源氏物語 宇治紀行(22)『橋寺』の由来と宇治橋♪【橋寺放生院(後編)♪境内北側】 | 『エアで行く京都めぐり』大田垣晴延のblog♪

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7月11日♪日曜日♪


晴れ
めっちゃエエお天気🎵
ヽ(*≧∀≦*)ノ




実は、
ツレ(♂)の水先案内人で

(*・ω・) (*≧∀≦)ノ


風鈴金魚カキ氷
宇治を徘徊♪





源氏物語ミュージアム



まずは常設展示室『平安の間』♪牛車、六条院の模型、年中行事の屏風やパネルと… 








八宮邸のモデル(?)
世界文化遺産 宇治上神社

副門から境内に入ると拝殿(鎌倉時代)♪ソノ北側回って拝殿のウラ側へ♪


拝殿のウラの本殿♪御祭神・莵道稚郞子コト『宇治天皇』の話♪本殿脇の末社とか…





もぉ1つの八宮邸のモデル候補

宇治神社




参道を逆に歩いて♪神兎の手水舎や大鳥居を抜けて、神社の境内を出て♪


宇治神社を出て、


福寿園を断念、宇治川沿いの朝霧通を北上♪離宮水、京都府茶業会館を過ぎて…



 はし でら  ほう じょう いん
橋寺放生院





突然現れたネコちゃんラブラブ
知らないネコさんに付いて行ったら
(▼▼メ))))) ♪(≧∀≦*)))))
入ってきた石段トコ連れてかれたん…

Go home!
ヽ(*▼▼) (((((゜゜;)ハッ



ぐる~~~~っと左へ
見渡して…
境内入って右(南)側のエリア、
宇治名木百選のイチョウ、橋かけ観音♪
石塔やお地蔵サンとか石仏…
まだ見てへんのは…
ココでちょおど石段上がった正面、
コノ正面の桜から
左手(北)のエリア♪

桜のアーチの向こう…
左手の桜の背後にも
お堂みたいなん有るん♪



さぁ🎵
ココ、
石段上がったトコから
再スタート…

カチンコ(((^^;)



本堂は、左(北)やて🎵
ぐる~~~~っと左へ見渡して

石畳の先、たしかに
本堂
ソノ石畳の参道
左(西)脇に、

こんな石碑♪
よぉ見たら、歌が彫られた歌碑🎵

新年同詠橋
 感(?)制歌
 上田三四二 
  (うえだみよじ)

橋寺にいしふみ
見れば宇治川や大き
いにしへは河越え
賀祢吉
最後の『賀祢吉』は万葉仮名で『かねき』て読むん
(橋寺にいしぶみ見れば宇治川や
 大きいにしえは河越えかねき)



作者と歌についてググったら、

宮中の歌会始で選者やった作者が、
ソノ時のお題『橋』を詠まはった歌なんやて♪


奇しくも『平成』が始まった日・1月8日に亡くならはって、
コノ歌碑は、奥さんの尽力で平成3年に建てられたんやて…
(´-ω-人)



ソノ歌碑の奥、

コノお堂みたいな建物♪
(コノ写真はヨソから拝借)
実はコレ目アテにココ来たクセ撮り忘れる大失態…


コノ日は残念ながら拝観期間外で
見れへんかったんやけど…
(((^^;)

コノ建物の中には、
有名な石碑
(コノ写真はヨソから拝借)
宇治橋断碑があるん…


こぉゆうん好物な人用に、
石碑に彫られてる文の全文♪
 (Wikipediaより) :

浼浼横流 其疾如箭 修々征人 停騎成市 欲赴重深 人馬亡命 従古至今 莫知航竿 世有釈子 名曰道登 出自山尻 慧満之家 大化二年 丙午之歳 搆立此橋 済度人畜 即因微善 爰発大願 結因此橋 成果彼岸 法界衆生 普同此願 夢裏空中 導其苦縁

…お経とちゃうょ
ヾノ;≧∀≦) (人-ω-`)ナムナム


浼浼(ベンベン)たる横流、ソノ疾きコト箭(=矢)のごとし、修修たる征人、馬を停め市を成す、
重深に赴かむと欲すれば、人馬命を失ひ、古より今に至るまで、航竿を知るコトなし、
世に釈子あり、名を道登と曰ひ、山尻(=山背?)恵満の家より出づ、
大化二年 丙午の歳、コノ橋を構立し、人畜を済度す、
即ち微善に因りて、ココに大願を発す、因をコノ橋に結び、果を彼岸に成さむ、
法界の衆生、普くコノ願を同じくし、夢裏空中に、ソノ苦縁を導かむことを


要は、
宇治川の激流に困っていた人々のため
大化2年(646年)に僧道登の宇治橋架橋の経緯と功徳を讃える内容…
『大化』の年号は、蘇我蝦夷・入鹿父子が滅ぼした中大兄皇子らの『大化の改新』で有名やね♪ソノ激動の時代に宇治橋が架けられたんやね♪


コノ石碑は
日本三古碑(多胡碑♪多賀城碑♪那須国造碑または宇治橋断碑)の1つに数えられるくらい有名なん♪
(*≧∀≦*)b

彫られてる字ぃの書体から、
どんな新しいても
奈良時代
平安時代よりも古い
石碑て言われてるん♪

…てコトは、
源氏物語が書かれた時には宇治のドコかに建ってたんやろか…?
(*´∀`)♪


ソレが、
いつしか長い歴史の間に土に埋もれて、

江戸時代後期(寛政3年=1791年)
コノ石碑の、割れてる線より上、
全体の1/3くらいの断片が、
ココ・橋寺の境内(宇治河畔てゆう異説あり)から出土して🎵

アトの下部分は、
古記録(帝王編年記)に全文が記録されてたんを元に、当時(江戸後期)の学者サンが補刻したんやて🎵
(さっきの碑文全文のウチ、赤字部分が出土した断碑に彫られてる字)



宇治橋は、

道登てゆうお坊サンが架けたてゆう説(宇治橋断碑の碑文の説)だけやのぉて、
道昭てゆうお坊サンが架けたてゆう説♪
ソノ2人が架けたてゆう説♪
いろいろ有って、

…ツマリはっきりしぃひんケド
(((^^;)


そうして架けられたアト、
何度も
架けては流されて、
流されては架け直されて…
波波波波波波波波
こんな激流やし (((^^;)


鎌倉時代後期(1286年)
叡尊てゆうお坊サンは、
宇治橋を修造した時、
宇治川の風物詩・網代漁を停止させたり、
万物の霊を供養するために
十三重石塔を建立したり、

十三重の石塔てゆうんは、
宇治川の塔ノ島に建ってるコレ♪
(2018年春に喜撰橋から撮った写真)

ソノ時に、
コノ橋寺で放生会を開催して🎵
ソレで『放生院』て院号が付いたん♪
(*≧∀≦*)b


橋寺は、
ホンマかどぉか?やけど聖徳太子が秦河勝に建てさせたんが最初…あせる
聖徳太子建立て聞くだけで、バカの1つオボエ?てキョヒ反応…
とか、
道登サンの宇治橋架橋の時に橋の管理のために創建されたんが最初…?

とか言われてて、
(((^^;)

いつしか荒廃してたんを、
鎌倉後期(1281年)に叡尊サンが再興して🎵
後宇多天皇(第91代)から
寺領300石の寄進と、
宇治橋の管理を任されはって
マサに『アメとムチ』w
ソレ以後、
橋が流されたり壊れたりするたんび
ソノ再建・修造の中心的な役目をする
宇治橋の守り寺』やったから
橋寺て呼ばれるよぉになって、
チナミに、現代は橋の管理は役所に移ったケド、
塔ノ島の十三重石塔は今もコノお寺サンが管理してはるん♪

正式なお寺の名前は
雨宝山放生院常光寺
てゆうらしいケド、

そんな正式な名前とか知らんかったし
呼んではるん聞いたコトあれへん
ヾノ≧∀≦)


室町時代、
京都の大半を灰塵にした応仁・文明の乱でも、京都のハズレ(洛外)やし無事やったケド、
乱が終わった直後の1479年、
(足利将軍家は第9代・義尚の時代)
近所の『アジサイ寺』三室戸寺とモメて焼かれちゃったり、
(ソノ後、幕府の命令で三室戸寺が再建)

江戸時代(1631年)にも焼失したり、
(徳川将軍家は第3代・家光の時代)


…何回も再建されたし、

見るからに新しい建物やね…
石畳の参道、歩きながら、


右手(東)から
ぐる~~~~~~っと左へ見渡して…





参道の右手(東側)に
石塔石燈籠

石塔は古そぉやけど、
コノお寺サンの実質的な最初は
叡尊サンが再興したてゆう鎌倉後期やし
どんな古うてもソレ以降やね♪


本堂のまん前に
摩尼車(マニ車)♪

台座に、こんな説明書いてたん…

・・・

これは摩尼車というものです。「摩尼」とは摩尼宝珠とも、如意宝珠とも言われ、意のままに宝を出すと言われる珠のことです。
仏さまの徳にたとえたり、お経の功徳にたとえたりします。
これを1回まわせば、お経を1巻読んだのと同じ功徳が得られると言われています。摩尼車にかるく手をあてて、手前に回して下さい。
その時、左の経文を唱えて下さい。
ギャーテイギャーテイハーラーギャーテイハーラーソーギャーテイボージーソリワカー
羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶 

・・・


う~~~~ん…
(ーー;)

お経てオマジナイやのぉて
仏教の教科書なんやけど…

コレ回すだけでお経読んだコトになるて…

お寺サンやけど…
閻魔サンに舌抜かれはらへん?
(((^^;)
お経て、説話や詩とか、ちゃんと読んだらオモシロイで?




ソノ摩尼車の右手(東側)に
お賽銭箱の柱が立ってて、
ソッチの説明も読んでみたん…

浄財
祈願奉納料 1回 百円
ご自分の今までの「罪」を消して(厄除)仏様に幸せをお願いして回す車です。仏様と「縁」を結ぶのに回す車です。
願い事を言って喜捨(百円)を納めて下さい。回す前に考えましょう。お寺で「罪」を作らないで下さい。良き縁があなたと結ばれるように。


…なんか

お寺サンやのにオトナゲないコト
言うてはるw
(((((゜゜;)
罪てなんなん?オドシ?
百円入れんと回すな!てコト?


たかだか百円のカセギのために
『お寺で「罪」を作らないで下さい』
て爆
笑い泣き

百円くれないと仏罰!
(*=ω)_ (≧∀≦*;)ゞボク信じてへんし…
トリック or トリート! 


しかも…
ソノ百円払えてゆう内容が

1回まわす = お経1巻読破分の功徳
とか
罪を消して仏様に幸せをお願いして回す車
て、
キリスト教の黒歴史『免罪符』の類似品のニオイ…
(((*´-ω)

罪が消えちゃう幸せの壺!
🏺ヽ(*=ω=)_ ¥ヽ(^^* )アリガタヤ~♪
持ってるだけで極楽確定!


『お寺で「罪」を作らないで下さい』

言うてはる方が心配やけどねぇ
(≧∀≦*;)ゞ




もち♪
ボクはスルー🎵

百円おくれ~~
(*=ω)_ ((((((*;≧∀≦)回さへんし



本堂には、
縁側に、仏サンのお品書きw

釈迦如来 阿弥陀如来 地蔵菩薩 不動明王 弁財天

…の5つ♪

(*≧∀≦)テ (((^^;)


ノゾかへんかったケド、
コノ本堂の内陣はこんなんなんやて♪
(コノ画像はヨソから拝借♪)
鬼滅(アニメ)のオープニングテーマで、無惨サマと上弦たちが並んでるシーンっぽい気ぃする♪
(≧∀≦*;)ゞ

まん中いてはるご本尊サンは
地蔵菩薩立像(橋寺地蔵)(重文)
(コノ画像はヨソから拝借♪)

叡尊サンがココ再興しはったんと同じ
鎌倉後期の作♪
(コノ画像はヨソから拝借♪)

古来から交通の要衝やった宇治橋を管理し続けてきた『橋寺』のご本尊が、
行き交う人々を路傍で見守るお地蔵サンてゆうん、
ちょっとデキすぎちゃう?

(*≧∀≦)σ)∀`)


少のぉても、
コノお寺が宇治橋修造や橋の管理を担うん決まって以降に、
お地蔵サンがコノお寺のご本尊に就任しはったんやろね🎵


最初の創建が、聖徳太子か道登サンかは知らんケド、
ココ(橋寺)の歴史のホンマの始まりは叡尊サンが再興しはった鎌倉後期でマチガイなさそぉ🎵



ご本尊サンの他には、
『不動明王立像』(平安後期♪重文)
『釈迦如来坐像』とか
珍しい仏像もあるんやて🎵
(*´∀`)♪



ぐる~~~~っと左手に見渡して、


今来た石畳の参道
引き返して、
道ナリに右手(西)へ折れて
お帰りはコチラ~♪
小高いトコやし、
目線の高さやと、青空🎵


急な石段…
足モト気ぃつけて…

目線を正面に戻したら、
青もみじの雲🎵
秋深まって、
紅葉もキレイやろなぁ🍁
(*´∀`)♪



脇の通用口、
狭き門より入れ、てゆうケド
出る時もやねw


🏁ゴぉ~~ル♪
油断さしといて、
再び、足モト注意⚠️


さぁ🎵
コノ門前の朝霧通、
再び北上~♪

((((*・ω・)(*≧∀≦)ノ





Next♪
(σ≧▽≦)σ