最近は、またしてもなのか、あらためてなのか、
世の中は不況だが(不況だからこそ?)、中学受験ブームのようである。
都市圏を中心に中学受験をする受験生は増えていると、報道されている。
また実際に、これまでは進学塾系の雑誌だけだった取材も、
一般の週刊誌も、授業の様子や校風などを取材にくることが増えた。
本校も、できるだけ一般誌の取材は遠慮していていたようだが、
世の中の趨勢に抗うことはできないようで、
他校と同じレベルで取材を受けるようにしたようだった。
しかしながら、教員という人種は気難しい人が多し、
多種多様な意見が出る。このことを快く持っている人もいるし、
そう思っていない人もいる。そうするともめるのが、
「誰が取材を受けるのか」ということ。
そうなると、この手のことは私にまわってくる。
まあ、仕方がない。「オープンマインド」が信条だ。
しかしながら、やはり、それが塾の内部の広報とはいえ、
それは気を遣う。服もいつものラフな恰好では、
学校の看板にも申し訳が立たなくなる。
たしかにみんなが遠慮したくなるのも、わかる気がする。
この10年くらいで、たしか3回の取材を受けた。
そのうちでよく覚えてるのは、
ライターの方がかなり思い入れというか、
気持ちを込めて書いた記事である。
塾の広報の取材だと、こう言っては申し訳ないが、
「まあ、あたりさわりない」ように、他の塾のそれと比較しても、
「まあ、似たり寄ったり」の記事になる。
ところが、ある記事は違った。
その記事のほとんどは忘れてしまったが、
私にキーワードのように残っている言葉がある。
それは、「美意識」。
なんでも、授業にそれがある、というのだ。
「美意識」ねえ。
たしかに、自分で試験を作っていても、
あるいは大学入試問題を解いていても、
「これは面白い」「これはつまらない」
といつも考えているかも知れない。
ただ計算能力を見るような問題は、「で、それで?」
という感覚があるかも知れない。
取材を受けてよかったと思うことは、
こういう他者の声が聞こえるということだ。
また、授業参観や研修授業ではないので、
言葉も選ばれて、端的に表現されるので、
たまに「グサっ」とくることもあるが、
琴線に触れるというか、「ハッ」とさせられることがある。
だから、いまは「美意識」。
また、この自分の中に潜む「美意識」について、
分析して書いてみたい。
世の中は不況だが(不況だからこそ?)、中学受験ブームのようである。
都市圏を中心に中学受験をする受験生は増えていると、報道されている。
また実際に、これまでは進学塾系の雑誌だけだった取材も、
一般の週刊誌も、授業の様子や校風などを取材にくることが増えた。
本校も、できるだけ一般誌の取材は遠慮していていたようだが、
世の中の趨勢に抗うことはできないようで、
他校と同じレベルで取材を受けるようにしたようだった。
しかしながら、教員という人種は気難しい人が多し、
多種多様な意見が出る。このことを快く持っている人もいるし、
そう思っていない人もいる。そうするともめるのが、
「誰が取材を受けるのか」ということ。
そうなると、この手のことは私にまわってくる。
まあ、仕方がない。「オープンマインド」が信条だ。
しかしながら、やはり、それが塾の内部の広報とはいえ、
それは気を遣う。服もいつものラフな恰好では、
学校の看板にも申し訳が立たなくなる。
たしかにみんなが遠慮したくなるのも、わかる気がする。
この10年くらいで、たしか3回の取材を受けた。
そのうちでよく覚えてるのは、
ライターの方がかなり思い入れというか、
気持ちを込めて書いた記事である。
塾の広報の取材だと、こう言っては申し訳ないが、
「まあ、あたりさわりない」ように、他の塾のそれと比較しても、
「まあ、似たり寄ったり」の記事になる。
ところが、ある記事は違った。
その記事のほとんどは忘れてしまったが、
私にキーワードのように残っている言葉がある。
それは、「美意識」。
なんでも、授業にそれがある、というのだ。
「美意識」ねえ。
たしかに、自分で試験を作っていても、
あるいは大学入試問題を解いていても、
「これは面白い」「これはつまらない」
といつも考えているかも知れない。
ただ計算能力を見るような問題は、「で、それで?」
という感覚があるかも知れない。
取材を受けてよかったと思うことは、
こういう他者の声が聞こえるということだ。
また、授業参観や研修授業ではないので、
言葉も選ばれて、端的に表現されるので、
たまに「グサっ」とくることもあるが、
琴線に触れるというか、「ハッ」とさせられることがある。
だから、いまは「美意識」。
また、この自分の中に潜む「美意識」について、
分析して書いてみたい。