スチャラカでスーダラな日々

スチャラカでスーダラな日々

故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

2024年 東北電力ねぶた愛好会

東北電力ねぶた 提灯 東北電力ねぶた 囃子方 東北電力ねぶた 囃子方・太鼓 2024年8月6日に青森県庁前の立ち見スペースからスマホの望遠モードで撮影した東北電力ねぶた愛好会のねぶたです。

題  名:浪漫海峡 義経飛龍
ねぶた師:立田 龍宝

平安時代末期、源義経は兄頼朝に追われ京から吉野、北陸加賀を経て奥州平泉の藤原秀衡の基へ落ちた。頼朝の奥州への攻めにより平泉で義経は最期を遂げたが、新天地である蝦夷を目指して逃げのびた。

平泉、八戸、青森の寺院に立ち寄り滞在し苦難の末に竜飛崎へ辿り着くが、強風荒れ狂う海に行く手を遮られ渡ることが出来ない。その時、白髪の翁が現れ、三頭の龍馬を与えられて無事に海峡を渡ることが出来た。白髪の翁は義経の守護仏である「観世音菩薩」の化身であった。その後、蝦夷から大陸に渡り成吉思汗となりモンゴル帝国を築いたと伝えられている。

外ヶ浜町三厩には龍馬山・義経寺があり、義経渡海伝説の浪漫が県内で数少ない神仏混交で今も多くの参拝者が訪れ、本州と北海道を繋いだ義経の海路海峡として風と共に今も飛龍している。

東北電力ねぶた 鏡絵 浪漫海峡 義経飛龍
鏡絵 浪漫海峡 義経飛龍

東北電力ねぶた 送り絵
東北電力ねぶた 送り絵
2024年 ねぶた愛好会

ねぶた愛好会 提灯と町印 ねぶた愛好会 囃子方・太鼓 2024年8月6日に青森県庁前の立ち見スペースからスマホの望遠モードで撮影したねぶた愛好会のねぶたです。

題  名:大海の守護神 天妃様
ねぶた師:諏訪 慎

天妃様は媽祖と呼ばれ、九六〇年に中国福建省に生まれる。九八七年に二十八歳で短い生涯を閉じたと伝えられている。幼少の頃からすでに聡明で、十六歳になると自由に雲に乗り、むしろを敷いた海上を歩き、神通力を発揮。

悪さをしていた順風耳と千里眼を懲らしめて従えるようになったのは二十三歳の時。特に遭難船の人命救助にその力を使っていた。没後、海上守護、海難救助をする神、この世のあらゆる願いをかなえる現世利益の神として信仰の対象となる。

ねぶた愛好会 鏡絵 大海の守護神 天妃様
鏡絵 大海の守護神 天妃様

ねぶた愛好会 送り絵
ねぶた愛好会 送り絵

ねぶた愛好会 囃子方・太鼓
ねぶた愛好会 囃子方・太鼓
2024年 サンロード青森

サンロード青森 提灯 サンロード青森 囃子方・太鼓 2024年8月6日に青森県庁前の立ち見スペースからスマホの望遠モードで撮影したサンロード青森のねぶたです。

題  名:海の神霊 阿曇磯良
ねぶた師:吉町 勇樹

阿曇磯良は、神道の神で海の神霊として崇められている。第十四代仲哀天皇の后である神功皇后が三韓征伐に際し、天神地祇を常陸の鹿島に招き軍評定を行った。

しかし磯良は永く海中に住んでいたため貝や藻が体に絡みつき醜いので、現れなかった。そこで住吉の諸神が海中に舞台を構え、磯良の好む舞を奏し誘い出すと龍神に乗り磯良が現れた。

竜宮城から借り受けた潮を自在に操る霊力を持つ干珠・満珠を神功皇后に献上し三韓征伐は大成功。潮を自在に操る阿曇磯良と住吉神の御姿に母なる海の回復と漁業繁栄、航海安全を願う。

サンロード青森 鏡絵 海の神霊 阿曇磯良
鏡絵 海の神霊 阿曇磯良

サンロード青森 送り絵
サンロード青森 送り絵

サンロード青森 囃子方・太鼓
サンロード青森 囃子方・太鼓
2024年 青森市役所ねぶた

青森市役所ねぶた 鏡絵 八之太郎と南祖坊青森市役所ねぶた 送り絵青森市役所ねぶた 囃子方・太鼓2024年8月6日に青森県庁前の立ち見スペースからスマホの望遠モードで撮影した青森市役所ねぶた実行委員会です。

題  名:十和田湖伝説・八之太郎と南祖坊
ねぶた師:福士 裕朗

熊野で一心不乱に修行に励んでいた南祖坊の夢枕に神人が立ち「この鉄の草鞋わらじを穿き、草鞋の切れたところを汝の住家とし、弥勒三会の神人の出世を待つべし」というお告げがあった。以来日本全国の霊場を廻り、功徳を積みながら行脚の旅を続けた。

齢68のころ十和田湖にたどり着いた時、ついにその草鞋の緒が切れた。この地を住家としようとするが、そこにはすでに秋田の八之太郎が住み着いていた。

南祖坊が岩山に座り経文を唱え始めると八之太郎は大蛇に化身し、雷鳴とどろく中、挑んできた。南祖坊が法華経の経文を投げつけると、経文が鋭い剣となり八之太郎に突き刺さった。

七日七晩に及んだ戦いの末、南祖坊の勝利に終わった。その後、南祖坊は十和田湖に入寂し、青龍へと姿を変え、「青龍大権現」として祀られている。

青森市役所ねぶた 鏡絵 八之太郎と南祖坊
鏡絵 八之太郎と南祖坊

青森市役所ねぶた 送り絵
青森市役所ねぶた 送り絵

青森市役所ねぶた 囃子方・太鼓
青森市役所ねぶた 囃子方・太鼓
2024年 青森菱友会

青森菱友会 提灯青森菱友会 町印青森菱友会 前ねぶた2024年8月6日に青森県庁前の立ち見スペースから超望遠レンズで撮影した青森菱友会のねぶたです。商工会議所会頭賞賞【第4位】を受賞。

題  名:新天地 海峡の先へ
ねぶた師:竹浪 比呂央

平家追討軍を指揮し最大の武功をあげるも、兄の源頼朝に追われ奥州平泉で自ら命を絶った、源義経。英雄の悲劇的な生涯は東北、北海道の各地に数多の伝説を生んだ。

ひそかに平泉を脱出し生き延びた義経は、逃避行を続け津軽半島の三厩にたどり着いた。目指すは蝦夷地。しかし津軽海峡には激しい風が吹き波は高く行く手を遮った。神仏にすがり風波を静めるほかないと、義経は岩に端座し、肌身離さず持っていた観音像に三日三晩祈り続けた。そして満願を迎えた夜明け―

義経の目の前に老翁が姿を現し「汝の誠意は伝わった。神通力を持った龍馬を三頭授ける。」と告げた。義経が岩穴を見ると、そこには馬の如く疾駆し龍の如く天を飛翔する霊獣、麒麟が三頭つながれていた。そしてこの麒麟に跨り津軽海峡の先、蝦夷地へと渡ることができたという。

青森菱友会 鏡絵 新天地 海峡の先へ
鏡絵 新天地 海峡の先へ

青森菱友会 新天地 海峡の先へ
鏡絵 新天地 海峡の先へ

青森菱友会 送り絵
青森菱友会 送り絵
2024年 日本通運ねぶた

日本通運ねぶた 鏡絵 怪猫佐賀の夜桜日本通運ねぶた 町印と提灯日本通運ねぶた 囃子方・太鼓2024年8月6日に青森県庁前の立ち見スペースから超望遠レンズで撮影した日本通運ねぶた実行委員会です。拡大撮影をした時になぜかピントが甘くなり、撮影に大変苦労しました。

題  名:怪猫佐賀の夜桜
ねぶた師:林 広海

江戸時代の佐賀藩成立期に起きた龍造寺家と鍋島家の間の御家騒動である。肥前国佐賀藩の二代藩主・鍋島光茂の碁の相手を務めていた家臣の龍造寺又七郎が「待った」「待たない」で口論となり、光茂の機嫌を損ねて切り捨てられる。又七郎の母も飼っていた猫に息子の悲しみの胸中を語って自害。

この時に母の死体から流れた血をなめた飼い猫が化け猫となり光茂の側室・お豊の方を食い殺して乗り移り光茂に近づく。以降、藩内で様々な怪事件が頻発し光茂も毎晩苦しめられる。

そこで忠臣・小森半左衛門は光茂を惑わす化け猫の正体を暴き、見事退治して鍋島家を救うという物語。のちに講談「佐賀の夜桜」、歌舞伎、映画などに脚色され、世間に広く流布された。

日本通運ねぶた 鏡絵 怪猫佐賀の夜桜
鏡絵 怪猫佐賀の夜桜

日本通運ねぶた 送り絵 花咲か爺さん
送り絵 花咲か爺さん
2024年 私たちのねぶた

私たちのねぶた 町印私たちのねぶた 伊達 政宗2023年8月6日に青森県庁前の立ち見スペースから超望遠レンズで撮影した私たちのねぶた自主製作実行委員会です。

題  名:独眼竜 政宗
ねぶた師:相馬寿朗と私たち一同

伊達政宗は出羽国と陸奥国の武将伊達氏の17代当主で仙台藩初代藩主。幼名は梵天丸と言い幼少の頃、疱瘡を患い右目を失明しました。

18歳で家督を継ぎ、周辺の敵勢力を討ち従え南奥州を支配。戦国時代に「独眼竜」と称され、恐れられていた。豊臣秀吉と徳川家康の時代を生き、もう10年早く生まれていたら天下も狙えた武将と言われています。「大坂の陣」以後は徳川三代に仕え、仙台藩の62万石を治めて現在の大都市仙台の礎を築いた武将として知られています。

NTTグループ 鏡絵 独眼竜 政宗
鏡絵 独眼竜 政宗

私たちのねぶた 囃子方・太鼓
私たちのねぶた 囃子方・太鼓
2024年 NTTグループねぶた

NTTグループねぶた 町印NTTグループねぶた 町印2023年8月6日に青森県庁前の立ち見スペースから超望遠レンズで撮影したNTTグループねぶた。市長賞【第3位】と優秀制作者賞を受賞。

題  名:達谷窟伝説
ねぶた師:北村 春一

奥州達谷窟には、悪路王という鬼が住み着いていた。悪路王は手下を率いて悪事を働き、近隣の良民を苦しめていた。京の都の姫君がさらわれたことから時の帝の命が下り、坂上田村麻呂によって討伐されたと伝えられている。

田村麻呂は、勝利したのは毘沙門様の御加護と感じ、その御礼に百八体の毘沙門天を祀り、鎮護国家の祈願所とし達谷窟毘沙門堂を建立した。ねぶたは達谷窟伝説に由来する姫待の滝で田村麻呂と悪路王が対峙する場面。

NTTグループねぶた 鏡絵 達谷窟伝説
鏡絵 達谷窟伝説

NTTグループ 鏡絵 達谷窟伝説
鏡絵 達谷窟伝説:有料席の観客が撮影の邪魔をする

NTTグループねぶた 送り絵
NTTグループねぶた 送り絵

NTTグループ 送り絵
NTTグループねぶた 送り絵

NTTグループねぶた 囃子方・太鼓
NTTグループねぶた 囃子方・太鼓

NTTグループねぶた 赤誠会
NTTグループねぶた 赤誠会
2024年 プロクレアねぶた

プロクレアねぶた 町印プロクレアねぶた 町印2024年8月6日に青森県庁前の立ち見スペースから超望遠レンズで撮影したプロクレアねぶた実行プロジェクト。2023年に初出陣しました。

題  名:錦繍戸隠紅葉狩
ねぶた師:野村 昂史

歌舞伎の演目の一つである『紅葉狩』は古典芸能の能を元に作られており、洗練された舞踊、艶やかな衣裳、竹本・長唄・常磐津の音曲の伴奏で構成された絢爛豪華な舞踊劇である。

このねぶたは、紅葉色の錦繍を纏う鬼神役と武勇の誉れ高い平維茂役を演じる二枚看板が、舞台の大詰めを迎えた華々しい場面である。
錦繍:錦と刺繍を施した織物・衣服。美しい紅葉や花の例え。

プロクレアねぶた 囃子方・太鼓
プロクレアねぶた 囃子方・太鼓

プロクレアねぶた 囃子方・笛
プロクレアねぶた 囃子方・笛

プロクレアねぶた 鏡絵 錦繍戸隠紅葉狩
鏡絵 錦繍戸隠紅葉狩

プロクレアねぶた 鏡絵 平維茂
鏡絵 平維茂

プロクレアねぶた 送り絵
プロクレアねぶた 送り絵
2024年 パナソニックねぶた会

パナソニックねぶた会 町印パナソニックねぶた会 囃子方・太鼓パナソニックねぶた会 鏡絵 伊達政宗パナソニックねぶた会 鏡絵 伊達政宗2023年8月6日に青森県庁の立見スペースから超望遠レンズで撮影したパナソニックねぶた会。

題  名:奥州覇王 独眼竜 伊達政宗
ねぶた師:北村 蓮明

伊達政宗は1567年に奥州の名門伊達家16代輝宗の嫡男として米沢城で生まれた。幼名は梵天丸。5歳の時に疱瘡を患い右目を失明し隻眼に。幼い政宗の心に深い傷を与えたが、禅僧・虎哉宗乙から教えを受け次期当主として成長した。

11歳で元服、13歳で三春城主田村清顕の娘・愛姫と結婚。18歳で家督を相続した。翌年、二本松城主畠山義継に拉致された輝宗が非業の死を遂げたことにより、若き当主の人生は大きく動き出す。積極的に領土拡大に乗り出し、僅か5年で南奥羽の覇者としてその名を轟かせた。

1590年に豊臣秀吉に服従し、翌年は国替えにより岩出山城の領主となる。1600年に関ヶ原の戦いでは東軍に加わり、徳川家康から60万石を与えられ翌年仙台城に移る。城下町仙台は、奥羽地方最大の都市になっていく。

藩の財政基盤を固めるため、北上川の流れを変えて新田開発をし、河口の石巻を港町として整備して米や大豆など農産物を江戸へ運ぶ拠点とした。また技術者を招聘して、美しい神社仏閣を再興・造営した。

徳川三代に仕え、最後の戦国武将として一目置かれ、武人でありながら和歌や書、茶の湯などに才能を発揮した政宗。文化人としても名を上げ、70年の生涯を生きた。

パナソニックねぶた会 奥州覇王 独眼竜 伊達政宗
奥州覇王 独眼竜 伊達政宗

パナソニックねぶた会 鏡絵 伊達政宗
鏡絵 伊達政宗

パナソニックねぶた会 送り絵
パナソニックねぶた会 送り絵

パナソニックねぶた会 囃子方・太鼓
パナソニックねぶた会 囃子方・太鼓