「海が好き」と胸に書いてあったTシャツを着ていたのは、
往年の名漫画(アニメ)の「うる星やつら」のキャスト、
美人だけど男役である竜之介くんのお父さんだったと思う。
最近の若者のTシャツは、この手のが多い。
「島人」と「海人」とか。
海といえば山。
夏の旅行は涼を求めて、山か海へ。
逆のコピー、「山が好き」というTシャツも見かけたことがある。

ところで上の表題だが、これは私が高校生当時の文化祭で、
隣のクラスの人たちが、揃えて着ていたTシャツの胸の標語である。
初めて見たときは、その標語の不条理さというか、
脈絡のなさに爆笑しましたが、「韻を踏む」という技法を知り、
大笑いした自分を恥じました。
それにしても、考えた人の想像力は素晴らしい。

いまもクラスみんなで、
おそろいの「クラスTシャツ」を着る文化は残っているのだろうか?
ちなみに本校では、
一部の若い先生のクラスでそのムーブメントがありますね。
私はお金の問題があるので、
あまり得意ではありません、この手のことが。

ところで本題。
うちの学校の先生は「山が好き」な人は多いです。
もう6月も終わり。
夏休みは、林間学校、補習、クラブの合宿、研修など大忙しです。
いまは超多忙。
それは上の行事の準備があるからです。
正直、「夏休みは来なくていい」と思ってしまうくらいです。
ほんと忙しいです。
これで生徒間に問題起きたら、過労死するかもしれません。
それくらい忙しいです。

でも林間学校で行く山は、日本百名山の一つ。
美しい山です。眺望もすばらしい。
これを生徒に見せてあげたい。
だから、自分にムチ打って頑張ろう。
だから、ケンカなんかするなよ、我が生徒。
学校の先生って、体力勝負の仕事だなあ、って思います。

「数学教師」っていうと、
計算や論理などから、あるいは
また一般の方は「数学に対する畏怖の念」から、
羨望とも何ともいえない感覚で
「たいへんそうですね」
と言われますが、そんな難しいことは教えません。
難しいといっても、大学入試問題の解説がせいぜい。
現代数学について講義するわけではありませんから、
教える内容自体はそれほど難解ではありません。

それよりも、生徒の方に気を遣います。
この言い方で理解できるかどうか、
計算が正しくできているかどうか、
テストの採点・添削、
ノートのチェック。
それ以外にも、面談や相談など。
友人とのトラブルや家庭での問題があったらたいへんです。
もうこちらも精神的に消耗します。
精神的もタフ、肉体的にもタフでないとできない仕事かなあ、
と思っています。

一方で、どうも私はストレスがたまると過食に走るようです。
理由はあるそうです。
なんでも人間のカラダは、
ストレスを感じると、ビタミンだかミネラルだかが大量の消費される、
らしく、それを食事によって補うんだそうです。
たしかに担任に戻ったこの数ヶ月、
「まだ、食べるの!」とカミさんに言われることが増えました。
その筋の本によると、
食事の際に、
野菜ジュースや豆乳を飲むと、この失われた栄養分が補われ、
過食しないで済むようです。
本当にそうなのか、
「そう思っているから」、そうなるのか分かりませんが、
たしかにそうなるようです。試したらそうでした。
不思議です、人間のカラダって。

担任に入る前の数ヶ月、毎朝ランニングして、
この6年間に備えていましたが、
いまは毎日忙しく、朝走る余裕がありません。
気がつけば、もう6月末。
一学期も終わります。

昨日、職場で読んだ新聞に、女性タレントの夏川純さんのインタビューがあって、
「毎日、腹筋しています」
と書いてありました。なんでも、
「実は運動は苦手。でも筋トレはスタイルの維持に役立つし、楽しい。
 最初は20回もできなったけど、いまは200回も軽くできる。」
というようなことが書いてありました。
同じような方が、じつは職場にいます。
「運動はからきしですが、筋トレは楽しいですよ。
 毎日、筋肉が育っていく感覚が、いいです。」
といってニコニコしています。。(´д`lll)

『教師は体力』
もう腹筋も腕立てもできなだろうなあ。
生徒からは『メタボ、メタボ』と言われてます。
ちょっとかっこわるい先生です。
「昔、サッカーやっていたって本当ですか?」
と何度も聞かれます。

ちょっと筋トレ、ガンバってみようと思います。
梅雨ですね。
今年は春先から、週末は雨、
ということも多かったので、もう慣れた感はありますが、
日曜日の雨はちょっと残念です。
でも一方、シトシト降る雨は、
冬の乾燥で色を失った庭の木々にとっては、
それこそみずみずしい、色を与えてくれる命の水ですから、
それを見るのは、まんざらでもありません。
庭のトネリコやソヨゴの木、
今年から始めた高麗芝の緑は、
雨を受けて、ますます濃い緑になっていきます。

今日は小雨の中、
息子の通う幼稚園のイベントで、
田植えがありました。
妻がバドミントンの大会で出席できないので、
私が参加しました。
あいにくの天気ですが、
私の息子のクラスの保護者の参加は多く、
一列になって田植えをするわけですが、
私の列は、極端に狭かったです。

実は米農家の息子です。
三男ですから相続すべき土地はなく、
昔から、
親から『自分の才覚と技量で働く場所を見つけるように』と、
言われてましたので
米農家を受け継ぐ気もありませんでしたが、
こうやって田植えをすると、
ちょっと、『グッ』とくるものがあります。

そのイベントは小1時間ぐらいで終わり、
子ども達とお風呂に入り、
さあ、次は何をするか。
実は、正月、
流行りにのって任天堂のテレビゲーム『Wii』を買いましたが、
最近はホコリをかぶった感じ。
あの、『Wii-Fit』でのダイエットもどこ吹く風。
これはいかんと思いながらも、
子ども達も、フィットとスポーツだけではマンネリ気味。
というわけで、新しいWiiのゲームソフトを買いに行きました。

すでに妻と私、子ども達とは合意済みで、
カラダを動かすテレビゲームということで初めて買ったゲーム、Wii。
しかしながら、カラダを動かす系のゲームといっても、
だいたい同じ。『ウイニングイレブン』というサッカーゲームは、
ちょっと子ども達には難しそう。
そういうわけで、至極単純なゲーム『マリオカート』を買いました。
ああ、マリオ。
音楽が懐かしい。
ファミコンもスーパーファミコンも買いませんでしたが、
友人宅でやったことがあります。
なるほど、BGMやキノコとかカメとかの位置づけは、
あれから20数年経ってますが、変わらないのですね。

子ども達と夢中になっていると、
バドミントン大会に参加している妻からメールが。
『決勝リーグへ進出!』
ああ、なんと。
以前は、出ても負け、だったようですが、
先日の大会も下位のリーグで優勝したとか。
そうなると、今回も期待できるのか。
一段落ついたところで、
子ども達とママの応援に行きました。

バドミントンって良いスポーツですね。
老若男女、参加できます。
また強さには年齢は関係ないようです。
雨でもできるし。
『ああ、いまから始めてみようかな。』
と思います。

でもちょっとやめておきます。
昨夏の終わりから始めたランニングダイエットも休業中。
その前にハマッた、サッカーの『ボールリフティング』も休業中。
『初等幾何の本』読破も休業中。
ということで、これから
また道具そろえて何かを始めるというのは考えられない。
まあ、それもあって、
妻のプレーを羨ましく見ていました。

私と一緒に暮らし始め、
仕事もいくつか変えました。
私の都合もあって、
住処も何度か変えました。
子育ても一段落し、
いま継続的に取り組んでいるバドミントン。
勝ったり負けたり。
老若男女、仲間を大事に活動している姿は、
とてもまぶしく映ります。

そういえば、
先日ちょっと都合を付けて観に行った、
息子のサッカースクールが開かれている、フットサル場。
『個人でフットサル』のチラシがあったなあ。
この忙しい世間、
なかなか職場の人と一緒に遊ぶということができません。
やっとできるこまぎれの時間。
もしかしたら、私個人としては都合がつくかもしれない。

「ちょっと俺もカラダを動かしてみるか…」
中学生の頃からはじめたサッカー。
いまはかなり体重が増えてしまいましたが、
冬の間は走り込み、10kmのマラソン大会にも3度出て、
体力の増強には努めました。
昔、夢中になったことを思い出す。
いろいろと経験を積んで、あの頃とは違った感覚で見える世界。
マリオとバドミントンとサッカー(フットサル)。
中学生の頃とは違う自分で、ちょっと向き合ってみたい。


最近は、またしてもなのか、あらためてなのか、
世の中は不況だが(不況だからこそ?)、中学受験ブームのようである。
都市圏を中心に中学受験をする受験生は増えていると、報道されている。
また実際に、これまでは進学塾系の雑誌だけだった取材も、
一般の週刊誌も、授業の様子や校風などを取材にくることが増えた。
本校も、できるだけ一般誌の取材は遠慮していていたようだが、
世の中の趨勢に抗うことはできないようで、
他校と同じレベルで取材を受けるようにしたようだった。

しかしながら、教員という人種は気難しい人が多し、
多種多様な意見が出る。このことを快く持っている人もいるし、
そう思っていない人もいる。そうするともめるのが、
「誰が取材を受けるのか」ということ。
そうなると、この手のことは私にまわってくる。
まあ、仕方がない。「オープンマインド」が信条だ。

しかしながら、やはり、それが塾の内部の広報とはいえ、
それは気を遣う。服もいつものラフな恰好では、
学校の看板にも申し訳が立たなくなる。
たしかにみんなが遠慮したくなるのも、わかる気がする。

この10年くらいで、たしか3回の取材を受けた。
そのうちでよく覚えてるのは、
ライターの方がかなり思い入れというか、
気持ちを込めて書いた記事である。
塾の広報の取材だと、こう言っては申し訳ないが、
「まあ、あたりさわりない」ように、他の塾のそれと比較しても、
「まあ、似たり寄ったり」の記事になる。
ところが、ある記事は違った。

その記事のほとんどは忘れてしまったが、
私にキーワードのように残っている言葉がある。
それは、「美意識」。
なんでも、授業にそれがある、というのだ。
「美意識」ねえ。

たしかに、自分で試験を作っていても、
あるいは大学入試問題を解いていても、
「これは面白い」「これはつまらない」
といつも考えているかも知れない。
ただ計算能力を見るような問題は、「で、それで?」
という感覚があるかも知れない。

取材を受けてよかったと思うことは、
こういう他者の声が聞こえるということだ。
また、授業参観や研修授業ではないので、
言葉も選ばれて、端的に表現されるので、
たまに「グサっ」とくることもあるが、
琴線に触れるというか、「ハッ」とさせられることがある。
だから、いまは「美意識」。
また、この自分の中に潜む「美意識」について、
分析して書いてみたい。
本校はただいま学園祭である。
本来ならば、学園祭とか文化祭のシーズンは
生徒学生集団にとっても気候にとっても、
良い季節、つまり秋であるべきだと思うが、
受験を主たる目的とする学校では、6月あるいは
遅くても9月というのが多いようだ。
まあ、締切があれば人間はやるしかないのでやれるものであるが、
その辺りに学校の姿勢というか、優先順位が透けて見えてしまう。

生徒はそれに関係なく、
とにかく思い思いの作品や演出・パフォーマンスをする。
正直、出来はイマイチであるが、
それが高校生らしさというものだろう。

本校は有志が集まって、それぞれパフォーマンスするので、
ほんと、各教室をチラチラみるだけで楽しい。
グラウンドや体育館では、観戦してもらえるように、
各運動部が、相手を呼んで試合をしていた。
ほんと、いろいろな学園祭の参加があるものだ。

一方で、学園祭には他校の生徒も来る。
姉妹校(兄弟校?)の生徒だけではなく、可愛い女子高生や、
またその女子高生と知り合いになりたい他校男子校生もくるモンだから、
本校の交流スペースは、有象無象とした雰囲気だ。
職員は順番で巡回警備するわけだが、
「たしかに俺にもこんな血気盛んな時期があったかなあ」
と思い返すと、恥ずかしくてたまらない。
とにかく、生徒・学生の本分は勉強だぞ。
たまの息抜きも良いが、勉強しろよ、高校生。

男子校はもっぱら、クラブ活動が盛んなものである。
本校も多分にもれず、クラブ活動は盛んである。
私も自分が学生だった頃の経験で、クラブ活動の顧問をしているが、
いつも生徒に冷たく言うようにしている。
「別に、プロスポーツ選手になるわけじゃあないだろう?」
こういうと、生徒は、大変嫌な顔をする。
次にいうことは決まっている。
「勉強しろ。君たちは大学いくために、本校に来ているんだから。」
こういうと生徒は、諦め顔である。
でも、私は実はこう言ってほしい。
「それでも、僕(僕たち)は情熱のすべてをぶつけたい。」
別にスポーツでなくてもいい。
自分たちが、好きなことを好きにやって、その質を高めること。
これは何も勉強でなくても良い。

自分が何に情熱を燃やせるか、何を生涯の生業としていて生きていきたいか。
それを見つける場所が、学校(とくに高校)だと思う。

卒業生も多く訪れた。
これもたいへん嬉しい。
「ここが君たちの原点だったのだろう?」

ここから、道、はじまる。

中間テストも終わり、また普通に授業が始まりました。
幾何の授業は、美しさが大事です。
「へぇ」っと、感嘆の声が出るような授業がしたいです。
とは言え、いまの教科書の使いにくいこと。 ( p_q)
小学生はどこまで知っているのか?
どれが基本?発展的学習内容は、おれもこれもと掲載。
まことに学びにくい世の中です。

空間図形の導入のページは、
「立体、多面体」からでした。
カラフルな教科書は、イメージづくりには向いています。

「こういうのが多面体。」
多面体をきっちり分類(定義)したら、例の公式。
「じゃあ、どんな多面体でもいいから、
 頂点の数、辺の数、面の数を数えて」

「そしたら、VーE+F=…」
「おお!」

残念ながら、今年はどよめきが小さかったです。
私の体調がイマイチで、
授業の進め方もイマイチでした。
正多面体が5個しかない理由も、
正二十面体からサッカーボールを作図する過程も、
反応はイマイチ。
あああ。
「ちょっと、聞いてる?」
「先生、正二十面体を描いていて、それどころではありません。」
あああ。
ちょっと急ぎすぎたか。

結局、この辺は導入に過ぎず、
空間図形を期末試験で出題するときは、立方体の切断とか、
展開図上での最短距離とか、
かなりトンチが効いた問題を出題する羽目になるから、
このあたりの「感嘆符」のつく内容は、
トピック的なんだよなあ。
うーん、たしかに、ごめんな、生徒たち。

それよりも、もっと気になるのは、
「じゃあ、これからは立体の勉強するから」と言ったとき、
「ええっー」
「おい、なんだよその反応は?」
「立体、嫌い。難しい。」
「小学生で立体が嫌いになるってどういうこと?」

「いやあー…。 (・_・;) 良くわからないんですよ。」
「そうなのか。
 でも大丈夫だ。高校生もよくわからないみたいだから。
 大学入試も、わからない受験生が受からないように、
 空間図形の問題は良く出題される。
 みんな、わからないだよ。」
「はあ。」
「まあ、わからないっていう前に、よく見てみよう、立体。
 たとえば円柱。これは家にあるだろ。」
「家にある?」
「茶筒」
「茶筒?そんなのわかりません。」
「おれんち、おちゃのまねーし。」
「チップスターの入れ物じゃん!」
「ああ、それなら見たことある。」
「俺、好き。チップスター。」


立体はその辺に転がっている。
興味をもって見てくれ。
君たちの半分はエンジニアになる。
エンジニアが作るものはほとんど立体のモデルだ。
さあ、物作りニッポンの担い手の諸君、空間図形を勉強しよう。
「平面上で、異なる3点A、B、Cを通る円を作図せよ。」
幾何の中間テストで出題した問題だ。
ほとんどの生徒が正解した。
まあ、授業で説明したし、
作図させた跡もチェックもしたので、
正答して当然と言えば当然だが、
それでも描かれた円は、それぞれに美しかった。

また、円一つを描くにしても、それぞれの個性が表れる。
器用・不器用、丁寧・いい加減…
キレイに3点を通っているものもあれば、
「おいおい、通ってないだろう!」と、
減点せざるを得ない図もある。
点と点を結び、△ABCとして作図するものもいる。
それは、何よりよくわかっている証拠。
それから垂直二等分線は2本で良い。
そういったのに、心配で3本とも描いてる生徒もいる。
ちょっと心の線が細い気がする。

△ABCの外接円の作図。
その軌跡の意味を理解してるかどうかは別にして、
多くの生徒が円を描けた。
幾何の魅力を感じただろうか?
数学の力は本当に素晴らしい。
おもしろがって学んでくれれば、それが一番。
こういう問題を出題する先生(私ではない)、
正答する生徒に感動。
点数は、私からすれば、どうでもいい。
さあ、また明日から頑張ろう。
中間テストです。ドキドキの中間テストです。
中学に入って初めてのテスト。
まあ、中学受験でテストはイヤってほど受けている諸君達だと思ってますが、
中学から始まる定期試験は、やっぱり違うと思うます。
まあ、簡単に言って、「受かりたい」のではなく、「わかりたい」。
今日も質問に多くの生徒が来ました。いいなあ、こういうの。
こういう時が、「教師になって良かった」と思う瞬間です。

そういえば、「どうして数学の教師になったのか」ということについては、
途中だったような気がします。また、話は長く、自慢気になるので
要約すると、
「こんな数学の先生がいたらいいな、っていう先生になりたかったから。」
です。

(1行かよ!すげぇー要約だな。ってツッコミが入りそうです。「エンタ」の後だから。)

説明が上手くて、計算や論理が、スゥーっと入ってくるような先生。
生徒のリアクションを見て、説明をリピートしたり、割愛したりできる柔軟性。
興味を惹く、数学の話題(ときには無駄話)。
生徒を静粛に聞かせる迫力と熱意。
「また授業を受けたいな」と思わせる、余韻を残す。

いつも考えてるのは、「ビビッとくる言葉」を伝えること。
まあ、こんな感じというと、「あっ、なるほど!」
と思わせたら勝ちかな。
(勝ち負けじゃないけど。教師冥利に尽きるって感じ。)
あともうひとつは、
「生徒はちいさな大人ではない」
ということ。
同僚の教授方法の話を聞いていると、
「教員と同じような理解をして欲しい」
というような説明をしているように聞こえる。
数学的に正しく、というのはわかる。
でも、それほど厳密に、論理的に中学生が理解する必要があるのだろうか。

でもこれを言えるのは一冊の本をかつて読んだから。
小平邦彦著「幾何への誘い」
何度も読んだ。
序論は、特に何度も読んだ。
最初は、書いてることの意味がほとんどわからなかった。
数年、卒業生を出して、思い出してよくわかった。
生徒の発育(精神的・脳神経の発達的成長)を無視して、
過度に論理的厳密である必要はない。
これを自覚したとき、おそらく数学教師の力量は飛躍的に伸びる。

「幾何」では、作図問題が出る。
いうなれば、「軌跡」である。
条件を満たす点、あるいは
点の集合(図形)を定規とコンパスだけで作図する。
なかなか頓知のいる作業である。

質問の場面。
「先生、これはどう書くんですか?」
「えーと、2点から等しい距離にある点は、どんな図形?」
「…、線分の、」
「そう。で、2直線から等しい距離にある点の集合は、…」
「あっ、わかった!」
これが楽しい!
全部、教えきらないこと。説明しすぎない。
まるで脳神経のシナプスがスパークし、結合する瞬間のようなキラメキ!
脳科学者の茂木さんなら、どう形容するだろうか?
でもね。
「答えは、もうひとつあるよね?」
「あっ、そうか。先生、もうひとつあることに気がつかないと×ですか?」
「×のわけないだろ!でも、満点じゃあ、ない。」
数学で満点をとるのは難しい。

別に満点をとらなくてもいい。
満点をとりたいと思って、
楽しみと飢餓感をもって勉強してくれれば、それでいい。
それで数学は継続される。
数学の楽しみも受け継がれる。
それが僕の仕事。
さあ、どんな解答が書いてあるだろうか。
創作美にあふれていると、いいなあ。


MacでWindowsXPを動かしている。
これまで、マイクロソフトの策略にのり、
Windows95登場以来使い続けてきたので、手が覚えている。

Mac専門店の人によれば、
OSが新しくなればパソコンを買い替えなければならない、
というのはMacも同じだ、という。
その割には、
Mac専門誌などを読むとMacユーザーは古いMacを使い続けてる、
という体験記事が多い気がする。
再びMac専門店の店員さんの話しによれば、
『Macでソフトを作るというのはたいへんなので、
作られたソフトというのは駄作が少なく秀作が多い。
だからOSをかえないくとも、
その古いソフトごと古いMacを使い続けることができる、と。

ふーん、そうなの?
とりあえず、いま、このブログもMacで打ち始めた。
Macの日本語変換ソフトは『ことえり」だっけ?
Windowsでは、『ATOK」を代々使い続けてきたので、
キーボードも含めて、新たな環境に慣れなければ。
ついF7、F10キーを押してしまうが、画面には消音マークが。
全角カタカナにするには、どうしたらいい?
とりあえず、変換、変換でトラックパッドのボタンをクリック、クリック。

Macで右クリックする方法を、
職場のMacユーザーに教わった。
おお、よくできている。

それにしても、この「Macのすべて」は小さく、薄すぎるだろう。
うーん、Macに慣れて、Macで数学ができる日はいつの日か。
とりあえず、studyエイドDBを動かすのはWindowsモードしかない。

まだ、ブックマークもできない。
iGoogleの設定もままならない。
ああ、Mac。

今日は高校3年生の試験の試験監督でした。

試験監督といっても、テスト問題を配って、

受験している生徒に困ったことが起きないか、見守っているだけです。

不正行為の心配はほとんどありません。


教卓のそばに座ったりしてますが、ひまです。

困っていると、教卓の中に「全国大学広告一覧」という本が(ノ゚ο゚)ノ。

現高校3年生には1つの授業を担当しているだけなので、

進路相談を受けることはほとんどありませんが、

担任している中学1年生や、私の子ども達が進学する頃のことを

思い浮かべて、読み始めました。


この手の受験年鑑誌、数多くあるのは知っているし、

これまでも数十冊、手に取ってきたが、

「頭から1ペ-ジ、1ページ読む」

というのは、はじめてかもしれない。

失礼だが、この20~30年間の受験の変化がよくまとまっていた。

「へぇ~」と思うこともあった。

大学全入時代

(大学を選ばなければ、受験生はほとんど入れるという、受験者数と定員の問題)

も、グラフつきで推移を示して書いてあった。

他にも、けっこう、要点をついた文面と表のバランスがよく載せてあった。

共通1次試験の導入、国立大学の複数回受験導入の経緯、

各大学の抱える問題・本音と施策、センター試験導入、その後の受験の世相…。


とくに国立大学の変革は、

まあこういう職業にいるので、毎年毎年、情報は手にはいるわけですが、

それでも10年、20年という単位で見てみると、

「そうか、やはり優秀な生徒がほしいんだな」

という施策の変化が見てとれます。

具体的にいえば、1990年前後は、

共通1次末期・センター試験導入期ですが、

国立大は私学型の3教科入試を後期試験などで導入し、

これまで私学に流れていた受験生をとるようにしました。

ところが90年代も後半になると、「大学生の基礎学力不足」が顕著になり、

その3教科型受験を縮小、あるいは廃止し、また5教科・6教科7・8科目を課す、

というようになってきました。

優秀な人材確保という大義名分の元に、世相を見ながら、

試験制度という波が大きく揺れています。


私は、うちの生徒には、

「自分が勉強したいことを見つけろ。

 それが一番だ。そしてそれが出来る大学を選べ。

 選んだら入れるように勉強しろ。そうすれば勉強は苦じゃないよ。

 むしろ勉強したくなる。

 何か特別な才能があるなら、それを活かせ。

 音楽、スポーツなど。いま話題の『お笑い芸人』だっていい。

 自分の情熱の発露に忠実に。どの道だって、楽ということはない。

 成功するには、才能だけでなく、それなりの努力が必要だ。

 もし自分の内面に、『なにかを学びたい』という気持ちがないなら、

 仕方ない。それを見つけるためにも勉強しろ。

 その場合は、出来るだけ難易度(偏差値)が高い大学を目指せ。

 学部も、文系なら法学部・経済学部、理系なら工学部など、

 定員が多いところを受けろ。

 大学には申し訳ないが、無難な道を選択し、そこでまた次の選択をしろ。

 でも理系だと工学部でも細かく学科に分かれているから、

 選択については注意が必要。情報を得て、自分が興味を持てる分野へ進め。

 この科学技術が発達した社会。技術に関する勉強は、毎日毎日発展してる。

 おおざっぱに言い方をすれば、どれを学んでもためになるし、面白いと思う。

 でも毎年、工学部では、ミスマッチで大学を辞める生徒も多いと聞く。

 決して『偏差値』だけで選ばないように。」


自分は田舎者だったので、1990年、社会に適合して生きていけるように、

進路選択をした。それでも現時点で自分が最大に興味を持てるものを、

ということで「数学または物理」という理学を選択した。

でも、大学入ってから辞めたくなった。

紆余曲折したが、そう思っても仕方がない弱さが自分にはあったし、

それから結局辞めずに、信念の赴くまま、現在に至っていることを

もう後悔することはない。


うちの生徒たちは、いい子が多い。

親も、子どもからすれば、「お父さん、カッコイイ!」と思える職業の方が多い。

またその分、子どもはプレッシャーを受けるだろうし、

実際に過度に、子どもにプレッシャーをかける母親も多い。


いま目の前でテストを受けている高校3年生は、どんな進路選択をするのだろうか?

勤める学校の営業成績を上げるために

(つまり、有名大学への進学実績を上げるために)、生徒に向かって発言したこともある。

でも、もうそれはやめた。

「君は君らしく」

社会や政財界で活躍できる、有能な人間を有名大学におくればいい時代では、もうない。

この、既得権を守るために不公平や不正があふれる社会を、

更新していくような人材をもう社会に放り出しては行けない。

心を育て、創造的な人間を送らねば。


本を読みながら、わが子のことを考えた。

お姉ちゃんはダンス、弟くんはサッカーに夢中である。

大学までは行かせたい。

近所(通える範囲)にどんな大学があるだろう。

学費はいくらだろう。

できれば子ども達にも、次世代の心と技術を育てる人間になってほしいし、

それを学びに大学に通ってほしい。


この年鑑に書いてあった。

「物価の上昇よりはるかに速い速度で、私立大学の学費は値上がりしている。」

頑張らねば。

でも、この国はおかしい。公教育にお金がかかるなんて。