歌を創ることの日記をいくつか書かせてもらいましたので

じゃあ、どんなのを書いている?


こんなのです

という

名刺代わりの自作を一つ紹介させて下さい


最近は一人で歌うことが多いですが、


友人をメインヴォーカルに二人でも歌っています。

むしろ、そちらがメインの活動であったのですが

なかなか二人の都合が合わず、開店休業中なのです。


止まると水も腐りそうなので

頑張って一人でも歌える歌を創って、シコシコ活動してる訳です。



一人で歌うための歌と

二人で歌うための歌は


どちらも僕が書いているのに不思議と違います。

一人歌いの方が歌詞の駄目出しが厳しいかも知れないですね。


もしかしたら

二人で歌うための歌こそ

不純物なしの


僕がやりたい歌なのかな

、と思ったりもしました。


どちらが好きとかではなくて、どちらも大事な歌なのですけど


自分が歌うとなると、自分の音域や発声がどうしても大事になってしまいます。


相棒が歌い切ってくれる、と思うと、曲のイメージが凄く自由に広がるのですね。



前置きが長くなりましたが、そんな二人のレパートリーを紹介させて下さい。


以前日記にも書いたように、僕はメロディ先行で創って後でパズルのように言葉を埋めるのですが
この歌は、割と歌詞面だけでもそこそこ言いたいこと書けた気がします。



『手の鳴る方へ』



静けさを震わせて
波風が闇を裂くように

穏やかなざわめきが
少しずつ呼吸を始める

そこには ただ
溢れ出した 想いだけが
息づくまま
他には何もなくて
ただ 音もなく
風が吹いてただけ


うつむいた目の奥は
果てしなく砂丘を描いて
幾重にも列をなし
めくるめく時間を駆けてく

忘れないで
ひたむきなら
恐れもせず 迷いもない
いつか 僕が
そうであったように


どこまでも

伸びてゆく

長すぎる

夜の果て

束の間に過ぎない昨日

誰にも言えないままの

ひたむきにさ迷う心


無理してないで

もっと僕は

素直であるべきなのに



手の鳴る方へ

どっちつかず

いつも流されるがまま


もっと僕は

素直であるべきなのに





/手の鳴る方へ

歌詞 mathis





mathis
今日中に何か一枚アルバムを聴こう



何がいいかな



『ROCK'N'ROLL』か



『WALL AND BRIDGE』か



生きていたら



69歳?




ハゲてたかな





見てみたかった




イカシてただろうな





mathis

僕の連れ合いは、趣味で文章を書く人です。

ビデオ観ながらとか、就寝前とか、


時間を見つけては黙々とノートに書きつけています。


手書きでないと筆が進まないらしく、あとでせっせとパソコンに清書しています。


主に書いているのは長編のノベルズらしいですが、
詩とかも書いてもらって僕が曲をつけたこともありました。


彼女の書く小説は、心理描写がキツくて

正直僕にはあまり楽しめない



でも、個性的なのはわかるので


よくやるなぁ、たいしたものだと思うのです。



僕には、なにもないところから文章を産むことは出来ません。ありえない。


歌詞から歌を創ることなんて、ホントに稀。


僕、自分から誰かに主張したいことって


ないですねぇ


誰かに何かを示唆するなんて、そんな偉そうなこと出来ません。



僕の歌、メッセージないですよ。


ましてや自分の恋愛感なんて、歌にするほどのものじゃないし




歌は意味がなければないほど良い


と考えている節すらありまして


なので、


歌に正しく主張がある方は凄いと思うのです。




でも、僕にも


主張、っていうか、


作りたい歌 、歌いたい歌ってのはシッカリと頭にあります。


メロディが浮かんだ時から こんな歌になるかなって、出来上がりがなんとなく見えていて


その時点で、何番まであるとか、どこを繰り返すとかの構成も浮かぶのです。


で、メロディを歌いながら、とにかく意味も無くやみくもに言葉をあててみる。


響きと座りの良い言葉を耳で拾って、これだ、と思ったのを片っ端から書き付ける。


どんな内容になるかも決まってないくせに、歌ってみた時、



この言葉は違う



ってのはわかるのです。


でも、どの言葉が正解でちゃんとハマるのかはわからない。



ずーっと手探りでバズルのピースを埋めていくのです。



すごく時間がかかります。



ある程度言葉が埋まってくれば能率が上がるのですけどね。


この方法でなければ僕は歌詞を書けない。



自分の日常や考え方を綴るにしても



こうしないと歌詞と日記の区別がつかないのです。



詞先も少しはやりますが、結局だらだらと日記の変形にならないものに仕上げるのが大変なのです。



文才の無さ、ですね。



鼻歌レベルですが、歌いたいメロディはたくさんあります。



完成を目指して、


いつか正しい言葉がハマると信じて



今日もぶつぶつと歌詞を考えてます。




mathis

音楽家の居る庭 ~mathis~-091207_1112~01.JPG



ムッシュかまやつの自伝

「ムッシュ!」を文庫で読んでから


無性に


名盤

『ムッシュかまやつの世界』


が聴きたくなり

音楽家の居る庭 ~mathis~-091207_0723~01.JPG


車でヘビーローテーション中です。


一人多重録音のはしりのアルバムですね。ポール・マッカートニーよりも早かったらしい。


本人はキース・ジャレットに触発されたと言ってますが




楽器の一つ一つの音からムッシュの息遣いが伝わるようです。なんとも良い味出してるアルバムです。


しかし、けだるい。若さが無い(笑)ムッシュ20代のクセに老成してます。

でも、このぶっきらぼうな音像が、なんとも良いのです。ギターソロなんて堪りませんよ。

これでいいんだ、この手数なら僕だって弾けそう(笑)と勇気をもらえます。


真似しようったって、もちろん無理でしょうけど。



肝心の楽曲はさすがに時代性というか


野暮ったいかな、と思いきや


一度耳のスイッチが入っつしまえば



もう、どっぷりムッシュワールドの住人です。



このアルバムには入ってないけど

「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」

なんて、音楽好き万人が聴かなきゃいけない名曲です。


あんりハマったので、ザ・スパイダースまで引っ張り出して聴いちゃいました。



自伝「ムッシュ!」

内容も凄く面白い本です。


あの時代において、

そして今現在も

ムッシュという人がいかにクレバーな考え方をするか、驚きです。


カンが冴えているのでしょうね。



mathis

僕の創る歌に英語フレーズないのは、

英語で話せないからで



というシンプルな理由からですが



英会話は出来ないけど

喋れたらいいなぁ、とは思います。



洋画とか洋楽とか洋書とか


いきなり意味がわかったら楽しいでしょうね。


勉強は苦手なので、苦労せず身につくならなぁ




作家の村上春樹さんや

俳優の児玉清さんは


二人とも若き日に、


とにかく小説を読みたくて読みたくて


手に入る本を読みあさったあげく、


翻訳本に読む本が無くなってしまい


原書に手を出したという

恐ろしい経歴をお持ちらしいです。



で、難しい英文は当然解らないなりにも、


とにかく面白い本に飢えていたので


ばりばりと読んでいるうちに


少しずつ意味が解るようになったそうです。


結果、読めるようになってしまったそうで



凄いですね。



必要が迫れば、叶うのですね。


英会話は現地に居れば覚える、ってのも一理あるわけです。



実はこのエピソードを知った時、英語出来ないくせに


凄く解る!


と思いました。



もちろん、音楽の話ですけど、



僕は音楽のアカデミックな教育なんて受けたことないし

知識なんてホントにお粗末なものなのですが





子供の頃、明星って雑誌を買ったら歌本が付録でついていて
(今もあるのかな)



で、その歌本に、その月に発売されるレコードの譜面が載ってたのです。


好きな歌手の新曲が載っていたりすると、


今度のはどんな歌なのだろう


と、知りたくて知りたくて堪らなくなったのですね。



で、解らないなりに譜面とにらめっこして


小学校で使ってたピアニカで(笑)音を辿って、

悪戦苦闘してるうちに


何となくだけど



譜面見るだけでどんな曲か解るようになったのです。



ま、所詮は明星の歌本レベルなので、コード譜くらいのことなのですが、



これは嬉しかったし楽しかった。


友達の誰より先に新しい歌を覚えるのは優越感でした。


今度のは凄く良いぜ。こんな歌~


って歌って教えたりしてね。



中学でブラバンに入った時も、おたまじゃくしに恐怖心が無かったのはかなり助かりました。この経験が活きた訳です。


へ音記号に慣れるまで大変でしたけど。



これ、何となく、英語のエピソードと似てません?



英会話だって、きっかけさえあればきっと!?



希望はあります♪



あるよね




mathis

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昨日はジョン・フォガティの新譜を聴いていたのです。


カントリーなカバー・アルバムで、新曲がっつりを期待していた僕はちょっと物足りない。



昨日のことを今書いているのは



せっかくの休みだったのに、一日風邪で倒れていまして







夢うつつの中、


ジョン・フォガティの楽しそうな歌声が、


何故かニール・ヤングに聴こえました。





熱が上がっていたのでしょう。



そうじゃないんだ

違うよ、ジョン


エレキギターを弾いてよ




僕はあなたのギターが大好きなのだから




前作の『REVIVAL』は実は未聴なのです。


そっちから買えばよかったかなぁ。



でも、今作


フューチャリングに連ねた名前が


ブルース・スプリングスティーン!

ドン・ヘンリー!

ティモシー・シュミット!


と来ればオッと思うでしょ?


しかも、レコーディング・ドキュメンタリのDVD付きとくれば、欲しくなるじゃないですか。



ゲストに釣られたのかって?


ハイ

その通りです。



期待したのにな


決して悪くはないのですけどねぇ


C.C.Rなジョン・フォガティを僕はやはり求めてしまうのですね。



寝ていたおかげで風邪はだいぶ楽になりました。

しかし寝過ぎで首と肩が固まってしまい、肩凝り偏頭痛がたまらなく苦しかったです。風邪より辛かった。



マッサージ椅子乗りたいなぁ



mathis

頭脳警察のことを書いた日記でも少し触れましたが


はっぴぃえんどを

日本語をロックに乗せた初のグループ、というのが


是とするか

非とするか


みたいな論争が当時あったらしいです。



僕が物心の着く前の話です。本や松本隆さんのコメントで知った知識しかありませんが



例えば、先日も聴いていた頭脳警察とはっぴぃえんどを予備知識なしに聴き比べて、


さあどちらがロック?


と問われたら


頭脳警察の圧勝だと思うのです。


激しいし、叫んでるし、日本人の思う"ロック"の典型的な音像ですものね。



そう思うとはっぴぃえんどは激しいイメージはないかも。


はっぴぃえんどの激しさは、実はとても内なるモノなのです。



歌の創り方ばかり気になる僕としては


頭脳警察の歌の創り方は、実は70年代フォークのそれと同じなのだと思うのです。


生ギターがエレキサウンドになっただけの違いで、

実はソングライティングとしては決して目新しいものではない。


と、言うのも


松本隆の言によれば




はっぴぃえんどは


日本語歌詞を音に乗せる際に


譜割りと韻律を意識した 日本で最初のバンド



ということです。



凄く解りやすい説明です。


当時のフォーク勢が、書きなぐった詞を考えなしに字余りでも何でも歌ってしまっていたのに対しての苦言のようにも聞けます。


ロックは英語で歌うべき派閥からは


あんなのフォークだ


と言われたはっぴぃえんどは


不朽の名作『風街ろまん』で、反対派を捩伏せます。


痛快な話ですね。



両方の支持者から


「フォーク、ロック云々はともかく 『風街』は良いよね」


と言わせたのだから、これは大勝利でしょう。



この話を聞いた時、僕がずっと思ってたことに自信を持てました。



歌詞は、詩よりもより強く


譜割りと韻律を意識しないとダメなのだ と。


そう思うと、RCサクセションなんて、フォーク期の歌ですら いかに素晴らしい歌詞なのかと感心します。清志郎はデビュー当時からそれを肌で知っていたのでしょうね。


譜割りと韻律に無自覚な人は今でもたくさんいます。けど自覚している人だって、確かに存在します。

ちゃんと考えぬかれた素敵な歌詞に出会うと嬉しくなります。


アマチュアですが、僕も第三者に聴いていただく以上、精進しなければならないなあ、と思うのです。



mathis

先日の頭脳警察や鬼束ちひろのことを書いた日記で、


書いていて思い出したことがいくつかありました。


唐突ですが、


今日は思いつくまま駄文を連ねます。すみません。一度書いておきたかったのです。



以前、音楽評論家が鬼束ちひろを

「中島みゆき」の次を担う才能

だとテレビで言っていたのを観たのです。


この発言は鬼束ちひろを高く評価してのものなのですが、



中島みゆきの創作と鬼束ちひろの創作は違うだろう


と、少し考えさせられたのです。



当たり前ですが、中島みゆきは決して

「中島みゆきらしくない歌」

は創らないわけで


彼女の歌は彼女のブランドで、叩き上げの職人の技です。


では何が「中島みゆきらしい」のか って、


説明しにくいのですね。

歌詞の一行一行が聴く者の琴線に引っかかり、凄いって唸らせる。


でも、法則はない。分析してこういうテクニックですって言い難い。


"間"の歌創り、とでもいうのでしょうか

エグる言葉をひらめいたまま置いていく


要はその"置き方"


ここも大事!"引き方"


そのタイミングが、中島みゆきは何ともいえず上手い。


本人は自然に書いているのでしょうが、感性を心行くまま操って、なおかつ本人が恐ろしく冷静に作品を客観視出来なければありえないソングライティングです。


だから誰も真似できない。真似をしても決して中島みゆきの模倣の域から出ないのでしょう。


同じことが忌野清志郎のソングライティングにも言えますね。



その点、鬼束ちひろは、感性を暴走させるがままに言葉を書きなぐり、歌を紡ぎます。


その時に、イメージの羅列が散文的になるのをあえて補足説明したりしません。ありのままの感性の暴走を良し、としている感があります。


確かに説明しちゃうと、彼女の表現、世界感の危うい魅力、美しさが無くなってしまいます。


そう、鬼束ちひろは


危うい


のです。


こんな才能はショービジネスの中ではやりにくいことでしょうね。

事実、活動休止していたわけですし。



とにかく、「第二の某」というレッテルは、イメージが沸きやすいけど、意味が薄い表現です。



鬼束ちひろはもとより素晴らしい後進の才能も出てきている訳です。椎名林檎、COCCOなんて、表現は違えど誰と競べるでもなく凄まじい表現者です。



"間"を身につけるには、やはり、


言いたくないけど、感性、個性なのでしょうね。



長々書いたわりに話が着地しなくて脱力。。


mathis

音楽家の居る庭 ~mathis~-091120_2306~01.JPG


活動休止明けの前作のアルバム『ラスベガス』を聴いて、



これは私の好きな鬼束ちひろの声じゃない


と思った方は



今回の新譜『ドロシー』の一曲目を聴いた瞬間、胸を撫で下ろしたのではないのでしょうか




あの声が、戻ってきてます。



よかった



ホントによかった




今日は子供のクリスマスプレゼントを選びにトイザらスへ行ってきたのですが、



道中の車の中で、鬼束ちーちゃんの新譜をずっと聴いていました。





鬼束ちひろはこの声でなければ



こうでなければいけませんね



前作の『ラスベガス』は、なまじ曲は粒が揃っていただけに、

その声のパワーダウンが痛々しく耳につきました。


あれほどに素晴らしい声が、これしきのブランクでこんなにも弱々しくなるのか、

もう二度と聴けないのか と思うと



聴いていて悲しくなってしまって




とても音楽を楽しむどころではありませんでした。





けど、今回の新作、


曲によってかなり、オーバープロデュースのきらいがありますが




聴けます。



繰り返し聴けます。



鬼束ちひろの声が戻ってきているからです。




もちろん個性的な彼女のソングライティングも魅力なのですが


僕はやはりこの声に惹かれていたのだな、と



改めて気付かされました。


よく聴くと、所々でまだ力が乗り切らない感もありますが、


贅沢言いません。


もう二度と聴けないかと諦めた声ですもの。大丈夫ですよ。きっと戻りますよ。




しかしこのアルバム、


聴いていて所々で音の装飾を引っぺがしたい衝動に駆られます。



鬼束ちひろのアルバムなのに


歌詞が聞き取れないようなアレンジは駄目でしょう。



ましてやあの声にエフェクターかけるなんて愚の骨頂です。アレンジャー馬鹿としかいいようがない。




少し憤ってしまいました。失礼。




長々と書きましたが、


僕は、"好きだ"と大きな声で公言できる女性ミュージシャンが少ないので、彼女の復調は本当に嬉しいのです。



一途なミュージシャンがやりにくい音楽情勢ですが、末永く頑張ってほしいものですね。






mathis

旅先で購入した本、

70年代の日本のロックを語った文章を読んいたら


無性に

頭脳警察を聴きたくなりました。



ベストしか持ってないのですが



なかなか、これが凄い

改めてびっくりです。



はっぴぃえんどと内田裕也が日本語ロック論争なんてものをかましている隣で



平然と頭脳警察はこんなことやってたのか



(注。はっぴぃえんどの歌詞への追求は頭脳警察のそれとは別物で、頭脳警察よりはっぴぃえんどが劣っている意ではもちろんありません)




とにかく音が古くないし、なによりパンタは詩人です。アジテーションだけの人じゃないのです。



日本語ロック黎明期ですから、今に比べて表現の固さ、不器用さはあるのですけど、彼らの武骨な音楽性とうまく合っていて、けしてマイナスにはならないのです。


武骨でないロックなんて、あってたまるかい。



「さらば世界婦人よ」
「詩人の末路」
はどこまでも美しいし、


一発録りをしたという 「旋律のプレリュード」なんて、どうしましょうってくらいカッコイイ。凄まじくカッコイイ。



今年の夏フェスの映像で、ギターとパーカッション二人だけで何百という観客と対峙していた頭脳警察のステージを思いだしました。


頭脳警察の唯一の弱点はパンタのヴォーカルの無難さだと思っていましたが(スイマセン)、


パンタの声は歳を取って素晴らしい貫禄と迫力を付けていました。脱帽ですよ。ベテラン万歳です。



しかし、ステージでの二人の立ち姿はイカシてますね。



CDをかしこまって聴くより、やはり頭脳警察はライブが本骨頂なのだと思いました。



ベテラン万歳、ですよ♪







mathis