サボリ過ぎちゃって♪
(≧∀≦*;)ゞ
12月やし、もぉすっかり寒いやん…
((( ;゜゜)))
遠ざかるばっかりの季節のつづき…
7月11日♪日曜日♪
めっちゃエエお天気🎵
ヽ(*≧∀≦*)ノ
実は、
ツレ(♂)の水先案内人で
(*・ω・) (*≧∀≦)ノ
夏の


宇治を徘徊♪
源氏物語ミュージアム♪
八宮邸のモデル(?)
世界文化遺産 宇治上神社♪
副門から境内に入ると拝殿(鎌倉時代)♪ソノ北側回って拝殿のウラ側へ♪
拝殿のウラの本殿♪御祭神・莵道稚郞子コト『宇治天皇』の話♪本殿脇の末社とか…
もぉ1つの八宮邸のモデル候補
宇治神社♪
参道を逆に歩いて♪神兎の手水舎や大鳥居を抜けて、神社の境内を出て♪
宇治神社を出て、
福寿園を断念、宇治川沿いの朝霧通を北上♪離宮水、京都府茶業会館を過ぎて…
橋寺放生院♪
橋寺を出て北上、源平合戦を偲びつつ宇治橋を西へと渡って、平等院表参道でランチ♪
平等院表参道♪お茶の産地らしいお店たち(『上林』僭称の件含む)見て歩いて♪
光源氏の子・夕霧左大臣の別荘のモデル
阿字池のほとり歩いて♪北翼廊(右側)~鳳凰堂正面♪鳳凰堂の景色をタンノウ…
阿字池の西のほとり、鳳凰堂のウラ(西面)を歩いて…
ココまで来た道♪
ほら🎵
『源氏物語』の源氏とゎちゃうケド、
いちお~
『源氏』やな🎵
(*≧∀≦)ゞ
もち♪入るよね~♪
(*・ω・)八(*≧▽≦)σ
で、

正面(西)に向き直って、

塀のソバには、
ナナメにのびた石畳の先に、
不動堂コト

最勝院の本堂♪
さっき浄土院トコでゆうてた話:
平等院て、モトモト天台宗(三井寺=寺門派)に属してたんが、
中世の戦乱で荒廃しちゃって…
🍂
室町時代、ソノ復興のために塔頭・浄土院が建立されて浄土宗の管理下になって♪

ソレが江戸時代に入って
江戸初期の17世紀半ば(1650年台)に
天台宗が盛り返して
コノ最勝院が建立されて、
平等院の管理をめぐって天台宗vs浄土宗でモメて、
(o; ̄^ ̄)o ((ヾ(≧皿≦メ)ノ))
寺社奉行の裁定で
交代制の共同管理になったんやて♪
(*≧∀≦)b
災難除け不動明王♪
不動堂なんやし言わんかてわかるゎね
(((^^;)
ソノ
不動堂への石畳から

手前で分岐して、

なんかの石塔♪

ソノ右手(西)には
池殿地蔵尊やて♪

石塔の前には、

案内の駒札♪

源三位頼政公の墓 宝篋印塔
源頼政は、保元・平治の乱で武勲を挙げ、平清盛の奏請により、源氏として初めて従三位に叙せられました。
歌人としても名高く、勅撰集に優れた和歌を多く残しています。
治承4年(1180年)5月26日平家追討の兵を挙げた頼政は宇治川で平知盛軍の追撃を受け、平等院境内にて自刃しました(齢76歳)。
辞世
埋もれ木の花咲くこともなかりしに
身のなる果てぞ悲しかりける
・・・
う~~~~ん…
(≧∀≦*;)
こまかいカモやけど…
「源氏として初めて従三位…」
てゆうんは、
『源氏』やのぉて『清和源氏』に訂正しなアカン気ぃする…
φ(≧∀≦*) (((^^;)
減点やし、合格点はあげれへんな
源氏ゆうたら
源平の争乱を制して武家による全国政権を樹立した源頼朝たち
武家の清和源氏て思う人が多い(?)かもやけど、
『源氏物語』の
光源氏
みたいな貴族の源氏の方がむしろ先発…
いちおコノblogタイトルも『源氏物語 宇治紀行』やし
(≧∀≦*;)ゞ
光源氏のモデルの1人でもある
河原左大臣・源融(みなもとのとおる)たち嵯峨天皇(第52代)の皇子・皇女が源氏の姓を賜った嵯峨源氏が日本の『源氏』の最初🎵
中国の南北朝時代の北魏の故事をマネしたん
以降、
仁明源氏♪文徳源氏♪陽成源氏♪光孝源氏♪宇多源氏♪醍醐源氏♪村上源氏とか
21人もの天皇の子孫が源氏になったんやけど…
コノ『源氏』の最初『嵯峨源氏』の
源融(平安初期の人)なんか
左大臣で従一位やし、
頼政より約300年も前にヨユウで三位越え♪
(*≧∀≦)σ)∀`)
案内板サンしっかりw
で、
清和源氏ゆうたら、
平家を倒して鎌倉幕府を開いた源頼朝の家系が嫡流(本家筋)ていわれてるケド…
清和源氏の始祖が
源経基♪
(清和天皇の六男の子、六孫王)
平将門の乱、藤原純友の乱の鎮圧に貢献♪
京都の六孫王神社のご祭神♪
ソノ長男で嫡男(アト取り息子)てゆう
源(多田)満仲が
藤原摂関家に接近♪ソノ政敵排斥の陰謀もお手伝い♪
摂津国多田を本拠地にして栄えて
摂津源氏(多田源氏)て呼ばれて、
ソノ満仲の長男
源頼光が継承♪
酒呑童子ら鬼退治で有名な人♪
ソノ頼光の子孫が
領地の多田荘を継いでって、
((((*・ω・)_/ヽ( *・ω)
末裔の多田行綱が、源頼朝に多田荘を奪われるまで続いたん
ソノ頼光の弟・頼信が河内国を本拠に
分家したんが河内源氏で、
実は頼朝・義経兄弟はコノ河内源氏の家系なん♪
河内源氏は、
頼信、頼義、八幡太郎義家の3代で
度重なる東国の反乱平定で
武家の棟梁としての地位を確立して
清和源氏の嫡流て見られるよぉになったケド…
v(*≧∀≦*)
実はコノお墓の主
源頼政は、

本来の本家やったハズの
摂津源氏(頼光の子孫)の出🎵
本来の本家は摂津国多田の地を相伝した多田行綱たち多田氏♪
チナミに、
江戸城を最初に築いたてゆう
太田道灌は、伝わってる家系図やと、
コノ源頼政の子孫ていわれてるん♪
(*≧∀≦)ノ
🏯
でも、昔から『多』と『太』は混同して使われた字ぃやし、『太田』からの連想で『多田』源氏で有名な頼政に結びつけた仮冒(ニセ系図)やと思うケド…
(実は、太田氏は武蔵七党・猪俣党の一族てゆう説も♪)
駒札に書いてた話に戻して、
平治の乱で、最初は藤原信頼&源義朝(頼朝の父)陣営に付いてたん、
幽閉されてたご主人の二条天皇(第78代)が脱出して平清盛側に身を寄せたんもあって、
途中から平家側…
うらぎった⁉️
コノ乱で源氏に完勝した平清盛のご厚意で
平家でなければ人ではない!てゆう
平家政権の中で
源氏やのに従三位てゆう高級官僚にまで出世さしてもらわはったんやけど…
さっき宇治橋を渡りながら言うてた話♪
後白河法皇(第77代)皇子の
以仁王(もちひとおう)を奉じて
全国の源氏に蜂起を促してたん
早々に露見して、
以仁王を連れて奈良に向かう途中の宇治川で平家の大軍に追いつかれて敗戦、
コノ平等院境内で自刃… ![]()
ソレでココにお墓が建てられた、
てゆうコトみたい…
![]()
![]()
![]()
![]()
でも
コノお墓の石塔て、駒札に書いてる通り
宝篋印塔なんよね…

宝篋印塔てゆうコトは、
討死しはってすぐ建てたお墓やのぉて
ずっと後世になってから、
源頼政が自刃した平等院境内に
彼を偲んで建てられたんやろね♪
(*´-ω-)ゞ
源頼政がいてた平安時代末期に建てたんやったら宝篋印塔やのぉて五輪塔のハズ
ココ・最勝院が17世紀中頃(江戸時代初期)に建ったん考えたら、
コノ源頼政のお墓が建てられたんもソレ以降やろね🎵
チナミに、
源頼政に仕えた武士に
古川右内てゆう人がいてはって、
宇治橋東詰に茶屋を開かはったんが、今も宇治橋東詰にある通圓茶屋(コレもさっき通ったお店)で、
古川右内は、ご主人の頼政から名前の1字(偏諱)もらわはって
太敬庵 通圓政久て名前を変えて、
ソノお墓は浄土院の境内にあるんやて♪
ただしコノ由来は、後世に作られたウソ確定w
(*≧艸≦)
『古川右内』てゆう名前自体、平安末期やのぉて近世(戦国~江戸時代)っぽい名前やし、
サラにご主人の名前の1字もらう習慣も平安末期よりもっとアト(南北朝~室町時代あたり以降)やし、
近世以降の作り話やな♪
(((^^;)
ほか♪武家の名門に生まれて、
武士として最期を遂げた源頼政は、
勅撰集にも収載されるくらい
和歌の名手としても有名で
源三位頼政集てゆう私家集も遺してるん🎵
子孫ていわれる太田道灌も
同じく武家やけど和歌の名手なん🎵
…そんな頼政のお墓は、

目の前にあった塀…
Next♪
(σ≧▽≦)σ





























