赤羽七福神はなぜ七福神なのか | エンドウ・アソシエイツ加藤峯男の無陸

赤羽七福神はなぜ七福神なのか

■ 赤羽駅北口改札前に東口と西口を繋ぐコンコースがあります。

   そのコンコースを西口側に出ると上の写真の手前に写っている赤い丸柱を背

   せにして、鯛を捕まえている恵比寿さんが目に入り ます。

   その周辺が七福神広場です。この恵比寿さんを先頭にし、弁財天、寿老人、

   福禄寿、布袋尊、大黒天、毘沙門天七福神を見ることができます。



加藤峯男の無陸のブログ-恵比寿

■ 私が、その赤羽七福神 を企画提案者です。

  また、七福神広場を設計し、七福神彫刻を

  納入し、設置工事をしました。


■ 赤羽駅西口地区は「赤羽駅西口地区第一

  再開発事業 」で新しく生まれ変わった街です。

  その街の象徴としてふさわしく、新しくできた

  街の中心の広場に七 福神を設置したらどうか 

  と、地元権利者、北区、都市整備公団(現は

  都市再生機構)に提案し、実現したものです。


■ 七福神を提案したのは次の三つの理由によ

  ります。

  

 1.再開発でできた三つの建物の低層部が、

   すべて商業施設であった

 2.再開発地域の近くに亀が池弁財天があった

 3.七福神が商売繁盛の神様である

  

 
 以上の理由により、新しく生まれ変わった街が、
商業の街として繁栄すればとの願

 いを込めて提案しました。


■ 公にはそういった理由で提案しましたが、実は、そのきっかけとなった理由が

  もう一つあります。 

  七福神広場の設計は、その広場のある2街区建物の工事中で、完成の1年半

  ぐらい前に、公団から私に設計の依頼がありました。

  しかし、ほとんど何も決まっていなく、計画は白紙の状態でした。元設計者が描い

  た広場の実施設計図しかありませんでした。広場のキャラクターがはっきりしな

  いデザインでした。ただ駅前広場から離れた奥のほうに4本の列柱があり、繋ぎ

  梁が建物本体と結ばれていました。


■ プランをいじっているうちに、私は、4本の列 柱の西口方向の延長線上に、4本

  の列柱間距 離と等間隔に列柱を建てていくと、合計7本の列柱が建つことに 気

  がつきました。たまたま与えられた広場の大きさが、既に決まっていた4本の柱

  と等間隔で列柱を置いた場合、ちょうど7本の列柱を置くことができる大 きさが

  あったのです。これが七福神に結びつきました。


■ 下の図面が実際の七福神広場の平面図です。●印が七福神の台座に立つ7本

   の列柱です。そのうち、図面の左側の4本だけ斜めに点線表示がありますが、 

   その点線が、建物本体とを結ぶ元々の設計にあったつなぎ梁(下の写真にも

   見えます。)です。その列柱とつなぎ梁は、構造的には不必要のもので、元設

   計者が地下ドライエリアに面した飲食街に降りる階段のゲートの役目をさせる

   ため、意匠的に設けたものでした。その元々あった4本の列柱が足がかりに

   なって、七福神の着想が生まれました。




■ 七福神は、英語で ”SEVEN LUCKY GODS ” と言いますが、まさにこの着想

舞い降りたのは、私にとってラッキーなことでした。


■ 赤羽駅西口地区再開発は、20年を超える長期にわたり、事業が完了しました。

  その間、現地の公団の再開発事務所長も何人かが引き継ぎ、交代しました。

  気が付いてみれば、7代目が最後の所長でした。 

  まさに、”LUCKY SEVEN”でした。



加藤峯男の無陸のブログ-赤羽七福神広場



■ 赤羽七福神広場





エンドウ・アソシエイツ加藤峯男の無陸-七福神広場平面図

■ 七福神広場平面図




エンドウ・アソシエイツ加藤峯男の無陸-七福神列柱詳細図


■七福神の列柱台座詳細図

  七福神の制作したアメリカ人彫刻家には、七福神彫刻を置く環境を知ってもらう

  ため、上記の「七福神広場の平面図」や「七福神の列柱台座の詳細図」を渡しま

  した。