2022信州旅シリーズ、第2回です^
今作は、1年ぶりの『いまさらですが』企画を兼ね、これまで当別荘で取り上げてなかった”お城”へ行ってみたいと思います
朝陽に輝くアルプスの残雪を背におく街、長野県松本市です
バイクを駐車場に置き、しばらく歩くと~
チラッと見えてきました、↑お濠のむこうに、松本城^
ご存じ、国宝の天守閣、このあと訪ねますが・
松本城へ行く前に、お城近くにある『もう一つの国宝』を訪ねます
松本城の北側にある、旧開智学校の校舎を見にいきます。
・が、しかし!
な、なんとこの日、耐震工事のため休館中!
内部見学は出来ませんでした
代りに、フェンスの周囲に↑”撮影スポット”の案内がありました
フェンスの隙間から、撮影させてもらいます^
↑開智学校 校舎です(※国宝)
1876(明治9)年築、もう150年経つとは思えない程の美しい洋館建てです。旧松本藩校の流れをくむ、教育県・長野の中でもきっての伝統校で、現在の松本深志高校/開智小学校の前身です
耐震工事は約3年の予定だそうなので、見学再開は2025年頃になりそうです・
旧開智学校の隣には、現開智小学校があります。校舎には↑開智学校の塔屋風にした尖頭部がつくられています^
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開智学校の隣に、もう一つ洋館があります
↑松本市旧司祭館です。(※長野県宝)
1889(明治22)年、松本カトリック教会の宣教師住居として建てられました。長野県最古の宣教師洋館との事
開智学校関係の展示もあるとの事で、入ってみます
早速目に入るのが、↑開智学校の模型
2階にも上がれます
住居だったとの事なので、いくつかの小部屋に分かれています
開智学校の工事中限定なのか常設なのかわかりませんが、2階にも開智関係の展示が
中でも興味深かったのが、戦前の「遠足」に関しての通知文
目的地やコースについて細かく告知されてるのは今の学校も同じと思いますが、面白かったのは『弁当』に関する注意
「握飯は小さなもの3~5個」かなり細かい指示、さらに「副食物は持たせぬ事」、おかず禁止とは厳しい
(※おにぎりの中に具を忍ばせればOKか^^笑)
"履物は草履可"、ティッシュではなく”鼻紙”に時代を感じます。
また、「曇り等で中止か実施かの問合せは、学校へ直接聞きに来る事。電話問合せは禁止」と、保護者にも厳しいw
1989(平成元)年に松本市に寄贈され、その後公開が始まりました。
後年の改装等が少なく、明治初期の洋館として貴重なものだそうです
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お待たせしました、これより松本城です
お城の入口前にもそば屋さんというのが、さすが信州w
当別荘、全国のお城を訪れてますが、なぜかこの全国屈指の名城、松本城がまだだったんです
別荘開始以前には僕何回も来てますが、今回初めて、ブログ用に意識しての訪問です^^
お濠のむこうに、優美な天守が見えています^
これまでの作で訪れてきた城は『山城』が多く、坂道をエッチラオッチラと登る場面が過去作おなじみの光景ですが、ここ松本城は『平城』、坂道一切無しで行ける、体にやさしい城ですw
チケットを購入し、有料区域内へ
お~
中は広々しています、その向こうにそびえる天守
やって参りました、松本城・天守です(※国宝)
↑松本市のゆるキャラ『アルプちゃん』も待ってますw
ここで、アルプちゃんに、松本城の解説をして頂きます^
ご存じ、国宝・松本城、江戸期以前から残る”本物の城”、現存十二天守の一つで、その中でも5つしか指定されていない『国宝五天守』でもあります
この”国宝五天守”のうち、当別荘では既に3城訪ねています。
松江城(vol.239)、犬山城(vol.209)、姫路城(vol.140 ※但し平成大修理取材として登城)を、各々過去作で取上げました(※末尾にリンク貼っておきます)
今作・松本城は、国宝天守で4城目の当別荘登場です。残る彦根城については、もうしばらく温存させて下さいw^^
そんな、貴重な松本城、一名”深志城”とも言われ、16世紀末頃に旧深志城が当地へ移転されたのが淵源とされます。国宝五天守中で最も古いともいわれます。
江戸期には、松平氏や戸田氏等、主に譜代側の藩主が入城しました(※明治期以降の変遷については、天守に登ってから^)
ではいよいよ、天守内を見学です^
耐震性やコロナ禍等の要因で登閣できる最大人数があり、↑でしばし並んでから脱靴して入ります(※天守前で再度チケット呈示を求められるので忘れずに)
この日はスムーズに入れました^
"本物の城"ならではの、はしごかと思う位の急な階段^
松本城では、↑その急な階段についての解説板があります(※他城ではなかなか見かけない掲示)
6層建です。各層には、↑全国のお城内定番、鎧兜等の展示が並びますが・
松本城展示の特徴として、↑銃砲に関する史料が比較的豊富な感じがしました
↑最上層は、これまたどこの天守でも定番、展望室となっています
窓外の眺望は、お濠のむこうに松本市街、そしてさらに奥にはアルプスの山並、爽やかな街並です
↑松本駅方向(※この後行きます)
展望層に架かっていた、↑国宝の指定書
しかし、松本城が今あるのは、地元の篤志ある方々の努力の賜物との事。ではここで、明治以降の同城の経過を簡単にたどります
・明治の廃城令により、この松本城も1872(明治5)年に競売に付されました。解体の危機にあった松本城を守ろうと、この時地元の篤志家が保存運動に立ち上がりました。
城掲示によると、市川量造ら地域の有力者が当時の筑摩県(※後述)に懇願し、城敷地を利用した博覧会を明治6~9年の3年間で計5回も開催、その収益で城を買い戻したとの事です
↑明治中期の同城(※城内にあった古写真)
この頃、城主不在となり、また観光化もまだされてなかった天守は劣化がすすみ、なんと傾きだした(!)との事
せっかく破却を免れた松本城が、再び消滅の危機に!
その時再度、地元の有力者たちは動きました。
「保存会」を結成、補修に着手。”明治の大修理”と呼ばれた補修工事は1913(大正2)年に完了。美しい天守が甦った成果は国も認めるところとなり、1930(昭和5)年、姫路城等とともに国宝に指定されたんです
その歴史を知ると、一層魅力に深みが出るような、国宝・松本城です
(※敷地は国史跡指定)
最近、どこのお城でもみかける『ご城印』ですが、↑松本城はなかなかセールス熱心な掲示w
『かさばらない!』『まちがいない記念!』・・おっしゃる通りです(笑)
しかも『松本城が全国最初との説』との文言も(ホントか?^^)
なかなかの魅力w
松本城ラストに、有料区域の外にある『二の丸御殿跡』を見ていきます
天守の東側に、”二の丸御殿”が建っていた空地があります。
ここに、巨大な御殿が建っていたそうです。
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ここで再度、有料区域内の↑写真を1枚載せますが、天守の前が広い空地でしたよね、これは『本丸御殿』の跡でした。
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↑二の丸御殿跡に戻ります。本丸御殿が1727(享保12)年に焼失した後、ここ二の丸御殿で松本藩の政務が行われたそうです(※本丸御殿は以降再建されなかった)
・そして明治維新後、廃藩置県によって誕生した筑摩県(※現在の長野県南部と岐阜県飛騨を県域とした)の県庁として利用されたそうです。しかし1876(明治9)年、ここ二の丸御殿も火災で全焼。
そして筑摩県も、その火災の直後、長野県と岐阜県へ分割併合され消滅。この時松本は、信濃政治の中心としての地位を終える事となったんです・
・しかし、ここで僕思ったのは、二つあった巨大な御殿が両方とも火災で焼けてしまったという残念な史実について。日本の文化財は木造建造物が多く、これまでも多くの貴重な文化財を火災で失ってきました。
1949(昭和24)年に奈良・法隆寺の金堂が火災。同年には北海道・松前城天守が、その翌年には京都・金閣寺が放火により焼失。戦後の混乱の中、相次いでかけがえのない国宝を失い、敗戦で多くを失った日本国民にさらなる衝撃を与えました。
これらを契機に『文化財防火デー』が制定され、また、戦前の国宝法を改正した文化財保護法も整備されたといいます(※同法制定によって、当別荘でも多数登場する「重要文化財」という用語が生まれた)
しかし近年でも、2019年の首里城焼失という非常にショッキングな出来事があり、心痛みました。木造文化財を守っていくには、戦災や自然災害も勿論ですが、日本の場合特に『火災』をいかに防ぐか、これが最も課題ですね・
いつまでも、松本のシンボル、そして日本のシンボルとして建ち続けてほしい、松本城をあとにします。いずれ耐震工事も行われるとの事なので、地震にも負けず頑張ってほしいです
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お城から駅まで、約1kmを歩いてみます
電柱が地下化され、見事に整備された街並
井戸水が湧き出している一角もあったりして、自然豊かな信州の一端を街中でも感じます
↑松本城の写真をドーンと壁一面に貼っているビルも
松本愛を感じます^^
JR松本駅に着いたんですが、↑駅からなにやら、インパクトある色あいのバスが出てきました
↑、多分、信州特産のリンゴをイメージした模様だと思うんですが、窓にまでくまなくラッピングされたその姿は、かなり強烈でした(笑)
↑駅前にあった三角柱のモニュメント△
「学都」「楽都」「岳都」と、音韻を揃えた松本市のキャッチフレーズが彫られています
駅ビルにおじゃましてみます
僕数年ぶりの松本駅でしたが、JR転換後にオープンした「MI DO RI」の各文字の独特の離れ具合も相変わらずでしたw
改札は3階、松本電鉄上高地線も併用しています
僕が行った時点では、松本電鉄の松本~渚間が、昨年の水害のため不通になっていました(※22.6.10復旧しました)
駅ビル入口に掲げられた、↑旧駅舎時代の銘板
(※現駅ビルは1978(昭和53)年に改築、その後2006年に現在の東西通路が完成し今の姿に)
前述の通り、旧筑摩県の県都だった松本、現在行政の中心は長野市へ移りましたが、今も交通・経済の要衝として日本の真ん中で存在感を放つ都市だと思います。余談ですが、新幹線は五輪があった長野市に敷かれましたが、長野県唯一の空港は、位置的にも県央の松本にあります
松本駅には東京/名古屋の双方から特急が毎時1本あり、リニアも飯田市付近を通る予定のため、リニア開業後も特に松本駅付近の在来線には影響なく、今後も松本駅の利便性は維持されると思われます
そろそろお昼なので、駅隣接の↑『小木曽製麺所』さんで昼食にします
立食店ですが味は一流、”製麺所”の店名に偽りなしで、自家製麵との事。本場の信州そばを美味しく頂きました^^
(※甲信越~関東にチェーン展開しているとの事)
(※回し者ではありません^^笑)
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午後、Wo号に跨り、松本の街を発ちます。国道254号で峠越えし、次の街、上田市を目指します^
今作ここまでです!
次作で2022信州旅、最終回です。次作では、またまたお城ですが^、上田城をまず少しご覧頂き、その後は上田を元気に走る私鉄、上田電鉄をご覧頂きます。お楽しみに^
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☆今作、珍しく容量にまだ余裕があるのでw、巻末リンク集をいつもより多く掲載します^^
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彦根城は~ Weit for futureです^^
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☆2007年6月にスタートした当別荘、今月で開設15周年を迎えました。愛読に御礼申し上げます