太古に生きていた人の

寿命に驚かれている方が

多いため、

少し

早いのではないかとも

考えたのですが、

その時代に生きていた人の

寿命について

書かせて頂きたいと思います。 

日本の歴史は、 

数千年、数万年とはいわず、

30万年前まで遡ると

書かせて頂きました。

学識ある方から、

その事を幾度となく

お聞きするので、

皆さまも

知っておいてもいい頃なのでしょう。

日本の歴史が長いのは

なぜなのか?

という事を書いていきます。

前回の記事を引用して

書かせて頂きます。


太古の日本は

宇宙創世にも関与した

「天皇(スメラミコト)

のいる文明の中心地だった。

竹内文書の記録内容は、

大きく4時代に区分されている。

★第一期が、
宇宙創世から地球降臨直後までの
「天神(てんじん)時代」7代

★第二期が、
天皇スメラミコトによる
地球統治の黄金期とも言える
「上古(じょうこ)時代」25代、

★第三期が、
天皇統治の揺らぎにともない頻発する
天変地異による混乱が
世界を席巻した
「ウガヤ不合朝(ふきあえず)時代」73代

★第四期が、
私達にも馴染みの深い
神武天皇から今上天皇に至る
「神倭朝(かんやまと)時代」である。

誰もが、

神武天皇から

始まると考えていた皇統は、

なんと105代以上も遡り、 

そのまたルーツは

宇宙の創世に

関与していることが明らかになった。

さらに、

世界中の全人類は

宇宙から地球に降臨した

スメラミコト(天皇)を源とし、

太古の人の寿命は

数千倍もあったという。



それでは、


竹内文書による 


歴代天皇の寿命の変遷を


お伝えしていきます。


竹内文書に 


登場する天皇は、


とてつもなく長生きである。


上古の初期の方などは


「億万歳」


を数えるのだから、


長生きというレベルを超えている。


時代とともに、


徐々に


寿命は短くなっていくのだが、


不合朝(ふきあえず)の初めのほうで


「百万歳」、


十代以降になって


やっと三桁になる。


不合朝(ふきあえず)最後の


天皇に至って


107歳と


だいぶ人間らしくなるのものの、


非常に


長生きであることに変わりはない



古代人の寿命の謎

竹内文書と旧約聖書の不思議な符号


竹内文書による歴代天皇の変遷



旧約聖書、


特にノアの洪水以前の人間もまた


非常に長生きであった。


その中でも


特に長生きだったのが、 


ノアの祖父に当たる人物、


メトセラである。


彼は969歳まで生きていたと


記されている。


そのため


「メトセラ伝説」


と呼ばれる伝説になったほどである。


竹内文書に


登場する天皇の寿命が


年代を追うごとに


短くなっていくように、


旧約聖書の登場人物も


アダムから始まって、


徐々に短くなっていくのである。


(途中にメトセラのような例外はあるが)


旧約聖書の登場人物の寿命の変遷

前ページの歴代天皇の変遷と比べてみると、

ふたつめの表が書き出すカーブが似ていることが

わかる。



今度は


「竹内文書」


そのものの   


歴史を書かせて頂きます。


皇祖皇太神宮には、

「竹内文書」が

御神宝として

正しく守られていた記録が残っている。

神代文字で

書かれた原典を書写するときは、

必ずそれに携わった

関係者の署名と印の代わりとなる判、

後代の花押のようなものが

記されている。

この図版は、

神倭24代・顕宗天皇の御代の記録である。

天皇の即位3年3月17日に

祁石巣別天皇(オキイシスワケスメラミコト)
(顕宗天皇、在位485〜487)

が詔して、

この記録をカタカナ混じりの漢字に

竹の筆をもって書き直させた、

という内容だ。


『竹内文書』は

神宝として長く正しく守られてきた。



また、

「竹内文書」には、

武内宿禰から

66代までの系図と、

神主家が

先祖代々神宝を

死守した業績の詳細なる記録が残っている。

「竹内文書」は

単なる歴史書を超えた「神聖記録」

「竹内文書」は

本来、皇祖皇太神宮の御神宝であり、

御神体の役割を果たしていたと

言っても過言ではない。

つまり、

神に捧げるために書かれた

神聖な記録なのである。

そして、

この「御神体」であるということが

実は他の古史古伝と「竹内文書」の

決定的な違いでもあるのだ。

歴史書はどんなものでも、

それを作らせた権力者なり

編纂した人物の思惑が 

影響している。

なぜならそれは、

読む人々の思想を

コントロールする目的で

作られたものだからである。

だが、

神に奉納することが目的であれば、

おのずとそうした細工は

必要なくなる。

神宝や神体は、

汚れを避けるために

人の眼に触れないようにするのが

普通だからである。

したがって、

事実を偽りなく記すことが、

最も優先されたはずなのだ。


「竹内文書」の表記法は、

天皇ごとにだいたい

以下のような順序で記されている。

1 大嘗祭と即位式
2 皇子皇女名 
3 世界巡幸の記録
4 皇宮の場所
5 神勅
6 譲位年
7 崩御年
8 山陵の場所

こうした飾りのない記録からも、
天皇の系譜と歴史を正しく記録し、
神に奉納することを目的としていた事が
読み取れる。


『竹内文書』は単なる歴史書を超えた「神聖記録」!


私達は


学校で、


その様な教育を


一度も受けた事はありません。


アヴァンギャルドの


アーティストは 


岡本太郎も、バンクシーも、


レオナルドダビンチもそうですが、


作品で


多くのメッセージを伝えてくれる


預言者的な


役割を担っている人なのです。


この、兪(ゆ)の作品を制作した


アヴァンギャルドの


アーティストも


太古日本が


世界の中心の国であった事を


日本中、世界中の方々に


伝えてくれている


メッセンジャー的な役割を


担っている人なのです。


ブログ記事

アヴァンギャルドのアーティストは、時代を預言するメッセンジャー。



アーティスト作品 

兪(ゆ)(太陽の船)






竹内文書を研究している

学者の方の本から

記事と画像を引用させて頂いて

書かせて頂きました。 


古代の事
太古 日本は世界の中心の国だった