配、参加者への旅行説明会の実施等の準備作業も加わりました。そのため、このブログを書くことがおろそかになってしまいました。去年の11月からブログアップの頻度がそれ以前と比べて極端に少なくなったのは、そのためです。これに年末の恒例行事の年賀状の挿絵の作成が加わったことも重なりました。
やっと通常ペースに戻れますので、ここしばらくは、今回の研修旅行で廻ったロンドンの住宅街の話を中心にお話ししてみたいと思います。
まずは、ロンドン郊外の高級住宅街「ハムステッド・ガーデン・サバーブ」を紹介します。「ハムステッド・ガーデン・サバーブ」の住宅地開発は、地下鉄ノーザン・ラインが開通した1900年代初頭です。ロンドンの中心市街地と郊外住宅地とを結ぶ交通の便が良くなったエドワード王朝時代でした。その時代の建築様式は王朝の名をとって「エドワ―ディアン」と呼ばれます。「ハムステッド・ガーデン・サバーブ」の戸々の住宅や教会や学校等の施設には「エドワ―ディアン」の粋が見られます。
1800年代に大英帝国の世界進出や産業革命が産み出した富に蟻が群がるように、その富を求めて農村や海外植民地から人々がロンドンに流入し、人口が110万人から860万人に急増しました。そのため、ロンドンの中心市街地の人口密度が過密になり、郊外に住宅地を求めざるを得なくなりました。また、その要求に応えて、イギリス全土への地上鉄道網と地下鉄網が整備され、ロンドンの郊外の住宅と中心市街地のオフィス間の通勤が可能になりました。
「ハムステッド・ガーデン・サバーブ」は、1800年代から1920年代まで積極的に行われたロンドン郊外の住宅地開発の集大成が見られる住宅街といっていいでしょう。この街は、私が今まで見てきたヨーロッパの郊外の住宅街の中で、街の形でも戸々の住宅の質の高さでも、最も優れた住宅街だと思っています。
私は、2年前の夏休みに「ハムステッド・ガーデン・サバーブ」を散策する目的で、7日間の一人旅をしました。ところが、その旅行前にインターネットで検索しても、エリアが広すぎるのか一体その最寄駅がどこにあるか掴めていませんでした。そのため、「ハムステッド」と名のつく駅周辺に「ハムステッド・ガーデン・サバーブ」があると勝手に思い込み、ロンドンに乗り込んでから何とか見つかるだろうという楽観的な見込みで旅行を始めました。その最も可能性が高いと思われる地下鉄ノーザン・ラインの「ハムステッド」駅にまず最初に行き、その駅前の書店で「ハムステッド・ガーデン・サバーブ」が載っている地図や書籍を探しました。ところが、その地図も書籍も見つからず、しかたなく、買い求めたのが、1850年代と1900年代の「ハムステッド」駅周辺の「古地図」と、総ページ330ページの「ロンドン市街地全図」だけでした。結局その地図を見ても「ハムステッド・ガーデン・サバブズ」のありかが判らずじまいでした。
私が買い求めた「ロンドン市街地全図」の見開きとなった82ページと83ページに「ハムステッド」と名のつく駅が、地下鉄ノーザン・ラインの「ハムステッド」駅、地下鉄ジュビリー・ラインの「ウエスト・ハムステッド」駅、地上鉄道の「サウス・ハムステッド」駅と「ハムステッド・ヒース」駅の4駅が載っていました。鉄道網図にも「ハムステッド」と名のつく駅はその4駅しかありませんでした。私は、そのそのいずれかの駅周辺に「ハムステッド・ガーデン・サバーブ」が必ずあるだろうと想定し、その駅周辺の住宅地をまるまる2日間かけて虱潰しに探し回りましたが、インターネットで事前に見ていた景観の街並みを見つけることができませんでした。
ところが次の日に成田へ帰る日の夜にホテルで、その旅行で歩きまわったところを地図で確認するため「ロンドン市街地全図」のページをめくっていたら、ハムステッドの名の入った駅がすべて載っている82ページと83ページより18ページ前の65ぺ-ジになんと「ハムステッド・ガーデン・サバブズ」と大書してあるのを見つけました。その旅行で最初に行ったノーザン・ラインの「ハムステッド」駅の次の駅「ゴルダーズ・グリーン」がその最寄駅であることを見つけました。「ハムステッド・ガーデン・サバーブ」は「ハムステッド」と名のついた駅周辺にあるものとの勝手な私の思い込みがこの誤謬を呼んだのでしょう。
今回の研修旅行の提案が通った時、港支部の会員を私が前回の旅行からだけでなく、インターネットでその環境の素晴らしさを知り、いつかは一度行きたいと思い、足掛け4年越しの念願であった「ハムステッド・ガーデン・サバーブ」に案内することが、私にとっても、参加者にとっても最も良い企画だと独断と偏見で決め、ロンドン滞在の初日にこのスケジュールに組み込みました。
■ミッドウェイ通りのディタッチド・ハウス(戸建て住宅)-1
ロンドン到着前日に珍しく降雪があったそうです。中心市街地はほとんど雪が残っていませんでしたが、北の郊外の住宅地ハムステッド・ガーデン・サバブズは、車道を除き、見ての通り雪景色でした。
写真の住宅は、1900年代初頭の建築様式エドワ―ディアン・スタイルのディタッチド・ハウスです。
100年経ってもこんな綺麗に維持され住まわれています。イギリス人が古い住宅をいかに建設当時のまま維持し、景観を大切に保存しているかよくわかると思います。これを見ると、日本の住宅の平均滅失期間が 25年、1世代しか持たない短命さであり、日本の住宅の安普請と家を大切しない日本人の心情が心底情けなく思えます。
屋根は木造の天然スレート葺き、壁は煉瓦造の上スタッコ仕上げ、窓や建具は木製サッシの白色塗装、いずれも、私達人類が古くから使い続けてきた伝統的建築材料だけでできています。
日本の建売住宅にも煙突を除けば、これに似たデザインのものを見かけます。
ところが、日本の住宅は外装を一見石や煉瓦のように見える素人だましの新建材で張り回し、見かけだけ似せた偽物の人工的材料ばかりで覆われています。それが廃棄された場合には決して大地に帰ることのない材料ばかりでつくられるようになっています。
日本の住宅のこうした自然と乖離した材料の使用が、この写真に見る住宅のような見た目の自然環境へのなじみ具合や重厚さから程遠いものになってしまいます。本物と偽物の圧倒的な格の違いを感じます。
■ミッドウェイ通りのディタッチド・ハウス(戸建て住宅)-3
一部木組みの美しいチューダー様式が組み込まれています。
■ミッドウェイ通りのディタッチド・ハウス(戸建て住宅)-4