☆一昨年・
"20年に1度!姫路総社・三ツ山大祭"(13.4.29up)
☆去年~
"10年に1度!川崎大師・大開帳"(14.5.14up)
そして、今年も又、"○年に1度"の祭礼に行って参りました^
ご存じ・信州の名刹、長野・善光寺で、5月末(2015)まで、“7年に1回”という『御開帳』が、大々的に行われていました。
3年連続でこの種の伝統的大イベントを訪ねるご縁があったというのも僕自身初めての機会で、休みが取れたので、長野までバイクWo号を飛ばして行ってまいりました^
長野市中心部は駐車場が元々少ないため、御開帳期間中は郊外に臨時の駐車場が4か所設置され、そこから臨時シャトルバスで市街地へという『パーク&ライド方式』が採られています
信濃川の堤防をしばらく走り~
4か所ある臨時駐車場の中で収容台数が一番多い、『旧サンマリーンながの駐車場』に入りました
(※バイクもOK)
ここには昨年まで、その名の通り”サンマリーンながの”という大きな温水プールがあったそうです
駐車場⇔市街地を結ぶ↑臨時シャトルバスは、“長野でバスといえばこの会社”というアルピコ交通(※松本電鉄もここのグループ)と、長野電鉄バスの2社で担当しています。僕が乗ったのは往復ともアルピコでした
バスはいろんな営業所からかき集められてるので、便ごとに違ういろんなタイプが来るんですが、僕が乗ったのは↑車内は2列シートが並ぶ、比較的長距離な郊外線用に普段使われている車でした^
なお、ここの駐車料金は無料なんですが、シャトルバス運賃が往復400円必要で、“シャトル込みで駐車料400円”ともいえます(2015当時)
駐車場から約20分、バスは市街中心部へ入ると、突然「有難うございました」と降ろされますw
でも、突然降ろされたこの交差点は、善光寺へは”歩いて真っ直ぐ行くだけ”という、ベストポイントでした。さすがシャトルバスw
シャトルバス臨時発着場の新田交差点から、善光寺までは歩いて15分位です
事実上『善光寺表参道』となっているこの通り、街並はプチ門前町風に整備され、出店もあってイベント感満点の楽しい道です^
途中にあった↑広場(※普段はたぶん公園)で『日本一の門前町大縁日』という、ドデカイ名前^の企画をやっていました
いろんな店があったんですが、やはり信州だけあって、一番目立っていたのは”おやき”の店^
↑の大縁日をやってた広場の入口にあった、長野オリンピックを記念したモニュメント。五輪マークが今も誇らしげに、長野の街あちこちで見かけます^
ご存じの通り長野市は1998年、世紀の祭典・オリンピックを開催したという、他の地方都市とは一味違う輝かしい歴史を持っています。
それまでは地方の一県都だった長野市、五輪招致成功とともに大開発ラッシュに沸き、新幹線まで引き込んで日本有数の都市へ成長を遂げました
そして今再び、善光寺の大開帳で賑わいに沸く信州・長野
シダレ桜が美しく咲いていた参道の交差点(※行ったのは4月下旬)
郵便局もレトロなつくりになっています
↑のような“公共施設の外観を街並みに合わせる”光景、最近各地の街で見かけます^
市街中心部を巡回している、↑長野市のコミュニティバス
↑の色、上野とかで見かける"東西めぐりん"のバスと似てます^
善光寺の門がみえてきました
ちなみに、↑人々が歩いている足元の敷石は創建当時からのものだという事で、この参道そのものが国史跡に指定されています
境内に入るにあたり、最初にくぐるのが↑『仁王門』です。
現在のものは1918(大正7)年に再建されたとの事です
仁王門から内側は"仲見世"
浅草の仲見世と同じく凄い人出です
2つ目の門が、↑『山門』(※国重文)
1750(寛文3)年の建立との事です。
山門前には、↑鮮やかな筆致で、御開帳を告知する木札が掲げてあります。
山門をくぐると、本堂がドーンと構えて待っています。(※国宝)
善光寺は7世紀頃の創建といわれています(※同寺HPには644年とあります)が、草創期の詳しい史料は残っていないとの事です。
本堂の前に高々と立つ、↑1本の大きな木柱
『回向柱』です。
そして、↑写真では少しわかりにくいですが、回向柱と本堂との間にはロープによって結ばれています。
このロープ"善の綱"といい、本堂の中の前立本尊と繋がっています。
善光寺の本尊は、6世紀に日本へ仏教が伝来した際に百済からもたらされたという『一光三尊阿弥陀如来像』だそうなんですが、このご本尊は伝来以来約1500年間、1度たりとも公開されていない(!)という“秘仏中の秘仏”との事。
その本尊の"分身"としてつくられた"前立本尊"が、7年に1度公開されるというのが御開帳です。言い方を変えれば、”分身でさえ7年毎にしか公開されない”、まさに秘仏です
境内には沢山の参拝者に効率的に動いてもらうために、各伽藍や施設への順路を示した↑“御開帳用特設案内板”のカラーリングが大変見やすかったです
回向柱にも触れたし^、次はいよいよ、前立本尊さまを間近に拝むため本堂へ入る"内陣参拝"をします。
↑特設の券売所で、御開帳用参拝券を購入
、
本堂の前は、入口が↑3通りに分かれています
一番左が"御印文頂戴"、ご本尊の宝印を僧侶から額に押してもらえるという行事で、平年は正月の1週間だけ行われていますが、御開帳期間中は2か月間毎日頂戴できます^
真ん中は"外陣参拝"、本堂を半分弱程度まで中に入り参拝します(※無料)
そして右側が、これから入る"内陣参拝"(※有料)です
では、国宝の本堂内へおじゃまします。
平日でも2~3時間待ちはザラだそうですが、僕が行った日は1時間半位で本尊の前へ着きました^
本堂へ入り、↑扉のむこうへ・
しかし残念ながら本堂内は撮影禁止、内部の様子を文で書いてゆきます
本堂内に入ると、参拝券の改札を経て"コの字型にジグザグ"に進んで行く格好です。
ここで、昨年川崎大師の作で並んだ時との比較をしてみたいと思います。"待ち時間1時間半"というのは去年の大師の時とほぼ同じでした。大師さんには申し訳ないんですが、今年の善光寺のほうが待っている間は全然快適で有意義でした。
というのは、大師の時は外で長時間並んでから、さいごに堂内へ入り、本尊の前を一直線に進むかたちだったので、本尊が拝めたのはホント一瞬でした。
対して善光寺の場合は、本堂内に入ってからジグザグするので、待っている間に天井の文様等本堂内を観察でき、またジグザグの奥の端に来るたび、メインの参拝場所に着くまでにも、何回も本尊の姿が拝めます^
正式な参拝場所までたどり着くと、焼香台が用意してあり、ご本尊さんに直接お香を焚いて拝むことが出来ます。
善光寺といえば、本堂地下の真っ暗闇の回廊を手探りで探索する"お戒壇めぐり"も有名ですが、暗闇では写真ブログのネタにならないしw、これは平年でもやっていますので割愛します^
では次に、本堂の奥にある"忠霊殿"内の、史料館を見にいきます
↑が忠霊殿、先の大戦の犠牲者を祀るため、戦後建てられた慰霊塔です。
この地下に、史料館があります。
残念ながら内部は撮影禁止でしたが、2008年に来日した際同寺を訪問したダライ・ラマから贈られた砂曼荼羅や、小さな仏像等が展示されているほか、御開帳に合わせた特別展もやっていました。
忠霊殿横の裏庭にあった↑"親子牛の像"
森永乳業が寄付したものだそうです
“牛にひかれて善光寺参り”にちなむものでしょうか?w^
そろそろ帰途につこうとした時、僧侶の行列が・
貫主さんでしょうか、赤い傘をさしてもらった威厳あるお坊さんの姿がチラッとみえました。
ホントはここで御朱印帳をつくりたかったんですが、もう夕方なのに朱印授与所は1時間以上待ちという長蛇の列
駐車場へ戻るシャトルバスの最終が出る17時(※チト早め)が迫ってきたため、もう少しいたかったんですが、残念ながら善光寺をあとにします。
山門に掲げられていた↑”全国の善光寺分布図”
去る4月にupした作『あべのハルカス&四天王寺』で登場した大阪・四天王寺とともに、我が国で最も古いお寺、そして”宗派を超えた寺”として信仰を集め続けてきた善光寺
その信仰の広がりと共に、全国に"善光寺/新善光寺"等を名乗るお寺が数多く存在するようになり、1993(平成5)年より『全国善光寺会』として発足したそうです。
大阪の四天王寺とともに”無宗派”のお寺として、広く衆生を受け入れ信奉されてきた古刹、善光寺。
信州の山並と澄んだ空気の中で、爽やかな一日でした^
牛にひかれて、じゃなく後ろ髪ひかれ、参道を下りシャトルバスのりばへ向かいます
大混雑の善光寺でしたが、シャトルバスは最終便のわりには空いていて、サンマリーン駐車場へ戻ってみると既にほとんど車はなく、ガラガラの状態・
今年は、開通したての北陸新幹線に乗ってきた人が多かったの、かもです
Wo号に跨り、夕暮れの長野市郊外を走ります
道路沿いに時々現れる、五輪マークが入ったオリンピック時に造られた体育館やスタジアムが、この街の特別な歴史を静かに語っています
帰りは中央道で、更埴インターから帰京します
↑暗くてわかりにくいですが、ICのすぐ左側にはライバル・北陸新幹線の高架が走っています
写真ありませんが、帰途、高速からの姨捨や諏訪湖の夜景が美しかったです^
おかげさまで今月、当別荘は9年目に入りました。平素のご愛読感謝です^
(※2022.6 2024.7 文一部修正)