これまでの9年間・その2
NHKのBS放送で世界の競馬の再放送をやっていたので、「凱旋門賞」見ました。
レースの模様は翌日にニュースでしか見なかったから「なーんだ また2着か」って思っていたけど、レースを始めっから見ると勝った英国ダービー馬は、やっぱり強いじゃない。
途中ナカヤマフェスタは不利があったのでアレが無かったら勝てたかな?って思うけれど、そこはやっぱり競馬ですよね。
ほんとにそのうち 日本の馬が凱旋門賞を制覇するかもしれない。 スゴイ。
おととしのマジックミリオンズのセール(セリ)で、日本人の方とオージーの酔っぱらいが何か話をしていて、「ネェちゃん、コイツ英語わかんないから通訳してくれよ」って突然声を掛けられて立ち話をしたんだけれど、もしかしたらあの方は社台の吉田氏だったのかなとふと思った。 えっ 顔知らないんですよ。無知にもほどがありますよね。。でも吉田氏ほどの方なら英語くらい話せるか? まぁいっか。
社台も今後はゴドルフィンのように世界で勝負していくんだろうな。 そうなってくると、断然面白くなる!
数年前に日本のデルタブルースとポップロックがメルボルンカップに参戦し、1着2着で決めましたよね。しかも3着以下を引き離してのぶっちぎり。
あの時ね、レースを見たかったんだけど 見れなかったんですよ。
当時旦那は調教師で、私はよそで事務の仕事をしながら彼の厩舎を手伝ってました。メルボルンカップの日は、ゴールドコーストもさることながらゴールドコーストから車で1時間半くらい離れた「ボーデザート」という田舎町でもレースがあって、旦那はゴールドコーストに1頭、ボーデザートに2頭出走させたんですよ。
私は会社があったけれどもそっちは「有給」を貰ってレースに行きました。
私は2頭の馬を連れて先にボーデザートへ行き、旦那はゴールドコーストでレースさせた後にボーデザートへ直行しました。
2頭の馬を1人で世話するのはちょっと大変。なぜかって、あの時、 そのうちの1頭が繋いでたら後ろ脚でひたすら立ち上がるので、レース前までずっと歩かせなきゃならなかったんです。
もう1頭はとてもおとなしく立ってたから周りの人に「ちょっとこの馬見てて」って頼んで、私はもう1頭のおバカちゃんを連れてずっと歩きまわってました。そうこうしてるうちにメルボルンカップの発走。
当時は英語の聞き取りもイマイチだったので、スピーカーから流れる実況を聞いてもよくわかんない。
日本の馬達はどうだったのかな~と考えながら歩いてたら、周りの人たちが「日本の馬がクィネラ(馬連)だぜ!」っていうのが聞こえて、えっマジ? すっげー。 見たかったなー!! そのうち「おい、日本の馬が勝ったよー」って知り合いにも声を掛けられ、まぁそんなこたぁいいんだけど、そろそろうちらの馬達もレースでしょ?旦那は到着したの? と1人でテンパってたんですよね。
旦那が調教師をやっていた2年間、とにかく大変だった。経済的に大変だった。
馬の餌代、競馬場の使用料、レースの登録料、馬運車代、装蹄師代、獣医代、とにかく金がかかる。他にもオーナーはいたけれども、請求書を送ったって払ってくれるのはいつになるか期待できないので、とりあえず私達が立て替えてこれらを全部払わないといけない。
全財産が1000円くらいの時もあった。 でもそういう時は大抵次の日が私の給料日だったりして、銀行の残高がマイナスになった事は無かったけれど、いやいやほんとに大変だった。
自分達の馬を育てるのはとても楽しい。だけれど、結果が出せないと馬を手放さなくては私達もやっていけない。レースの度に旦那のストレスは増大し、そのうちオーナーと相談して馬を売り払う事になった。
これ ↓ は当時面倒をみていた「ジェフリー」。競走馬名は「Knappstein(ナップステイン)」。私の1番のお気に入りだった。
写真を紙に出力して実家へ送り、母が額に入れたようだ。玄関に飾ってある。
これね、彼のはなづらが私の頬に触っててまるでキスしてるみたいなの。
ジェフリーはヴィクトリア州へ売られていった。暫く障害のレースを走っていたけどそのうち新聞に彼の名前を見かけなくなったので引退したんだろう。余生を幸せに送っているといいけれど、真相は知らない。
チャーリー(競走馬名:Voltaat)は最初で最後の、旦那に勝利をもたらしてくれた馬だった。しかも私達の結婚記念日に。単勝80倍くらいついて、その年の「最高単勝配当」の賞をクイーンズランド・レーシングから表彰されました。 私が馬券を買うと絶対当たらないから私はいつも買わないんだけど、珍しく旦那も賭けなかったから勝ったのかもしれない。
そのうちチャーリーも引退させて、オーナーは馬をよそに売りたかったらしいんだけれど「これ以上レースさせるのは可哀想だ」という事で、オーナーに「脚が故障した」って嘘ついて、私が通っていた競馬学校に寄付した。たぶん今も学校にいるんだと思う。クセの無い乗りやすい馬だから生徒でも大丈夫だろって旦那がね、そう言うもんだからさ。
旦那が調教師をしていた2年間で、合計15頭くらい面倒みたのかな。 もうちょっといるかな。年齢も様々だったけど、1頭1頭個性があって勉強になった事もいっぱいあった。
よそに売った後も時々新聞のレース結果に名前が載ってると「あ、昨日3着だったよ。」とか「ついに勝ったね!」と2人で喜んだもんだ。
でも、旦那は「もう調教師はいい」って言ってる。 シドニーやメルボルンの大きな厩舎のように金持ってるオーナーにめぐり逢えたらいいけれど、ゴールドコーストでは それはちょっとムリだった。あの2年間のおかげで今もお付き合いしている小金持ちのおじさん達に出会えたけれど、ゼロから本格的にやっていくのは なかなかどうして難しい。
旦那はとりあえず今は大きな厩舎で働いて厩舎のフォアマンの地位を狙っている。そのうち厩舎を開業できるチャンスがくるのか、お金がたまったら また放浪の旅に出るのかは解らないけれど、でもあの人はやっぱり馬から離れらないんじゃないのかな。
プリンス君はあきもせず土曜日にまたレースです。
自分が調教師だった時はジョッキーに対してイライラし、オーナーの立場だとトレーナーとジョッキーにイライラするんだけどね。
※旦那とプリンスの写真は以前紹介してますので(こちら )覚えてない方、そこまで読んでない方はご参照下さい。
12日(火)は友人の1人であるエリツィン元大統領に会いに行った。
なーんちゃって、彼女は会社の同期の男性陣から「エリツィン」とか「大統領」と からかって呼ばれてたんです。
ここでは「大統領」としよう。私達短大卒の女の子は全員で4人だったので、部署が違うけどいつも一緒にランチを食べた。
彼女と彼女の娘の「あいちゃん」とはしょっちゅうスカイプでチャットしてるので遠くにいる感じがしない。
2年前に会った時はあいちゃんは幼稚園で、「オーストラリアにお友達が出来た!」って喜んでいたようだ。
9月のケアンズに居た時に初めてスカイプでビデオ電話して、丁度旦那も居合わせたので「ハロ~」とかって顔も見たらあいちゃんは恥ずかしくなったのか黙っちゃって、あとで「ガイジンだったね」ってママと話していたらしい。
大統領とあいちゃんは、一緒に勤めてた会社の近くに住んでいる。大統領の旦那さんも会社の同期で、同期同士で結婚したのは後にも先にもこのカップルだけか。
そろそろ帰ろうとしてたんだけど、「夕飯食べてくでしょ?」と誘われたのであいちゃんと3人でご飯を食べた。そのうちパパさんが帰宅した。これから歯医者さんに行くと言う。大統領もパパさんも15年前から全然変わらない。「ルビーちゃんも変わらないよ」と言ってくれたけど、私は単に成長してないだけだと思う。。
私もいよいよ家に帰ってオヤジと兄貴のご飯の準備をしなくちゃいけなかったので、もうちょっと遊びたかったけど駅まで送ってもらった。
大統領は料理が上手である。夜は栗ご飯とけんちん汁と茶碗蒸しとかぼちゃの煮つけと焼き魚。 私があいちゃんと遊んでいる間に彼女はこれだけ作ってしまっていた!(茶碗蒸しは朝作ったって言ってたけど)
ヤバイ、これが私の旦那に知られたら「爪の垢でも煎じて飲め!」って言われる。絶対言われる。
大統領はパパさんにもお弁当を持たせている。 おかずが2段で3段目がご飯なんだけど、おかず5品よ。毎日違うのを作ってるのよ。
すごい、さすが大統領!
でもこういうのをやってる主婦は日本全国まだまだいっぱいいるんだろうな。 みなさん、スゴイな~。
世の旦那諸君、もっと奥さんに感謝して下さい。ご飯を食べたら「ありがとう」って言ってますか?
ウチは必ず「Thanks for Dinner」って言います。言わないと殺されます。冗談はさておき、これが夫婦円満に一役買ってますので損はありません。
娘のあいちゃんは本当に可愛い。パパそっくりなんだけど、小学校に上がってだんだん「お姉さん」になってきた気がする。フラフープが上手で「ルビーちゃんもやって」って言われたのでやったんだけど、難しいね、あれ。小学1年生にフラフープを教わる35歳って、どうよ。
動物が飼えないから家の中にアリの巣(女王アリをつかまえてそこから育てたという。働きアリがいっぱいいた)があって、カマキリ(だっけ?)も飼っていた。可愛い顔に似合わず昆虫が好きらしい。
人の子を見てるとだんだん子どもが欲しくなってくるわ。 うーん、そろそろ作らないと年齢的にヤバいんだけど、どうなるだろう。。
引き続き、兄のボイストレーニングの受講生 募集してます。出張もできますのでまずはご一報を!
本日はご訪問、ありがとうございました ('-^*)/
出会い
9月に日本上陸後 23日の回で「乗馬用の鞍差し上げます」って書いたんですが、その後一向に誰からも連絡が無かったので 「どうしよう~~~~」と思っていたところに、メールが届きました。
北海道でお馬を3頭と猫を2匹飼っていらっしゃる かじやん&ちこ太郎 夫妻。
えっ 全部引き取って頂けるんですか? 送料払ってくれるんですか? マジですか?
と話は弾み、 じゃぁ梱包しなくっちゃ。と段ボール箱を探しに出掛けると。。
ねぇねぇ、なんで日本って大きい段ボール箱が無いの?? オーストラリアじゃそのへんにゴロゴロしてるのに、全部ちょっと小さいよぉ~
と困っていたら、丁度兄が小型の冷蔵庫を買ったので、その空き箱をゲット!
やった、これなら入る。
日曜日にようやくクロ○コさんに取りに来て貰って送りました。
自宅から30分離れた帯広市内でお好み焼屋さんを経営してるとおっしゃっていたので、「しまった。配達時間指定にして何時が良いのか聞けばよかった。お店にいたら受け取れないじゃん!」とクロ○コのおじさんが来た時に気が付いて、 うーん 今さらしょうがない。と思っていた昨日の夜 1本の電話が。
はいはい、今出ますよー。 あれ? 北海道の方。。?
かじやん&ちこ太郎ご夫妻から「届いた」と連絡がありました。昨日はちょうどお店が定休日だったのでほんとに都合が良かったとの事。
大変喜んで頂けたので私もとても嬉しい。かれこれ10年くらい使ってないので革が思いっきり乾燥してるかも。なんだけど、彼らのブログにもその喜びようが書いてあった(こちら をクリック) ので、 私も とっても気分がいいです。ふふふ。
このブログを通していろんな人に「会い」ました。 普段では絶対知り合いにならないような方々からも見に来られてて、なんかそういうの、おもしろい。
ついでにいうと、 私の兄は 「ボイストレーナー」です。
小田急線・相模大野駅から徒歩1分のマンションの1室を借りて、活動しております。 兄が冷蔵庫を買ったのはその為だったんです。
兄はかれこれ10年以上、会社勤めをしながら「声楽家」としての活動はしていました。 演奏会を開いたり、結婚式で歌うのを依頼された事も数々。
今年8月にイタリアへ歌の修行に行き、普段滅多に人を誉めないという事で有名な先生から、「キミは素晴らしい!」と言われたそうな。
うちは兄妹揃って 勝手に好きな事をやっております。世界一の幸せもんです。
本日はご訪問 ありがとうございました (^-^)/
これまでの9年間・その1
※以前にも書いたかもしれないけど本人覚えていないのでまた書いてるかもしれません。あしからず。
運命ってなんだろう。
この35年間いろいろな人に出会ったけれど、今の私を支えているのはこれまでに出会った人々だと思う。
海外競馬についてのwebを教えてくれた元カレ。そのwebにたまたまゴールドコーストの競馬学校の広告があって、とても興味があって行きたくてしょうがなかったので、遂にカレと別れてオーストラリアに来てしまった。
もしあの時元カレがあのwebを教えてくれなかったら、私は一生あの競馬学校を知らずに元カレと結婚し平凡な主婦だったと思う。
そしてその競馬学校を作ったM女史。彼女の「この国では競馬も乗馬も関係なく、『馬を学べる』から、とにかくいらっしゃいよ」という言葉が無かったら私はオーストラリアに渡っていなかっただろう。
競馬学校在学中に、実は私は旦那に会っていたようだ。後で旦那に聞かされた。
学校の隣に「マジックミリオンズ」という競走馬のセリをする施設がある。1月に行われるセリは国内最大でゴールドコースト中が湧き上がる。前年やそれ以前にそのセリで売られた馬だけが参加できるレースもゴールドコースト競馬場で開催され、去年のレースでは私は2頭引いた。そのうち1頭はあとわずか! というところのハナ差で敗れ、勝者と敗者の違いをまざまざと見せつけられた日だった。
あ、話がずれちゃった。
競馬学校の在学中、1月のマジックミリオンズのセリで働く機会があった。
マジックミリオンズの敷地内には厩舎が30棟くらいあって、1棟に30くらい馬房がある。セリに参加するスタッド(牧場)にそれぞれ厩舎があてがわられ、セリの1~2週間前くらいにセリにかけられる馬が到着してその後バイヤー達が品定めに来て、そして当日にそれぞれ売られていく。
学生の私たちは売られる1歳馬の扱いが出来るわけではないので、お世話になるスタッドの人達から「あれやれ」「これやれ」といろいろ指示を受けて働かせてもらう。
これは「バイト」では無い、単に経験させてもらう事が目的だ。
あの時は本当に暑かった。最高気温40℃くらいになって、立っているのもやっとだった。
朝はスタッドのスタッフが馬を連れて歩きまわるので、学生の私たちは馬房掃除。早い話ウンコ取り。次いで、バイヤーが馬を見に来るので馬が馬房から出ると馬房の中のオガコが外に散らかるので掃き掃除。
私達が出来るのはこれくらいだったけれど、バカがつくほど真面目な私は一生懸命働いた。
馬が外に出ればフォークとバケツを持って中の糞を取り、散らかったオガコを掃いて馬が帰ってきたら扉を閉めてあげた。 暑いので馬もたくさん水を飲むから時々水バケツのチェックもした。特に「やれ」って言われた訳でもなく、自主的に働いた。
この時、旦那はどこかしらで私を見かけたようである。
そして とある調教師の目にも 私が止まったようである。
「there is a Japanese girl who never stop working (働き続けるジャパニーズ・ガールがいる)」と。これもその調教師からあとで教えてもらった。
確かに周りを見るとただ突っ立ってるだけの生徒もスタッフもいたんだけね。 別にそれほどやらなくても良かったんだけど、これは私の性分なのだ。
両親が結婚する前から伯父(故人)が経営する寿司屋で父は働いていたんだけれど、幼稚園の頃(上がる前からかもしれない)からお正月の忙しい時期は兄と2人でお店を手伝っていた。まぁそれが20数年続いたんだけれども、母からは「常に何か手伝える事を探しなさい」と言われていたので、その癖が後生にも残っただけの話である。
そしてその調教師から2年後に「うちで働かないか」とスカウトされて、彼の元で1年ほど働いた。
その調教師こそ、のちに旦那が勤める事になって2年連続ゴールドコーストのリーディングトレーナーになった人なんだけども。
人の縁というのはほんとうにおもしろい。
旦那に、「えっ じゃぁ あの時からアンタは私を知ってたの?」って聞いたら、「うん」だって。
2002年9月に学校を卒業したんだけど、卒業間近まで私の進路は決まっていなかった。 学校が、競走馬の厩舎を作ってレースを始める事に決めたのが7月くらいの事で、私達のクラスの生徒の有志がそれの手伝いをした。もちろん私も加わった。 1人のインストラクターが競走馬を持っていて、彼の馬をブリスベンで引いた事もあった(しかも勝っちゃった)ので 「じゃぁ卒業したら厩務員として働くからワーホリで戻ってこよう」と決めたのである。
私の「厩務員への道」はここから始まった。
2003年2月の終わりに再びオーストラリアへ戻って、たまたまの偶然で私は旦那と出会った。 私が働き始めた
女性調教師と、旦那のとーちゃんは同じ建物を使っていた。その時旦那のとーちゃんは膝を悪くしていたので旦那が急きょ手伝いに来ていたのだ。
それから旦那と付き合う事になり、ワーホリのビザが切れるから1年契約のビジネスビザを取ろうと準備していた所に旦那から「結婚した方が、早くね?」と持ちかけられたので その波に乗っちゃったのであった。
ここまで振り返ると、実は旦那に出会わなかった可能性もあるわけで、いやぁ人生とは本当におもしろい。
なによりも、私の両親が私のオーストラリア行きに断固反対していたならば、私の人生は全く違ったものになっていただろう。
10月11日は、そんな父の75回目の誕生日であった。
さようなら オグリキャップ
オーストラリアで使ってるPCはInternet Explore7なので 全然そんな現象起こらなかったんだけど、実家の兄のPCはIE 8で、立ち上げたばかりのくらいは マウスのポインターが突然「十字」になっちゃってブラウザが展開できなくなっちゃうんですよ。
そんな事ありません?
解決法ご存知です? 知らなかったお教えしましょう。
ESCを押すと通常のポインターに戻ります。
なんでこれが起こるのかは解りません。なんかの不具合なのかな? いちいちウザいんだけど、しょうがないのかしら。。
さて。
今日から旦那はバナナ農場で仕事を始めました。
つい先ほど彼のPCがオンラインになってたのでスカイプで喋ったんだけど、
「仕事どうだった?」って聞いたら
「背中を痛めた。。」と。
ええ~~~~っ!
バナナの収穫は、まず木を切って房の塊を肩にかつぐんだけども、その重さ50、60kgあるので それでもう彼の背中と腰はひどいダメージを受けたようです。
さっき医者に行って鎮痛剤をもらって来たけど、今も歩くのがやっとだと。。
バナナの収穫って大変な仕事なのねー。
旦那は元々腰痛持ちなので、やっぱりムリがあったみたい。
だいじょーぶかなぁ。あれで結構タフなんだけど、年齢のせいか最近ちょっとおセンチだからな~
ヘルニアにだけはならないように気を付けてもらわないとな。。
喫煙歴24年で、20分に1本タバコを吸っていた旦那が、完全に禁煙ですよ!
これはちょっと驚き。 まさかヤツが禁煙できるなんて思いもしなかった。
「禁煙する」って言って3日と持たなかったのに。
オージーのくせに、なかなか根性あるわね。ふふん。
今日知ったんですよ。オグリキャップが死んじゃったこと。
遅いですよね。 だって日本のニュース見られないんだもん。滅多な事が無い限りyahoo Japanとか開かないですから。
母が新聞の記事を取っておいてくれてて、読んでて涙が出そうになりました。
私が競馬を見始めたのは、オグリキャップが引退した1990年。中学卒業した春休みに「スーパー競馬」という番組を発見して それから見始めたんだけども、たしかその日は桜花賞だったと思う。
えっとー、誰だっけ勝ったの。サクラキャンドルだっけ? 泥だらけでゴールを1位で駆け抜けた牝馬は。。
見始めた当時、オグリキャップの存在は知っていたけど、実際にレースを見た事なかった。
春のG1シリーズはあんまり記憶にないんだけど、もともと芦毛の馬が好きだったのでオグリには注目していた。
そして秋のG1シリーズ。ジャパンカップで惨敗した時はすごくがっかりしたのを覚えている。
そして有馬記念。
TVで見てて、ゴール前は鳥肌が立ち、大川慶次郎さんの「ライアン!」の声援を撥ねのけてオグリが勝った時は感動して泣いてしまいました。
あの時中山競馬場に居られたらな~。
あの場に居た人々がとても羨ましい。
数年後母と北海道の牧場めぐりした時も優駿スタリオンステーションへオグリを見に行き、ちょっと離れた所にいたから近くで見られなくて残念だったけど、とっても穏やかでいたのが印象的。
彼ってば2008年に府中に来たのね。いいなー。会いたかったなー。
後ろ脚骨折とは悔やまれますね。 馬は3本足じゃ生きていけないもの。
そんなニュースを全然知らなかったので、今改めて言いたい。
オグリキャップお疲れさま。安らかにお眠り下さい。
彼のような馬は、そうそう現れないだろうね。
そんな馬のレースをずーっと見続けてきた厩務員さんが とても羨ましい。冥利につきるね。
レースに勝った時も負けた時も、2人で歩んできたんだもん。
オグリといろんな話をしてきたんだろうなって思うと、とても羨ましい。
いつか私も、名馬の元で一緒に過ごしたいと願う。 来月が待ち遠しい!
本日はご訪問頂きまして、ありがとうございました (^-^)
日本語忘れてるっぽい
昨日ご紹介した 鮭のミルク煮。
ゆうべ 布団に入ってちょっと考えてみた。
あたし、「キャベツぶつ切り」って書いた?
なんだよ、ぶつ切りって。
ざく切りじゃん。
ダメだ。だんだん日本語忘れてる。
なんだかね、たまに「日本語でなんていうんだっけ」って思い出せないんですよ。
こういう訓練はどうしたらいいんだろう。
もっと本を読めばいいのかな?でもあっちじゃあんまり買えないしなぁ。
活字離れがだんだん心配になってきました。
とりあえず実家では韓ドラを見るのと並行して読書してます。
今実家で読んでるのはゲーテの「若きウェルテルの悩み」。
書かれたのが1774年ですよ。236年前の小説。2/3くらい読んであともうちょっとなので
物語がどういうふうに終わるのかがとても気になります。
あとね、寝る前に読んでるので 心地よい眠りを誘ってくれるので一石二鳥ですよ!
以前ご紹介した競馬の遊び、Sky Racing Star Stable →こちら の 昨日までのランキングなんですけど、
土曜日は私の厩舎で2頭勝って1頭3着で1頭5着かな? ジョッキーは全然ダメだったけど、
私のランキング 40,697人中640位!
すごい。私って天才。 旦那は20,000位くらいだって。元ジョッキー、元調教師がこうですよ。
あたしの方が全然馬の見る目があるじゃ~ん (*^ー^)
今日も競馬中継を見てしまった。
昨日から東京開催だったのね。 見に行ったな~ 毎日王冠。もう10年前かしら。
懐かしい~
見てると 早く厩舎で働きたくなった。そろそろ旦那が先方にコンタクト取るらしい。
あと3週間。 ふふふ。
あっ! 母が今実家にいるおかげで、我が家もついにTVが地デジ化に!
さっきお馴染みの電気屋さんに行って注文してきました。
近所にもいっぱい電気量販店があるけれど、なんだかやっぱり 昔からお世話になってる
町の電気屋さんに頼みたい。
いいなぁ~ こういうの。
本日はご訪問ありがとうございました (^_^)v