スチャラカでスーダラな日々

スチャラカでスーダラな日々

故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

1994.11.3 チリ皆既日食・・・撮影者は北海道剣淵町の真證寺住職 故・柴田宣雄さん

1994.11.3 皆既日食ツアー【コロナ編】

コロナと金星薄雲ダイヤモンドリングチリ・アリカ市街薄雲越しのコロナ観測地は夜明けを迎えたものの、薄雲は取れないままでヤキモキしているうちに太陽が欠け始めました。かなり欠けた頃、空が急に青みがかってきて金星も見えてきました☆彡

でも薄雲が取れないままダイヤモンドリングが始まります。薄雲越しに見る光は、肉眼でもはっきり見えてついに皆既日食開始!大気のせいで若干青みがかったコロナが大変印象的で縦に長く伸びる典型的な極小期型のコロナです。

突然ワァーと歓声が上がり、さっきとは反対方向からダイヤモンドリングが見えました…あまりの美しさに見とれていたら、太陽の光が増して眩しくなったのでフィルターを付けながら部分日食を観測。2分59秒も続いた皆既日食はアッと言う間に終わりました。

観測初心者は皆既が終わったらホッとして遊んでいるけれど、私は完全に太陽が元に戻るまで撮り続けていました。撮影後は体力を消耗してしまい、バスの中では爆睡していましたzzz

やっと拠点のアリカに戻り、ホテルで二日ぶりのシャワーを浴びました。夜のディナーパーティーでは、皆さんの顔がニヤケていて観測成功を物語っているようでした。

ところで1994.11.3の南米皆既日食ツアーで同行された北海道剣淵町の真證寺住職だった柴田宣雄さんが先日お亡くなりになりました。98歳の大往生だったそうで、2025年6月7日に亡くなられて6月12日に葬儀を済ませたそうです。

柴田宣雄さんがVHSで撮影された映像は、弊ブログ管理者が責任を持ってYouTubeに保管させていただきます。過日はビデオテープを送って下さりありがとうございました。謹んでご冥福を申し上げます。北海道お悔やみ情報より柴田宣雄さんの情報を引用させていただきました。

薄雲越しのコロナ
薄雲越しのコロナ

薄雲越しのコロナ
薄雲越しのコロナ・・・撮影者は北海道剣淵町の真證寺住職 故・柴田宣雄さん
1994.11.3 南米皆既帯地図
1994.11.3 南米皆既帯地図

1994.11.3 皆既日食ツアー【砂漠の夜空編】

アタカマ砂漠アタカマ砂漠と地上絵アタカマ砂漠に佇むヒト観測地の日没チリ北部の町アリカからプトレ村に到着。南天星野観測希望なので、観測地のバスで車中泊。プトレ村はアタカマ砂漠にあります。標高が4037.0mもあるので夜は4℃まで下がり、寒くて眠れなかったです。

寒くなるとトイレが近くなるのは人間の生理現象で仕方がないのですが、夜が明ける頃までにはバスのトイレも詰まってしまったので青空トイレで仕方がなく用を足しました。

砂漠なので大気の透明度が良く、見た事もない綺麗な夜空が広がっていました。まだ南十字星は見えないので体を震わせながら強引にバスの車内で一眠りしますzzz

朝4時頃に目が覚めたら既にεカリーナ星雲と共に南十字星も昇ってきました。薄雲が切れるのを待って、愛機のMINOLTAα-8700iとISO1600フィルムで30秒で撮影しました。帰国後出来上がった写真を見ると明るい星だけが輝いていました。天の南極に近いので固定撮影でも、あまりブレずに済みました。

南十字星は1等星が2個、2等星と3等星が各1個で構成されています。名前からくる憧れもあってか、北半球では人気のある星座です。実際はオリオン座より遥かに小型です。天の南極は、北極星の様に目印になる星がないので南十字星を使って捜します。

十字架の縦の部分を南側に5倍伸ばすと天の南極に当たります。南半球でも北天の星座も見られますが天の南極が基準になるのでオリオン座も逆さに見えます。日本では沖縄or小笠原諸島の父島まで行けば綺麗な十字架が見られます。

アケルナルの巨光
アケルナルの巨光

シリウス(上)とカノープス(下)
シリウス(上)とカノープス(下)

南半球の夜空と南十字星
南半球の夜空と南十字星

1994.11.3 チリ皆既帯地図
1994.11.3 チリ皆既帯地図

1994.11.3 プトレ村 皆既帯地図
プトレ村 観測地のGPS 18°11'28.24" S   69°31'7.70" W 標高 4037.0m
Lan Chile 航空
Lan Chile 航空

Chile flagChille mapサンチアゴ空港からチリの首都サンチアゴを観光します。小高い丘の上にある聖母マリア像へ行きましたが丘が急過ぎて登れなかったです。

途中丘の中腹から聖母マリア像を撮りました。写真は全て銀塩フィルムで撮りましたが、全ての写真をスキャナしていないのでお見せ出来ません。アルバムには当時撮影した写真があるのですが、只今紛失中です。

再びサンチアゴ空港に戻り、皆既日食観測の拠点となるアリカに向かいます。当時乗った飛行機はLan Chileです。今はLATAM航空と名称を変えています。チリのフラッグ航空です🇨🇱

ところがチリ北部の街アリカへ向かう予定が何故かイキケと言う街で降ろされました。イキケは国際空港なのに預け荷物の受取所が青空の下で木製の机に次々と荷物が置かれるのをツアー客が引き取ります。

事の詳細は不明ですが、イキケからバスがチャーターされていてアリカまでバス旅行となりました。そのためイキケとアリカまで飛行機代の差額として100$ほどのキャッシュバックがありました。

現金が足りなかったので結果的には大助かりです。当時はキャッシュカードを持っていなかったので現金しか支払う手段が無かったのです。

アリカに着いてから、アリカ宿泊組と夜空の砂漠で星空観測の班に分かれました。

参加したツアーは人気があって4つのコースがあったのですが、一番最後に設定されたコースには星空観測ツアーと書かれていたのでアリカに泊まらずに砂漠で夜空を観測することになりました。イキケから乗ってきたバスに再び乗ってアタカマ砂漠に向かいます。

サンチアゴ中央駅
サンチアゴ中央駅
Jumbo 747 Aerolineas Argentinas 1976-2011

1994.11.3 皆既日食ツアー【空路移動編】

アルゼンチン航空
ブエノスアイレス空港に駐機中のアルゼンチン航空

アルゼンチン航空と弊ブログ管理者肥沃な肉牛の故郷パンパを通過チリ海岸地域を通過バンドネオンの故郷とも言えるアルゼンチン・ブエノスアイレスの紹介が長くなりました。ここからチリへ移動して皆既日食を観測した話に続きます。

1994年11月1日はアルゼンチンのブエノスアイレス空港からチリのサンチアゴ空港まで約2時間のフライトをします。

ブエノスアイレス空港からアルゼンチン航空に乗って行きましたが、スチュワーデスはラテン系で全員彫りが深い顔立ちです。

快晴でフライトしたので、雲一つない快適な空の旅を楽しみました。眼下に広がる車窓から空撮すると、肥沃な肉牛の故郷であるパンパの大地を通過していました。

アルゼンチンとチリの国境にアンデス山脈が縦断しているのですが、積雪のアンデス山脈に青い空でコントラストの良い写真が撮れました。

もうすぐチリのサンチアゴ空港に着陸します。面白い形の海岸線を空撮して雲海の下に出た飛行機は、やがてチリのサンチアゴ空港に着陸しました。

アンデス山脈を通過
アンデス山脈を通過

737-200 AerolineasArgentinas 1970-2009
Florida y Lavalle Street Tango Show in Buenos Aires – "Por Una Cabeza"

ブエノスアイレス市街のカサブランカアルゼンチン・タンゴアルゼンチン・タンゴブエノスアイレスの夜はブエノスアイレス市街のカサブランカと言う店でタンゴを見ました。ここは1ドリンク付きで40$写真も自由に撮っていいらしく、場内はフラッシュとシャッター音が鳴り響いていました。タンゴの写真しか載せていませんが、他に3つのショーがあり結構楽しめました

ここでアルゼンチンタンゴを初めて見たのですが、ブエノスアイレスの人々が心を奪われるような理由が分かるような気がします。YouTubeの映像はブエノスアイレスの路上で踊られたアルゼンチンタンゴです。

路上で踊られたタンゴにバンドネオンの生演奏があれば盛り上がるのですが、あらかじめ収録された音源がスピーカーから流されるだけでした。カサブランカと言う店で踊られたタンゴはバンドネオンの生演奏が披露されました。

時代が違うのでしょうがないのですが、ここでもスマホを持っていたら動画で撮影していたことでしょう。銀塩フィルムカメラしか持っていなかったので、現像された写真でアルゼンチンタンゴの雰囲気を味わって欲しいと思います。

アルゼンチン・タンゴ
アルゼンチン・タンゴ

アルゼンチン・タンゴ
アルゼンチン・タンゴ

アルゼンチン・タンゴ
アルゼンチン・タンゴ

Agentina. Buenos Aires. Street Tango.
ブエノスアイレスの大聖堂とカミニート


カミニート入口カミニート:アルゼンチンタンゴ発祥の地肉料理屋で昼食アルゼンチンの国旗と肉1994年11月3日に起こる皆既日食遠征のため、11月1日にアルゼンチンの首都ブエノスアイレスへ行きました。前日マイアミから機内泊で空路ブエノスに着き、その足で先に大聖堂を見てからアルゼンチンタンゴ発祥の地カミニートに行きます。平日だったのでバンドネオン奏者の路上ライヴはやっていなかったです。

バスはカラフルなトタン屋根の通り(カミニート)に到着しました。その昔イタリア移民たちが船を壊し、その板やトタン屋根とありったけのペンキを塗って家を作ったために、こんな通りの街が出来ました。

彼らはここで寂しさを紛らわせるために歌い踊り、生まれたのがこのアルゼンチンタンゴと言われています。

現在は芸術家の町として有名です。多くの画家たちが絵を売っています。土日になると、ここカミニートでアルゼンチンタンゴが踊られています。撮影日は雨が降っていました。

カミニート観光が終わってから大きめの肉料理屋で昼食をとりました。皿に置かれた肉にビックリ!!顔程の大きさがある肉が出てきました。皆も食べきれなくて余していたけど、こちらはペロリと平らげました。

上には上がいるもので、残した肉まで平らげる殿方がいたけど、さすがに無理。店内では焼けた肉を串刺しにしていて見るからに美味そう。

下の画像はブエノスアイレスのアルゼンチン国会議事堂広場にて31年前の弊ブログ管理者が映った写真です。あまり自分が映った写真は公開しないのですが、この頃は痩せていました。

1994年の弊ブログ管理者
ブエノスアイレスのアルゼンチン国会議事堂広場にて 31年前の弊ブログ管理者
晴れた空にそびえ立つ自由の女神
晴れた空にそびえ立つ自由の女神

1994.10.31 N.Y ヘリコプター遊覧飛行

NY市街大人数用の大型ヘリコプター少人数用の小型ヘリコプター(6人乗り)最初にヘリコプターから撮った風景N.Y市街を空撮N.Y市街を空撮ニューヨーク市街のヘリコプター遊覧飛行は、1994年10月31日の朝にヘリポートで80$を現金で支払って乗りました🚁ヘリコプターの飛行順は早い者勝ちなので、遅く来れば来るほど飛行する順番が後になります。

昨日からニューヨークのホテルに滞在して時差ボケを取ったのですが、まだ頭がボーッとしています。

自由の女神を周回しないコースは格安なのですが、そんなコースに誰も乗りません。皆さん乗る目的も見たいモノも大体一緒なのです。

大人数用のヘリコプターもありましたが、我々皆既日食ツアー客は5人で来たので6人乗りの少人数で小型ヘリコプターに乗りました🚁

当日はたまたま快晴で座った座席が真ん中だったので、左右どちらからでも撮影できました。

1994年なのでスマホがこの世に存在するハズもなく、ビデオカメラも入手前なので昔ながらの銀塩フィルムカメラで車窓を撮りました。

今なら迷いなくスマホの動画機能を使って撮影するのですが。ハドソン川沿いにあるヘリポートからニューヨーク市街を空撮します。

なるべく太陽の光が美しく当たる順光で撮影したのですが、ツインタワーに差しかかる頃は逆光になっていました。

やがてヘリコプターは自由の女神像のあるリバティ島に向けて進みます。この辺りは海の水も混じるところで背景が群青色の海の水色と朝陽に映えた自由の女神像が神々しく映りました。

ヘリコプターは自由の女神像を1回半廻ってヘリポートに向けて方向転換します。すると再びツインタワーが見えてきました。

再会したツインタワーは順光になってヘリコプターは先程よりも近くに寄ってくれたので、屋上の近景が撮れました。

やがてヘリコプターの高度も下がってヘリポートまでの帰路に着きました。天を切り裂く剣のようなビルの景色ともお別れです。

最高の景色は支払った値段相応の価値がありました。眼福です。ありがとうございました。

エリス島 移民博物館
エリス島 移民博物館

N.Y市街を空撮
N.Y市街を空撮
エンパイアステーションビル
エンパイアステーションビル

ツインタワービル遠景
ツインタワービル遠景

ツインタワービル近景①
ツインタワービル近景①

ツインタワービル近景②
ツインタワービル近景②

晴れた空にリバティ島でそびえ立つ自由の女神
晴れた空にリバティ島でそびえ立つ自由の女神
1994.11.3 solar eclipse
1994.11.3の南米皆既帯地図

1994.11.3 皆既日食ツアー N.Y編

1994.11.3の南米皆既帯地図ニューヨーク市街New York Blue Note自由の女神を空撮国際連合本部ビル今から31年前の1994年に江戸川区南葛西に住んでいた私は、地下鉄東西線で葛西から西船橋より乗換で成田空港行きの快速に乗り遅れてしまい、何とか出発日 (1994.10.29) の出発時間には間に合ったものの、事前に開催されたツアー説明会には遅れてしまい何の情報もツアー客との面識も無いまま機上の人となりました。

N.Yに降りたのは、半日以上経ってから。橋の上を通るたびに『あぁ~マンハッタンに来たんだなぁ』という想いが込み上げます。ホテルに行く途中でレストランに入りました。ろくに眠れなくて目をこすりながら昼食を摂ります。

その席で今夜の行動と明日の予定について説明を受け、イエロー・キャブに5人で乗ってN.Yのブルーノートと言うジャズ喫茶店ヘ行き本場の生演奏を堪能しました♪1ドリンク付40$です。もしカセットデッキとテープを持っていたら、その場で録音したかったですね。

翌朝ヘリコプターに乗って自由の女神を一周する税込80$のオプションツアーに参加。晴れた空にそびえ立つ女神が印象的でヘリから撮った写真は今でもベストショットです。

初めてN.Y市街を ヘリコプターで遊覧した時はアメリカ横断ウルトラクイズのN.Y決戦がシンクロしました。エンパイアステーションビルの横もツインタワーもヘリで通りましたよ。

9泊10日南米旅行の費用は、550000yenでした。当時勤めていた会社のボーナス2回分かかりました。初日はN.Yに着いてから、メトロポリタン美術館にも寄りました。一日中かけても全て見切れない位展示品があり、日本語のパンフレットも置いています。

国連本部にも寄りましたが、米国の治外法権区域で全ての商品は非課税。国連内にホテルもありました。N.Y5番街をツアー客の方々と歩いて帰りましたが、三脚の固定ネジを忘れたのを思い出して5番街のカメラ屋に立ち寄り55$の三脚を買いました。

英語が解らないので、同行したツアー客に通訳してもらいました。のっけから世話になりっぱなしですね。午後からは南米アルゼンチンへ。機内泊で現地着が早朝でした。

※弊ブログ初期に書いた紀行文を追記して加筆修正した記録を公開しました。

Avishai Cohen - 'Nu Nu' Live (Blue Note New York, 2006)

メトロポリタン美術館
メトロポリタン美術館
世界グルメフェス
世界グルメフェス パンフレット

ALDOのペルー料理キッチンカー ALDOのペルー料理 スタッフ 墨田区の隅田公園そよ風ひろばで世界グルメフェスが開催されてケバブとか売っているのに、結局何も買わなかったです。

基本屋台は現金販売がほとんどで、限られた現金しか持っていなかったので何も買わなかったです。来年隅田公園そよ風ひろばに来ることがあれば、多めに現金を用意してケバブなどを食べたいものです。

午後3時から都内で用事があったので、午後2時から開催されるバリ舞踊を撮影する時間が無かったです。ちなみにバリ舞踊ではなく、ガムラン楽器の生演奏なら絶対撮影しに行きます。

屋台と飲食物の写真はsayaさんのサイト より引用させていただきました。sayaさんは世界のグルメの中からランチにALDOのペルー料理を頂いたそうです。

パン・コン・チチャロン (1,000円) と ピスコサワー (800円)を購入。パン・コン・チチャロンは豚バラ肉やさつまいも、サルサタ(マネギのレモン和え)などがとても美味しいです。

世界一の朝食に選ばれたこともあるそうです。ピスコサワーはピスコというぶどうの蒸留酒をベースにしたカクテル。爽やかで飲みやすいカクテルです。

ボリビアンダンスを撮影しに行ったので、屋台などは目に入らなかったです。やたらと直射日光が眩しくて暑さで眼が眩みそうだったので、屋台は撮影していなかったですね。

特に午後2時からバリ舞踊のステージでは、直射日光がステージまで入り込んだので踊り手も大変暑い中で演じたと思います。

パン・コン・チチャロン (1,000円) と ピスコサワー (800円)
パン・コン・チチャロン (1,000円) と ピスコサワー (800円)

世界グルメフェス
世界グルメフェス パンフレット
バリ舞踊 世界グルメフェス 2025.6.7 隅田公園そよ風ひろば

バリ舞踊1バリ舞踊2バリ舞踊はバリ島のヒンドゥー教の儀式や冠婚葬祭で演じられる伝統的な舞踊で、ユネスコの世界無形文化遺産に登録されています。毎年6月1日はバリ舞踊の日だそうです。

隅田公園そよ風ひろばステージで行われたバリ舞踊は2025年6月7日の午後2時から始まったのですが、あまりの暑さで熱中症気味になったのと都内で用事があったので既に会場にはいなかったです。

これらの写真とYouTubeの映像は、全てsayaさんのサイトから引用させていただきました。

2016年の3月にインドネシアまで行ったことがあるのですが、バリ島以外ではバリ舞踊が行われずガムラン楽器の音すら聞こえて来なかったです。

バリ舞踊3
バリ舞踊

バリ舞踊4
バリ舞踊の踊り手が勢ぞろい