伊勢
引用ーー
日本が世界に贈った総てのものの源泉、日本のまったく独自な文化の鍵、全世界の讃歎措く能わざる、完全な形式を備えた日本の根源、──外宮、内宮、荒祭宮の諸宮を有する「伊勢」こそこれらの一切である。
あたかも天の成せるが如きこれらの造営物を描き出すことはとうてい出来ない。それがどのくらい年代を経たものかもわからない。それは形の上
に現れているところでは、決して古くはならないのである──それらは二十一年目ごとに新しく造営され、白絹の立派な装束をまとった工匠たちは
、次の社殿に用いる素晴らしい檜材の仕上げに絶えず励んでいる。この新しい社殿は、「古い」が実際にはまだすこぶる生々しい社殿の傍に組み立
てられるのである。新築にあたっては、その形式には何等の改変も加えられない。このようにして、すでに六十回以上も新築が繰り返され来たった
のだということである。造営者の名前は誰一人汁物もない。その形式は国家への貴重な天の賜物であって、国家はそれが絶えず新鮮な材料によって
頽齢の腐食のために朽つることのないように心を労しているのである。この事実ひとつの中にも、なんという崇高な、まったく独特な考え方が現れ
ていることであろう!
言葉で述べることも、絵によって印象を伝えるなどということもできない。ただ現場に赴いて、自分の目で見るより他に仕方がない。
絵で見ると──写真撮影やスケッチの禁ぜられているのはもっともなことである。──これらの建造物は実に簡素に見えるので、それに捧げられ
る尊崇の念が不思議にさえ思われるほどである。それは農家を想起せしむるものがあり、たまたま田圃の真ん中に藁葺きの極めて素朴な作事小屋を
見ると、伊勢のあの古典的建築が本質的には同じものであるかのような印象を受ける。しかし実にこの一事こそが、その古典的な偉大さなのである。あの建造物は日本の国土から、日本の土壌から生い立ったのであっていわば稲田の作事小屋や農家の結晶であり、真の「神殿」、すなわち国土とその大地の精髄の安置所なのである。
国民はそれを国民の最高の象徴として尊崇する。この点でそれらは真の結晶体である。その構造は完全に澄明で曇りなく、外形がそのまま構造で
あるほどに開放的で簡素である。同様に、薫り高く美しい檜材、屋根に用いられている藁、屋上木部の末端にある金冠そして最後には建造物の土台
となっている整然たる礎石、これらの材料はあくまで純潔を極め、あらゆる点で清楚である。木材は油を施されてすらいない。このように純粋なる
にもかかわらず、材料と構造とが、純粋さの点においては他に比肩するもののないほどの均整をもって組み合わされている。殊に外宮がそうである。一切が究極の清楚である。──それは日本的形態の偉大なる神秘を、この世界に独歩の力を、その中に蔵する貴重なる結晶体にして始めて現し得る高貴さである。
日本の文化が世界のあらゆる民族に寄与したところのものに対して、多少なりとも心を動かされる人は、親しく伊勢に詣でねばならない。そこに
はこの文化のあらゆる特質がひとつに結晶しており、それゆえに単なる国民的聖地より以上の何ものかが見出されるのである。
外宮を持った伊勢は──一言にしていえば──そもそも建築術の神殿であるのだ。
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(ニッポン ブルーノ・タウト著 森トシオ訳)
そーなんです。すばらしいところなんです。
うん、行ったことないんです。今年は是非とも行ってみたい。
マッカーサーライン4
(9)平和条約の第九条には「二本は公海における漁業資源の確保のため、また自国の漁業活動を制限するため、連合国と速やかに協議に入る」と記してある。
日本が独立国になったのが四月二十八日だ。その日から「速やかに協議に入る」はずなのだが、協議はすでに五ヶ月前に終わっており、北太平洋での日本の鮭漁は禁止されていた。
鮭条約には日本が公海で鮭を捕る権利を「自主的に放棄する」と書いてある。
(10)五月九日、独立国日本はアメリカとカナダ政府の高官と鮭漁の網元たちを東京に招き、すでにでき上げっていた「鮭条約」に署名した。
「アラスカ半島でイクラ造り」の美しい話が、これからもっと暗くなる。戦後日本の屈辱は続く。
公海である北太平洋のどこで日本は鮭漁をしてはいけないのか。太平洋をタテ半分に割っている百八十度の日付変更線から五度アメリカよりの、西経百七十五度からアラスカ、カナダ、米国西海岸までの広大な海域にわたって日本鮭漁船は入ってはいけないのだ。北太平洋の半分が米国の鮭養殖地である。この「合意」が今でも続いている。日本に対してだけである。
アメリカがなぜ北太平洋のど真ん中まで鮭独占領域を広げたのか。理由は、簡単かつ野蛮。当時の科学的調査によると、米大陸の河で生まれた鮭も日付変更線のあたりまで回遊する。
「米国鮭」と「アジア鮭」が公海の北太平洋の真ん中で混浴する。日本は「アジア鮭」を捕ってもよいが、「米国鮭はダメ。鮭は、アジア生まれもアメリカ生まれも同じ顔をしており、同じ体つきで、同じ色だ。区別できない。
くだらない冗談を言っているようだが、真剣な話。
アメリカは、本気で「米鮭特別扱い論」を日本に押し付けてきた。すなわち、日本の鮭漁船がアジア鮭を捕りに北太平洋に入ってきたら「米国鮭」も捕れるので、日本は鮭を盗んでいる、と言う発想だ。だから、最初から「入ってはいけない」のである。
こんな横暴が通ったのは、戦勝国が(官軍)が日本(賊軍)を占領していたからだ。歴史的な偏見「日本は鮭泥棒」も背景にあった。長年続いている日本人に対する偏見、人種差別のため、私がアラスカの鮭缶詰工場で働いた二度目の夏、鮭が戻ってこなかった大不漁の夏、漁師たちは「日本が北太平洋で密漁しているからだ」と怒り狂ったのだ。米国が北太平洋の自国だけの「釣り池」として使用し、世界の水産大国、日本の船を追い出しても良いという国際条約は、戦後の日米関係を克明に映し出している。
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この本はすごく好きな本です。おすすめです。
なんというか、戦争に負けると言うことはこういうことなんでしょう。アメリカも韓国と似たようなことをやっていたんですな。やはりあの時代は弱肉強食です。日米戦争自体シナ大陸にアメリカが食い込んでいくためにした戦争だもの。アメリカ大陸はもう全部俺らのもんになっちまった。次だ次!ってことだね。きっと今も本当の所は変わっていないのでしょう。
日米戦争にアメリカが勝った後、ニューヨークタイムズの社説はこんなことを言っている。「我々ははじめてペリー以来の願望を達した。もはや太平洋に邪魔者はいない。これでアジア大陸の市場と覇権は、我が物になったのだ」。
しかしその後は歴史の通り。共産国家の誕生。アメリカのおかげで。今まで国民党に援助してきた金がパア。
朝鮮戦争というのは米ソの代理戦争。日清戦争や日露戦争の焼き直し。アメリカほど共産主義拡大に貢献した国はないんじゃないかな。
イヤー許せない。悔しい。あめりかっつーのは強欲だなあ。自分がアメリカに対して一番許せないことは戦中のことではありません。原爆の使い方・空襲等民間人の大量虐殺はもちろん許せませんが、日本が負けた後、占領軍がやった日本を内部から破壊するような卑劣な手を使ったことです。今回メモったマッカーサーラインや、WGIPや、占領下での主権回復前の憲法改正など、日本の将来にわたって影響するような事柄をやられたことです。書いててむかついてきました。よし、おわり。
マッカーサーライン3
サンフランシスコ平和条約が発効し、日本が敵軍占領から開放され、独立国家になるのは八ヵ月後。吉田首相が帰ってきた日本は、まだ米軍による占領下である。この最後の八ヶ月の占領期間中、鮭独占を決定的にする。
(6)サンフランシスコだの書名から四十日後、(1951年十月十六日)、日本政府はアメリカとカナダの漁業関係者および国務省(アメリカ)と外務省(カナダ)の高官たちを東京へ招待した。北太平洋の鮭につき話し合い交渉をするためだ。鮭だけでなく、畳二枚ほどの大きさがある「大ヒョウ」(巨大なヒラメ)も貴重な資源であるので、アメリカに独占される。日本人が大好きなカニ、アラスカの「キング・カニ」は交渉の対象にはならなかった。当時、アメリカの漁師がこのカニを商業用に捕っていなかったからだ。
(7)子供だましか、徹底的な侮辱か、信じられないことが占領末期に起こる。マッカーサーの後任、リッジウェイ最高司令官が日本に「特別独立」を与えた。占領下の日本がアメリカとカナダと「自由に・対等に抗議・交渉ができるように」との考慮からである。だが、特別独立は交渉機関の四十日間だけ。まもなく「独立」することになっている日本が、後になって「北太平洋鮭条約は米軍に銃を突きつけられて同意させられた不平等条約である」と言わせないためである。
十二月十四日、東京で日本・アメリカ・カナダは「鮭条約」(正式の名は長く、「鮭」と言う言葉は入っていない)に署名した。同時に、日本の特別独立は占領軍に取り上げられた。
(8)1952年四月二十五日、マッカーサー・ラインが解かれる。三日後(四月二十八二日)平和条約が発効し、占領が終わり、日本は独立国になった。
マッカーサーライン4につづく