千賀さんは

中国雲南省の山奥の村で


老子の子孫と言い伝えがある


秘教書である、

老子書に書かれている

古代の叡智を守 っていた 

M老人と出会った。


彼との出会いは、

自分の人生上の視野を、


それまでの何百倍に拡大させるほどの

衝撃をもたらすものだったと。

 

祭りを行うのは

とても大切だということを

よく伺います。


その事を書いたブログ記事




今回は

千賀一生さんが

その村で経験した

「祭り」について配信させて頂きます。


文章が長いので

書籍の引用を

中略して配信させて頂きます。


・・・・・・・・



この村では、

まるで毎日のように

祭りが行なわれる。


私は

この村の祭りに

参加させていただくようになった。


祭りが行なわれる場所は

「神々の森」と呼ばれる

森の中だった。


この森の木々に覆われた

自然の家のように感じられる

小さな円形の広場の中心に、

一つの石柱が立っている。


高さは一メートルほどある石柱だが、

よく見ると

男根の形をしている。


相当古いもののようで、

古代の遺跡を思わせた。


この場所は、

祖先霊の宿る場所として、


また、

天神の降臨する場所として、


はるかな昔から

ずっと人々が

祭りを行なってきた場所なのだと

М老人は説明してくれた。


何千年も昔の人々が

これと変わらない風景を見ていかと思うと

不思議な気持ちになる。


この垂直にそびえる

石柱を取り巻く空間は、

聖なる空間であるという認識が

彼らにはある。


この石柱の中心軸に

精霊が雷光のように降臨するのであり、

その周りの空間は、

精霊の働き給う場となるのである。


なお、 

私は日本にも

この目の前にしている石柱と 


そっくりな

男根の石柱が縄文遺跡の一部に

残されていることを

後で知って驚いた。



大湯環状列石
秋田県鹿角市にある縄文時代後期(約4,000年前)の
大規模なストーンサークル遺跡です。


インディアンのトーテンポールも、

あるいは
エジプトのオベリスクも、
もともとは垂直にそびえる
男根像だったという説もあるから、

彼らと同じ原始性宇宙観に基づくもので
あったのかも知れない。

古代日本で
神が「はしら」と呼ばれたのも、

なぜ神が柱なのか、 
現代人には理解できないが、
こうした認識がルーツにあったのかもしれない。

彼らにとって、
祭りとは、
ここの精霊の働きを越えた
より大きな精霊の働きとの出会いを
意味するのだそうだ。

祭りの時には、
村の人々は
この石柱こまわりを円形にとりまく。

男女が交互に並んで輪を作り、
最初のあいさつと思われるしぐさを行う。

あいさつといっても、
精霊へのあいさつであり、祈りでもある。

彼らには、
この石柱の下方には祖先霊が、
そしてその上方には
天霊が働くという認識がある。

しかし、
同時にそのそれぞれは、
別のものではなく
彼らの中では一つなのだ。

私たちの概念とは、
この点でも
まるで異なるのである。

ともかく、
そうして彼らは
このすべての中心たる
この石柱に意識をあずけるのである。





私は最初の祭りの体験が忘れられない。

彼らの姿の神々しさが、 
私の脳裏に
強く焼きついている。

なぜか
体の芯がぞくぞくするほどの
震撼を覚えた。

まるで別次元に
入ってゆくような錯覚に陥った。

体も魂も清められた思いがする。

特別な祭りでない限り、
この後は、すぐに踊りなか入る。

この踊り自体が儀式の始まりでもある。

人々の輪の外側四ヶ所に、
大きな石があり、
男の人、二、三人が

その石のある四ヶ所に
大きめの竹筒を
両手に持って立っている。

これは、
踊りのための演奏を奏でる人たちだ。

竹と竹とを打ち合わせた
コーンコーンとリズムをとる。

時に
石をその竹でたたくカーンという響き。

わきにある中がくりぬかれた
大木の太鼓をたたく音。

人々の独自の発声。

ただそれだけで
なぜこんなに神秘的な音楽となるのかと
関心させられるほど、
魂が高なる音と声の世界だった。

彼らにとって、
音楽とは、 

人間が創り上げるものではなく、
大自然にはじめからあるリズムを
顕現させる行為を意味するのだ。

それだけでも
私に未知の陶酔感をもたらした。

この音楽に合わせて
軽快なリズムで
足を踏みながら
人々の輪は回転してゆく。

人々皆が
一つに統合されてゆくのが感じられる。

一回転すると、
今度は手を上げたり下げたりしながら
踊る踊りに入ってゆく。

時刻はすでに夕方で辺りは薄暗く、
演奏者たちの後方に灯された焚き木の灯りと
それによる人々のゆらぎが
独特の雰囲気をかもし出す。

人々はみんな、
中心のあの石柱に意識を向けて踊っている。





みんなの意識が
その一点に集まる。 

私の意識も、その中にとけ込んで、
皆と一つになってゆくような気がしてくる。

音楽は単純であるが
16ビートのリズムとなり、

踊りもしだいに軽快になり、
とびはねるようなサンバを思わせる
リズミカルなものとなった。

そして
魂の高揚が今までにない頂点と達したと
私が感じたそのとき、
音楽は鳴り止み、静寂に至り、

隣りの人と手と手をふれ合うようにつなぎ合い、
踊りはいったん静止した。

両脇の女性と
手をつないだ瞬間の
そのやわらかな感触が、
彼女たちの世界のすべてを一瞬で伝えてきた。

彼女たちは
私の数倍も鋭敏な感覚で
様々な事象を感じ取っていることが、
なぜか伝わってきた。

そしてその感覚が、
手をつないでいる
この人々全員へとつながっていることに
気がついた。

私は
今まで経験したことのないような一体感。

それまでも一体感を感じていたが、
そんなレベルを
はるかに越えた感覚だった。





人々みんなが、

深い一体感を感じていることは

あきらかだった。


誰の顔を見ても、

これ以上ない

最高の芸術作品というべき表情だった。


すべてが癒されるほど

何ともいえない表情だった。


そうした人々の意識が

視覚を通さなくても

あろうことか体で伝わってくるのだ。


私にとってこれは

ただの一度も経験したことのない

意識体験だった。


誰を見ても、

これ以上ないと思えるほど

魅力があった。


顔のつくりなど問題ではなく、

開放的幸福感から

あふれ出る笑顔、


そして、

無条件ですべてを包み込むような慈眼。


この独特の空気も、

そうした人々の至福感を

無言で伝えてくるのだ。


そんな歓喜に包まれたその瞬間、

手をつないだままでの踊りが始まった。


体の躍動感が

さらに目の前の彼女たちを輝かせる。


もうこれ以上

私の高揚感を言葉で表現することは

不可能だ。


ヤーマによって

極限まで洗練された肉体が

水を得た魚のように舞い遊ぶ。


彼女たちが心を込めて作った手製の衣装は、

彼女たちと同じほどに美しく 輝き、

その姿はまさに天女だった。 






この高揚感を生じさせているものは、


こうした

彼女たちの精霊意識(性エネルギー)と

交流し合っている

私自身の精霊意識なのか。


これが性エネルギーの脈動というものなのか。


これほどまでに美しく解放的な人々、

その人々の意識と自身の意識が交流し合っている

この一体感。


この何とも表現し難い一体感が

私自身の自己認識も否応なしに変化させた。


自分自身が

それまでとはまったく違って感じられた。


私は、自分自身が、

これほどまでにすばらしく、

尊い存在なのだと感じたことはなかったを


私は私とは何かを、

今の今まで知らなかったのだ。


まわりを見ると

男の人たちもみな、

賢者のように厳かにみえた。


まるですべてを知っているかのような

彼らの目は、

私が今まで信じていた人間というイメージを

崩壊させた。


私は今まで何も

この村の人々の姿が、

この世界が、見えていなかったことに

気づかされた。


愛だけに満ちた意識の海の中にいた。


彼女たちだけでなく、

この空間すべてが彼女たちのように

美しく輝いて感じられ、

彼らのように厳かに感じられた。


私の眼の前の、

この世界は、

一瞬で変化してしまったようだった。


この恍惚感は

たしかにセックスのエクスタシーを

その広大さの上でも深さの上でも

はるかに凌駕していた。


これは

一時的な興奮ではなかった。






私はこの体験以降、

それまでとは違った感覚で

この世界ゎ感じる体質となった。


何が違うのか、

言葉で説明するのは困難であるが、

ただ一つ明確なのは、

ただそこにあるだけで、

自分が幸せき感じられるその感覚だ。


幸福とは、

何かを手に入れなければ得られないものではなく、


むしろ、

何かを手に入れようと思うこと


それ自体が

幸福から

はずれた生き方である証拠なのだと、


この時以来

私はわかるようになった。




画像 ChatGPT作成
















老子の「道(Tao)」は

「まぐあい」を表す暗号語だった。









古代の 

「生殖器信仰」「まぐあい」から配信中


古代の生殖器信仰。日本には男性器や女性器を泥る信仰が残っている。

男女の性交「まぐあい」に古代祭肥の精神は象徴されていた。

「まぐあい」は神と繋がる神聖な儀式。戸籍が始まり一夫一婦の法律が施行されたの は明治時代から

長い問、女神達は、「女性性の目覚め」を 封印されていた。

宇宙人は、地球人の「まぐあい」を体験しに来ている。いいね、楽しいね、深い快感 だと感じている。

男性は女神を通して三次元で活躍できる。~アダム徳永さんの著書より~

陰陽和合の「まぐあい」は高次元の神々と つながる神事となる。

「まぐあい」の事は、房中術、道、密教でも、説いているという