著者: 村上 春樹
タイトル: 国境の南、太陽の西

前半は、青春小説だろうか。

僕は、一人っ子であり、同じ一人っ子である島本さんという少女と運命的な出会いとそして、濃密に心が通じ合う日々を過ごすが、中学校に入って、同じ中学校に行かなかったことから、いつのまにか島本さんとの交流が途絶える。しかし、僕の中には、それからもずっと、島本さんとの交流が忘れられないまま、新しい女性との付き合いが始まる。そして、僕の身勝手さから、別離。

僕は、喪失感を持ちながら、島本さんのことが忘れらない。あるとき、島本さんそっくりの女性にであるが、声をかけられずに、やりすごしてしまう。

そして、僕は恋をして、結婚し、子どもを2人作り、好きなジャズバーの経営をしながら、娘達を用地に縁に送るという理想的な平和な日々を過ごしていた。

ある日、ジャズバーのことが雑誌に載ったことから、島本さんとの交流が復活したことから、再び、僕は、島本さんとのことが忘れられなくなる。

妻子を選ぶのか、島本さんを選ぶのか。

僕は、二つに一つの選択を迫られる。

そして、雨の中、僕は島本さんと別荘に行き、そこで、濃厚なる交流する中で、何かを失っていく。


果たして、島本さんと言う存在と僕との交流はあったのだろうか。ある面では、幻、幻想のような存在にも思われる。そこがいかにも村上春樹流なんだろうか。


この作品にも、濃厚なセックスシーンが出てくる。村上春樹は、軽い感じで書くのであるが、表現している内容はストレートな感じがする。そして、そのシーンはある面で、僕の感じているが非現実感を一層際立たせることに効果的。


性→夢→非現実→幻想


そして、僕がセックスを終えた時に、その幻想が消えいく。僕のなかで、確実に幻想が消えて、現実を生きていかなくてはいけないと事実だけが残ってしまったのだろうか。


著者: 村上 春樹
タイトル: ダンス・ダンス・ダンス〈下〉

長い旅の終わりはどこか切ないものがある。

今回、村上春樹の初期3部作(羊の冒険など)と連なるダンス・ダンスを読み終えての感想の一つ。

いや、これは、初期3部作とは別物と考えた方がよいのではないだろうか。初期3部作は、それなりの完結があったんだから、無理に続編を作る必要なない。そういう考え方もできる。


下巻では、ハワイでのユキ、アメの親子との交流、片腕の詩人兼アメの愛人ディック・ノースとの出会い。

コールガールジューンと出会い。ハワイでのキキとの再会。そこで、遭遇する6対の死体。

日本に戻っての五反田君と僕との友情。そして、様々な人との別れや死。ユミヨシさんとの再会そして、セックス。


規則正しい生活の中にこそ、現実があり、日常がある。出会うべくして、出会いがあり、分かれるべくしての別れがある。五反田君との友情やユキとの交流は、所詮住む世界が違うわけだから、何れ時が来れば分かれる別して別れるんだろうことはわかるんだが・・

今回の旅は、一体なんだったのだろうか。ユミヨシさんとの再会のための旅ってわけではなかったような気がするのだけれども・・・彼女とはずっとつながっていたんだろうか。そういえば、ユミヨシさんだけが、ホテルの仕事という現実的な仕事を日常的にしていた。登場人物の中では、現実の象徴だろう。後の人は、非現実な世界=虚の世界を生きている人だった。だから、生活のルールが全く違う。そして、それは高度資本主義、なんでも経費で片付けられる世界だった。そこから、抜け出すには、現実に近い人と交わる必要があるのだろう。

最後に、もし、ユミヨシさんが消えていたら、一体どうなっただろう。それの方が、村上春樹らしいんではないのかと、思うんだけれども。村上春樹自身が、虚の世界にはまだ行けないってことだろうか。

そして、羊男が消えたのは、僕がユミヨシさんと現実の世界に残ろうととした結果なんだろうか。


・・・現実と非現実。非現実は、あちらの世界なんだろう。


もう一つの白骨死体の謎は、一体誰のものなのだろうか。

その謎がある限り、物語は永遠に続くのだろう。

メイの死の謎とともに・・


著者: 村上 春樹
タイトル: ダンス・ダンス・ダンス〈上〉

風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』の3部作の続編

羊をめぐる冒険から4年経過した1983年から小説は始まる。

再び札幌の”いるか(ドルフィン)ホテル”に僕は向かう。そこで、メガネが似合う女性ホテル従業員から、そのホテルの16階にある暗闇の空間を聞く。そして、そこで僕は、再び身らの分身と思われる”羊男”に出会い、「踊るんだよ。」と言われる。

その後、偶然「片思い」という映画の中で同級生の五反田君とかつて”いるかホテル”で行動をともにしたキキが絡むシーンを見たことから、僕は五反田君と遭うことになる。

一方、札幌から東京に戻るときに一緒に連れて帰ることになった14歳の少女とも仲良くなり、彼女の父から、その少女と時々会うように頼まれる。

様々な現象が、僕の心の中の反映なのだろうか。僕は、一体どこたどりつくのであろうか。

つなぐあるいはつながるとい言葉が意味するところは、なんだろうか。

村上春樹独特の文章リズムとしゃれた食生活。1980年代にあって、お酒はたしなむが、煙草を嫌い、紀伊国屋で健康な野菜を買う。こんな生活は、すごい!って、思える。

僕の行動や意識が、どこまで現実でどこまで幻想なのか。読者にはわからない。

後半が益々楽しみである。

著者: 舞城 王太郎
タイトル: 熊の場所

舞城王太郎を読むのは、2冊目である。

先ず、読点がない。一体どこまで続くのだろうかという文体。そういう文体でありながら、文章にリズム感があるのが不思議。

次に、暴力。相変わらず過剰なる暴力。熊の場所では、僕の父は、知り合った友人と森で、偶然熊に出会い、運良く逃げれたにもかかわらず、もう一度熊のいる場所に戻ってしまうエピソードが出てくる。そして、猫の尻尾を集める少年の話もでてくる。バット男では、弱いバッド男が過剰なる暴力に遭う。ビーコンでも、暴力的な男性が登場する。これも、過剰なまでにバイオレンス。

そして、悲しみ。暴力な後には、殺人や悲劇があり、そこにいたる悲しみがある。


なんて、とりとめもなく書いてみたが、不思議と読ませるんだけど、一体なんだろうかね。




著者: 村上 春樹
タイトル: 羊をめぐる冒険

村上春樹の初期3部作の一つ。

それまでの2作と比べると、ミステリー風かつ長編作品。

前半は、僕の離婚や目立たなかった彼女の死亡のことや耳専門の広告モデルの彼女の話など、以前の作品の続編を思わせる展開。

ところが、一変する。

右翼の大物”先生”の秘書が登場し、なんだか戦後の暗黒の世界を探るミステリータッチとなる。

これはこれで面白い。

そして、キイワードは、”羊”だ。

そこから、羊をめぐる冒険が始まる。

 

そして、そこには鼠の影が見え隠れする。鼠は、僕にどうしてあの写真を送り、僕にジェイや鼠の彼女に会いに行くように頼んだのだろうか。

 

羊をめぐる冒険は、様々な個性を持った人を巻き込みながら、解決されていく。そこには、その解決が終わりではなく、始まりであることを予感させ、僕の新しい出発がある。

すべてを失う僕にとっての人生とは、やはり青春時代を過ごした鼠と僕の友情を交換したジェイの店から始める必要があるのだろうか。すべての人が、青春をよき思い出と出来ないまでも・・・

著者: 舞城 王太郎
タイトル: 煙か土か食い物

 

舞城王太郎のデビュー作の文庫本。

芥川賞候補で、覆面作家と華々しい作家の本である。

まず、題名がすごい。「煙か土か食い物」だ。主人公サンディエゴのER外科医奈津川四郎の祖母龍子が直腸癌になり、苦しくなって、「人間は虚しい。どんなに偉くなっても、お金儲けても、所詮人間は死ねば、煙か土か食い物になる。」と言ってします。火葬か土葬か獣の食い物か。そんな言葉を吐かせてしまう作者は、断固として妥協をしない。奈津川家の家庭内の暴力の激しさは、壮絶だ。四郎の父丸雄が、自分の次男(四郎の兄)の二郎への暴力は、加減なき激しさだ。その影響で、学校でいじめられいた二郎は、当然同級生はおろか上級生までも徹底的に叩きのめす。そして、不良グルーフのリーダーとなっていく。その過程は、読むのが辛くなるほどのバイオレンスだ。

 

さて、主婦生き埋め事件に四郎の母が巻き込まれる。それがきっかけで、日本に戻ることになる四郎。四郎の周りには、個性豊かな登場人物が次々と登場する。父丸雄は国会議員、兄一郎も政治家。二郎は、父の暴力で三角蔵に入れられて消えてしまう。三郎は、しがない推理小説家。兄嫁との不倫関係。

友達の面々も、すごい。ルパン、その不倫相手のウサギちゃん、マリク、白碑など。

 

パズル、言葉遊び、動物占い、暗号など、めまぐるししい。そして中に家庭内暴力、父の子に対する暴力=虐待、父の愛、母の愛、家族愛が入ってくるし、霊体験や犯罪者の心理なんてものまで盛り込まれている。まあ、博学なんだろうね。舞城さんは・・

 

で、内容は、一体どうだったんだろうか。結構、時間をかけて読んだ。なかなか先に進めなかった。文章のリズムは、個性的でいいんだが、パズルのような暗号解きと犯人の意外さ(かなり唐突だったなあ)に少しだが疲れた。舞城さんへの評価は、もう1冊読んでみたからでも遅くはないだろう。でも、読むときは少し覚悟がいりそうだ。



著者: 高樹 のぶ子
タイトル: 百年の預言 (上巻)

ルーマニアに革命の兆しが徐々に芽生えていた1986年6月のウィーン。
外交官の真賀木奏とバイオリニスト走馬充子は偶然の出会い。
真賀木は、妻を失い、生きる勇気を見失いつつあった。
走馬充子は、少女時代から母子でヴァイオリンに情熱を燃やし、今や一流のヴァイオリニストであり、公私共に情熱的な女性であった。
この2人が出会い、愛し合い、求め合い、そして別離、再会。
二人の巡って、ルーマニアから亡命者との出会い。
彼らがたらされた謎の楽譜が二人を歴史的動乱の渦に巻き込んでいく。
上巻は、大胆な性描写や楽譜の謎解き。
下巻は、ルーマニア革命に翻弄される二人の生き様。

去年ウィーンに旅行して以来、ウィーンを舞台にした小説には、思わず目がいく。
上巻は、ウィーンの情景を思い浮かべながら、読み進めた。
上巻に比べて、下巻は読むスペードが落ちた。楽譜の謎解きとその後の真賀木の生き方は、あれでよかったのだろうか。
余談ではあるが、バイオリニスト走馬充子のモデルとなった天満敦子さんの「望郷のバラード」はぜひ一度聞いてみたい気がした。
著者: 村上 春樹タイトル: 村上春樹全作品 1979~1989〈1〉 風の歌を聴け;1973年のピンボール

村上春樹の初期代表作「風の歌を聴け」及び「1973年のピンボール」が収録されている。この2作品を読み返すのは、何十年ぶりだろう。内容は殆ど覚えていなかったが、その感覚は忘れていなかった。2作とも「僕」と「鼠」の話。

「風の歌を聴け」
村上春樹の”本を書くことへの動機”みたいなものを感じる作品だろうか。
「あらゆることから、学び取ろうとする姿勢を持とうとする限り、年老いることはそれほど苦痛でない」
これは、まさに生きるうえでの人生論(一般論)だろう。ただ、こうした態度は、あるときには、私たちを絶望的な気分にさせていくのだろうか。だからといって、書くことに完全に絶望しているわけではない。
「文章を書くことには自己療養の手段でなく、自己療養へのささやかな試みにしか過ぎない。」
この文章を読み、なんだか救われた気分にさせてくれる。
僕は、文章を書くことを自嘲気味にこういうのである。
「夜中の3時に寝静まった台所の冷蔵庫を漁るような人間には、それだけの文章しか書くことはできない。」と。
そして、鼠と僕の18日間が始まる。おなじみの「ジェイズ・バー」でビールを飲む2人。そこで繰り広げられる鼠と僕の会話。そして”彼女”の登場。僕と”彼女”の会話は、不思議な感覚。

「1973年のピンボール」
僕が、昔愛したピンボール「3フリパーのスペースシップ」を探していく話。
いつのまにか、僕は、双子の女の子たちと暮らし始め、ピンボールとの再開を果たすことによって、彼女等と別れていく。
一方、鼠はあるきっかけで知り合った彼女と、時間の観念がわからなくなるような生活は始めるが、いつからかその生活を離れることを決意し、長年通ったジェイの店を後にする。
20代半ばにそれまでの生活を捨てようとする物語なのだろうか。僕にしろ、鼠にしろそこに流れる、「孤独さ」「相手に理解されないことへの諦め感」が、私のような読者には不思議と共感できる。



著者: 吉本 ばなな
タイトル: ハネムーン

吉本ばななの自選集2ラブを読んでいる。
吉本ばななの小説は実に不思議な小説だ。
題名が「ハネムーン」
それにしても、隣同士で、こんな男の子が居たからといって、同情から、結婚するのか。そういう疑問を持ちつつ、でもそれが受け入れられるのが吉本ばなな流。
それにしても、なんと重い小説だろうか。男の子は、祖父と二人暮し。隣に住んでいる主人公の家族とは家族同然というか、もう2人は結婚している。それも、いつのまにか・・・
ハネムーンか。
彼らの糸をつなぐのは、犬だった。その犬が死んでしまう。
そう、この小説は、人の死が大きな影を落としている。
読む進めるうちにこの男の持っている、影の理由が解ってくる。
そして、2度目のハネムーン。
それが本当の始まりなんだろう。



著者: 吉本 ばなな
タイトル: ハチ公の最後の恋人

吉本ばななを最近読んでいる。
思うに、読書対象は若い女性のはずであるが、私のような男性読者の感性を揺さぶるなんて、少し変な感じがする。一体それは何なんだろうか。

今回のお話は、ちょと、ヘンな人のお話。
ちょと、いんちきくさい新興宗教の教祖である、霊能力がある祖母。
その祖母の予告めいたことばどおりに登場する”ハチ”
ハチは、インドで育った日本人の孤児。いづれは、インドに戻らなくては行けないのであるが、束の間日本で生活している。
主人公は、高校生。祖母が死んで、その霊が見えるようであるが、そんな宗教にはかかわりたくなくて、ハチの所に逃げてしまう。
そして、ハチと主人公の生活が始まる。
そこには、二人が交わっても交わっても、満たされないものを感じる。そこには、何れ避けられない別れがある。これは、期限を切られた恋愛なんだろうか。
主人公の”孤独感”。そこになんとも共感めいたものを感じる。
人は、何れ死ぬことはわかっているし、別れが来ることもわかっているが、そういうことを忘れて生きている。
ハチと主人公には、ハチがインドに戻るまでの短い時間しかない。

吉本ばななワールド。なんだが、ふんわりとした感覚が、今の私にとって、気持ちがいいってのは変な気分だなあ。本当に・・・