友人のところに、ブロックタワー(? 積み木(バー)を積んではさいころを振って順番に色のバーを引き抜くドキドキゲーム、崩したら巻け)がありまして、休みの日の午前中から友人(とその友人)約10人で遊んでいた。
本来の遊び方にも飽きた彼らは、「積み木遊び」を始めた。
私は眠くて参加するのにも気乗りせず、それを眺めていた。
彼らは高速道路やパーキング、城と城壁をつくったり、複雑なドミノを試行錯誤しては壊していた。

 ふと、はないちもんめ のことを思い出した。
はないちもんめは独特の節で「○○ちゃんが欲しい」と相手チーム要員を奪い合うゲームである。
今思えば日本社会の村八分思想を反映したような恐ろしいゲームであると感じた。
しかし、ふと思ったのは、これもある種の「遊戯療法」だったのではないかということ。
集団を尊重する日本のような社会における排他性は、ブログでの匿名での誹謗中傷といったマナーの悪さに繋がっている。
なぜなら、個人を尊重するいわゆる欧米圏の社会モデルでは、いじめや上記のようなマナーの悪さは目立たない印象があるためである。
 集団を尊重するからこそ、「他者」と認識されたものに対して日本人(アジア圏のいくつか国にもある程度共通性はあると思うが)のいじめ・バッシングの仕方は半端でない。
それを代替し、子どものうちにあるていど昇華できるのが はないちもんめ なのかも知れないと感じた。

 日本童謡事典 / 上笙一郎. -- 東京堂出版, 2005.9(KG2-J1)(子ども図書館所蔵)では、
 「花いちもんめ」(p.317)に「江戸や明治期の文献に同じ遊びが見られないことから、比較的最近になって形が整えられた遊びといえる。高橋美智子は『京都のわらべ歌』(一九七九年・柳原書店)のなかで、「京都市内でうたわれていたものが、昭和の初期に全国に分布した」とし、昔からさまざまに伝承されてきた子もらい遊びの唄が洗練を重ね、いちばん美しくまとめられた形が「花いちもんめ」だと述べている。」とある。
(出典: http://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000014028)

 個人的には江戸や明治期に文献が見られないという記述が興味深い
つまり、江戸の鎖国が崩れ、日本にとっての本格的な国際化の第一弾は明治以降である。
そこで、他国の文化や思想に触れ、村八分的な思想についていろいろ思うところがあった人もいるかもしれない。
日本の今までの「当たり前の考え方」に他国の「違う価値観」が流入し、混乱した人にとっては「集団の排他性」と「個人の尊重」のという両極端の考え方は相容れない、しかし受け入れなければいけないものだったのだろう。

 集団主義をまもる一手段としての村八分は、そのころから疑問視する人も増えていたかもしれない。
そこで、遊戯療法的に普及したのが「はないちもんめ」かもしれない。

ちょっと発達障害の本流の話ではないですが、差別の構造を考えるに当たってのひとつのアイディアとして。