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「圓堂建築設計事務所+エンドウ・アソシエイツ」の還暦を祝う会

 4か月ぶりのブログです。このブログでは、あまり自分の会社のことを題材にしません。今回は弊社でめでたいことがありました。そのことをご報告します。

 11月9日(金)に品川プリンスホテルで表題の「圓堂建築設計事務所+エンドウ・アソシエイツ」の還暦を祝う会を行いました。弊社は、今年で前身の圓堂建築設計事務所と㈱エンドウ・アソシエイツと合わせて今年で60周年を迎えることができました。それを祝う会です。


 この会には、圓堂建築設計事務所とエンドウ・アソシエイツに在籍したOB、これまで私達と一体になって仕事をしていただいてきた協力会社の社員の方々、そしてエンドウ・アソシエイツの現社員、合わせて80名超が参加しました。顧客関係者が一切招待しないごく身内だけの会でした。


 弊社の前身、圓堂建築設計事務所は、昭和27年(1952年)に圓堂政嘉が大阪で創業した建築設計事務所です。圓堂が亡くなる平成6年(1994年)までの42年間、主に銀座8丁目の並木通りにオフィスを構え、営業をしてきました。その間ずっと、圓堂の個人事務所の形態で営業してきましたので圓堂が亡くなると圓堂とその所員が築き上げ守ってきた暖簾も、その当時働いていた所員も、その所員に引き継がれてきた圓堂の技術も設計に対する考え方も所員とともにちりじりばらばらになってしまいます。それを防止するため、暖簾と組織を引き継ぐ会社として、圓堂が亡くなる数か月前に柳原直彦を社長として㈱エンドウ・アソシエイツが誕生しました。

 

 しかし、その柳原が急逝したのが平成15年(2003年)の3月。柳原の社長在任期間は9年でした。急場しのぎのような形で、取締役でもなく営業経験もない私が会社を引き継ぐことになりました。それから今年で9年です。従ってエンドウ・アソシエイツも18年が経ちました。

 弊社は、圓堂建築設計事務所で42年、㈱エンドウ・アソシエイツで18年。合わせて60周年、人の年齢に譬えれば満60歳になりました。


 還暦は本来数え年の60歳で祝うそうです。数えで61歳を迎えた弊社は、男の年齢からすると今年は厄年だそうです。従ってこの会を「還暦」と謳い祝うのは間違った使い方で、そう謳うなら去年挙行すべき会でした。それでもわざわざ誤用したのは、遅まきながらそれをOBの人達と弊社の還暦のお祝いをしたかったことと、それを祝うことで私が代表を引き継いでから苦労が絶えなかった9(苦)年に区切りをつけ、これからも降りかかるであろう弊社の前途の厄払いをしていただきたかったこともあります。

会社を引き継いだ時よもや柳原と同じ9年社長ができるとは思っていませんでした。ただ目の前の一年をどうやって乗り切るかだけを目標にしてきました。気が付いてみればいつの間にか柳原の社長在任期間を越えていたというのが正直の印象です。


 ここまで継続できたのは、
1.圓堂先生の教えが今の私の中に生きていること。

2.事務所のOBの人達が尽力し残してくれた「圓堂建築設計事務所」という

  金看板を使うことができたこと。

3.事務所規模を縮小する時、退社して頂いた方々の協力があったこと。

4.事務所規模を縮小した時以降、事務所に残ってくれた人たちの頑張りが

  あったこと。

5.事務所規模を縮小した時、それ以前と変わらず協力会社の私達の

  事務所への協力があったこと。

6.そして、最後に何事にもあきらめない、弱音を吐かない胆力と粘りを

  両親から授かったこと。


感謝、感謝です。

夏のフリーチャーチ

久しぶりのブログです。

この2ヶ月会社が請け負った仕事でとても忙しく、

朝6時に起きて夜は翌朝の2時に床につくという毎日が続きました。

土日もなく祭日もなく働きづめで、もちろんブログを書く暇もありませんでした。

この前の土日はその疲労がつもりつもって

床から起き上がることができず眠りこけていました。


「忙しい」という字が「心を亡くす」と書きます。

ここ数週間はまさに心を亡くしていたような気がします。

目の前の仕事をこなすことに精いっぱいで、

惰性で動いていたような気がします。

身も心も自分が自分でないようになっていました。

2日間休んだことが薬になったようで少し心を取り戻したようです。


ブログを休む前に連載していたハムステッド・ガーデン・サバーブの

フリー・チャーチの写真は冬の写真でした。

今回は夏の写真を紹介します。

同じ被写体が、冬の光と夏の光とではこんなにも異なるのかと思うぐらい

異なって見えます。



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フリーチャーチ

 ロンドンの教会は、より工事コストがかかる石造それもライムストーン(石灰岩)造のネオゴシック様式のものが多いのですが、今回紹介するハムステッド・ガーデン・サバーブの教会は、珍しく煉瓦造でした。



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ビッグ・ウッド

 ハムステッド・ガーデン・サバーブは、ヘンリエッタ・バーネットが開発した住宅街です。引退して余生を送るつもりでいた彼女が住宅開発を始めた理由は、地下鉄ノーザンラインの延伸でハムステッド・ヒースが乱開発され、無くなってしまうことを恐れたからです。ハムステッド・ガーデン・サバーブの中には、彼女が守ろうとしたハムステッド・ヒースの自然がほぼ原形のまま残っているところがあります。今日紹介するビッグ・ウッド(BIG WOOD)です。


 添付の写真を見ていただけるとわかると思いますが、ビッグ・ウッドは、ドングリの実がなるクヌギやコナラ等が残る武蔵野の雑木林によく似ています。ここへ来てはじめて「ヒース」という言葉の意味が分かった気がしました。英国人が意味する「ヒース」は、多分日本語に翻訳すると「雑木林」ではないかと思います。


 武蔵野の林は、関東平野に元々あった原生林が富士山の噴火で一度焼け野原になった後、火山灰が降り積もった関東ローム層の大地の上に再生された第二次林です。大方がクヌギやコナラ等の雑木です。樹形がよくないため、和風庭園では滅多に植えられることのない雑木で覆われています。いわゆるドングリの木です。「ヒース」がドングリの木の雑木林であることを証明するように、実際にビッグ・ウッドの小路を歩いてみると、ドングリを餌とするリスを何匹か見ました。


 前々回のレストランの昼食後、引き続きハムステッド・ガーデン・サバーブの住宅街巡りを再開し、しばらくしてこのヒースの林にぶつかりました。ヒースの林は二日前に降った雪が残り、その中の小路がどこまでも続くような気がして、その大きさがどのぐらいなものか推し量ることができませんでしたが、この研修旅行のコンダクターの強権を執行して、ヒースの小路を突き進むことにしました。


 事務所協会港支部仲間、天城さんは70過ぎの女性ですが、4日間の強行日程であったロンドンのタウンハウス巡りの街歩きをずっと一緒に行動したメンバーの一人です。彼女は、雪道で滑って大けがをしたことがあるということで、ヒースの雪道を歩くことを嫌がっていましたが、越坂部さんが恋人同志のように腕を組んでエスコートすることで、私達と一緒にヒースの小路に入ってきました。もちろん、天城さんは若い男性にエスコートされて大変喜んでいました。下の写真の一枚にその姿が写っています。



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ダウンタウンの店舗付き住宅

 今回は、前回のブログのレストランの隣のタウンハウスの紹介です。

ロンドンのレストラン、パブ、個人商店等の店舗は、上が住宅になっている長屋形式のタウンハウスに入っているものがとても多く、今回紹介する写真もその形式のものです。


 ロンドンのタウンハウスは、中心市街地のものは、多くが地下1階地上3~5階建ての長屋形式のものです。それがハムステッド・ガーデン・サバーブのような郊外のものは、地下がなく、地上3階建ての長屋形式のものがほとんどです。


 日本は、長屋と言えば平屋のイメージですが、ロンドンのそれは3~5階建ての住戸が連接されて長屋になっています。ですから通りに面して各住戸ごとに1階に玄関が付いています。これが、ロンドンの街並み景観の特徴になっています。店舗付き住宅も、この長屋形式のタウンハウスの変形版です。各店舗の上階にその店舗の持ち主の住居もしくは事務所になっています。


 今回のタウンハウスは、ハムステッド・ガーデン・サバーブの店舗付き住宅です。1階店舗の看板を見ると住宅地に必要な業種の店舗が並んでいます。建築様式は、1900年代初頭の頃流行ったDEEP GABLE(深い切妻屋根)をもつエドーワーディアン・スタイルです。


 FINAL TOUCH ・・・・・Nail & Beauty Clinic・・・ネイルとビューティクリニック

 THE ACCIDENT SPECIALISTS・・・・・・・・・・・・住宅で起こる故障・不具合等の直し屋

 GARDEN・・・・・・・・・・Fine Jewelist・・・・・・・・・・銀装飾品屋

 My Dream Kitchen・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・特注のキッチン屋

 Matadoors ・・・・ Wooden Doors on Display・・・木製扉屋



エンドウ・アソシエイツ加藤峯男の無陸-下駄ばき住宅