こんなご案内をいただきましたのでご紹介。



PDD ASD 研究 乃 卵-フクロウとヒョウタンの神様


アトリエ・アウトス展-自閉症 その内的世界の表出Ⅳ-
2009.6.25~6.30 10:00~20:00(最終日18:00)

今回で4回目の開催となります。
自閉症という障害をもつ7人の作家たちが、その特性から来る独自の世界を作品の中に表現しています。
見るひとの心を惹きつける世界に触れてみませんか?
☆関連グッズ販売します

場所
ROOF GALLERY
玉川高島屋S.C.本館R階 ルーフギャラリー
東京都世田谷区玉川3-17-1

出典:村上治、松岡洋, 2007, 自律訓練法とバイオフィードバックによる効果がセルフ・コントロールの認知的側面に及ぼす影響 -セルフ・コントロールの二次元的評価尺度を用いて-, Japanese Journal od Autogenic Therapy, 27(2), 32-41



はじめに

学校教育の場における心の問題として、情動や行動等の自己による調整、いわゆるセルフ・コントロール(以下SCと表記)の不全の問題であり、その育成の重要性である。


Rosenbaum(Rosenbaum. M, 1989, Self-control under stress; The role od learned resourcefulness Advances in Bahaviour Research and Therapy, 11, 249-258)は、

調整型SC(情動的・認知的反応を制御し恒常性を回復させるために行われるストレス情況への対処)と、

改良型SC(より望ましい行動へ変容させるために行われるもの)

の2種類のSCがお互いに保管し合うもので、それらを二次元的に評価する重要性を指摘した。


著者は、その提言を基に日常生活場面における二次元適評かを可能とする尺度RRS(Redressive-Reformative Self-control Scale)を開発した。

セルフコントロールには自律訓練法(AT)およびバイオフィードバック(BF)が含まれており、この研究では、AFとBFの各技法と両技法を併用した計3種類の訓練による効果が、2つのSCの認知的側面に及ぼす影響を確認することを目的とし実施した。



方法

大学生28名、専門学校生23名の計51名(男性16名、女性35名)

AT群13名

BF群13名

AT+BF群13名

統制群12名  

平均年齢20.9歳(SD2.08)


概要説明前および訓練期間終了後において、被験者全員にRRSを実施し、訓練期間前後におけるSCの二次元的評価の変化を調べた。

バイオフィードバックの自己評価には末梢皮膚温を使用した。



結果

1)ATおよびAT・BF併用による訓練は、SCの認知的側面に影響を及ぼし、主として改良型SCに変化をもたらす

2)ATおよびAT・BF併用による訓練は、行動面における肯定的変容を促す可能性が示唆された

3)ATとBFの併用は、単独実施に比べ訓練を容易にし促進する傾向が示唆された


〈訓練実施時に使用した方略に関する内省報告〉

・イメージを利用する(入浴・太陽光を浴びる)

・呼吸を整える(長く、深くする)

・意識を集中し、具体的に念じる

・身体の力(肩の力など)を抜く


〈身体的および心理的変化に関する内省報告〉

・気分が落ち着き、リラックスできるようになった

・集中力がついた

・寝付きが良くなった

・各場面で自分をコントロールできるようになった

など


考察

結果は、教育臨床場面においてSCの能力育成を図り、SCによる行動制御を取り入れる際の方略を提示する点で意義深いと思われる。今後、自己の潜在的な支援を最大限生かしたSCを実現するため、支援ツールとしてのBFが果たす機能と役割の検討が重要であろう。

今後の課題としては、SC技法の持つ特性と、技法を適用した場合のSCの育成方法の確立を目指すことが必要である。

また、RRSを実施を用いた査定により個々のもつSCの特性を明らかにし、その特性に応じた方略の検討を通して、より効果的なSCの育成方法の確立を目指すことが必要である。




★セルフコントロールについて、具体的な報告を交えながら評価を行っている。

1次元ではなく、2次元的に評価したところはこの研究のユニークさ(独創性)となる。

実験群、統制群、実験前後と実験研究のデザインとしてもきちんとした手順を踏んでいる。

この研究の限界については触れられておらず、その部分の考察は必要であったように感じる。


出典:當眞 聡子 2007 ADHD等児のセルフコントロール能力を育てるための支援の工夫  ~学級活動を通して~,那覇市立教育研究所研究員報告書 平成19年度,p26-37


セルフコントロールとは,『大辞林』によると「感情や欲望を抑えること,自制,克己」とある。


また,『研究紀要第33 集』における雫石弘文らの研究によると,ADHD児のセルフコントロール能力の未熟さとは,「自分の衝動に応じてすぐに行動してしまう」とある。


ADHD・アスペルガー症候群を併せ持つ児童は,過度におしゃべりをしたり,ルールが守れない,順番を待つことができない,極端なこだわりを持つ等の特性を持っている。そのためトラブルも多く,他の人との関わりを苦手とする。


このような児童のセルフコントロール能力とは,学校生活においては,授業中に席を立たない,給食時間のマナーを守る,協力して掃除をする,友だちと仲よく遊ぶ等,集団の中で生活をしていくための能力の一つであると考える。



★この報告では、集団にあった生活ルールを取り入れることにより、セルフコントロール能力の促進に役立てた事例を紹介している。

ADHD児のみへの生活ルールではなく、集団に対してアプローチすることで、効果的な環境作りに至った経緯にあることが見て取れる。

環境調整からセルフコントロール能力を高めるという考えは良い印象を受けた。




特に仕事場面を想定して。

1)5W1H(いつまでに、何を、どのくらい、どこへ、どのように、など)を具体的に示す。

2)こだわりによって続けられている作業は、全体業務の支障とならなければ無理に修正しない。

3)文書またはメールにて指示する。

4)集中しすぎる場合があるので、休息を具体的に支持し、休息できる環境も用意すると良い。

5)期待する成果があったときは、繰り返し具体的にポジティブフィードバックする。


出典 角田直枝, 2008, 訪問看護と介護, 13(9), 755



*社会学者の視点から発達障害を論じた稿。
 ラベリング論の視点は、人々が発達障害をどうみるかということを議論するのに役立ちそうだ。
ただし、これはあくまでも一視点であって、これがすべてを説明できるわけではないと思う。
 また、いかなるときも、誰が主役かを考えることは大切であると思う。つまり、発達障害は、発達障害を持つひとの立場で先ず論じられ、それから周囲の認識を論じる必要があるということ。
そのことを踏まえて、以下のレビューを読んでいただければと思う。




出典:渡部真, 2008, 訪問看護と介護, 13(9), 748-751


発達障害とラベリング論
・社会学のラベリング論が発達障害についての認識を説明するのに適切と考え、ラベリング論が紹介されている。

・ラベリング論の代表的な本では、
 大村英昭『非行のリアリティ』:「メガネ!」などとラベリングされることで不愉快な思いをするなど、あるひとの一部の情報を『全人格を予想したもの』に類別してしまうことは、社会現象として存在する
 このようなことが示唆されている。

・ラベル貼りの例と問題としての扱われ方:
 「非行少年群」「一般少年群」の遺伝的要因、家族環境、学校への適応度、友人関係など調べられる。しかし、「非行少年」「一般少年」は別種として扱う。

・上の例に対してラベリング論の考え方:
 「非行少年」「一般少年」への名づけ、そのものへの妥当性が疑われる。

・ここで問題になるのは、自分を正常と考える人間が他の人間を異常と裁く滑稽さである。決定的にかけているのは自分も異常なところがあるかもしれないという自己洞察である。
 逆に、そうした自己への疑いを忘れない人間は、むやみに人を裁いたり、マイナスのレッテルを貼ることに注意を払うかもしれない。


発達障害と現代社会
・なぜ、発達障害という言葉がこれほどもてはやされているのか

1)精神医学や心理学の発展により、それらが取り扱う概念が広がっている。

2)「心理化した社会」:自分の心を精神医学や心理学の言葉を使って説明してもらいたいという人々の強い欲求。専門家に相談すれば問題が解決するという考えが介在している。

3)日本では、現代の人々が精神的に追い詰められている可能性がある。「他人に厳しく、自分にやさしい」タイプのひとが他者をラベリングする場合、たとえば介護者が非介護者をラベリングするなど。問題の根本原因は経済構造や社会構造にあるといえる。

出典:堀内桂, 2008, 訪問看護と介護 13(9), 731-736

発達障害とは
近年、医療福祉で発達障害という用語が使われている場合、2005年に制定された発達障害支援法に定義された発達障害を指すと考えたほうが良い。
・学習障害は妥当性のある検査で知能に遅れはないが、読み、書き、計算のいづれかもしくはこれらが混合して習得できない状態を指す(世界的診断基準にない)
・注意欠陥多動性障害は7歳くらいまでに多動、衝動性、不注意がそろって見られる場合に該当。継続的に、複数の場面に見られる場合とする診断基準もある
その衝動性は攻撃的と誤解されることが多いが、反応が出し抜けであるという意味合いである
・広汎性発達障害は3歳くらいまでに想像力、コミュニケーションや対人関係を調整する態度など多様に障害がある。もしくはその方法が独特であること


アスペルガー症候群や知能の高い広汎性発達障害(PDD)の再発見
・PDDの研究は1940年代半ばから始まっている
・1960年代より疫学研究が盛んになり、脳の機能障害という仮説が浮かび上がった
・自閉症スペクトラム(ASD)は幼少期に明るく活発でも何かのきっかけで急に自閉的になる人もいる
・PDD(ASD)の概念;ウイングによってスペクトラム(連続体)の概念は提唱された
X軸=言葉の軸 多い-少ない
Y軸=対人関係の軸 積極的-回避的
Z軸=知能の軸 高い-低い

言葉が多く、対人関係が積極的→アスペルガータイプ
言葉が少なく、対人関係が回避的→自閉症タイプ
どちらにも当てはまらない→特定不能型


3つの組の背景にある特別な情報処理と身体感覚
(想像力の障害)
・共通する要素は脳の情報処理機能の障害
・記憶の中枢である海馬の働きが独特で、些細なことも強く記憶しているかもしれない
・記憶がひとつの映像として強く結びつくため想像力が働きすぎるともいえる
 →前はこうだったから、今回もそうに違いないと思う
・よって、決められたとおり行動するのは得意だが、状況にあわせて行動を変更することは苦手である

(コミュニケーションの障害)
・成人期まで発達障害が見過ごされてきた人は言葉の発達が早いひとが多い
・PDDのひとにとって言葉は記憶であり、意思伝達の道具でない場合もある
・たとえば「机をのせる」「机にのせる」は「を」と「に」によって言葉の意味が逆転してしまう。PDDのひとは同時処理が有意に働くため、簡単なことも長い言葉を使うと取り違いが起こってしまう。
・多くの要素をつき合わせて全体として整合性のある要素として捕らえるのも苦手で、非言語的コミュニケーションによる多様な情報から正しい意味を読み取ることが難しくなる。
・シングルフォーカス:何かに注意を向けると、それ以外が入力されにくい
・誰かのこころの中に信念のようなものが保存されていること自体が非常に分かりにくいという実験結果がある
・感覚には個人差があり、特定のものに過敏(米が口の中に当って痛い)もしくは鈍感(尿意や空腹)になることがある。また、感覚は精神的疲労とともに変動する。
・記憶:想起の際にいつの間にか何年か前に戻っていて自分でも気づかず喋っていることがある。これをフラッシュバックなどと呼ぶ人もいる。解離や妄想と勘違いされることもある。注意の向け方が一旦過去に無とそれを途中で修正するのが難しく、たびたびいやな記憶が加工されないまま生生しくでてくることもあるため、過去回帰的なカウンセリングは危険を伴う。

(まとめ)
・援助方法:グラフィックオーガナイザー、筆談、メールなどは効果的
・記憶されたことの訂正はききにくい:曖昧なことは曖昧に、厳密なことは厳密に表現し、できるだけ肯定的な表現を使う
・想像しにくかったことの振り返り:カトゥーニング(漫画化)、コミック会話などが有効な場合がある




追記:
コミック会話の本

こんな本、見つけました。
産業革命

モノの交流←→貧困層の人は移動できない

資本主義の一人勝ち

先進国のパワーゲーム

格差の社会とグローバル化

地球環境問題への注目

オイルピーク

燃料への不安、バイオマスへの注目

世界的金融危機
                        ←いまここらへんか?
途上国での深刻的な経済危機

持続可能な社会へのつまづき

環境問題の悪化の懸念

金融のみならず社会全体の機能不全

文明の衰退



このシナリオはイヤだなー。

出典:鄭 庸勝, 2008, 訪問看護と介護 13(9), 727-730

高機能PDD成人の困難
〈何故高機能PDD成人で困難が生じるか〉
高機能PDDは幼児期にその特徴に気づかない場合が多い
・始語や二語文の出現時期に問題ない、もしくは遅かったとしても言葉が出始めると語彙が急に増えることもある
・会話が展開しなくても明らかなコミュニケーション障害はないようにみえる


以下、幼少期の困難▼
●社会性の障害
・悪気はないが結果的に不適切な言動を取ってしまう
・そのつどの状況や相手の思い、適切な行動について教えていけば子どもは社会性を学習することができる

●コミュニケーションの障害
・抽象的なメッセージが持つ言外の意味や曖昧な表現を理解するのが苦手である
・簡潔、具体的で明示的な表現で誤解が解ければ、本人が不安感などに悩まされることが減る

●想像力の障害
・見通しを立てることが困難である
・変化に不安を感じやすく、周囲にあわせようと頑張っても、自分のペースで続けられないとうまく行かないことがある
 ・上記によって協調性がないと叱られ、一方的に我慢を強いられることが多い

これらがベースにあって青年期・成人期に困難な状況に陥るのだという理解が支援者には必要。
周囲からの配慮、支援をきちんと受けられなかった事例で困難が生じやすくなっている。


〈精神医学的問題と就労困難〉
●成人期の診断の困難さ
・自閉症やアスペルガーの診断基準は幼児期の正確な状況がわからないと判断できないつくりになっている
・そのため、措置的に特定不能の広汎性発達障害という診断も存在し、その数は増えているらしい
・基本的にPDDには医学的治療はない
・専門職でもPDDを誤解しているひとがおり、そのことで安易にPDDと診断されるひとが増えるのは結果的に障害への誤解を生むことになる

●合併症
・うつ病、統合失調様幻覚妄想状態、強迫性障害、不安障害、解離性障害など、定型発達者の有病率よりの高いと予想される

●就労継続の困難
・PDDのまじめさにより、自分にあった仕事と環境が整えば定型発達者以上の能力を発揮することもある
・アインシュタイン、ダーウィンなどは後年PDDを疑われた(ビルゲイツは発達障害者の大会でゲストとして登場したことがある・・・らしい、ですよ。)
・職場では、顧客との会話で意味を察知できなくなったり、自分に話しかけられているのに気づかなかったり、職場のマニュアルを他のひとが要領よく変えてしまうのが許せなかったり、自分の手順でないと行動をスムースに移せないなどが起こりうる
・学校での不適応を契機に家から出ることが難しくなって就労自体難しくなることもある
・家から出られないことで、医療機関にもいけず、未診断のケースも一定数存在するかもしれない

〈まとめ〉
上記の特徴を理解し、間違いを責めるのでなく、具体的な助言が必要


personal memo
reference
神尾陽子 他 2006 自閉症スペクトラム青年のネガティブ表情に対する過敏性, 児童青年期精神医学とその近接領域, 47(1), 16-28
 友人のところに、ブロックタワー(? 積み木(バー)を積んではさいころを振って順番に色のバーを引き抜くドキドキゲーム、崩したら巻け)がありまして、休みの日の午前中から友人(とその友人)約10人で遊んでいた。
本来の遊び方にも飽きた彼らは、「積み木遊び」を始めた。
私は眠くて参加するのにも気乗りせず、それを眺めていた。
彼らは高速道路やパーキング、城と城壁をつくったり、複雑なドミノを試行錯誤しては壊していた。

 ふと、はないちもんめ のことを思い出した。
はないちもんめは独特の節で「○○ちゃんが欲しい」と相手チーム要員を奪い合うゲームである。
今思えば日本社会の村八分思想を反映したような恐ろしいゲームであると感じた。
しかし、ふと思ったのは、これもある種の「遊戯療法」だったのではないかということ。
集団を尊重する日本のような社会における排他性は、ブログでの匿名での誹謗中傷といったマナーの悪さに繋がっている。
なぜなら、個人を尊重するいわゆる欧米圏の社会モデルでは、いじめや上記のようなマナーの悪さは目立たない印象があるためである。
 集団を尊重するからこそ、「他者」と認識されたものに対して日本人(アジア圏のいくつか国にもある程度共通性はあると思うが)のいじめ・バッシングの仕方は半端でない。
それを代替し、子どものうちにあるていど昇華できるのが はないちもんめ なのかも知れないと感じた。

 日本童謡事典 / 上笙一郎. -- 東京堂出版, 2005.9(KG2-J1)(子ども図書館所蔵)では、
 「花いちもんめ」(p.317)に「江戸や明治期の文献に同じ遊びが見られないことから、比較的最近になって形が整えられた遊びといえる。高橋美智子は『京都のわらべ歌』(一九七九年・柳原書店)のなかで、「京都市内でうたわれていたものが、昭和の初期に全国に分布した」とし、昔からさまざまに伝承されてきた子もらい遊びの唄が洗練を重ね、いちばん美しくまとめられた形が「花いちもんめ」だと述べている。」とある。
(出典: http://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000014028)

 個人的には江戸や明治期に文献が見られないという記述が興味深い
つまり、江戸の鎖国が崩れ、日本にとっての本格的な国際化の第一弾は明治以降である。
そこで、他国の文化や思想に触れ、村八分的な思想についていろいろ思うところがあった人もいるかもしれない。
日本の今までの「当たり前の考え方」に他国の「違う価値観」が流入し、混乱した人にとっては「集団の排他性」と「個人の尊重」のという両極端の考え方は相容れない、しかし受け入れなければいけないものだったのだろう。

 集団主義をまもる一手段としての村八分は、そのころから疑問視する人も増えていたかもしれない。
そこで、遊戯療法的に普及したのが「はないちもんめ」かもしれない。

ちょっと発達障害の本流の話ではないですが、差別の構造を考えるに当たってのひとつのアイディアとして。

看護における発達障害研究は依然発展途上の段階にある。その研究報告は数少なく、日本における研究実態については木戸らの研究によって右のような結果が明らかになっている。(木戸久美子 他 (2008)発達障害をもつ人への看護の実態に関する文献的考察、 山口県立大学看護栄養学部紀要、125-29)うちほとんどは発達障害児と親に関する研究が見受けられ、一方で成人のPDDを扱う研究は日本にほとんど存在していない。 水間による成人期に発達障害を告知されたケースの研究(水間宗幸(2006)成人期に発達障害を告知されたケースのライフステージからの検討、九州看護福祉人学紀要、8(1)88-92)のようなケーススタディレベルのもの、そして解説や総説なども多い。(細川正人(2008)【成人の「発達障害」を理解する】広汎性発達障害を伴う処遇困難事例と援助、訪問看護と介護、13(9)743-747 他)

障害受容に関すること

 

5件

親支援

 

23

日常生活指導

 

6件

教育

 

2件

外国における看護の紹介に関するもの

 

2件

リスクの高い行為への介入

 

6件

発達障害の認知

 

1件

遊び

 

1件

他部門との連携

 

4件

医療場面におけるプレパレーション

 

2件

 

計  52

日本のみならず他国においても成人の発達障害研究は小児のそれに比して非常に少ない。Pubmedにて(pervasive developmental disorder OR autism spectrum disorder) AND nursing care AND adultでの検索で69件が該当したが、自閉症児または広汎性発達障害者を持つ親がどう対処しているかについての文献が目立った(Higgin DJ . et al.,2005Factors associated with functioning style and coping strategies of families with a child with an autism spectrum disorder, Autism, 9(2):125-37.など)。

そのなかでも成人広汎性発達障害者に注目した文献も見受けられたが(Stokes M. et al. (2007)Stalking, and socilal and romantic functioning among adlescenrs and adults with autism spectrum disorder, J Autism Dev Disord., 37(10), 1969-1986)(Ganz ML . (2007The lifetime distribution of the incremental societal costs of autism. Arch Pediatr Adolesc Med.161(4):343-9. (McIntyre LL et al.,2002Behaviour/mental health problems in young adults with intellectual disability: the impact on families. J Intellect Disabil Res. 46(Pt 3):239-49.これらは成人PDD者の行動や情動面に着目している。

しかし、行動障害に注目するだけでは社会不適応が解決するわけではなく、当事者と彼らをとりまく定型発達の者が抱える具体的な問題をコミュニケーションや社会性や人間関係といった側面から理解し、適切な補助・援助が供されることで実践的看護アプローチに結びつくと推測される。

さらに現時点では社会不適応という「現状」に言及する研究は目立つが、「介入」の研究は希有であるようである。例えば社会のルールへの意識の欠落情動的に不適切な行動も指摘され、(Gillberg, C. (2001) Asperger syndrome and hi functioning autism: Shared deficits or different disorders? The Journal of Development and Learning Disorders, 5, 81-94) 実用的言語と非言語的コミュニケーションに弱いこともあげられている(Tantam, D. (1991) Asperger syndrome in adulthood. In U Frith(Ed) Autism and Asperger syndrome, Cambridge: Cambridge University Press, 147-183)。一般的には年齢に伴って社会性はある程度発達するものの、適切とはいいがたい社会的コンピテンスや社会的規範における問題を持ち続けるという報告がある(Osmond, G. L. et al., (2004) Peer relationships and social and recreational activities among adolescents and adults with autism, Journal of Autism and Developmental Disorders, 34, 245-256) 。

PDDの成人が社会的障害と人間関係の希薄さに苦しんでいるという結果にも言及もあるが、(Engstrom, L. et al., (2003) Psychosocial functioning in a group of Swedish adults with Asperger syndrome or high-functioning autism, Autism, 7, 99-110) 、小児や重度の知能低下のある人々に比して、高機能(ここではWAIS知能検査でIQ70以上を仮定する)のPDD者のニーズに対する指導法や援助、社会適応へのサポートはまだ確立していない。




★自分が成人・高機能のPDDがとても気になっていたとき、同じようなことを考えている人の本に出会い、やはりこれだ!と確信した。
発達障害の「実態」はある程度研究されていても、「介入」はまだまだ少ない・・・。