マッカーサーライン2 | 忘れないようにメモメモ(日本の歴史、近代史)

マッカーサーライン2

(1)第二次世界大戦の終結と同時に始まった米国対ソ連(現ロシア)の冷戦は、1950年六月二十五日朝鮮半島で爆発し、悲惨な殺し合いとなった。北朝鮮がソ連と中国の軍事援助を受け、半島の征服に乗り出した。アメリカは悪魔の共産主義がアジア全土を侵すのではないかと恐れ、占領下の日本を独立させ、経済を復活させ、日本をアジアの砦にすることがアメリカの国益に合うと判断した。
(2)「日本を独立させる」という動きを察知した米太平洋沿岸の労働組合は、和平交渉が始まる前に、「米国政府は、日本が米国とカナダの漁業活動に絶対に不利益をもたらさないという確約を日本から取り付けなければならない。さもなくば対日和平に反対する」と断言した。1950年四月十八日の公開文である。
(3)朝鮮半島で市民と兵士の区別もない激戦が続く間、日米和平交渉が始まった。1951年二月七日、吉田茂首相は米政府の特使ジョン・フォスター・ダレスに手紙を送り、「日本は連合国と漁業問題につき話し合う用意があります」と伝えた。吉田首相は米政府の指図に忠実に従っている。
 二ヵ月後、日本占領の独裁者マッカーサーは、朝鮮戦争の戦略に関してトルーマン大統領の命令に従わなかったため解任され、本国アメリカに呼び戻された。マッカーサーの御用聞きだった吉田首相は動転し、「私がどれだけ衝撃を受けたか、どれだけ悲しんだか、あなたに告げる言葉もありません」と彼に手紙を書いた。
(4)1951年七月、米太平洋沿岸の労働組合代表は、米政府(国務省)と綿密に協議し、最良の漁業条件をまとめた。日本と交渉の用意ができた。
マッカーサーライン3につづく