忘れないようにメモメモ(日本の歴史、近代史) -236ページ目

歴史哲学

引用ーー

例えば、筆者がこの文章を書いていることも事実である。あるいは昼食にそばを食べたのもまぎれもない事実といえよう。しかしながらこの事実が祖国の歴史を振り返る際に、大東亜戦争において特攻隊が散華された事実と同等な歴史的な事実であろうはずもない。ここでは紛れもなく祖国の歴史と言う観点からの事実の取捨選択が行われていることが明らかであろう。  そして、もうひとつの反論は、事実を集積したところで人間は過去を忠実に再現できるはずはないというものである。これも考えてみれば当然の指摘である。人間の記録、記憶には限界があり、若干の推論なしに歴史を語ることは不可能である。  (略)歴史とは事実を羅列したものであるとする歴史解釈には限界があることは明らかであろう。事実を何らかの基準において取捨選択し、再構築してはじめて「歴史」が誕生するのである。  「歴史」が何らかの価値観によって取捨選択され、創出されるものであるとすれば、この価値観を歴史哲学であるといえよう。そして我が国が本当に取り戻すべきは、この歴史哲学であったのではなかろうか。歴史を叙述する際の根幹とでも言うべき日本人の歴史哲学が語られることのないままに、戦後六十年の歳月が過ぎ去って言ったのではないか。

ーー(日本人の歴史哲学 岩田温 P21)



やはり戦後のどさくさにまぎれてGHQがやったさまざまなこと(占領下での憲法改正・皇室典範改正・民法改正・言論統制等々)が未だに尾を引いてるということかな。  日本人の立場に立った歴史と言うものが本来の歴史だということ。国際社会において自己の立場を主張しないと言うことはマイナスにしかならない。嘘を言っているほうが正義面している恐ろしさ。やはりもっと面の皮を厚くしないとね。

風流産業

引用ーー

くだらない問題やくだらない権力者から逃げるのは「風流人」といって日本の伝統である。したがって、昨今の風流な若者はきっと今にいいことをすると思っている。日本中の産業が非常に風流になってきたからである。
 日本は芸術国家であり、もともと日本人は一人ひとりが芸術家なのだと「そして日本が勝つ」で詳しく述べた。その日本人の「芸術力」をアメリカ人が感心して、日本の自動車は風流だ、ハイテクではなく芸術だ、工業製品を一段超えているというようになった。
 これから日本は風流産業で景気が直る。と、そう思ってみると、なるほどという話が出てくる。ソフト化経済センターが、そういう風流な例を集めて来た中の、一例を紹介すれば、徳島県の山奥に上勝町という町がある。こんな山奥の小さな町ではなにもすることがないと村民はあきらめて、することはすることは県庁にいって陳情して、補助金をもらうだけの生活をしたので、あきれた息子と娘は大阪へ行って帰ってこなくなる。それでますます過疎になる。
 そこへ一人の男がやってきて、「ここにはすばらしい資源がある。これを東京、大阪へ売って儲けよう」と言った。すばらしい資源とは葉っぱである。モミジやイチョウ、カキの葉っぱや落ち葉やらを集めて、料理屋へ刺身を飾る付け合せに売ろうじゃないかとやったら、これが大成功。「つまもの」と呼ぶが、年間2億5千万円の売り上げになっている。
 
 葉っぱを集めてお金になるとはアッと驚くが、それもまた日本の底力である。

 調査にソフト経済センターの若い人が行くと、農家のおばあさんが「見なさい。この庭先に木が一本立っている。あの木一本で去年五十万円稼いでくれた。それに比べりゃ、うちの息子は何の役にも立たないから、うどの大木」と言ったそうである(笑)
 これに解釈をつけると、おじいさん、おばあさん一人ひとりが、「この落ち葉は美しい」「これは美しくない」と、全員がそういう風流の心を持っている。
 それを透明なパックの中へきれいに並べて、クロネコヤマトの宅急便に渡すと、徳島空港というほとんどムダだった空港が今や生きてきて、一日で東京・大阪に届く。飛ぶように売れる。

この国の美しい風土は、
他国にはマネができない素晴らしい資源

 面白いと思うのは、村の人に芸術の心があり、輸送に関する社会資本が世界一整備されていて、それから、料亭、レストランが「これはよい、お皿の横に並べたら高く売れる」と思うことである。さらにはお客さんが「いいね」といって、その風流さを買う。アメリカ人にこの話をしたら、「食べられない葉っぱに何で高く金を出すのか」と言われたが、しかし、そういうお客さんが日本中にたくさんいる。
 私はこれを風流産業と呼ぶ。
ーー(「質の経済」が始まった 日下公人 P86)



また日下さんからのメモになってしまった。しかし日下さんみたいな人が、政府の人に意見を言える立場であることはすごくいいと思う。(あんまり意見が通ることはないそうですが)
なにより悲観的じゃない所がいい。アイデアを即効で口に出せる。なんか読んでると元気出る。
しかし実際日本はすごいと思う。十数年の不況の間もODA一兆円以上を毎年出し続けていた(良し悪しは別だが)し、年間GDPは五百兆で横ばい。ほんとじいちゃんばあちゃん祖先の方々は頑張ってくれたなあ。感謝。

マクマリーのメモランダム

「大東亜戦争は、アメリカが悪い」鈴木敏明 から

引用ーー


マクマリーのメモランダム


 マクマリーによれば、ワシントン会議後の体制である国際協調体制精神が完全に崩壊してしまったのは、満州事変でした。しかし満州事変という日本の武力行使を招いたのは、中国がワシントン会議における諸条約を無視した政策をとり、アメリカは中国を諌めるどころか迎合してしまったためだと主張しているのです。このマクマリーの見解は、戦前のアメリカが親中反日であったために、まったく例外的でした。当時のアメリカ人の大部分が、日本が中国を痛めつける悪役と信じていたからです。しかしマクマリーの見解が例外的でもまったく無視できず、それどころか見直さなければいけないのは、彼の先見性です。

 マクマリーは、アメリカが中国ばかりに肩入れして、日本の言い分を無視し続けるならば、日米戦争がおきてしまうと1935年の時点で警告しているのです。事実六年後に大東亜戦争がおきました。このマクマリーの見解も、アメリカでは無視され、1935年の時点では、日米戦争など起こるはずがないというのが一般的でした。さらにマクマリーメモランダムで驚くのは、日米戦後も的確に予言していることです。

 「日本の徹底的敗北は、極東にも世界にも何の恩恵にもならないであろう。それは単に、一連の緊張を生むだけであり、ロシア帝国の後継者たるソ連が、日本に代わって極東支配のための敵対者として現れることを促すに過ぎないだろう」(平和はいかに失われたかP189)

 (~中略~)「日本に対する米国の勝利は、極東での障害要素であった日本が排除されて、リベラルな路線での米中間の緊密なる理解と協力に役立つ機会が大いにひらけていくと予測する平和主義者や理想主義者がいるかもしれない。しかしそれは思い違いである(略)もし米国が日本の支配から中国を「救い出し」、中国人民の目から見て「ナンバー・ワンの国」となれば、それが中国人民にとってもっとも好ましい国になったというのではなく、逆に彼らが最も信頼しない国になったということである。(略)中国が、日本の拘束から開放されることについて米国に恩義を感じるとは考えられない。中国人は、我々には何も感謝しないだろうし、我々の意図が利己的でないと信じないだろう。そして、我々が果たす責任については、きっちりと我々に迫ってくるに違いない。よく見ても、日本との戦争は何の利益も得られないし、どうころんでも、巨大な犠牲と危険を必ず伴う。したがってこのような戦争の回避自体が、我々の最も重要な目標であることを認識しなければならない」(平和はいかに失われたかP191)

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マクマリーメモランダム

(1935年昭和十年 原題The 1935 Memorandum 1992年米国海軍大学教授アーサー・ウォルドロン氏が解説本「How The Peace Was Lost」を著す。日本語訳「平和はいかに失われたか」もあり)



こういう意見もあったということで。ラルフ・タウンゼントも近い立場です。しかしこの本(大東亜戦争は、アメリカが悪い)分厚すぎ。700ページぐらいある。もう記憶が薄れつつあります。

やはり民族には、各民族の性格というものがそれぞれあるんだろうと思いますな。中国、アメリカどちらも強欲さでは引けをとらない。アメリカなんかフィリピンまでとっておきながらモンロー主義だとか、奴隷解放宣言はいいけどそのあと排日移民法だとか。さすがです。面の皮の厚さが違う。日本も見習わないと。