中間テストです。ドキドキの中間テストです。
中学に入って初めてのテスト。
まあ、中学受験でテストはイヤってほど受けている諸君達だと思ってますが、
中学から始まる定期試験は、やっぱり違うと思うます。
まあ、簡単に言って、「受かりたい」のではなく、「わかりたい」。
今日も質問に多くの生徒が来ました。いいなあ、こういうの。
こういう時が、「教師になって良かった」と思う瞬間です。
そういえば、「どうして数学の教師になったのか」ということについては、
途中だったような気がします。また、話は長く、自慢気になるので
要約すると、
「こんな数学の先生がいたらいいな、っていう先生になりたかったから。」
です。
(1行かよ!すげぇー要約だな。ってツッコミが入りそうです。「エンタ」の後だから。)
説明が上手くて、計算や論理が、スゥーっと入ってくるような先生。
生徒のリアクションを見て、説明をリピートしたり、割愛したりできる柔軟性。
興味を惹く、数学の話題(ときには無駄話)。
生徒を静粛に聞かせる迫力と熱意。
「また授業を受けたいな」と思わせる、余韻を残す。
いつも考えてるのは、「ビビッとくる言葉」を伝えること。
まあ、こんな感じというと、「あっ、なるほど!」
と思わせたら勝ちかな。
(勝ち負けじゃないけど。教師冥利に尽きるって感じ。)
あともうひとつは、
「生徒はちいさな大人ではない」
ということ。
同僚の教授方法の話を聞いていると、
「教員と同じような理解をして欲しい」
というような説明をしているように聞こえる。
数学的に正しく、というのはわかる。
でも、それほど厳密に、論理的に中学生が理解する必要があるのだろうか。
でもこれを言えるのは一冊の本をかつて読んだから。
小平邦彦著「幾何への誘い」
何度も読んだ。
序論は、特に何度も読んだ。
最初は、書いてることの意味がほとんどわからなかった。
数年、卒業生を出して、思い出してよくわかった。
生徒の発育(精神的・脳神経の発達的成長)を無視して、
過度に論理的厳密である必要はない。
これを自覚したとき、おそらく数学教師の力量は飛躍的に伸びる。
「幾何」では、作図問題が出る。
いうなれば、「軌跡」である。
条件を満たす点、あるいは
点の集合(図形)を定規とコンパスだけで作図する。
なかなか頓知のいる作業である。
質問の場面。
「先生、これはどう書くんですか?」
「えーと、2点から等しい距離にある点は、どんな図形?」
「…、線分の、」
「そう。で、2直線から等しい距離にある点の集合は、…」
「あっ、わかった!」
これが楽しい!
全部、教えきらないこと。説明しすぎない。
まるで脳神経のシナプスがスパークし、結合する瞬間のようなキラメキ!
脳科学者の茂木さんなら、どう形容するだろうか?
でもね。
「答えは、もうひとつあるよね?」
「あっ、そうか。先生、もうひとつあることに気がつかないと×ですか?」
「×のわけないだろ!でも、満点じゃあ、ない。」
数学で満点をとるのは難しい。
別に満点をとらなくてもいい。
満点をとりたいと思って、
楽しみと飢餓感をもって勉強してくれれば、それでいい。
それで数学は継続される。
数学の楽しみも受け継がれる。
それが僕の仕事。
さあ、どんな解答が書いてあるだろうか。
創作美にあふれていると、いいなあ。
中学に入って初めてのテスト。
まあ、中学受験でテストはイヤってほど受けている諸君達だと思ってますが、
中学から始まる定期試験は、やっぱり違うと思うます。
まあ、簡単に言って、「受かりたい」のではなく、「わかりたい」。
今日も質問に多くの生徒が来ました。いいなあ、こういうの。
こういう時が、「教師になって良かった」と思う瞬間です。
そういえば、「どうして数学の教師になったのか」ということについては、
途中だったような気がします。また、話は長く、自慢気になるので
要約すると、
「こんな数学の先生がいたらいいな、っていう先生になりたかったから。」
です。
(1行かよ!すげぇー要約だな。ってツッコミが入りそうです。「エンタ」の後だから。)
説明が上手くて、計算や論理が、スゥーっと入ってくるような先生。
生徒のリアクションを見て、説明をリピートしたり、割愛したりできる柔軟性。
興味を惹く、数学の話題(ときには無駄話)。
生徒を静粛に聞かせる迫力と熱意。
「また授業を受けたいな」と思わせる、余韻を残す。
いつも考えてるのは、「ビビッとくる言葉」を伝えること。
まあ、こんな感じというと、「あっ、なるほど!」
と思わせたら勝ちかな。
(勝ち負けじゃないけど。教師冥利に尽きるって感じ。)
あともうひとつは、
「生徒はちいさな大人ではない」
ということ。
同僚の教授方法の話を聞いていると、
「教員と同じような理解をして欲しい」
というような説明をしているように聞こえる。
数学的に正しく、というのはわかる。
でも、それほど厳密に、論理的に中学生が理解する必要があるのだろうか。
でもこれを言えるのは一冊の本をかつて読んだから。
小平邦彦著「幾何への誘い」
何度も読んだ。
序論は、特に何度も読んだ。
最初は、書いてることの意味がほとんどわからなかった。
数年、卒業生を出して、思い出してよくわかった。
生徒の発育(精神的・脳神経の発達的成長)を無視して、
過度に論理的厳密である必要はない。
これを自覚したとき、おそらく数学教師の力量は飛躍的に伸びる。
「幾何」では、作図問題が出る。
いうなれば、「軌跡」である。
条件を満たす点、あるいは
点の集合(図形)を定規とコンパスだけで作図する。
なかなか頓知のいる作業である。
質問の場面。
「先生、これはどう書くんですか?」
「えーと、2点から等しい距離にある点は、どんな図形?」
「…、線分の、」
「そう。で、2直線から等しい距離にある点の集合は、…」
「あっ、わかった!」
これが楽しい!
全部、教えきらないこと。説明しすぎない。
まるで脳神経のシナプスがスパークし、結合する瞬間のようなキラメキ!
脳科学者の茂木さんなら、どう形容するだろうか?
でもね。
「答えは、もうひとつあるよね?」
「あっ、そうか。先生、もうひとつあることに気がつかないと×ですか?」
「×のわけないだろ!でも、満点じゃあ、ない。」
数学で満点をとるのは難しい。
別に満点をとらなくてもいい。
満点をとりたいと思って、
楽しみと飢餓感をもって勉強してくれれば、それでいい。
それで数学は継続される。
数学の楽しみも受け継がれる。
それが僕の仕事。
さあ、どんな解答が書いてあるだろうか。
創作美にあふれていると、いいなあ。