忘れないようにメモメモ(日本の歴史、近代史)
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仲小路彰「我かく信ず」

仲小路彰
昭和20年8月18日
我かく信ず

大東亜戦争はいかにしても回避できぬ歴史の必然であり、諸民族の背後にあって相互を戦わせるなんらかの計画があったこと、そしてそれはアメリカを中心とする金融と軍需産業のメカニズムで、日本はその世界戦略に対するアジアの防衛と、自存自衛のためにやむなく干戈をまじえたまでで、我が国に戦争責任もなければ侵略の意図もなかった。ついで、大東亜戦争の第一次目的、大東亜宣言で述べられた目的は戦局とは関わりなくすでに達成され、日本の成功はいかにしても否定しがたい、なぜなら真の勝敗は武力戦の範囲を超えていて、今次戦争の目的は大東亜の復興、防衛、世界の植民地の解放にあった以上、これはすでに達成され、しかも敵方の大西洋憲章からポツダム会議に至る目的にも、つまるところ大東亜宣言の理念に帰するのであるから、勝敗とは関係なく、日本の創造的行動は成功したと言っていい。
そこで、いまや和平工作が必要となるが、利得や対面にとらわれず思い切って不利な条件をも甘受すべきである。日本軍の満州を含む大陸からの全面撤兵、太平洋諸島の領土放棄、兵力の常駐はこれからの世界ではもはや有利のならない。今日の産業は有力なる武器を生み出せないので、むしろ全面的改廃を進めるべきで、大艦隊や歩兵主力の陸海軍はすでに旧弊で、次の対戦には不適切であり、むしろ不利である。大軍縮はおろか軍備撤廃まで恐るにおよばない。ここからかえって新しい創造が生まれる。そもそも今回の戦争では作戦の指導者に欠陥があった。一見不利な和平条件を突きつけられても、現在の日本の誤れる旧秩序、誤れる旧組織を全面交代させるのに役立つならこれは最良の道として選ぶべきである。
大東亜戦争の終結は世界史的に見る場合、絶対に敗戦にあらざることを徹底化し、むしろ真に勝敗は今後国民の積極的建設の有無によって決せられる。





パトリ(故郷)なきナショナリズムは観念だけの愛国心である

パトリ(故郷)なきナショナリズムは観念だけの愛国心である

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産經新聞は「原発を止めたら経済はどうなる」と叫ぶ。
しかし、産経(産業経済)新聞は、そもそも「経済」の意味がわかっているのだろうか?
経済とは単に「economy」の訳語ではない。

「経世済民」=「世を経(おさ)め、民を済(すく)う」
という意味であり、江戸時代後期に貨幣経済が定着する前は、政治学・社会学までをカバーする言葉だった。
「経済」の「済」は「財」ではない。
あくまでも「救済」の「済」である。

原発によって故郷を失い、不幸の最中にある民がいる。
このまま原発が稼働を続ければ、同様の、もしくはそれ以上の不幸が繰り返される危険性が多分にある。

それでも原発を稼働させ、金儲けを続けたいと主張する銭ゲバ財界は完全に「経済」を忘れているのであり、こんなのを「経済界」とは呼べない。
あえて言うならカタカナ書きで「ケーザイ界」とでも呼ぶのが適当だろう。

自称保守派は一体何を保ち、守ろうとしているのか?
ケーザイの成長だけは守りたい、そのためなら国も山河も滅んでも仕方ないというのだろうか?

ならば自称保守派は、なぜ「首相は靖国参拝せよ」と叫んでいたのか?
シナの市場欲しさに「首相の靖国参拝はやめるべき」と「ケーザイ界」と共に主張すればいいではないか!

パトリ(故郷)なきナショナリズムは観念だけの愛国心である。
それは英霊たちが望んだものだったろうか?

英霊たちが「命より大切なもの」として守りたかったのは故郷(クニ)だった!
家族であり、村の祭りや信仰や伝統だった!
いま、故郷を喪失した人々に対して、何の情も寄せない大衆マスコミ・知識人が、なんと「保守」を自称している。
英霊たちは、ケーザイのため、カネのために戦ったのだろうか?
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小林よしのり「脱原発論」 


この感覚は決してセンチメントではなく、歴史の縦軸、祖先の願いと子孫への責任を果たそうとする、正しく保守と言える感覚だと思う。

「ありのまま」ということ


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むさ苦しく貧しい住居でも客を迎へるときにはできるだけきれいにと心掛けるのも、貧苦を隠すためではない。貧乏をムキツケにして客人の心を暗くさせないためである。それがありのままを、といふ心づかひなのだ。つまりありのままとは、相手にたたみかけていく暴露ではなく、迎へる者と迎へられる者との間にわざとではないなごやかな通路をつけることである。カベ新聞の一件にみられた市職の態度は、ありのままをに名をかりて、この暴露をやらうといふのだ。すでに政治の圏外にをられる陛下を、強ひて政治の圏内へ引っぱり込み、国民との間の親愛の通路をしや断する戦法なのであろう。組合運動の旗を掲げる政治運動の新版である。ほんたうにありのままを見て頂かうといふわたしたちは、貧しいながら汚いながらも、できるだけ美しく掃き清めて、心からの敬愛のじょうをささげようではないか。
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保田與重郎文庫 近畿御巡幸記
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