ふと はてな?

権力の権ってどういう意味なんだろう。。。

で調べてみると

「権」は古代中国で、重さを量るための分銅を意味していました。
そこから、
物事の重さを量る
↓
基準を決める
↓
物事を決定する権利・権限
↓
他人や社会に対して影響を及ぼす力
というように意味が広がっていったんですね。

なんですって。
ほうほうーーー

物事の重さを量る 分銅から来たんだねー

昔は重さや 長さ やお金の単位 もバラバラだったっていう話は聞いたことあるよねー

そいつをまとめる力が権力なんだな
なるほどねー

大混乱の時代にあっては武力を持って相手に言うことを聞かせるというのは、一定の理があったんでしょうね。

その過程でたくさんの血が流れてきたわけよね。

さらにこの過程で、こんなに人が死にすぎるのは、こんなに人が理不尽に虐げられるのは、冗談じゃない、という反省のもとに、権力の分散が図られてきたわけだね。

でその最小単位 たる権力が、自決権ということだわな。

自分の行く末は自分で決めていいでしょ!?

そうじゃないってことは奴隷ですということだ わね。

まあ もっとも実態としては、部分的自決権と言っていい状態も長く続いているということだ わね。

様々な条件に制限されながらの自決権。
ではその自決権の制限について、一人一人がちゃんと関わることができてるの? というのが大問題よね。

それに関わることができてないのに、どこかの誰かが自分の自決権のために、恣意的に他者の自決権を制限しているわけよ。

まあ 平たく言えば自分のことしか考えない バカタレがもっともらしい理屈をつけて、他者の自決権をどんどん 制限してもいいですか?
とまあこういう問いですわね。

いいですよ といえばどんどん 奴隷に近づくし、ダメですよ と言えば自分たちの自決権は最大化されていく。

今何にせよ 自らの自決権は、しっかり自ら仲間たちと一緒に守り 合わないと、簡単にバカ タレに侵食される代物だということだ わね。

これはいろんな局面で見聞きすることですわね。

家庭でもそう
組織でもそう
地域でもそう
国でもそう、
国同士でもそう、

そうなると自決権の集合体 である、自治 というのは非常に大事なことだわね。

まあ なかなか骨の折れる作業ですよ。
胆力も非常に必要だ しね。




仕事ねえ

仕事の捉え方も人によって様々なんでしょうね、、、、

ハイヤーの仕事って
どこまでも お客様の要望に合わせることを求められていると思うんだけど、
だからこそ高い 代金をお客様も支払っているんだと思うんだけど、

それに合わせる気がない
自分のライフスタイルに合わない
ということであれば、
この仕事は合わない
ということになるよね。。。

まあ 別に無理して合わせる必要もないしね。

まあ その仕事をやってみて、初めて合わないよねっていうことがわかることも多々あるだろうしね。

まあどっこい 自分の才覚で金を稼いで行くんじゃないんだったら、どうしたってその組織のやり方に大なり小なり 合わせていく必要がありますわな。

何でもかんでも嫌だと言うんであれば、独立して頑張ればいいだけのこと。

私も昔は自分たちで仕事をやってて、まあ何でもかんでも自分たちの自由というわけにはいかんかったが、やっぱりサラリーマンに比べれば、自由度は高かったよね。

気に入らん お客はお客扱いしなきゃいいわけで、そこの選択権もあるからねえ。

何回か喧嘩もしましたねー。(笑)
そりゃそうよ。
お互いに合わないんだから。
喧嘩にもなるわ。
価値観の相違ってやつですね。(笑)

今の社会のシステムが根本的に変わらない限り、働いて金を稼いで食べるという 一連の流れは変わらないですね。

さてさて生きているうちに、このシステムが変わる時代は来るかな?
スレッズの会話の中で、
#無礼 な人って多いですよね 
という話。

無礼って改めて 
なんだろうね???
皆さんはどういうのが無礼だと思いますか?

礼が無い と書きますよね。

じゃあ 礼とはなんぞや、、、

相手を1人の人間として 敬うこと、
尊重すること、
こういうことでいいんじゃないかなと思います。

礼儀というのは、それを形にしたもの。

だから相手を見下したり馬鹿にしたり、罵倒したり 誹謗中傷したり、こういうのはどれもこれも無礼な行為に当たるんでしょうね。

自分が正しい 自分は偉い 自分は何でも知っている、
相手は間違っていて相手はバカで相手は何も知らない、
とまぁかなり 思い上がった態度の人が SNS には結構います。

自分も昔は相当 思い上がっていて、偉そうの極み(決して偉いわけではない)だったので、大して知りもしないのに、偉そうにしてるわけですから、これは哀れと言うか、愚かの極みと言うか、そんな感じですね。。。

つまりは無礼になれるほど 己を客観視できずに、思い上がれるほど無知で愚か、とも言えるのかな。。。

物は知れば知るほど、知らない世界が広大無辺に広がっていくので、熟達した人はとても謙虚になっていくなあと感じています。
実るほど 頭を垂れる稲穂かな、というのはうまい表現ですよね。

人には誰しもその人固有の天才があると思うし、その人 オリジナルの 体験 体感がありますよね。それはそれぞれに素晴らしいし、尊重されるものだなと思います。

そういう見方をせずに、上だの下だの評価をするのは、やはり無礼な態度で結局自分のためにも改めた方がいいんでしょうね。

#ありがとう倶楽部 #お好み焼き社会



多数決 っていつどこで誰がどういう目的で始めたんだろうとチャッピーと話してて、
結構多数決的 なものっていうのは古い歴史があるんだね。

古代ギリシャ だの アテネだのポリスだの、
そういう話が出てきた。へーーー。

物事を集団で決めようとした時に、どうやって決めるかというのはいろんな決め方がありますよね。
多数決 もその一つ。
全員で合意形成を図るのに時間をかける熟議という方法もありますよね。
くじ引き という方法もある。

さて 多数決。
物事をさっさと前に進めたい時に便利。

まあやってみないと分からないことも多いからね。

多かった方の案でまずやってみる。
もちろん 少数派の意見も取り入れる。

さて やってみたところで、検討して、
再度議論して、多数決 やって方向性を決めてやってみる。

これの繰り返し。

多数決をやって多数になったから 正しいわけじゃない。

多数決 やって多数になったから 少数派の意見を全て無視していいわけじゃない。

そんなことをやったらそれは 数の暴力ですわね。

まあだいたい 多数派が誤ることなんかしょっちゅうあるし。

というわけで 多数決 が便利だからと言って 万能だというわけではない、と、どうもそういうことのようですね。

それを勘違いしてしまう場合は、人間 たるもの 結構あるんじゃないかな〜。

#ありがとう倶楽部 #物事の決め方
選ぶためには知ることが大切ですね。
知らないと選ぶこともできない。

旅行なんかが分かりやすいかなと思います。
何かのきっかけで知るから行ってみたいなとなるわけで、知らなかったら チョイスにもならないですよね。

人生も旅に例えられることが多いですが、
自分の人生でどういうことをやっていきたいというのを選ぶ際にも、仕事にしても生き方にしても、知るというのは大切なことだと思います。

ターゲットを定めることで、ようやく 人間は動き始めるんでしょうね。

もちろん 選ばないということを選ぶこともできますね。

生まれてきたこと自体が クエストで、放っておいてもクエストはやってくるからそれを片っ端からこなしていく。

そうこうするうちに、自分の人生の意味合いが見えてくる場合もあるんでしょうね。

子どもが育っていき、自分の人生をどういう風にしようかと考え始める年齢になった時に、どうやって 方針を決めるんでしょうね。

いろんな人がいるんだろうな。

自分で決める人
家族と相談する人
先生と相談する人
理想とする人がもう見つかっている人
色々やってみる人

自分もあれこれ うろうろしてみましたが、
やっぱり ありがとうが氣になって、
みんなの違いや天才を生かし合う社会、
お互いを尊重しあって、尊敬しあって、
ありがとうがたくさん交わされる社会がいいなあと 感じています。

だから #ありがとう倶楽部 なんてやりたいと思ってるんでしょうね。