マッカーサーライン2
(2)「日本を独立させる」という動きを察知した米太平洋沿岸の労働組合は、和平交渉が始まる前に、「米国政府は、日本が米国とカナダの漁業活動に絶対に不利益をもたらさないという確約を日本から取り付けなければならない。さもなくば対日和平に反対する」と断言した。1950年四月十八日の公開文である。
(3)朝鮮半島で市民と兵士の区別もない激戦が続く間、日米和平交渉が始まった。1951年二月七日、吉田茂首相は米政府の特使ジョン・フォスター・ダレスに手紙を送り、「日本は連合国と漁業問題につき話し合う用意があります」と伝えた。吉田首相は米政府の指図に忠実に従っている。
二ヵ月後、日本占領の独裁者マッカーサーは、朝鮮戦争の戦略に関してトルーマン大統領の命令に従わなかったため解任され、本国アメリカに呼び戻された。マッカーサーの御用聞きだった吉田首相は動転し、「私がどれだけ衝撃を受けたか、どれだけ悲しんだか、あなたに告げる言葉もありません」と彼に手紙を書いた。
(4)1951年七月、米太平洋沿岸の労働組合代表は、米政府(国務省)と綿密に協議し、最良の漁業条件をまとめた。日本と交渉の用意ができた。
マッカーサーライン3につづく
マッカーサー・ライン1
引用(日米魂力戦 負けるなニッポン 西鋭夫)よりーー
日本敗戦で、アメリカは戦前からもめていたアラスカ鮭に決着をつける。
日本降伏のわずか二十六日後、1945(昭和二十)年九月二十八日、トルーマン大統領は「米国大陸棚他国の漁業活動は許さない」と宣言をする。飢えた敗戦国日本が、鮭漁船をアラスカへ送り込むかもしれないとの憶測から先手を打ったのだ。さらに、同年十一月十三日、トルーマン大統領は、東京に君臨していたマッカーサー元帥に極秘電報を送り、「日本の漁船を日本列島の近海から出してはいけない」、日本列島の周りに「マッカーサー・ライン」(檻)を張り巡らし、そのせまい内側に「日本漁船を封じ込めろ」と命令を下した。「アラスカの貴重な鮭資源を守るためだ」と明言した。
食料が極度に不足していた日本は、「マッカーサー・ライン」の内で魚を捕りすぎ、アメリカから食料をもらいながら乞食同然の生活に落ちていった。マッカーサー・ラインの外へ出て漁をしようとしても、怖い米海軍の監視船と偵察機が目を光らせている。違反した日本の船は「元帥の命令に背いた」という重罪で船を没収されるか沈められる。
マッカーサー・ラインが解除されたのは、日本占領が終わった1952年四月二十八日(サンフランシスコ平和条約画が発効した日)のわずか三日前、四月二十五日である。これで、日本の漁船が北太平洋の鮭漁を自由に操業できるようになったのか。そんな甘い日米関係は一度もない。これからもない。日本漁船を封じ込むため、米政府はまた先手を打っていた。今度は「国際条約」という美しい名目で、日本を北太平洋の鮭漁から完全に閉め出す策略に出た。次の順序で、日本は公開である北太平洋の鮭漁から完璧にはずされた。
マッカーサーライン2につづく
漢文は日本語教育のひとつ
引用ーー
昔は寺子屋などで漢文を読ませたじゃないかと指摘する方がいる。しかし、漢文を読むことは、実は国語教育なんです。「論語」にしても「子曰」を音読みはしません。日本語で「しのたまわく」と発音する。「有胞自遠方来」は「ともあり、遠方よりきたる」とつづける。中国語の発音はせず、すべて日本語で読んでいますから、これは日本語教育なんです。 江戸時代の一流の漢学者、例えば伊藤仁斎や山鹿素行などでも、彼らは原則としてチャイニーズ・カンパセーションはできませんでした。シナ語会話ができるのは、長崎の貿易商人など一部の人間です。 明治維新後でも、元勲たちは漢文教育を受けた人たちばかりでしたから、漢文自体はかけました。清国の要人とは会話ではなく、ほぼ筆談でコミュニケーションが可能だった。漂流した沖縄の漁師殺害の交渉のため北京に出かけた大久保利通は、李鴻章と筆談して賠償金をかちとったりしている。 (略)そういう例は外国にもありました。それはルネサンス以後に、ギリシア語会話を学習した学者たちです。彼らはギリシア語会話なんてできませんでしたが、ご存知の通りアリストテレスなどの著作は熱心に読まれ研究されてきました。 (略)正確さを身につけている日本人 先ほど漢文は、日本語教育だといいましたが、漢文はシナ人から習う必要はありません。日本人から習ったほうがずっと正確です。小堀桂一郎氏(評論家)から聞いた話ですが、東大に留学しているシナ人の学生が、来日して日本語の注釈や説明などを読んではじめて「論語」の意味がわかったというらしい。向こうでは、日本のように返り点の類がなく、いわゆる「白文」ですから、ただ書いてあるままに読んでしまっていて、結果としてなんとなく文章を感じ取って、それで理解していると思っていたそうです。 ですが、日本では漢文の一文一文について分析に分析を重ねます。それが、返り点に反映されますから、少しもごまかせない。江戸時代には、どのように返り点をつけるのか、生徒もよく見ていて、先生が間違いでもすると、すぐに指摘されたりした。非常に正確に読むという精神が根付いているんです。 こういう読み方は韓国にもないし、シナにもない。シナでは、古典は読むといわないで「打点(=点を打つ)」という言い方もします。古典の文章は、どこで切ったらいいのか正確にはわかっていないので、首をかしげながら、ここで点を打とうとか、ここで切るべきだなどと、人によってまちまちに解釈しているんです。しかし日本では、徹底的に学者が研究して、返り点をつけていて揺るがない。間違えがないように懇切丁寧に読んでいる。そういう伝統が日本にはある。
ーー(WILL 6月号 P190)
日本語の語彙が豊富じゃないと英語を覚えたとしても、脳内でまず浮かぶ言葉は母語だろうから、日本語もまともにしゃべれない人は英語が話せたとしても、半端なものになってしまう。
「チベット語になった「坊ちゃん」」と言う本では、チベット語と日本語で上に近いことをやっている。
外国語を翻訳することで同時に日本語を勉強・再認識することができると。
正直私、文法とかまったく覚えてない。文章を書くことができない。論理的にまとめて書くとか不可能。文章力がないっていうのは話す能力にも関係あるな。頭の中で整理して喋るとかってできないもん。カタコトの日本語しか喋られないっつーのは情けない。なんとかしたいもんです。
最近小学生の英語の時間を増やそうとしているようですがまだ早いんじゃないですか? 国語の時間を増やすとか、書道の時間を増やすとかしたほうがいいと思う。