赤羽七福神の彫刻家がなぜアメリカ人になったのか
■ 赤羽七福神の彫刻家ダグラス・オー・フリーマンが選ばれた時のいきさつを
紹介します。
■ 私達が提案した七福神は、最初は権利者の間でおかしいという意見もあった
ようです。最終的には面白いじゃないかと意見がまとまり、実行に移すことに
なりました。
公団が最初に行ったことは、七福神の納入業者の選定です。
それを私達の事務所を含む5社のプロポーザルで、決めることになりました。
■ 私達の事務所は、このプロポーザルに参加するにあたって、彫刻家の選定が、
私達が提案した企画の成否を決定するので、下記の二つの基準で彫刻家を
探すことにしました。
1.七福神が日本ではあまりにも知られ、定形的イメージが定着していること
から、陳腐なものになる可能性がありました。
このため、力強く、独自のキャラクターをもった七福神をつくることができる
力量をもち、子供にでも七福神であることが判る具象的作風をもった彫刻
家とする。
2.日本の彫刻家に発注した場合作家の有名度によって価格が違いますが、
計画の七福神の高さ1.2mのブロンズ像で、平均1体当り1,000万円
以上の制作コストがかかることが判っていました。
七体制作すると、7,000万円以上と全体コストが膨らむため、
調達コストが力量に比して安価となる彫刻家とする。
■ その頃、作家にもよるが平均的に見て、アメリカの彫刻家は、日本の彫刻家
より30~40%安い制作費で委託でき、輸送、保険等の経費をかけても、
日本で調達するより25%程度安く調達できることが調査で判明していました。
これで2.の基準を満足します。
■ そして、アメリカの力量のある彫刻家に頼めば、日本人とは異なる視点で
七福神をつくることができるので、1.の基準も同時に満足します。
この二つの理由で、私達の事務所は、アメリカ人彫刻家に委託する案で
プロポーザルに臨むことにしました。
■ 私達は、アーティスト年鑑に載っている彫刻家の中から、七福神のできそうな
具象的作風の彫刻家を数人選び、こういった仕事があるからやる気はないかと
打診の手紙を出しました。
その中で、最も丁寧な手紙を送ってきたのが、弊社がプロポーザルで推薦した
ダグラス・オー・フリーマンです。
■ 彼が送ってくれた写真の作品は、ミネアポリス空港の到着ロビー正面の彫刻
や、公園の噴水と一体になった鱒の彫刻等、具象的作品で躍動感あふれる
魅力的な作品でした。七福神を委託するにふさわしい作風と力量をもつと判断
し、彼でプロポーザルに臨むことに決めました。
もし私達の事務所がプロ-ポーザルで納入業者として選ばれた場合の、
彼の制作料の見積と制作スケジュールを出してもらっていました。
■ 私達の意図が公団の審査員に理解され、私達の事務所が七福神の納入業者
に選ばれました。そして、私達はミネアポリスの彫刻家ダグラス・オー・フリーマン
に七福神の制作を発注しました。
赤羽七福神はなぜ七福神なのか
■ 赤羽駅北口改札前に東口と西口を繋ぐコンコースがあります。
そのコンコースを西口側に出ると上の写真の手前に写っている赤い丸柱を背
せにして、鯛を捕まえている恵比寿さんが目に入り ます。
その周辺が七福神広場です。この恵比寿さんを先頭にし、弁財天、寿老人、
福禄寿、布袋尊、大黒天、毘沙門天の七福神を見ることができます。
■ 私が、その赤羽七福神 を企画提案者です。
また、七福神広場を設計し、七福神彫刻を
納入し、設置工事をしました。
再開発事業 」で新しく生まれ変わった街です。
その街の象徴としてふさわしく、新しくできた
街の中心の広場に七 福神を設置したらどうか
と、地元権利者、北区、都市整備公団(現は
都市再生機構)に提案し、実現したものです。
■ 七福神を提案したのは次の三つの理由によ
ります。
1.再開発でできた三つの建物の低層部が、
すべて商業施設であった
2.再開発地域の近くに亀が池弁財天があった
3.七福神が商売繁盛の神様である
以上の理由により、新しく生まれ変わった街が、商業の街として繁栄すればとの願
いを込めて提案しました。
■ 公にはそういった理由で提案しましたが、実は、そのきっかけとなった理由が
もう一つあります。
七福神広場の設計は、その広場のある2街区建物の工事中で、完成の1年半
ぐらい前に、公団から私に設計の依頼がありました。
しかし、ほとんど何も決まっていなく、計画は白紙の状態でした。元設計者が描い
た広場の実施設計図しかありませんでした。広場のキャラクターがはっきりしな
いデザインでした。ただ駅前広場から離れた奥のほうに4本の列柱があり、繋ぎ
梁が建物本体と結ばれていました。
■ プランをいじっているうちに、私は、4本の列 柱の西口方向の延長線上に、4本
の列柱間距 離と等間隔に列柱を建てていくと、合計7本の列柱が建つことに 気
がつきました。たまたま与えられた広場の大きさが、既に決まっていた4本の柱
と等間隔で列柱を置いた場合、ちょうど7本の列柱を置くことができる大 きさが
あったのです。これが七福神に結びつきました。
■ 下の図面が実際の七福神広場の平面図です。●印が七福神の台座に立つ7本
の列柱です。そのうち、図面の左側の4本だけ斜めに点線表示がありますが、
その点線が、建物本体とを結ぶ元々の設計にあったつなぎ梁(下の写真にも
見えます。)です。その列柱とつなぎ梁は、構造的には不必要のもので、元設
計者が地下ドライエリアに面した飲食街に降りる階段のゲートの役目をさせる
ため、意匠的に設けたものでした。その元々あった4本の列柱が足がかりに
なって、七福神の着想が生まれました。
■ 七福神は、英語で ”SEVEN LUCKY GODS ” と言いますが、まさにこの着想
が舞い降りたのは、私にとってラッキーなことでした。
■ 赤羽駅西口地区再開発は、20年を超える長期にわたり、事業が完了しました。
その間、現地の公団の再開発事務所長も何人かが引き継ぎ、交代しました。
気が付いてみれば、7代目が最後の所長でした。
まさに、”LUCKY SEVEN”でした。
■ 赤羽七福神広場
■ 七福神広場平面図
■七福神の列柱台座詳細図
七福神の制作したアメリカ人彫刻家には、七福神彫刻を置く環境を知ってもらう
ため、上記の「七福神広場の平面図」や「七福神の列柱台座の詳細図」を渡しま
した。
私は絵を描くことが好きです
■ 私は、小さい頃から絵を描くことが好きでした。
■ 小学校の6年生のときに絵画の宿題が出て、我が家の愛犬「ペコ」
(メスの柴犬・・・不二家のペコちゃんからとりました。私が小さい時
ペコと一緒に撮った写真を載せました。)を画用紙にクレパスで描きま
した。時間を忘れ夢中で描きました。
途中少し熱っぽいなと思っていましたが、気に入った出来になるまで
構わず続けました。描き終わったのは夜の12時を回っていたと思い
ます。完成した絵は、うん我ながらいい出来だ思うほど、今までに
ない出来栄えでした。熱っぽかったはずです。体温を測ったら40度を
超えていました。40度を超えたのはその時のその一度だけです。
■ 宿題の提出期限は翌日でした。しかし、熱が下がらず、私は翌日学校
を休みました。6年生のときはその1日だけを休み、それがなければ
皆勤賞だったはずです。翌々日の朝に熱が下がり、少し遅刻して
学校に行きました。
教室に入った時は授業中でしたが、遅れて出すことになった絵を教壇
の先生に持って行きました。先生が丸まってクレパスで厚塗りした
ためごわごわになった私の絵を広げて大変な驚きようでした。
突然、クラス全員に私の絵を掲げるように見せて、私の絵を誉めて
くれました。
■ 小学校6年生頃は、少し大人の写実的な観方が入ってきて、
形や色にこだわらない奔放な描き方ができなくなってきます。
たまたま、私の絵は、熱に浮かされたのか、柴犬の毛の色が
イェローオーカーでなく、実際にはあり得ない黄色、オレンジ色、赤色
や緑色が入り混じった原色で、荒っぽいタッチで描きなぐってありま
した。特に意図したわけではなく、タッチはゴッホのひまわりでした。
■ それまで、小学校で全校でただ一人絵画コンクールで賞をもらったこと
もありました。しかし、自分が絵がうまいじゃないかと思ったことは
一度もありませんでした。賞状をもらったときより、先生にただ1回、
感激した顔で、みんなの前で誉められたことが、面映ゆいけれども
うれしく、自信になりました。
■ 本業は、建築の設計が仕事です。絵が好きで、その絵を描くことと似た
仕事だろうと思い、選んだ職業です。しかし、絵を描くことと、建築の
設計は、似て非なるものでした。
■ 絵は、自分の好きなだけ、自分の気のすむまで描くことができます。
描いた絵が気に入らなければ、消すこともできるし、やり直しもでき
ます。手を動かすたびに絵ができ、変化し、その出来栄えが目の前に
広がります。絵を描いているときほど、時間を忘れて没頭できる時間
はありません。絵を描くことは自分の手でつくり、生の反応がもどって
くるため、本当の自分の生を生きている感じがします。
■ 建築の設計は、設計図を描いても、すぐに結果である建物ができる
わけではありません。指示をすることはできても、自分自身でつくる
わけではなく、職人や施工者の手を介してやっと建物が完成します。
出来栄えの良しあしはできた後にしか判断できません。
設計の結果がすぐにはやって来ず、ずっと後になってやってきます。
出来上がったものが、自分の意図したものと違うものができたとして
も、消すことも壊すこともできません。そんな場合は居たたまれない
気持ちになります。自分の思い通りになることは極めてまれで、
常に隔靴掻痒の感が拭えません。本当の自分の生から少し距離を
おいたところで生きている感じがします。
■ 絵を描く事が今でも好きですが、その機会がなかなかありません。
唯一、年賀状の挿絵を描く時だけです。今でも、挿絵を描くときは、
先の小学校6年生の時の気分で描いています。
■ 子供の頃の私と愛犬ペコ
写真右がこの記事に出てくる我が家の愛犬ペコです。
私が小学2年の時に親父がどっかからもらってきました。
雌の柴犬の雑種で、親は猟犬だったそうです。
自分より体が大きな犬でも喧嘩を売るほど負けん気が強く、
元気のよい犬でした。
私の自宅の周りはいっぱい自然が残っていましたので、
散歩に行くと猟犬の血筋が騒ぐのか、必ず飛び跳ねる蛙や蛇を追いまわし、
ペコを散歩に連れ出した人は、ペコに引っ張られて
走りながら散歩をするのが常でした。
そして戦利品である蛙や蛇を口にくわえて自分の小屋に持ち帰り、
それを動かなくなるまでいたぶって遊ぶのが日常茶飯事でした。
母は特に蛇が嫌いでしたので、母がペコを散歩に連れ出して
ペコが蛇を持ち帰ったときには、いつも大変な騒動が持ち上がりました。
「ペコ離しなさい!」と大声を出してペコを叱りつけるのですが、
ペコは決して口にくわえた蛇を離しません。
蛇が嫌いですから母は何も手出しができません。
結局いつも母が負けていました。
ろくでなしのブログの立ち上げ
■ 初めてのブログを立ち上げました。
ブログの作り方、使い方がまだよくわかりません。
よちよち歩きかもしれませんが、とにかく始めて見ました。
■ ブログのニックネームを「加藤峯男の無陸」としました。
「無陸」は「ブログ」と読んでください。上は私の本名です。
「無陸」は、「ブログ」のほか「陸で無し」の意味も込めました。
したがって、私のブログネームは、「加藤峯男のろくでなしのブログ」
という意味です。
■ 「陸」は大工用語で「りく」とも「ろく」とも読み、「水平」を意味します。
現代的デザインのビルディング等の屋根はフラット・ルーフが多いですが、
そういった水平屋根のことを、建築業界では今でも「陸屋根」と呼びます。
■ 床が水平に施工されることは、建物を造る上で最も重要な事の一つです。
何層も積み重なる建物の場合には、各階の床の水平ができていないと、
建物全体が傾いてしまい、倒壊の恐れがあります。
ピサの斜塔がいい例です。
■ したがって、昔から大工は床が「水平でない」ことを、
役立たずで「陸(ろく)でなし」と忌み嫌っていました。
越路吹雪の持ち歌に「ろくでなし」という歌がありますが、
役立たずのまっとうでない男のことを歌った歌です。
■ 私は、建築の設計の仕事を始めてもう40年以上になります。
私のブログは、この仕事で培った役にも立たない豆知識を寄せ集め、
少し斜めから見た独り言のようなものが書けたらと思い、
この名前を付けました。
■ もし、私の独り言に興味がございましたら、雑学博士を自認していますので
お便りください。
■ ハイストリートケンジントンのタウンハウス
上の写真は、ロンドンのサークル・ラインのハイ・ストリート・ケンジントン駅近く
のヴィクトリアン・スタイルの高級住宅街です。去年の正月休みに泊ったホテル
周辺の住宅街で、目に鮮やかな赤レンガに圧倒されてシャッターを切りました。





