薬剤師をしながら画商をしています。
今、日本で注目されている画商です。
世界の猫島の相島で、丘の上の美術館を開館。  話題となり大成功をおさめる。現在移転に向けて活動中です。
        麟(うんりき)
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  ★参考記事★

 

 

いつも、ありがとうございます。


画商として


縄文の美を配信させて頂いています。


縄文にインスパイアされている


アーティストがいる事も


お伝えしてきました。



岡本太郎が
縄文時代を芸術に押し上げました。
ブログ記事



この作品は


縄文の土偶をモチーフにした


彫刻作品です。


アーティストの


19歳の時の作品なのですよ。


19歳と思えない


素晴らしい作品だと感じます。




古代の建築物


五重塔などは


10 代の方が


建築に携わっていたのです。


それを考えると


医療の発達し過ぎた現代、


人生100年時代は


古代から見ると


異常なのかもしれませんね。





縄文時代は、


1万年も続いていた時代。


平均寿命が10代。


今の長寿社会を知ったら、


びっくり仰天するでしょうね。


縄文人も


摩訶不思議な世界に、、


ワクワクするかもしれません。



では、


今回は


縄文時代の


埋葬方法について


お伝えしていきます。


縄文時代は

 

土葬でした。

 

こんな感じです。

 


画像引用



死者の魂が再び蘇らない様に、

 

死者に


抱石を抱かせました。

 

 

身体を冷やして、


血流が流れが悪くして


心臓が


復活しないようにもしたのです。


おそらく

 

助かった命もあったはずです。

 

抱石葬

(ほうせきそう・だきいしそう)とは、

縄文時代に存在した埋葬方法です。


そして

 

弥生時代になると、

 

石棺 木管 甕棺(かめかん 素焼きの棺)


に入れて


遺体を埋葬する事が始まりました。

 

埋葬方法にも、


身分の序列が


現れる様になりました。

 



 

これは甕棺(かめかん)です。


大きな棺ですね。

 


 

現代の様に


機械がない時代には、


技術とともに


多くの人手が不可欠であり、


大きなお墓は


それだけ


求心力のある人物の墓であった事が


うかがえますね。

 

吉野ヶ里の


北墳丘墓


当時としては、


高度な技術が


用いられています。


図を見ていきましょう。

 






人力で


土を積み上げて作られた、


小山の様な


「墳丘墓」


と呼ばれる墓に、


身分の高い方は


埋葬されていました。

 

次の


古墳時代


前方後円墳と呼ばれる


古墳というお墓が作られますが、

 

弥生時代の


「墳丘墓」


その起源ではないかと考えられています。

 

 

吉野ヶ里遺跡  北墳丘墓 



 

縄文時代は


隣りの垣根もなく


人と人との距離が近い


愛と思いやりに溢れていた時代でした。


考古学の発掘からも


障害者の方にも


優しかった時代だった様です。


縄文時代、弥生時代、古墳時代、、


そして現代。


お墓の形態も


時代とともに移り変わっていっています。


しかし


縄文人は


大変な創造と想像を持ったアイデアマン!


やはり


縄文時代からは


目を離せない事が


文化芸術を語る上で


避けては


通れない事が


わかると思います。


いつも、


ブログに遊びに来て頂き


ありがとうございます。


感謝感謝。



 
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■自己紹介
麟(うんりき)
 
世界のねこ島で話題の相島で
丘の上の美術館を開館して大成功をおさめました。
 
全身猫スタイルで、新宮ー相島間をフェリーで行き来する、別名 猫っ子で活動させて頂きましたあしあと
今年はねずみ年なので、相島猫っ子を退いて、ネズミさんに譲り、ニャンと言って、ネズミさんを応援しています!
 
薬剤師をしていて、長く薬で治療をしている患者さんを見て、メディカル、ケミカルではない、人を感動をする分野がある事に気付きました。 試験管から見る美の世界をテーマにして、芸術の仕事をさせて頂いています!