茨城唯一・濠が魅力の「土浦城」
関東地方は、城の不毛地帯で江戸期から残る遺構が少ない。平野なので平城が多く、濠が残っていてもよさそうだが少ない。名高い所では、江戸城・小田原城くらいなものです。茨城県て唯一、濠が残る「土浦城」は貴重です。格下のライバル栃木県は、宇都宮城の復興に懸命です。御三家のひとつ水戸徳川家の居城である水戸城に濠は無い。水戸城は、平山城のため残念ながら空堀しか存在しない。城郭も先の戦争・水戸空襲で焼失してしまった。水戸城再建は、城跡に学校が乱立しているので困難でしょう。残念至極、残念で仕方がない。
江戸中期、土屋政直が入封して以降、土屋家のまま明治維新に至る。土屋政直は、筆頭老中として八代将軍徳川吉宗誕生に貢献した。「土浦城」イコール土屋氏と言うイメージは以前から持っていました。土浦廃藩後140年が経過し、土屋の殿様子孫は今何処。
思ったより小規模な「土浦城」跡
茨城の史跡巡りの重要ポイントと思っていた「土浦城」を訪ねた。何が重要かと言うと、濠(堀)が残っているのが素晴らしく、茨城県で唯一江戸期からの建物遺構が現存する城なのである。しかし、城址公園として残っているのは一部外濠と内濠だけで、思っていたより、イメージしていた感じより小規模だった。
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「土浦城」は霞ヶ浦近くにあり、堀で守られた平城です。立地条件から度重なる水害でも水没することがなく、水に浮かぶ亀の甲羅のように見えたので「亀城」の異名がある。
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茨城県県南部における土浦市の地盤沈下が叫ばれて久しい。JR土浦駅西口から亀城公園までの1kmを歩いてみて実感した。お昼時にも関わらず歩っている人が少ない。「かすみがうらマラソン」でJR土浦駅東口を何度も彷徨っていたが、参加者が一万人以上と同行者で活気に満ちていた。新興のつくば市から、歴史ある土浦市への回帰と復興を願いたい。
「藤」が散り「薔薇」が咲き初めた
最近、庭で園芸を楽しむお宅が増えているような気がします。何事も始めてみると人知れず様々な御苦労があるようです。そんな中で、同じ常会に属する3軒の花を紹介します。
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このお宅は我が家と同じ一級建築士材木店が建てました。広くない庭ですが、四季を通して花が咲いています。そんな中で「藤」は優先順位が高いような気がします。
これだけの「藤」を育てるのは大変です。一年間の努力と愛情・愛着の結果が花の形にあらわれます。
20年以上前、家を創った時に山?から「藤」を植樹したようです。「藤」花の盛りを過ぎた先日、奥様が黙々と剪定をしていました。
我が家の隣家です。奥様が懸命に育てています。以前に共同で造った塀を壊し、バラ用の塀を自腹で創りました。「薔薇」愛好家の中でも名が知れているようです。
年間を通して「薔薇」の世話をしている姿に感心します。剪定・消毒・土壌改良など四季毎に奮闘しています。真冬にウィンド・ブレーカを来て作業している姿が思い出されます。
「薔薇」は、咲き初めたばかりで数えるほどです。見頃の六月初旬にはとんでもないバラ園になります。






