先日、友達がヤンゴンに来たので、スタッフ達みんな一緒に夕食を食べに行きました。
オープンエアーのレストランなので、テーブルの下に蚊取り線香を置いてもらいました。
日本から来た友達「蚊が居る、蚊に刺された」と大騒ぎ。
私達は全く刺されないのだけど。彼女が集中的に狙われているようです。
そう言えば、ヤンゴンに来た当初、私も直ぐに蚊に刺されて手足がボコボコになっていました。
周りのミャンマー人達はあまり蚊に刺されないし、刺されてもそこがプクッと膨らまないのです。
あれから何年も経ち、気が付いたら私もあまり蚊に刺されなくなり、刺されたところも以前のようにプクッと膨らまなくなっていました。
蚊が人を選ぶのか、こちらに免疫力が出来たのか???
どちらにしても、一年中蚊とはお付き合いしなければならないヤンゴン生活。
蚊による被害が少なくなって良かった、良かった。
MESO(ミャンマー教育支援機構)
今年最後の北オクラッパの僧院の日本語教室。
今日は午後2コマ、合計3時間、日本語を教えてきました。
私のクラスは上級クラス。基本的な日常会話に加え、読み書きも出来る生徒達です。
多くの生徒達は、日本に行くことを目標に頑張っています。
ミャンマーには日系企業、日系組織は少なく、また日本人の来訪は少ないので、せっかく日本語が出来ても、良い仕事に就けるとは限りません。
「日本で大学に行き勉強がしたい」
「日本で仕事をして、お金を稼ぎたい」目標は様々ですが、みんな日本に行くことに夢を持っています。
今までに私が教えた生徒の多くも日本に旅立っていきました。
その中で、正規の学生として勉強したり、きちんと就職して仕事が出来た人は残念ながら少数です。
毎日、長時間のアルバイトで疲労困憊している人。
学費を稼ぐことは出来ず、学校を途中放棄した人。
オーバーステイで不法滞在、不安定な身分で働いている人。などなど。
日本語を勉強した生徒達が、日緬の架け橋をなって活躍して欲しいと思うのですが、
そう簡単ではないのですが実情です。
MESO(ミャンマー教育支援機構)
今日は午後2コマ、合計3時間、日本語を教えてきました。
私のクラスは上級クラス。基本的な日常会話に加え、読み書きも出来る生徒達です。
多くの生徒達は、日本に行くことを目標に頑張っています。
ミャンマーには日系企業、日系組織は少なく、また日本人の来訪は少ないので、せっかく日本語が出来ても、良い仕事に就けるとは限りません。
「日本で大学に行き勉強がしたい」
「日本で仕事をして、お金を稼ぎたい」目標は様々ですが、みんな日本に行くことに夢を持っています。
今までに私が教えた生徒の多くも日本に旅立っていきました。
その中で、正規の学生として勉強したり、きちんと就職して仕事が出来た人は残念ながら少数です。
毎日、長時間のアルバイトで疲労困憊している人。
学費を稼ぐことは出来ず、学校を途中放棄した人。
オーバーステイで不法滞在、不安定な身分で働いている人。などなど。
日本語を勉強した生徒達が、日緬の架け橋をなって活躍して欲しいと思うのですが、
そう簡単ではないのですが実情です。
MESO(ミャンマー教育支援機構)
今年4月にミャンマーの新内閣が発足後、慌しい勢いで動きはじめているミャンマーです。
法規制や税制が見直され、変更されたり、国内および国外からの状況も変化してきています。
それに伴い、外国人の訪緬もかつてない勢いで伸びており、ミャンマー中のホテルや国内線は非常に混み合っています。
そんな中、今月もMESOが支援している子供達に会いに行ってきました。
一部で慌しく動いているミャンマーですが、一般庶民の生活には全く変化がなく、いつもと変わらない穏やかな生活が続いています。
MESOの子供達も、特に国情の変化を感じることもなく、いつもと同じかわいく一生懸命です。
子供達と会うと、いつも元気を貰うことができます。
MESOを通して、日本との関わりを持った子供達。
日本のことを、少しでも知って欲しいと思い、毎月日本とミャンマーの違いについておしゃべりしています。
今月は季節のことを話しあいました。
ちょうど今の時期は冬の日本の、とても寒く雪が降ることもあり、1月1日が新年のお正月。
これから年末にかけて新年を迎える準備で何かと忙しいことなどを話しました。
今はミャンマーは涼しいといっても、日中は30度近くあります。そして年間で一番暑い4月中旬が新年。
二つの国の気候、習慣、文化の違い。子供達はとても興味深かったようです。
MESO(ミャンマー教育支援機構)
法規制や税制が見直され、変更されたり、国内および国外からの状況も変化してきています。
それに伴い、外国人の訪緬もかつてない勢いで伸びており、ミャンマー中のホテルや国内線は非常に混み合っています。
そんな中、今月もMESOが支援している子供達に会いに行ってきました。
一部で慌しく動いているミャンマーですが、一般庶民の生活には全く変化がなく、いつもと変わらない穏やかな生活が続いています。
MESOの子供達も、特に国情の変化を感じることもなく、いつもと同じかわいく一生懸命です。
子供達と会うと、いつも元気を貰うことができます。
MESOを通して、日本との関わりを持った子供達。
日本のことを、少しでも知って欲しいと思い、毎月日本とミャンマーの違いについておしゃべりしています。
今月は季節のことを話しあいました。
ちょうど今の時期は冬の日本の、とても寒く雪が降ることもあり、1月1日が新年のお正月。
これから年末にかけて新年を迎える準備で何かと忙しいことなどを話しました。
今はミャンマーは涼しいといっても、日中は30度近くあります。そして年間で一番暑い4月中旬が新年。
二つの国の気候、習慣、文化の違い。子供達はとても興味深かったようです。
MESO(ミャンマー教育支援機構)
昨日、12月13日 「第8回日本・ミャンマー商工会議所ビジネス協議会合同会議」がヤンゴンにて開催されました。
日本からの出席者約50名に加え、ミャンマー企業、在ミャンマー日系企業などから300名近くが出席しました。
ミャンマー側からは、他国に比べて、日本は動きが少し遅いのではないかとの厳しいご意見もありましたが、ここ数ヶ月で日本でもミャンマーへの関心が急速に高まってきています。
ミャンマーのプレゼンター達が真剣に国の将来、発展を願って説明してる様子が印象的でした。
会議では主にミャンマー側の様々な分野から、現状の報告および今度の計画、予定が説明され、今後の日本からの協力、投資に大きな期待が寄せられています。
各分野とも共通して、今後の人材育成が課題になっており、人材の育成の大切さを痛感しました。
MESOも微力ながら、これからのミャンマーを担う子供達の育成に貢献できていることは嬉しく感じます。
私達MESOが支援している子供達に将来大いに活躍して欲しいと願っています。
MESO(ミャンマー教育支援機構)
日本からの出席者約50名に加え、ミャンマー企業、在ミャンマー日系企業などから300名近くが出席しました。
ミャンマー側からは、他国に比べて、日本は動きが少し遅いのではないかとの厳しいご意見もありましたが、ここ数ヶ月で日本でもミャンマーへの関心が急速に高まってきています。
ミャンマーのプレゼンター達が真剣に国の将来、発展を願って説明してる様子が印象的でした。
会議では主にミャンマー側の様々な分野から、現状の報告および今度の計画、予定が説明され、今後の日本からの協力、投資に大きな期待が寄せられています。
各分野とも共通して、今後の人材育成が課題になっており、人材の育成の大切さを痛感しました。
MESOも微力ながら、これからのミャンマーを担う子供達の育成に貢献できていることは嬉しく感じます。
私達MESOが支援している子供達に将来大いに活躍して欲しいと願っています。
MESO(ミャンマー教育支援機構)
MESO支援者の皆様へ

こんにちは、私はZin Mar Chyo(ズィンマーチョー)です。
私はユワティジ村に両親と一緒に住んでいます。
6人家族で私は2番目の子供です。
姉は家族のために外で働いています。
上の妹は中学を卒業後、進学ができませんでした。
下の妹は学校に通っています。
私は自分の村の先生になりたいと思っています。
高校卒業の国家試験は418点で合格しました。
教育大学に進学することが出来ました。
両親と離れての生活ですが、自分の夢が現実となったのでとても嬉しいです。
支援して下さるMESOの皆様に感謝しています。
MESO(ミャンマー教育支援機構)

こんにちは、私はZin Mar Chyo(ズィンマーチョー)です。
私はユワティジ村に両親と一緒に住んでいます。
6人家族で私は2番目の子供です。
姉は家族のために外で働いています。
上の妹は中学を卒業後、進学ができませんでした。
下の妹は学校に通っています。
私は自分の村の先生になりたいと思っています。
高校卒業の国家試験は418点で合格しました。
教育大学に進学することが出来ました。
両親と離れての生活ですが、自分の夢が現実となったのでとても嬉しいです。
支援して下さるMESOの皆様に感謝しています。
MESO(ミャンマー教育支援機構)
ミャンマーは今が一年中で一番快適で過ごしやすい季節です。
ヤンゴンでは朝晩は25度を下回り、肌寒いくらい。
日中は30度位に気温は上がりますが、湿度が低いので、日陰に入るとそれほど暑くありません。
これから4月下旬にまで、ほとんど雨が降ることもなく、爽やかな日が続きます。
この時期は、いたることこでブーゲンビリアがカラフルに咲いています。
綺麗なブーゲンビリアの写真をアップしようと何回もトライしましたが、ネットの接続が悪く残念ながら写真がアップできません。
観光シーズンも真っ盛り、各国からの観光客に加え、多くのビジネスマンでミャンマー中のホテルはどこも大混雑です。
ミャンマーが変わりだしています。
ヤンゴンでは朝晩は25度を下回り、肌寒いくらい。
日中は30度位に気温は上がりますが、湿度が低いので、日陰に入るとそれほど暑くありません。
これから4月下旬にまで、ほとんど雨が降ることもなく、爽やかな日が続きます。
この時期は、いたることこでブーゲンビリアがカラフルに咲いています。
綺麗なブーゲンビリアの写真をアップしようと何回もトライしましたが、ネットの接続が悪く残念ながら写真がアップできません。
観光シーズンも真っ盛り、各国からの観光客に加え、多くのビジネスマンでミャンマー中のホテルはどこも大混雑です。
ミャンマーが変わりだしています。
MESOが2008年から支援を続けている、ユワティジ村。
ヤンゴンから車で約1時間、さらにボートで約1時間半ののどかな村です。
村には中学までしかないため、高校に進学するにはボートで1時間半の町の学校に行かなければならず、高校に進学できない子供達をMESOでは高校への進学の支援を行っています。
MESO支援者の方がミャンマーにいらしたので、一緒にユワティジ村に行ってきました。
ユワティジは農業と漁業の村で、決して豊かとは言えません。
でも村出身のお坊様を中心に、村人達が一体となって、村の整備、環境、衛生、子供達の教育を支えているので、村中がきれいに整っていて、訪れた人の心をホッとさせてくれる暖かい村です。
今回は村の民家にお邪魔して、台所を見せていただきました。
ガスも電気もない村。何を燃料に使っているのかと思ったら、各家庭とも籾殻を燃料として使っていました。
燃料のために木を伐採しないように!!!
米を作っている村で豊富に出る籾殻の再利用です。
各家庭の裏にはかまどがあり、籾殻をいれて上手に火が熾せるようになっています。
村の皆さんが、当たり前のこととして、村の自然を大切に、環境への配慮をしています。
この村に行くと、いつも新しい発見があり、村の皆さんの暖かい笑顔に接することが出来、とてもすがすがしい気持ちになります。
MESO(ミャンマー教育支援機構)
ヤンゴンから車で約1時間、さらにボートで約1時間半ののどかな村です。
村には中学までしかないため、高校に進学するにはボートで1時間半の町の学校に行かなければならず、高校に進学できない子供達をMESOでは高校への進学の支援を行っています。
MESO支援者の方がミャンマーにいらしたので、一緒にユワティジ村に行ってきました。
ユワティジは農業と漁業の村で、決して豊かとは言えません。
でも村出身のお坊様を中心に、村人達が一体となって、村の整備、環境、衛生、子供達の教育を支えているので、村中がきれいに整っていて、訪れた人の心をホッとさせてくれる暖かい村です。
今回は村の民家にお邪魔して、台所を見せていただきました。
ガスも電気もない村。何を燃料に使っているのかと思ったら、各家庭とも籾殻を燃料として使っていました。
燃料のために木を伐採しないように!!!
米を作っている村で豊富に出る籾殻の再利用です。
各家庭の裏にはかまどがあり、籾殻をいれて上手に火が熾せるようになっています。
村の皆さんが、当たり前のこととして、村の自然を大切に、環境への配慮をしています。
この村に行くと、いつも新しい発見があり、村の皆さんの暖かい笑顔に接することが出来、とてもすがすがしい気持ちになります。
MESO(ミャンマー教育支援機構)
MESO支援者の皆様へ

私の名前はEi Ei Phyo(イーイーピョー)です。
父はU Kyaw Soe Lwin、母はDaw San San Nuです。
私は姉と妹がいます。姉は高校卒業の国家試験は不合格でした。妹は中学1年生です。
私の家族は生活はたいへんですが、人を騙したり悪いことは決してしません。
日雇いの仕事なのでを生活には苦労しています。
私は子供の頃からずっと綺麗な家に住みたいと思っていました。
なぜなら私の今の家は丈夫ですが、決して綺麗ではないからです。
木の柱と敷物、その上に椰子の葉で屋根と壁をが出来ています。
私の両親は正直で頑張っていますが、貧しいです。
椰子の葉の屋根や壁は天候のせいで壊れやすいのです。
毎年屋根と壁を全て新しいものに換えたいのですが、余裕がないので壊れているところだけを新しくします。
それも出来ない年もあります。
新しく換えられないときは、乾季には天井から星と月を見え、壁からは風が吹きこみます。
雨季は雨漏れないところを探して寝たり、雨が濡れたまま寝なければなりません。
だから、私は家族みんなが一緒に住める丈夫で綺麗な家が欲しいとずっと思ってきました。
でも現実の家族の経済状態をみれば、私の思いは実現不可能なただの夢でしかありませんでした。
私は夢をどうしても叶えたいので勉強を続けたいと両親に言いましたが、両親からはお金がないので無理だと言われました。私はとても悲しくてがっかりしました。
でも両親に責めることもできません。それが自分の運命なのだと思いました。
そのときMESOから支援を受けられることになりとても嬉しかったです。両親も心から喜んでくれました。
私の夢である家を建てること、教師になることを目標に頑張ってMESOの皆様にご恩を返したいと思っています。
私を中学まで通わせてくれた両親は第一の恩人、そして高校に通わせて下さるMESOの皆様は第二の恩人です。
「他人に何かして欲しければ、自分が何かしてあげなければならない」ということわざの通り、私はMESOからの支援を受けたからには私の目標を達成しようと決心しました。
教師になって将来の子供達をちゃんと教育することによってMESOの方々から受けたご恩を返します。
私達を支援してくださるMESOの皆様がもっと豊かに、幸せになるように毎晩寝る前にお祈りしています。
MESO(ミャンマー支援機構)

私の名前はEi Ei Phyo(イーイーピョー)です。
父はU Kyaw Soe Lwin、母はDaw San San Nuです。
私は姉と妹がいます。姉は高校卒業の国家試験は不合格でした。妹は中学1年生です。
私の家族は生活はたいへんですが、人を騙したり悪いことは決してしません。
日雇いの仕事なのでを生活には苦労しています。
私は子供の頃からずっと綺麗な家に住みたいと思っていました。
なぜなら私の今の家は丈夫ですが、決して綺麗ではないからです。
木の柱と敷物、その上に椰子の葉で屋根と壁をが出来ています。
私の両親は正直で頑張っていますが、貧しいです。
椰子の葉の屋根や壁は天候のせいで壊れやすいのです。
毎年屋根と壁を全て新しいものに換えたいのですが、余裕がないので壊れているところだけを新しくします。
それも出来ない年もあります。
新しく換えられないときは、乾季には天井から星と月を見え、壁からは風が吹きこみます。
雨季は雨漏れないところを探して寝たり、雨が濡れたまま寝なければなりません。
だから、私は家族みんなが一緒に住める丈夫で綺麗な家が欲しいとずっと思ってきました。
でも現実の家族の経済状態をみれば、私の思いは実現不可能なただの夢でしかありませんでした。
私は夢をどうしても叶えたいので勉強を続けたいと両親に言いましたが、両親からはお金がないので無理だと言われました。私はとても悲しくてがっかりしました。
でも両親に責めることもできません。それが自分の運命なのだと思いました。
そのときMESOから支援を受けられることになりとても嬉しかったです。両親も心から喜んでくれました。
私の夢である家を建てること、教師になることを目標に頑張ってMESOの皆様にご恩を返したいと思っています。
私を中学まで通わせてくれた両親は第一の恩人、そして高校に通わせて下さるMESOの皆様は第二の恩人です。
「他人に何かして欲しければ、自分が何かしてあげなければならない」ということわざの通り、私はMESOからの支援を受けたからには私の目標を達成しようと決心しました。
教師になって将来の子供達をちゃんと教育することによってMESOの方々から受けたご恩を返します。
私達を支援してくださるMESOの皆様がもっと豊かに、幸せになるように毎晩寝る前にお祈りしています。
MESO(ミャンマー支援機構)
MESO支援者の皆様へ

私はPhyo Wai Khaing(ピョーウェイカイ)です。
大学で化学を専攻しています。
子供頃から、毎年、新入学期がとても嫌いでした。
なぜかと言うと、私の親は学校に子供達を通わせたくないわけでもありませんが、学費がありません。
だから学校に通うことができるかわからないからです。
そして親からは中学の時、学校をやめるように言われました。
でも私はどしても学校を続けたかったのです。
中学は学校のDaw Hnin Thidar Win先生からの支援で通うことが出来ました。
私の上には兄1人と姉3人います。みんな学校に通えなかったので、やっと読み書きが出来るぐらいです。
私の下の妹を含めみんな学校を続けることは出来ませんでした。
私は知識や教育を身につけていないと世の中で生活するのが難しいとずっと思ってきました。
私の家族が今のように生活が苦しいのは学問、教育がなく知識がないからだと思います。
今の生活を続けるのは嫌です。
生活するためには教育だけではなくて知識や技術を身につけなければと思います。
私はその日ごとの日給で不安定な生活をしたくありません。
だから何もない人生から何かある人生へ、自分が変わらなければと思い一生懸命勉強を続けました。
私達家族8人の生活は経済的に大変です。
私達の村では米と豆の収穫時は忙しいので日雇いの仕事があります。
でも他の時期は仕事があまりないのでどんな仕事でも嫌いであっても我慢してやらなくてはなりません。
MESOからの支援を頂くまでは、中学に通いながら色々な仕事をやりました。
MESOのお陰で高校に進学してからは、嫌な仕事をしなくても勉強に集中できるようになりました。
同じような苦労をしていない人には、苦労している気持ちは分からないだとうと思っていましたが、
MESOの皆様は私達のことを気にかけ支援して下さいました。
MESOから支援を受けることが出来たことは、私の人生にとてもとても大きなことです。
MESOからの支援で私の人生は変わり、前進することができました。
今私は大学1年生を終わり、2年生に進級することができました。
心配なく勉強をすることが出来ることを感謝しています。
MESO(ミャンマー教育支援機構)

私はPhyo Wai Khaing(ピョーウェイカイ)です。
大学で化学を専攻しています。
子供頃から、毎年、新入学期がとても嫌いでした。
なぜかと言うと、私の親は学校に子供達を通わせたくないわけでもありませんが、学費がありません。
だから学校に通うことができるかわからないからです。
そして親からは中学の時、学校をやめるように言われました。
でも私はどしても学校を続けたかったのです。
中学は学校のDaw Hnin Thidar Win先生からの支援で通うことが出来ました。
私の上には兄1人と姉3人います。みんな学校に通えなかったので、やっと読み書きが出来るぐらいです。
私の下の妹を含めみんな学校を続けることは出来ませんでした。
私は知識や教育を身につけていないと世の中で生活するのが難しいとずっと思ってきました。
私の家族が今のように生活が苦しいのは学問、教育がなく知識がないからだと思います。
今の生活を続けるのは嫌です。
生活するためには教育だけではなくて知識や技術を身につけなければと思います。
私はその日ごとの日給で不安定な生活をしたくありません。
だから何もない人生から何かある人生へ、自分が変わらなければと思い一生懸命勉強を続けました。
私達家族8人の生活は経済的に大変です。
私達の村では米と豆の収穫時は忙しいので日雇いの仕事があります。
でも他の時期は仕事があまりないのでどんな仕事でも嫌いであっても我慢してやらなくてはなりません。
MESOからの支援を頂くまでは、中学に通いながら色々な仕事をやりました。
MESOのお陰で高校に進学してからは、嫌な仕事をしなくても勉強に集中できるようになりました。
同じような苦労をしていない人には、苦労している気持ちは分からないだとうと思っていましたが、
MESOの皆様は私達のことを気にかけ支援して下さいました。
MESOから支援を受けることが出来たことは、私の人生にとてもとても大きなことです。
MESOからの支援で私の人生は変わり、前進することができました。
今私は大学1年生を終わり、2年生に進級することができました。
心配なく勉強をすることが出来ることを感謝しています。
MESO(ミャンマー教育支援機構)
MESO支援者の皆様へ

私はZin Min Htike(ズィンミンタイク)です。
チャウタン ユワティジ村に住んでいます。
父はU Htun Mying、母はDaw Sen Sen Myintです。 父は農民、母は家事をしています。
私は6人兄弟の5番目です。
高校に進学するのは難しく諦めていた時に、MESOからの支援で進学することが出来るようになり、とても嬉しく、幸せに思っています。
MESOの皆様のことは、私達にとっては親と同じです。いつも感謝しています。
MESOの皆様に是非、私達の村に来ていただきたいです。今後も引き続き私達の後輩も支援して頂けることを期待しています。
MESO(ミャンマー支援機構)

私はZin Min Htike(ズィンミンタイク)です。
チャウタン ユワティジ村に住んでいます。
父はU Htun Mying、母はDaw Sen Sen Myintです。 父は農民、母は家事をしています。
私は6人兄弟の5番目です。
高校に進学するのは難しく諦めていた時に、MESOからの支援で進学することが出来るようになり、とても嬉しく、幸せに思っています。
MESOの皆様のことは、私達にとっては親と同じです。いつも感謝しています。
MESOの皆様に是非、私達の村に来ていただきたいです。今後も引き続き私達の後輩も支援して頂けることを期待しています。
MESO(ミャンマー支援機構)