人間を動かすエネルギーには、どんなものがあるだろう。。。

もちろん 体を動かすための生態的なエネルギーはあるよね。

それに加えて精神的なエネルギーとしては、
欲と愛があるんじゃないかな。

どちらも強いエネルギーですよね。

ああ なりたい こうなりたい
ああしたい こうしたい
こんなふうに思われたい
こんな風な立場をしめたい
お金を これぐらい欲しい

そうだ 愛されたいっていう欲もあるよね(笑)

欲 なんていうのは 人間が行動するためのものすごく大きな動機になっていますよね。

もう一つ愛もすごく大きなエネルギー だよね。

自己愛
家族愛
地域愛
学校愛
国愛
地球愛
宇宙愛

まあ 人によって愛の対象の大きさはだいぶ違うでしょうが、愛もまた人間を突き動かすエネルギーだよなあ。

こうして様々なエネルギーを糧にして、
今日もまた人間は様々なことを思い考え 実行し 結果を生み出しているんだね。




物語の恐ろしさ

物語には 魔力がありますね

悲惨なことも美談にすることができたりする力がある

百田尚樹の永遠の0を読んだ時に、
この人は話が上手すぎる、本当に天才的にうまいねと、
同時に気持ちが悪いなと思いましたね、、、

特攻 という 悲惨 極まりない 作戦で死んでいった人たちを、美化して美しい物語にしていると感じたわけです。

百田尚樹 という人もまた戦後生まれの人ですよね。
戦争を体験していない。

そういう意味で戦前に生まれ戦争を体験し、その体験を元に物語を作ってきた人たちとは一線を画すなぁと思います。

田中角栄が言ったという戦争を体験した人間が生きているうちは大丈夫だ、、、という言葉が頭をよぎります。

日本は戦後一度も戦争をしていないので、国民のほとんどが 戦争未体験者の国になっていますよね。戦争の何たるか? その悲惨さや 理不尽さ、を本質的には分からないわけです。

それ以外の苦しみの体験から、想像したり 推察したり 共感したりするのが関の山。

しかしながら こういった 苦しみの体験も、過去の日本と比べれば多くの日本人はせずに済んで成長してきたでしょう。
昭和49年生まれの私はその典型例だと思います。

生まれた頃はちょうど ベトナム戦争をまだやっていて オイルショックの頃ですよね。

その後もまだまだ日本は右肩上がりに 経済成長を続けて行きました。

バブル崩壊で経済は 頭打ちになり、何より冷戦の終結で日本の特別な地位も崩壊したと思います。

それでも 経済大国としての地位は揺るぎないものだったし、その恩恵を受けて ゆるゆると生活して来たなあ というのが 実感です。

そこへ向いて 冒頭の百田尚樹の永遠の0です。
あれは 2006年の作品なんですね。
もう20年も前のことなんだな。。。

人間にとって自由というのは とても大事だなと感じます。
自由というのは自分で選択することができる、ということでしょうね。

戦争をやってる時に自分で自由に選択するなんてことはできないでしょう。ごく一部の人間を除いてはね。
理不尽の極みの中で命を失っていく人々。
特攻 もその一例だと思います。

私もかつては そういうものがかっこいいなと思った時代もありました。高校の修学旅行で知覧の近くを通った時、先生に、秋山 だったら 特攻に行きそうだなと言われたものです。

が、成長するに連れて、実に恐ろしいことだと思うようになりましたね。

さて 物語の恐ろしさです。
私たちの生活の中に様々な物語がありますよね。そのどれもが様々な影響を私たちの考え方や生活に及ぼしています。

中でも、本当は悲惨で理不尽極まりない出来事を、美化してしまうような物語には とことん 注意が必要だと感じます。

時代に殺されるみたいな話がありますが、その時代の空気を作るのは、影響力の強い人間の言ってることだったりしますからね。(やってることはあまり見てない、そう感じます。)





朝 同僚とお風呂で話をしていて、

私が朝から笑い声を出して話をしているの 聞いてて、笑ってる方がいいよね という話をしてくれました。

月曜日の朝からしかめっ面をして、不機嫌でいるのと比べると、大きく違うでしょうね。

不機嫌というのはどっから来るのかな。

やっぱり自分の思った通りにならないというところから来るんでしょうね。

自分の思った通りにしたいというのは誰しもが思うことかもしれないけれど、どっこい 世の中 自分の思った通りにならないこともたくさんある。

なぜなら、みんなそれぞれ違うから。

ある人がいいと思ったことも、ある人はつまらないと思うことは当たり前のようにありますよね。

家族でさえ そうなんだから。
まして 他人だったらなおさらです。

となると前提がすごく大事だなと思うんですけど、

他人と自分は同じ人間だ、だから同じような感覚でいるものだという前提だと、同じような反応してくれないことが多々現れてきて不機嫌になりやすいんじゃないですかね。

反対に 他人と自分は別の人間だ、反応も様々 違うものだという前提だと、違う反応が出てきてもまあそれはそうだよね、ということで相手の反応に引きずられて不機嫌になるということは少なくなるんじゃないですかね。

前提というのは その人の常識と言ってもいいかもしれませんね。

あいつは常識がないと言って怒ってる人が散見されますけど、それはその人の常識であって 世間一般の常識であるかどうかというのは、必ずしもそうとは言えないですよね。

まして 今世間自体が大きく 流動的な時代にあっては、世間一般の常識というのも 果たして存在するのか? 極端な話 人を殺すということでさえも、人を殺してはいけません という常識を持っていないんじゃないか?という人たちが散見されませんか?

それぐらい 常識がぐちゃぐちゃの時代に私たちは生きているんじゃないですかね。
これはもちろん 極端な例ですけどね。

というわけで、なかなか難しいことではあるのかもしれないですが、人と人の違いを意識しながら なるべく 自分がご機嫌よろしく生きていく方法を身につけておくというのは大事なことなんじゃないかなと、改めて感じたような次第です。
同じ国の人間だろうが 
違う国の人間だろうが、
やっぱり国も言葉も 生活環境も貧富 も能力もありとあらゆるものが違うよね。

当然 考え方も違ってくる 
それを 大前提として考えたら、違いにフォーカスしている限り、自分を基準として考える限り、世の中には 違和感 ばかりになるわね。。。

あげく それを敵 認定してしまうということをいつもやっていると、さらに敵は攻撃してもいいという OK を自分に出してしまうと、本当に歯止めが効かなくなるよね。。。

何せ 自分と全く同じ考えの人間は一人もいないのだから。。。

それを 大前提としながら いかにして共存を図るかという感覚の人間たちを増やしていかないと、ほどよく 競い合いながら、しかし 違いを尊重し合いながら、適度な緊張を保ちながら 共存するという、平和な状態は生み出せないんだろうね。

みんな仲良く というのは聞こえはいいけれど、やっぱり結構 雑な考え方なんだろうな。。。

みんな違う しかしそれを認め合い、尊重しあいながら 共存する、
というのが、現状ではまずまず マシな状態なんだろうね。



想像力や共感力って改めて大事だなぁと感じます。

今回 千葉で大雨 災害があって、多くの人達が苦しんでいるのに、それに共感を示す どころか、だからお前たちはダメなんだ と言わんばかりのことを言っている人たちもいますね。

何を勝ち誇ることがあるんだろうか??

人間というのは実にバカタレだなと思わざるを得ない。
いや、人間というのは実にバカタレな部分も持ち合わせているんだなぁということですかね。

8月ですから 戦争の話題もたくさん出てきます。

戦争に関しても同じようなことが言えるかな。

想像力や共感力の元になっているのは 実体験だと思います。

私は骨折したり アトピーだったり 潰瘍性大腸炎だったり白内障になったり 喘息だったり、、、まあ 色々しんどい思いをして今まで生きてるわけですけど、こういうのを色々体験してると痛い 苦しい 辛い、という実感がどういうものかは 分かります。

それをいろんなことに当てはめると、辛かろうな、しんどかろうな、という風に感じるわけです。

優しい人というのは、元々優しい人もいると思うんですけど、苦しい思いをしたから 優しくなったという人も多いでしょう。

やっぱり様々なことを体験 体感してるということは大事なことですね。

それがあったればこその、想像力や共感力だなあとつくづく感じる次第です。

#ありがとう倶楽部