*社会学者の視点から発達障害を論じた稿。
ラベリング論の視点は、人々が発達障害をどうみるかということを議論するのに役立ちそうだ。
ただし、これはあくまでも一視点であって、これがすべてを説明できるわけではないと思う。
また、いかなるときも、誰が主役かを考えることは大切であると思う。つまり、発達障害は、発達障害を持つひとの立場で先ず論じられ、それから周囲の認識を論じる必要があるということ。
そのことを踏まえて、以下のレビューを読んでいただければと思う。
出典:渡部真, 2008, 訪問看護と介護, 13(9), 748-751
発達障害とラベリング論
・社会学のラベリング論が発達障害についての認識を説明するのに適切と考え、ラベリング論が紹介されている。
・ラベリング論の代表的な本では、
大村英昭『非行のリアリティ』:「メガネ!」などとラベリングされることで不愉快な思いをするなど、あるひとの一部の情報を『全人格を予想したもの』に類別してしまうことは、社会現象として存在する
このようなことが示唆されている。
・ラベル貼りの例と問題としての扱われ方:
「非行少年群」「一般少年群」の遺伝的要因、家族環境、学校への適応度、友人関係など調べられる。しかし、「非行少年」「一般少年」は別種として扱う。
・上の例に対してラベリング論の考え方:
「非行少年」「一般少年」への名づけ、そのものへの妥当性が疑われる。
・ここで問題になるのは、自分を正常と考える人間が他の人間を異常と裁く滑稽さである。決定的にかけているのは自分も異常なところがあるかもしれないという自己洞察である。
逆に、そうした自己への疑いを忘れない人間は、むやみに人を裁いたり、マイナスのレッテルを貼ることに注意を払うかもしれない。
発達障害と現代社会
・なぜ、発達障害という言葉がこれほどもてはやされているのか
1)精神医学や心理学の発展により、それらが取り扱う概念が広がっている。
2)「心理化した社会」:自分の心を精神医学や心理学の言葉を使って説明してもらいたいという人々の強い欲求。専門家に相談すれば問題が解決するという考えが介在している。
3)日本では、現代の人々が精神的に追い詰められている可能性がある。「他人に厳しく、自分にやさしい」タイプのひとが他者をラベリングする場合、たとえば介護者が非介護者をラベリングするなど。問題の根本原因は経済構造や社会構造にあるといえる。