昨年より新たに弦楽四重奏団を演奏家仲間と始動したのですが・・・

この世界状況により活動中断。

今年の7月に演奏会をしようとしていましたが、それも延期になってしまいました。

 

でも、そのプログラムから1曲、小職の書いた弦楽四重奏曲からフィナーレをメンバーでリモートで録画しました。

それぞれが録画して友人のUさんがつないでくれました。

短い曲ですが一発でとるのは、やはり難しい!

ノリのよい日本の踊りをイメージした曲です。

もしよろしかったらご覧になっていただき、いいね!をよろしくお願いいたします。

 

Remote ensemble movie! String quartet No.1 3rd mov. (M. Yokoyama) Morgentall SQ. (edited by M.Ueno)

 

Tryed remote quartet!!
Morgentall SQ performs new music on Youtube !
Our concert on this July has been postponed, so that we made the movie.

String Quartet No.1 3rd mov. by Masao Yokoyama
Morgentall String Quartet
1st.Violin: TSUBAKI
2nd.Violin: Mariko Makibuchi
Viola: Megumi Ueno
Violoncello: Masao Yokoyama
(Movie by M.Ueno)

 

 

残念ながら文字数制限のため…前回からの続きです。

 

6つのリズムモードと定量記譜法

少し、時代が進み、12世紀後半ノートルダム楽派(レオナンやペロタンといった作曲家が活躍した時代)の活躍した頃になると、リズムが6つのモードとして定義されるようになりました

当時の拍子の単位は3が基準となっていました。現代では、どちらかというと2拍や4拍などが基本で、3拍子というとワルツなど舞曲にみられるリズムのイメージがあるかと思います。

これは三位一体の考えに基づいていて、3という数字を神による完全な世界とする宗教観がここに見て取れます。三位一体は、神-キリスト-聖霊を指し、ここからか「3」という数字は完全なものとされ、音楽のリズムにおいても3を基準とした理論が導入されました。

音価には長いロンガと短いブレヴィスがあり、図3-3のように長短の音価の組み合わせとして6種類のモード(モドゥス, modus)が用いられました。それぞれ1トロカイオス、2イアンブス、3ダクテュロス、4アナパイストス、5モロッソス、6トリブラクスと名称がついていました。また6つのモードはラテン語やフランス語の聖歌の歌詞の韻律が元になっています。

 

図3 6つのリズムモード

 

6つのリズムのモードの考案により四角譜はより意味のあるまとまりと長さを記すことができましたが、まだ歌詞の韻律に縛られていました。それが、13世紀前半になってより自由に作曲できるように定量記譜法が用いられるようになりました(図4)

さらに、記号は四角を用いていて、リガトゥラ(ligatura)と呼ばれる音節のかたまりが記譜に用いられるようになりました。

音の長さは、長い音を表すロンガと短い音を表すブレヴィスに加え、さらに短いセミブレヴィスが導入されました。

 

図4 定量記譜法におけるリガトゥラの例

 

ただ、長い-短いは今日のように2:1という規則ではなく、ブレヴィスを単位(テンプス、tempus)として完全な3と不完全な2がありますので、私たちからすると分かりにくい記譜と言えます。

例えば、ロンガが2つ並んだ時、1つ目のロンガは完全であるブレヴィス3つ分に、次の2つ目は不完全となり2つ分などといったようにです。13世紀後半になるとフランコ式記譜法が考案され、セミブレヴィスはで表され、完全-不完全の規則も体系化され、ブレヴィスを単位として3つで1小節とするペルフェクツィオ(perfectio)という小節の概念がでてきました。

 

さらに時代がすすみ、14世紀になるとメンスーラ記号(mensura)という拍子記号の原型が考案されます。

メンスーラ記号は図5のように拍の階層構造を示すのですが、ここでも三位一体の概念はみられます。

神の音楽である3分割という「完全」に対して、2分割は人間が考え出した俗世な「不完全」なものとされていました。

ブレヴィスはセミブレヴィスに分割され、さらに細かい音符のミニマも使われるようになりました。

 

図5メンスーラ記号と3分割/2分割

 

まだこの頃は3/4とかの分数表記ではなく、ブレヴィスの3分割のリズムは完全なるものだから円であらわし、

2分割のリズムは不完全なので半円で表しました。メンスーラの点「・」はプロラツィオ(prolatio、拡張)といい、ミニマへの分割数を示していて、点があるとprolatio majorという3分割、無いとprolatio minorという2分割を指します。

 

この2分割の半円はやがて現代の4/4拍子の記号「C」 になります。

この記号はアルファベットのCではなくこの不完全を示す半円からきているのです。

なお、現代の2/2拍子(Cに|縦線)  は「アッラ・ブレーヴェ(alla breve、伊)」と言われますが、「ブレーヴェで」すなわちブレヴィスが基準テンポ(テンプス、tempus)となることを意味します。

 

ルネサンス期における記譜の発展

15世紀前半になると音楽がより細かい表現が行われるようになり、セミブロヴィス、ミニマ、セミミニマ、フーサと細かくなっていきました(図6)

ルネサンス期は1450年~1600年頃とされ、声楽的ポリフォニー(厳格対位法)といわれ、オケゲームやパレストリーナから、ラッソやフレスコバルディといった作曲家が挙げられます。バッハの活躍したバロック期の前となります。

 

これまでは四角譜のころは中を黒く塗りつぶしていましたが、長い音は白抜きになっていきました。

だいぶ現代の記譜に近くなります(一説によると楽譜が大量に作られるようになると塗りつぶすのが大変だったからとか)

セミミニマは現代の4分音符、フーサは8分音符に表記が似てきました。符尾が2つ付いたセミフーサもやがて登場しました。

図6 15世紀の音価と記譜

 

16世紀になる頃には、音符の頭の形が四角や菱形ではなく今の楕円になったと言われています。

そして、付点音符が現れ1.5倍の音価が音楽に取り込まれるようになります。線も五線になりました。

小節線も明確に引かれるようになったのもこの時期です。

これまでの楽譜出版は声楽曲が主だったこともあり、声楽は詞に支配されることからその区切りも歌詞のもつリズムに合わせればよかったので、楽譜に等時的な小節線を引く必要がありませんでした。しかし、16世紀に舞曲も出版されるようになると、舞曲は規則的な反復リズムであるのでわかりやすく区切りを付けられるようになり、小節線が明確に書かれるようになりました。

なお、グレゴリオ聖歌にも区切りの縦線はありましたが、これは大きな歌詞に依存した言語的な区切りであって、リズムを等時の意味合いで区切るものではありません。

 

以上、1000年にもわたる西洋音楽の拍子の歴史についてかなりざっくりと説明してきましたが、ヨーロッパ人らしい合理的な性格がゆえに、現代われわれが使っている合理的な拍子とリズムの理論ができあがったのだといえます。

 

 

参考文献

ザックス, リズムとテンポ, 音楽の友社

十枝正子, グレゴリオ聖歌選集, サンパウロ出版

新西洋音楽史(), グラウト/パリスカ, 音楽の友社

関根敏子、拍子記号とテンポ、21世紀の音楽入門、教育芸術社

 

 

 

 

またまた、もやっとした中世の音楽について。今回は記譜法についてまとめました。

イタリアなどヨーロッパを旅行したときに教会や博物館に飾られている四角譜が読めるとちょっと旅が面白くなりそうですね。

 

聖歌とその歌唱法の記録のためのネウマ譜

グレゴリオ聖歌の歌われ始めた中世前期はまだ五線譜は出現していませんでした。

当時はネウマ譜という図形で書かれていました。

ネウマ譜にも変遷があり、初期は線がなく歌詞の上に図1の最上段に記すように、線や曲線で抑揚が付記された程度でした。

その後、11世紀前半になる頃、イタリアのアレッツォの修道士グイードが音高をより正確に歌えるように線を引いたといわれています。

 

最初はファに引かれ次にドにも追加され、やがて12世紀になって4本線とによる四角譜という記譜法が考案されました。

しかし、その後印刷による出版がされるようになると、オリジナルのネウマ譜の微妙な曲線は印刷には向かなかったため、四角譜によるグレゴリオ聖歌が出回るようになり、細かな表現が記されたネウマ譜は見られなくなってしまいました。

 

図1 ネウマ譜(ザンクトガレン系)と四角譜の例 (拝領唱より, Communio VI、グレゴリオ聖歌選集より)

 

四角譜の例をいくつか図2に示します。

ハ音記号とヘ音記号の2つがあり、共に凹んだ箇所がそのドやファの位置です。
中央の音階は凹みのところがドになりますので順に下からミファソラシドレミになります。

図の下段は四角譜の見方ですが、グループ音の左端の縦に線でつながれた音符(ぺスという)は下から読みラ-ドと歌います。

小さい菱形符のついた音符(クリマクス)の菱形は下降音で付けられますが音価は短く隣接する音に影響され融化します。

Nの形の音符(ポレクトゥス)ですが、斜めの線はグリッサンドや音階ではなく音の上限下限を表します。

右端のノコギリ型の音符(クリィスマ)は前後の音を滑らかにつなげる経過音を表し、直前の音は伸ばされます。

 

図2 四角譜の音部記号と音階の表記

 

ただ、以上の記譜は音の長さを正確に表現したものではありませんでした。まだこの時代は拍子がなく、点(プンクトゥム)と四角い線付きの点(ヴィルガ)が、それぞれ音の短い/長いの違いを示しているだけで、定量的な記譜ではありませんでした。

 

また音高も、ドやファの位置が基準に記されていましたが、ドが何Hzとは決まってなかったのです。

その場に集まった僧侶のピッチの取り方次第で、ネウマ譜の上下は相対的に上がるか下がるかを示している程度です。

ネウマ譜や四角譜はこれまで口伝だったものをメモしただけのようなものですが、それでも記録という点では大きな進歩だったわけです。

 

残念ながら文字数制限のため、続きは次のページに!

https://ameblo.jp/masaoprince/entry-12601501571.html

 

 

 

 

 

なんとなくいつもモヤモヤっとしてる旋法。特に中世の教会旋法は現代の旋法とはだいぶ異なります。そのあたりをまとめてみました。

 

中世の教会旋法11世紀ころに定着したとみられ、図5-7のように4つの正格(authentic,真正の)と変格(plagal,脇の)の計8つからなります。本来は番号によって旋法が区別されギリシャ語の名称はなかったのですが、今日の理論書では名称が付けられることが多いので慣例に習って付記しています。

図1 中世の8つの教会旋法.矢印は終止音で星印は保続音.

)旋法の名前は古代ギリシャ旋法に合わせて名づけられていたのと同様であるが別物である

 

正格(奇数番号1,3,5,7)に対し変格(偶数番号)4度下になります。グレゴリオ聖歌では音域は大体1オクターブで、正格は矢印を付けた終止音から上に1オクターブ、変格は4度下まで音域が設けられたものです。

ただ、この教会旋法の音高が指すのは絶対的な音高ではなく、次のような全音/半音の音程の配置の種類を区別するためのものでした。というのも、当時はラが今のような440Hzとは決まっておらず、その日の聖歌隊のリーダーが示したピッチによりけりだったからです。前述のように11世紀はまだネウマ譜による記譜が中心で、イタリアの修道士グイードによって基準となる音高の線を引くことが考案された頃です。

 

 第1旋法:2,1,2,2,2,1,2

 第3旋法:1,2,2,2,1,2,2

 第5旋法:2,2,2,1,2,2,1

 第7旋法:2,2,1,2,2,1,2

1は半音を2は全音の音程をそれぞれ表しています。

 

いずれにせよ、このようなシステマティックな整理は西洋文化らしい考え方です。それぞれの旋法は、曲は矢印で記した旋律の終わりに使う終止音が重要ですが、もう一つ、従属音(ドミナント)保続音(tenor, テノール)という第二の特徴音があります(☆印)

このテノール音は正格と変格で位置が異なるので、終止音が同じでも曲調に変化がでます。図2は、第7旋法(正格)と第8旋法(変格)の保続音の雰囲気の体験用として、グレゴリオ聖歌にテノールを付けた譜面です。図中の歌詞(アレルヤ)のように、歌詞の一語に複数の音を連ねる装飾をメリスマといいます。(もしご興味あれば、それぞれテノールの持続音と一緒に弾いて(歌って)みてください。)

図2 夜半のミサ、アレルヤ唱より(ミクソリディア)と正格と変格のテノール (グレゴリオ聖歌選集より)

 

さて、図1を見てお気づきになった方もいらっしゃると思いますが、現代の旋法(モード)のようにラ、シ、ドを終止音(ルート音)とした旋法がありません。これは、例えばラから始まる旋法(現代のエオリア)は第1旋法を5度上げればほぼ同じになるからです。「ほぼ」といったのは第1旋法のシの音にあたる第6音は5度上げるとファ#になるので、これを半音下げる必要があるのですが、この変化は許容されたようです。教会旋法の音階の意味が、絶対的な音高ではなく音程の配置の区別であったので、似たような配置の音階はその当時では不要だったのでしょう。ドからの旋法(イオニア)も同様に第5旋法の第5音を半音下げます。これらのラとドの旋法はその後16世紀に入ってスイスの理論家グラレアーヌスによって追加されました。しかし、その時もシから始まる旋法(ロクリア)は上に完全5(ファ#)がないために用いられませんでした。

 現代の旋法では正格・変格という区別はされなくなり、イオニア、ドリア、フリギア・・・のロクリアまでの7つの旋法が残っています。いずれも旋法はルート音からの音程の組合せを指すものです。

 だから、音程の組合せが2,1,2,2,2,1,2であるドリア旋法は、レから始まればすべて白鍵ですが、ミから始まるドリア旋法であれば、ミ-ファ#----#--ミとファ#とド#が使われます。このあたりが少々ややこしいですね。

 

と。ここまで書きましたが、やはり中世の音楽についての背景知識があったほうが理解が進みそうだな・・・と思いましたので、また近く中世の音楽変遷についてもまとめたいと思います!

 

 

 

音楽の三要素

…音楽と感情の話の前振りです。

音楽を構成する要素は、ハーモニー、リズム、メロディ3つとされています。学術的には上の3つの要素からなる音の集合が音楽であるとされています。そして、音楽が生活音や騒音と違うのは、そこにピッチ差(音程)や音の重なり(和音)に何らかの規則性があること、音のタイミングに何らかの規則性があること、などが言われています。

 この音楽の3要素について少し工学的な表現に置き換えると、ハーモニーは音楽における垂直方向の要素で、リズムは水平方向の要素、メロディは両方の要素を持つということができます。下の図は、あの大ブレイクしたオーケストラ漫画・ドラマのテーマとして使われたベートーヴェン交響曲第7番の1楽章の一部ですが、このように楽譜で考えると直感的にわかると思います。工学的な用語で言えば、ハーモニーは周波数方向で、リズムは時間方向で、メロディはその2次元空間上をさまよう流れともとらえられます。両軸の要素が相互にあるルールでもって連なることで音楽が形成されます。

 

音楽をハーモニー(ピッチ・周波数方向、縦方向)とリズム(時間方向、横方向)、そして2次元空間上を流れるメロディととらえる。(ベートーヴェン交響曲第7番の1楽章より)

 

感情を表すチャネルがない

では、本題に入ります。

音楽はそもそも感情を表現できないのです。

「なんで?!そんなことないでしょ!」と、お思いになるかもしれません。

音楽は、音楽以外に表現できないという理論です。この主張をした有名な音楽批評家がウィーンのハンスリック(1825-1904)という人物です。彼は、楽劇の作曲家ワーグナーや交響曲作曲家ブルックナーにとって天敵であり、ブラームスのような絶対音楽を支持し「音楽美論」の著者として有名です。

 では、いくつか例を挙げてみます。

 長調の音楽=楽しい音楽。短調の音楽=悲しい音楽。…でしょうか? おそらく、楽しさを表す「ことが多い」、もしくは楽しさを表すと思い込んでいる、という表現がよいでしょう。

 短調でも楽しさをうたった曲はあります。例えば、「明かりを付けましょ、ぼんぼりに♪…今日は楽しいひな祭り♪」という歌をご存知ですよね。でも、この曲は短調でメロディはどことなくむしろ「悲しげ」な雰囲気です。もしこの歌詞を知らない人(例えば外国人)がこの曲のメロディだけを聞いた場合、曲の印象をどう受け取るでしょうか。

もう一つの例を挙げてみましょう。怒りを表すときに長調で書くでしょうか?短調で書くでしょうか?有名なモーツァルトの歌劇「魔笛」に「夜の女王のアリア」という曲があります。怒り狂った女王の歌うメロディは、なんとヘ長調なのです。一見、怒っているときはネガティブなイメージ=短調ということが予想されるかと思いますが、モーツァルトはそうは書かなかったのです。音楽で感情表現を行うことは一見ごく普通のように思えますが、実はいくつかの盲点があります。この様な音楽と「楽しさ」「悲しさ」「怒り」といった感情と音楽について議論を進めましょう。

 

 音楽には感情を表現する手段(チャネル)を元々持っていない、ということはどういうことなのでしょうか。

 音楽に、歌詞やタイトルといった言語情報や作曲の経緯や作曲家が置かれた立場・状況などのような背景情報が付与されることによって初めて感情を伝える新たなチャネルができます。その付加的なチャネルを通じて私たちは音楽の意図を連想するのであって、音符の並びであるハーモニーやリズム、メロディ自体は、単なる物理的な音響信号でしかありません。

 下降音型が悲しみを表すとか、倚音には悲哀の感情があるといったようなことを言う人がいますが、客観的にはそのようなハーモニー・リズム・旋律と感情の関係性はないのです。作曲家が悲しみの感情を下降音階で表現した、とある人がそう解説(推測)しただけであって、その先入観がない人が聞けばなにもそこから悲しみは感じてこないのです。下降音型を使った音楽がみんな悲しい音楽ではないですね。確かに、短調の倚音(非和声音の一つ)はバッハからヴェルディのオペラまで悲哀の表現として定石のように言われていますが、悲哀感と関係なく一手法として使われることの方が多いのです。

つまるところ、音楽には純粋に、協和・不協和のハーモニーがある、美しい旋律が奏でられている、ノリの良いリズムである、といったように音楽は音楽でしかないという主張です。

 

じゃあ、「歌詞は音楽に含まれないのか!」という議論になりますね。

上述のように音楽の3要素として、ハーモニー・リズム・旋律の3つを持つものと紹介しましたが、文字・言語情報である歌詞やタイトルは音楽の定義の要素に入っていません。

音楽理論家のチャールズ・ローゼンによると「音楽は曖昧であって言語のように意思伝達には不向きである」と、また「一つの音楽要素に決まった意味をしつこく与えたがるのは音楽を言語と混同するところから起きる」と述べています。音楽は抽象的なものであって、具体的な感情などの意思伝達は歌詞などの言語情報でしか伝わらないことを述べています。そして下記のような警鐘も記しています「抽象音楽の要素に一定の情緒的意味をくっつけようとすれば失敗は目に見えている。和声、質感、リズムに応じていたるところで意味を変えていくからだ」。また、調性のもつ性格についての分析や言及についても全く無意味だと論じています。

以上の批判的な論からすると、音楽に感情が結びつくのは、やはり歌詞や作曲にまつわる背景などの情報と、私たちの築いてきた一種の経験則と学習によるものと考えられます。

つまり、短調のメロディに悲しさを感じるのは、これまで私たちが聞いた曲の歌詞が悲しい内容であったり、評論家の何某が「この悲しげなメロディは作曲家の家族の死の悲しみによって…」などのような解説が書かれたり、といった言語情報によって植え付けられた先入観なのでしょう。まして、バッハの器楽のように厳格な対位法で理論的に作曲された音楽から感情が読み取れるという説明は、客観的・理性的・科学的とは言えません。

 

参考文献

#音楽美論, エドゥアルド・ハンスリック, 岩波文庫, 1854/1960

#音楽と感情, チャールズ・ローゼン, みすず書房