歴史哲学 | 忘れないようにメモメモ(日本の歴史、近代史)

歴史哲学

引用ーー

例えば、筆者がこの文章を書いていることも事実である。あるいは昼食にそばを食べたのもまぎれもない事実といえよう。しかしながらこの事実が祖国の歴史を振り返る際に、大東亜戦争において特攻隊が散華された事実と同等な歴史的な事実であろうはずもない。ここでは紛れもなく祖国の歴史と言う観点からの事実の取捨選択が行われていることが明らかであろう。  そして、もうひとつの反論は、事実を集積したところで人間は過去を忠実に再現できるはずはないというものである。これも考えてみれば当然の指摘である。人間の記録、記憶には限界があり、若干の推論なしに歴史を語ることは不可能である。  (略)歴史とは事実を羅列したものであるとする歴史解釈には限界があることは明らかであろう。事実を何らかの基準において取捨選択し、再構築してはじめて「歴史」が誕生するのである。  「歴史」が何らかの価値観によって取捨選択され、創出されるものであるとすれば、この価値観を歴史哲学であるといえよう。そして我が国が本当に取り戻すべきは、この歴史哲学であったのではなかろうか。歴史を叙述する際の根幹とでも言うべき日本人の歴史哲学が語られることのないままに、戦後六十年の歳月が過ぎ去って言ったのではないか。

ーー(日本人の歴史哲学 岩田温 P21)



やはり戦後のどさくさにまぎれてGHQがやったさまざまなこと(占領下での憲法改正・皇室典範改正・民法改正・言論統制等々)が未だに尾を引いてるということかな。  日本人の立場に立った歴史と言うものが本来の歴史だということ。国際社会において自己の立場を主張しないと言うことはマイナスにしかならない。嘘を言っているほうが正義面している恐ろしさ。やはりもっと面の皮を厚くしないとね。