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ハローミャンマー

ミャンマーヤンゴン在住、正田信子がヤンゴンから発信します。

毎週日曜日は、クリスチャンのカイカイは朝から教会に出かけます。

夕方、カイカイが帰ってきました。
「今日は、母の日だから、プレゼント。」と言って小さな、鉢植えのサボテンを渡してくれて、
ワーと泣き出しました。

どうしたのかと思って聞いてみると、母の日のその日曜日。 教会では特別にお母さんに感謝する礼拝ということで、お母さんと一緒に来ている人達はその場でそれぞれのお母さんに感謝の言葉を言い、その場にいない人はお母さんを思って感謝をするようにとのことだったそうです。

ごく幼い頃に、実母とは生き別れになっているカイカイ。 
お母さんと一緒に教会に行くことが出来なかっただけでなく、その場にいないお母さんを思っても実感がなく、周りが母の日礼拝で盛り上がっている中、感受性の鋭いカイカイはとても悲しい思いをしていたようです。

そして、それまで私のことは、名前で呼んでいたカイカイですが、お母さんと呼んでもいいかと聞いてきました。
かつて、お母さんなどと呼ばれたことは、誰からもなく、戸惑いながらも承諾。

二人で具体的な呼び方を考え、マミーに決定。
それ以来、マミーと呼ばれるようになりました。

あれから9年、2014年「母の日」の今日。 カイカイの居所は不明。 連絡も取れません。

どこにいても元気に幸せにと、願っています。


今朝は、ヤンゴン市内でMESOapを販売して頂いている、雑貨店 POMELO からサプライヤー朝食会にご招待いただき、朝9時からMESOapスタッフ達と行ってきました。

POMELOで扱っている商品はどれも、ミャンマー国内のフェアートレード商品やハンディキャップを持った方々が自立のために作っている商品など、ひとつひとつがこだわりのある商品です。

MESO(ミャンマー教育支援機構)が少しでも自立した運営、雇用機会の提供を目的に生産販売しているMESOapの主旨をご理解いただき販売して頂いています。

店内は手作りの暖かい雰囲気の商品が並んでいて、観光客やヤンゴン在住者に人気のお店です。

是非一度お立ち寄り下さい。 きっと素敵な商品と出会えると思います。

POMERO
No. 89 Theinbyu Road

Pomelo Facebookページ

MESO支援者の皆様へ

私はアウントゥーイェインピョーです。 9年生の学生です。
私は母と一緒に叔母の家に住んでいます。 母は私が生活で不便を感じることのないように色々な仕事をしています。 私はいつもそんな母の姿を見て、頑張っています。

今までの私の人生は決して楽しかったとは言えません。 なぜなら両親は私が二歳の時に離婚しました。 
私は母が楽に生活できるようにと、今は一生懸命勉強しています。
母は私のために、一年中休みなく、小作農として畑で仕事をし、私の生活を支えてくれています。 

8年生(中学)を卒業した際に、高校に進学するお金が用意できないので、高校進学は諦めるようにと母に言われました。
その時に、村に高校ができ、MESOから支援を頂けることになり高校に進学することが出来るようになりました。 とれも嬉しかったです。

母と私はMESOの方々にとても感謝しています。
私の家は学校から遠いので、雨季になると泥だらけになって通学が大変です。

私は母と叔母の三人家族です。
私の将来の目標であるエンジニアになれるように頑張って勉強して、母と叔母に恩返しをしたいと思っています。

私の人生を支援して下さるMESOの方々にいつも感謝しています。


MESO支援者の皆様へ



私はエーエーアウンです。 9年生の学生です。 7人家族で、私は一番下の子供です。
一人の姉は8年生まで学校に通うことができましたが、家庭の経済状況から9年生(高校)に進学することは出来ませんでした。 その他の兄も進学できませんでした。

家族7人の生活のために、両親は大変でも頑張って働いて、私達を育ててくれました。 私の家は村から遠いです。 雨の日に学校に行くときに、傘がないので全身が濡れて大変です。

両親は子供達のために、暑いとか、寒いとか不平は一切言わずに、仕事をして家族を支えてくれています。 それでも両親の仕事が上手くいかず、生活が苦しいので悲しくなります。

私が8年生(中学)を卒業した時、母が病気になりました。 薬を買うためにはお金が必要です。 父はそのために、更に頑張って働きました。私は9年生に進学は諦めていましたが、その時にMESOからの支援で9年生に進学できることになり本当に嬉しかったです。

私を高校に進学させてことが出来ないと思っていた両親もとても喜びました。

私の村には今、高校ができました。 でも折角高校ができてもMESOからの支援がなければ高校に進学できないところでした。 今、私が毎日、学校に行くことができるのはMESOの皆様のお陰です。 MESOからの支援金で頑張って勉強をしています。 来年の国家試験には必ず合格するように頑張ることをお約束します。

MESOからの支援がなければ、私は今頃、学校には行かずに仕事をしていたはずです。
私達を支援して下さる、MESOの皆様がいつまでもお元気にと祈っています。

私達のような子供達をこれからも引き続き支援して頂きたいと思っています。


MESO支援者の皆様へ


私はゼイヤーテイです。 私の父は日雇い労働者です。 母は農民です。
私達の家族の生活は豊かではありません。 両親はどんなに生活が苦しくても私達兄弟二人が学校に行かれるように頑張って仕事をしています。

私の弟は4年生です。 私は9年生です。
今は9年生を無事終了、進級できるように頑張って勉強をしています。

将来の目標である教師になれるように頑張って勉強しています。 私の両親は生活は苦しくても、私達兄弟の教育のために、田んぼで牛を使って農業をしています。

8年生(中学)が無事に卒業でき、9年生(高校)に進学がしたかったです。 しかし父は生活が苦しいので高校に進むのは諦めるように言いました。 父からそう言われた時、私は泣いてしまいました。 

ちょうどその時にMESOから支援を頂けるようになり本当に嬉しかったです。 MESOの皆様に心から感謝しています。 MESOの皆様のご健康とご多幸をお祈りしています。

MESOの皆様、本当にありがとうございます。



MESO支援者の皆様へ



私はニンレレピョーです。 4人家族です。 私の家は貧しいので、両親は地主さんの土地で小作農として働いています。 私の家族の生活はとても苦しいです。

私の両親は私と弟が学校に行かれるように頑張って仕事をしています。
それでも、私は8年生(中学)を卒業して、9年生(高校)に進学することはできませんでした。
家が貧しく、とても進学するのは無理でした。

その時、MESOから支援を頂けるようになりとても嬉しかったです。
私は自分の村で9年生(高校)に進学することが出来ました。

私は今、9年生を頑張って勉強しています。 1週間に1回行われる試験も頑張って受けています。

もしMESOからの支援が無かったら、私は高校への進学を諦めて働かなければなりませんでした。 

私の目標は教師になることです。 私の目標に向かって進むことが出来るように支援して下さるMESOの皆様に感謝しています。 両親も進学できたことをとても感謝しています。
MESOからの支援がなければ、学校を続けることが出来ません。

私達を支援して下さっているように、これからも後輩達も支援していただけるようにと祈っています。 私は皆様に頑張って勉強をすることを約束します。

私が高校に通うことを支援して下さるMESOの皆様に心から感謝しています。

私の目標が達成できるように頑張ります。

MESOの皆様のご健康とご多幸をお祈りしております。

毎年ちゃんと進級、合格することを皆様にお約束します。

MESO支援者の皆様へ

私はエーミントンです。 私には年の離れた優秀な賢い弟が一人います。 私の生活は決して豊かとは言えませんが、両親は私を学者にしたいと思っています。


両親は一日一日の食事のために、朝早くから夕方まで畑に仕事に行きます。 私の家族はお金を節約して使っています。 

私は学校でお菓子を買うためのお金はもらえません。 もらえる日があれば、弟にお菓子を買ってあげることにしています。 
私が学校に持っていくお弁当には肉は入っていません。 残り物のおかずです。 


私の両親は貧しくても、私を学者にしたいという気持ちから、暑いとか、寒いとか何も不満を言うことはありません。 私は両親の希望である学者になれるように頑張って勉強をしています。


台風の日、とても暑い日に登校しなければならない時、父は心配して暇ではないのに学校まで一緒に送りにきてくれる日もあります。 そういう日はとても嬉しいです。


私は9年生に進学することは諦めて、両親と一緒に働いて、両親を手伝おうと思っていました。


その時にMESOからの支援で進学できることになり、本当に嬉しかったです。
私は学者になりたかったですが、両親の経済状況からはとても進学したいと頼むことは出来ませんでした。 今、9年生(高校)に進学することができ、両親とMESOの皆様に心から感謝しています。


この感謝の気持ちは一生忘れません。 私に与えられたチャンスを活かして、今まで以上に頑張って勉強しています。 私は頑張って学者になって、両親に恩返しをしたいと思っています。
私が進学したことを両親もとても喜んでいます。 私もとても嬉しいです。


私の進学を支援して下さるMESOの皆様に感謝しています。


MESO支援者の皆様へ



私はティンザーピューです。 ユワティジ村に住んでいます。 9年生で勉強をしています。 私は7人家族です。 家は決して裕福ではありません。 父は農民です。 父の収入では家族が生活するのがやっとなので、母も子供達が学校に行かれるように農民として働いています。

私の姉と兄は3年生までしか学校に行くことができませんでした。 私は小さい時から良い成績を取れるように勉強を頑張りました。 私は経済の専攻コースを取っています。 私はお金がないので、医者になることは無理なので、経済学を専攻することにしました。
私はきちんと経済学を勉強して、村のために貢献したいと思っています。

2008年にはサイクロン、ナルギスがあり、私の家は全壊しました。 私の家族はそのために更に生活が厳しくなりました。 家族が協力して、生活が苦しい中、私に学校を続けさせてくれたので、8年生(中学)を終えることができました。 私の村には9年生(高校)がありませんでした。
私は高校に進学したいと両親に言ってみましたが、そうなると町の高校に行くことになり、経済的に無理だという答えでした。 私は高校に進学できないと思い何回も泣きました。 両親も私を進学させてことが出来ず、とても残念に思っていました。

そんな時、お坊様のお陰で村に高校ができることになり、更にMESOから支援金を頂くことができるようになりとても嬉しかったです。 高校に進学することができるようにして下さったMESOの皆様にどうやって恩返しをしたらいいのか分かりません。 
MESOの皆様は私の進学を支援して下さる恩人です。 私はMESOから頂いた支援金で、良い成績を取れるように頑張って勉強しています。 それてこれからも今まで以上に頑張ることを約束します。 
私の恩人であるMESOの皆様に是非、ユワティジ村に来ていただきたいです。 ご招待します。
これからも引き続き、私のような子供達の支援を続けて頂きたいと思います。

MESOの皆様がいつも楽しくお過ごしになれるよう、お祈りしております。
 

MESO支援者の皆様へ


私はティンザーナインです。 高校に通っている学生です。  私は3人兄弟で、弟が二人います。 一人は7年生、もう一人は5年生です。 両親の名前は、チョチョナインとキンサンウィンといいます。  父は公務員です。  母が学校でお菓子を売っています。 母は一人でお菓子を売るのはとても大変な仕事です。  

私は国家試験に向け、失敗することのないように頑張って勉強しています。
私の目標はエンジニアになることです。
国家試験に合格できたら、仕事をしながら大学で勉強を続けたいと思っています。

私の長女なので、弟2人も支援していただいて勉強を続けられればと思っています。
以前は勉強を続けることがいろいろ大変でしたが、MESOからの支援のお陰で、心配なく勉強をすることができるようになりました。
MESOの皆様にとても感謝しています。


MESOでは、毎月1回支援している子供達を直接会って、支援金を渡すと同時に、スタッフが子供達をコミュニケーションを取って、出来るだけ各々の子供達の状況を把握するように努めています。

今日は、ユワティジ村の子供達に会いに、チャウタンの僧院に行ってきました。

10年生の子供達は、来月の国家試験に向けて、最後の追い込みのため、今日は欠席。

9年生の子供達も全員無事に、学年を終了することができそうです。
帰る際に、大きなブティをお土産に頂きました。


ブティーは日本にはない野菜ですが、ヒョウタンの一種。 ミャンマーではとても一般的に食べられています。 市場では適当な大きさに切れれて売られているので、こんなに大きいとは知りませんでした。 もっと大きい物もあるなか、小ぶりのものを選んで頂いてきました。

揚げ物や、鶏肉と一緒に煮込んだスープはとても美味しいです。
これから、しばらく様々に形を変えた、ブティが食卓を飾ることになりそうです。