スチャラカでスーダラな日々

スチャラカでスーダラな日々

故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

OP ~ タケちゃんマンの歌 ~ 好きさブラックデビル

好きさブラックデビル テーマソングは、好きさブラックデビル(オレたち昔アイドル族) - 1982年9月5日発売、SP版のみ。B面は「回転禁止の新聞少年」。発売元はポリスター。

歴代の怪人で唯一組織やアジトを持っており、チョッチュネー、水玉デビル、昆虫人間軍団のほか、多くの配下がいる。一度はこれら配下を総登場させ、タケちゃんマンを攻撃したこともあった。

第59話でタケちゃんマンにあと1週間の命と宣告され、華々しい死に方を考えた末、第60話でタケちゃんマンとの真剣勝負の末、急所であるゴールデンポールアンテナを折られて死亡する。死後の戦場には黒い雪が降り、遺体はタケちゃんマンによって故郷の星に帰される。その後、第72話などで3回復活している。

THE TAKECHANMAN vs ブラックデビル 変身対決
タケちゃんマン①の7後半

2代目 ブラックデビル 暗黒星雲の彼方の星から26年前、奈良県の生駒山中に飛来した。本名はブラック・デビルマン。故郷には両親と妻、5人の子供がいるが、暮らしは貧しい。子供の1人がブラックデビルJr.であり、後に地球を訪れてタケちゃんマンと対決する。

変身能力を持つが、声帯が弱点であり、「クワックワッ」という奇声で正体が露見する。タケちゃんマンの誘導尋問に引っかかったり、芸に乗って奇声を発して正体を現すパターンが多かった。「かえるのうた」の合唱も弱点とする。

ひょうきん族の最終回では、タケちゃんマンが桜田淳子のわたしの青い鳥を歌い、自ら『クッククック』を「クワックワックワックワッ」と歌って正体がバレた。正体を現すと単なる木綿100%のレオタードをまとい、頭部には触角ゴールデンポールアンテナと大きな耳という姿となる。また、演者が明石家さんまに交代した第4話のみ顔が黒塗りになっていた。

ゴールデンポールアンテナからはゴールデンポール電磁波、ブラックデビル光線などを放つ。耳はブラックデビルイヤーで、遠くの音もキャッチすることができる。防御技としてデビルバリアを持つ。靴には磁石、耳には豆電球が仕込まれており、天井にはりつく、耳が光るなどの特殊能力を発揮する。腰には七つ道具を装備する。体は極度にやせている。

タケちゃんマン①の後半
THE TAKACHANMAN ブラックデビル登場

初代ブラックデビル ブラックデビルは、フジテレビ系バラエティ番組『オレたちひょうきん族』のタケちゃんマンのコーナーで高田純次、明石家さんまが演じた敵キャラクター。悪魔の子を自称する怪人である。

タケちゃんマンと最初に戦った怪人。第3話から第60話まで登場した。当初の演者は高田純次だったが、第4話から明石家さんまに交代した。高田が演じた初代は白塗りメイクであり、2代目とは容貌が大きく異なる。鳴き声など、設定や特徴の多くはさんまへの交代後に付加されている。

後の怪人と異なり、正統派の悪役としての性格が強い。悪魔の子であり、悪魔の帝王となることを夢見て悪事を働いている。変身能力を用いて人間社会に潜み、さまざまな事件の黒幕となってはタケちゃんマンと対決する。

演者の高田が法定伝染病である流行性耳下腺炎(おたふく風邪)に罹患したため、降板。当初の代役には西川のりおが予定されていたが、体型が異なっておりレオタードを着られず、体型が近かったさんまが代役となった。三宅恵介によると、「それ以上に当時の出演者は多忙で長時間拘束が必要なドラマパートで時間的に余裕があったのがレギュラー陣ではさんまだけで、のりおが適役なら体型に合わせて衣装を新調させています」として噂に尾ひれがついたものだとしている。
Takechan

タケチャンマン タケちゃんマンは、フジテレビ系バラエティ番組『オレたちひょうきん族』で放送された、コント仕立てのコーナードラマとキャラクター名。キャッチフレーズは「強きを助け、弱きを憎む」。

1981年8月29日の第8回から1988年後期まで放映された。ビートたけし扮する正義の味方「タケちゃんマン」と明石家さんま扮する「ブラックデビル」などの敵キャラクターの対決を描いたコーナー。前半のドラマ部分と後半の対決部分とからなる。ドラマ部分は当時の世相やテレビ、映画のそれなりに練り込まれたパロディだが、対決シーンになると二人のフリートークやアドリブに進行を任せたゲーム色の濃いコーナーとなる。

誕生したきっかけは、「ヒーロー、正義の味方=カッコイイ」という当時のヒーロー像を壊すために「どうせならとてもヒーローとは思えないかっこ悪い」ヒーローを作ろうとして生まれた。敵キャラクターは大体は明石家さんまが発案し、さんま本人が持って来てスタッフが採用する形をとった。

コーナー開始時のタイトル画面では、テレビアニメ『バビル2世』のサブタイトルのBGMと共に“THE TAKECHAN MAN"の文字が映し出される。『スーパーマン』の有名なキャッチフレーズのパロディである「あ、鳥だ!」「あ、飛行機だ!」「あ、タケちゃんマンだ!」というフレーズを街中の一般人が言う映像の後、OPテーマ曲「THE TAKECHANマン」が流れる。テーマ曲のラストでタケちゃんマンは「ナハッナハッ、ナハハッ!」と叫びながら夕日に向かって飛んで行き、サブタイトルが登場し本編ドラマ部分が始まった。

タケチャンマンの歌
1986年のマリリン (1986年)/本田美奈子 ひょうきんベストテン

ひょうきんベストテン 司会 当時の人気音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS系)のパロディコーナー。オープニングと最初のCMとを隔てて、最初に登場したコーナーであったため、時間にして20:05頃。

コーナー全体の放送時間が約15分だったことから、10位~1位までの曲をすべて紹介することは出来ないため、司会者の挨拶の後、10位~4位の曲を「ザ・ベストテン」で言う20位~11位の曲のランキングに当てはめて発表し(1曲につき約10秒)、スポットライトを挟んで上位3曲を紹介する形式になっていた。時間帯が20時台前半なのは、当時の裏番組である『8時だョ!全員集合』の前半コントと、本番組のメインコントである「タケちゃんマン」が両方見られるように配慮したためとされる。

初期の司会は、明石家さんまと黒柳徹子の声色を使う栗山順子が担当したが、レギュラー進出を機にリニューアル。リニューアル後は男性メイン司会者が島田紳助と、女性サブ司会者は当時フジテレビアナウンサーの山村美智子(現・山村美智)に交代。山村降板後は寺田理恵子が、寺田降板後は長野智子(いずれも当時フジテレビアナ)がそれぞれ務めた。

また紳助の司会者としての基礎を築いたコーナーでもあり、後に紳助は『歌のトップテン』(日本テレビ系)において和田アキ子と二人で、本物の歌謡ランキング番組の司会者に起用された。

本物の歌手も数組登場していたが、中には本家ベストテンに殆ど出演したことのない歌手(イエロー・マジック・オーケストラ、オフコース等)が登場し、視聴者を驚かせた。

セットや鏡張りの回転扉、1位になった歌手に対する紙吹雪(風船はない)での祝福も再現されていたが(ランクインした“歌手”が出演しない場合は笑い屋の笑い声をバックに、猛スピードで回される扉と扉を回すスタッフの手が映った)、天井から「紙雪崩」とでも言うべきほどの大量の紙吹雪が降り注いだ。因みに本家のザ・ベストテンでは、スタジオに1位の歌手が出演した場合には天井に吊るされたくす玉を本人が割って祝福するものだった。

ひょうきんベストテン (1988年2月13日)
オレたちひょうきん族 オープニング

オレたちひょうきん族 『オレたちひょうきん族』は、フジテレビ系列で1981年5月16日から1989年10月14日まで毎週土曜日20:00 - 20:54(JST)に放送されていた日本のお笑いバラエティ番組。

放送当時、フジテレビ社内では視聴率ノルマが廃され、制作者が作りたいものを作る路線に転じ、「楽しくなければテレビじゃない」をキャッチフレーズにしていた頃で、作り手側の制作意欲の向上と、出演者である若手芸人の漫才ブームによる勢いとが相まったバラエティ番組である。

開始当時の裏番組には『8時だョ!全員集合』が放送されており、雨傘番組時代の初回視聴率は9.5%、その後も8~10%前後と当初は全く相手にならなかったが、第7回目の放送で13.4%を記録し(視聴率はいずれも関東地区、ビデオリサーチ社調べ)、これを受けて同年10月にレギュラー番組へと昇格した。

『欽ドン!』以降低迷状態が続いていたフジテレビの土曜20時台を立て直し、1980年代バラエティのリーダー格番組に登り詰めた。8年半の平均視聴率は、17.8%(ビデオリサーチ、関東地区)。最高視聴率は1985年12月28日のスペシャル回での29.1%。通常回での最高視聴率は1986年2月15日の27.3%。

1984年度の年間平均視聴率で19.5%を記録し、ライバル視していた「8時だョ!全員集合」の年間平均視聴率18.2%を抜いてからは常時20%以上の視聴率を記録するようになり、1985~1987年頃までは「ひょうきん族」の独走状態が続いた。

初めはお笑い番組らしく漫才コーナーもあったが、「つまらない」「人気が出ない」と見るやすぐに企画をやめ、新企画を練っていた。また、初期においてはスタジオに一般視聴者を入れてのコーナーもあったが、その後は客は入れず、ギャグごとに笑い声が被さる演出(録音笑い・ラフトラック。外国のシチュエーション・コメディでよく見られる、いわゆる声のエキストラ)がなされた。

土曜日の夜は始まったばかり...
2014年 横町 狐の舞
2014年 横町 狐の舞

2014年 横町 おかめ新町交差点で行われる山車の競演・音合わせは、新町→旭町→本町→横町の順番で行われました。交差点内でやるので、人ごみの中で立ちながら移動しての撮影です。最後は横町の山車を紹介。

横町は建御雷命を山車の一番上に配置しています。下の写真にあるように若頭(わかとう)が山車の運行や回すのを指示します。ねぷた祭りで言うと曳手に指示する扇子持ちのような役割です。

副若頭は、運行の安全を確保する役です。山車が回転するのでぶつからないようにスペースを取って山車の最前列に提灯を持って立っています。

2014年の次は2015年ですが、この年は撮影に行かなかったので2016年 鉾田の夏祭りが次回作となります。でもコンテンツが動画も含めて製作途中なので、明日から別のテーマになります。

2014年 横町 音合わせ終了直後
2014年 横町 音合わせ終了直後

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2014年 本町 狐の舞
2014年 本町 狐の舞

2014年 本町 おかめ新町交差点で行われる山車の競演・音合わせは、新町→旭町→本町→横町の順番で行われました。交差点内でやるので、人ごみの中で立ちながら移動しての撮影です。次は本町の山車を紹介。

旭町は素盞嗚尊を山車の一番上に配置しています。下の写真にあるように若頭(わかとう)が山車の運行や回すのを指示します。ねぷた祭りで言うと曳手に指示する扇子持ちのような役割です。

副若頭は、運行の安全を確保する役です。山車が回転するのでぶつからないようにスペースを取って山車の最前列に提灯を持って立っています。

2014年 本町 音合わせ扇子
2014年 本町 音合わせ扇子

音合わせ終了直後に本町の山車を撮ったのですが、若頭と副若頭が一列に並んでいて記念写真風に映りました。ちなみに若頭と副若頭が持っている提灯の裏には自分の名前が書かれています。鉾田に多い梶間や鬼沢と言った苗字が書かれています。

2014年 本町 音合わせ終了直後
2014年 本町 音合わせ終了直後


ちなみに1980年代にヤクルトスワローズで活躍した変則左腕の梶間健一も鉾田の出身で、鉾田一高を卒業しました。

1983 梶間健一

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2014年 旭町 ひょっとこ
2014年 旭町 ひょっとこ

2014年 旭町 おかめ新町交差点で行われる山車の競演・音合わせは、新町→旭町→本町→横町の順番で行われました。交差点内でやるので、人ごみの中で立ちながら移動しての撮影です。次は旭町の山車を紹介。

旭町は安徳天皇を山車の一番上に配置しています。下の写真にあるように若頭(わかとう)が山車の運行や回すのを指示します。ねぷた祭りで言うと曳手に指示する扇子持ちのような役割です。

副若頭は、運行の安全を確保する役です。山車が回転するのでぶつからないようにスペースを取って山車の最前列に提灯を持って立っています。2014年は旭町の摺り鉦を叩いている子が、かなり美人です(^^ゞ

2014年 旭町 音合わせ終了直後
2014年 旭町 音合わせ終了直後

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2014年 新町 狐の舞
2014年 新町 狐の舞

2014年 新町 ひょっとこ新町交差点で行われる山車の競演・音合わせは、新町→旭町→本町→横町の順番で行われました。交差点内でやるので、人ごみの中で立ちながら移動しての撮影です。最初は新町の山車を紹介。

新町は天照坐皇大御神を山車の一番上に配置しています。下の写真にあるように若頭(わかとう)が山車の運行や回すのを指示します。ねぷた祭りで言うと曳手に指示する扇子持ちのような役割です。

副若頭は、運行の安全を確保する役です。山車が回転するのでぶつからないようにスペースを取って山車の最前列に提灯を持って立っています。

2014年 新町 音合わせ終了直後
2014年 新町 音合わせ終了直後

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