vol.239 ”神有月”の出雲 秋の島根① 松江城の昼と夜 竹島資料館他 | 旅ブログ Wo’s別荘

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 先月、島根県へ行って参りました虹

松江市・出雲市を中心に、3作シリーズでおおくりします。

”秋版・18切符”とも言える『鉄道の日乗り放題切符』を使って、行って参りました。よければお付合い下さい^グッド!



米子から国鉄型DCで着いたのは、JR山陰線・松江駅です電車

 

前述通り、”18キップ秋版”で来たんですが、都内→松江まで普通列車だけ乗り継いで、当日明るいうちに松江に着く事は出来ず、途中別料金で伯備線特急『やくも』の力も一部区間で借り、中国山地を越え、日本海側へやって来ました^あせる



松江駅の写真を撮っていると~



乗ろうと思っていた市内循環のバスが、↑駅前ロータリーに入ってきました。レトロ風な車体ですDASH!




近年、地方の観光地で採用されている車種で、後部に”展望立ち乗りスペース”が付いてますバス

乗ったこの路線も、主に観光客むけの系統なので、モニター画面には次停案内と共に、周辺の案内やその場所の昔の写真等も写し出されます^ひらめき電球



着いたのは、松江城前のバス停フラッグ

まずは松江市のランドマークとも言っていい名城、松江城へ行きます^グッド!

お城の入口前に立つ、↑初代城主・堀尾吉春像。

彼の右手が指し示している方角に、天守がありますグッド!

大手門跡から入ると、なにやらイベントをやってました。

 

行ったのは10月だったんですが、この時期の松江城は『松江水燈路』という夜のイベントが行われています。

今作のタイトルを”松江城の昼と夜”としたのは、水燈路を観るために、夜にもう一度訪れるからです^

丘の上に建つ天守へ、↑登ってゆきます右上矢印

松江城は、城門がほとんど残っていません。

↑から有料区域です。

この先に・

見えてきました、松江城天守です。

昨年、国宝に指定されました王冠1

明治以前の天守で、現在もその姿をとどめているものは12あり、

『現存十二天守』と呼ばれますが・

 

そのうち、姫路城など4城は戦後国宝に指定、『国宝四城』と言われてきました。国宝4城以外の8天守は、重要文化財に指定されました。

ツーリング作で過去訪れた高知城や丸岡城もこれにあたります。

松江城もその一つで、長らく重文だったんですが、地元の数十年来の運動が実り、2015年、国宝に格上げされ、『国宝五城』となりました星

では、天守内部を見学します^

5層からなる、大きな天守内部です。

これから順に昇っていきます右上矢印

1層には、古文書も多く展示してありました。

↑は明治の廃城令に基き松江藩庁が出した、『松江城廃城通知』

この通知文により天守以外の櫓や門等は全て取り壊され、建材として売却されました。

 

天守も、当時の金額180円(!)で売却寸前だったそうですが、保存を願う地元の篤志家が同額を国に納めて買い戻し、解体を免れたとの事ですキラキラ

当別荘でよく出る話、『明治期、篤志家が私財を投げ打って公益に尽くす』、松江にもありました^桜

全国どこの城も、階段といえば↑『はしごのような急傾斜の階段』

↑全国の天守内でみられる、歴史関係の展示も目

 

最上階まで昇ってきました。

その昔、殿様が見下ろしていた松江の街は~

↑な感じでした^

宍道湖もみえています波

大河ドラマ”真田丸”関連の展示もありました。

↑の軍扇は、大阪夏の陣で真田幸村から、敵であった松平直政の若武者ぶりに「敵ながらあっぱれ」と投げ与えたものだそうです^

でもなぜそれが、今松江城にあるのかは謎ですが^

昇る時より降りる時がコワい、↑城の階段w

天守から地上におりてくると・

これまた全国の城で近年やってますが、↑鎧兜の武者がいました^

夜の水燈路イベントにそなえ、↑ランタンが配線されて準備してありますひらめき電球

(※水燈路は作後半でご覧頂きます)

 

1611年築城、山陰地方唯一の現存天守です。

この度、見事国宝の座を射止めた、松江城です^

 

なお写真割愛しますが、天守内には松江市街のミニチュアジオラマが3種類もありました(※江戸期・1959年・1975年の各々につくったものだそうです)

各地の城にはその街のジオラマが大体1つくらいは展示してますが、3種あるのを見たのは松江が初めてでしたw

 

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・夜の水燈路の時間まで、松江市内を少し街ブラしてみます走る人

松江城の隣は、島根県庁です。

その県庁の別館に、↑『竹島資料室』の看板を見つけました目

寄ってみます。

別館の前にあった、たぶん日本唯一の↑”竹島自販機”

そんなに大規模ではないものの、ツボを押さえた展示をしていました。

↑竹島の模型、触って地形を実感する事が出来ます。

竹島は、海底から岩山がいきなり突き出したような急峻な地形で、人が住める平地はありません。2つの主島(※男島/女島)と、周囲の小岩礁から成っています。

ご存知の通り、現在韓国が占領し、実効支配しています。

 

なぜ島根県がこの資料室を設けているのかは、竹島は同県の隠岐の島からさらに北へ150kmの日本海上にあり、島根県に属しているからです。北方領土と同様、我が国は日本領だとして返還を求めています。

展示室内には、我が国明治以来の、竹島統治の実態や根拠を示す様々な資料をみる事が出来ますクリップ

 

竹島や、韓国領の鬱陵島では、江戸時代から日本人が漁労のため上陸利用していました。明治になってからはアシカ漁が盛んになったそうです。

1905(明治38)年、漁業の秩序維持のため、隠岐の漁師が無主地だった竹島の領土編入と貸下げを国に願い出、それを受け政府は、竹島の領有を閣議決定して島根県に編入しました。

この史実が、我が国の領有根拠となっています。

 

しかし、第2次大戦敗戦後、韓国は日本海上に”李承晩ライン”を設定、竹島を取り込んでしまいました(※韓国名・独島)

 

その後韓国は、竹島に灯台やヘリポートを設置し、軍を常駐させて実効支配。近年では、鬱陵島との間で観光船を就航、一般人も上陸させています(※日本人はこの観光船ルートで竹島へ行かないよう、外務省から勧告が出ています)

 

夏の北海道ツーリングの作では北方領土をご覧頂きましたが、この島根にも、領土問題が厳然として存在します。海に囲まれた日本、その海のむこうには厳しい国際社会があるという、日本の現実を思い知らされた一時でした。

 

・見学していると、係の女性が「ようこそお越し」と、竹島ボールペンをくれました^^女の子

 

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つづいて街中へ男の子

当地の方言で「有難う」の”だんだん”の字も見えますカメ

中心部の↑”京店通り”、落ち着いた雰囲気です^

京店の横を流れる↑堀川は、遊覧船もあって、中海と宍道湖に挟まれた”水の都・松江”を楽しめますうお座

京店の一角にある広場には~

後ろ姿の人物像が埋め込まれています。

↑この人物、松江ゆかりの作家、ご存じ・小泉八雲(※ラフカディオ・ハーン)です本

街中で、↑なポスト見つけました。”松江城黒ポスト”ですポスト

県都としての整然たる姿と、歴史の都としての美しい姿の両方の魅力を持つ山陰一の都市、松江市の魅力を感じましたキラキラ

 

又、松江きっての光景といえば”宍道湖に沈む夕日”もあるんですが、これはシリーズ最終回に掲載します。お楽しみに^虹

 

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では後半・夜の部^^です星空

『松江水燈路』へ行きます。

再び松江城へむかいます・満月

 

松江・10月恒例のイベント”水燈路”

お城とその周辺で手づくりのランタンを灯し、光の競演を目で楽しむイベントですお月見

堀尾公の像も↑ライトアップされ、昼間と又違った雰囲気です^

天守に登る石段もいい感じ・・星空

地元の小学生や、地域の方々等が手書きでつくった灯が、

↑数え切れない程灯っています^

島根出身や在住の画家等アーティストも参加していて、芸術性も持たせていますアート

作品の後ろには、↑天守もライトアップされ輝いています^

 

・当別荘では過去作で、これと似たイベントを取り上げた事があります。2009年8月、『なら燈火会』という作をupしています(vol.56)

奈良市では夏に、街中に燈火を置いて光の夜を楽しむイベントがあり、久々にそれを思い出しましたおうし座

燈火のうしろに、↑鮮やかにライトアップされた洋館が見えます目

これ昼間見学してなかったので、行ってみますしっぽフリフリ

この洋館、『興雲閣』といい、現地看板によると1903(明治36)年に松江市が、明治天皇の行幸の際の行在所として建てられたものだとの事です(※松江は、1889年の市町村制施行時から市だった)

 

しかし、せっかく建てたのに明治天皇の行幸は実現せずあせる、大正天皇が皇太子の時に来訪し、使用されたそうです。

 

その後”松江市工芸品陳列所”として各種見本市や会合に使用され(※原爆ドームの現役時代と似た役割をしていた)、1973年から2011年までは”松江郷土館”という博物館として使われたとの事。

 

郷土館が城外に移転後、保存修理工事のため一時閉鎖、昨年(2015)に完成・再公開したばかりだそうです^クラッカー

水燈路期間中は特別に夜間開館しています。

入ってみますあし

前述の通り、長年見本市会場や博物館として使われたため、多少改造されていたそうですが、今回の保存修理により、原型に近い姿に復元されたとの事星

1Fでは、昔の松江の写真展をやっていましたカメラ

この写真展、↑の通り明治~昭和を5期に分け、なんと1年2か月に亘って開催される超大型企画だそうですまじかるクラウン

この日は明治期の写真集でしたが、

↑写真は、山陰線が松江駅まで開通した時の記念式典の様子。

大勢の人が集まり、日の丸がはためいているのがわかります。

僕思うんですが、明治期の鉄道開通式って、大抵↑のような”アーチゲート”がつくってありますね^

つづいて2Fへ~

2Fは大広間、広々しています。

↑広間奥に、小さなドアが3つ開いているのがわかるでしょうか・

ドアの奥は、↑貴顕室(※きけんしつ)と呼ばれた貴賓室です。

 

前述の通り、明治天皇を迎えるためにつくられ、実際には大正天皇が皇太子時代に使用されました。3つの小部屋に分かれています。↑は真ん中の小部屋で、客人との会見に使われたそうです。

向かって左側が、↑御座所です。

つくりが面白かったのが、↑右側の寝室。

なんと、洋館に畳敷き^

なのにカーテンは、コテコテの洋風で、↑畳にまで垂れ下がっていますニコニコ

当時流行の、和洋折衷からくる流れなのでしょうかw

ベランダから、水燈路会場を見下ろします目

たまたま10月訪れたおかげで、”松江の特別な夜”を楽しめました^

 

飲食コーナーは、沢山の人波で盛り上がっています。松江の夜は熱かったですwメラメラ

イベント広場で、↑「秋田の竿灯がはるばる来てるのかな?」と思ったんですが、これはお隣鳥取・米子市の『がいな祭』で行われる、”万灯”と呼ばれるものです。

 

ご覧の通り、秋田の竿燈とそっくりですが、この祭は、米子の自衛隊が秋田竿燈に参加する機会があり、それを米子でもやろうと始めたのが始まりだそうです。

しかし当初、本家の秋田からクレームもついたとの事で、現在は、秋田から付いたいくつかの諸条件を守る事を前提に、開催されているとの事です。

賑やかに更けてゆく山陰の雄都・松江の夜でした^お月様

今作ここまでです!

次作・第2回は、島根県もう一つの主要都市・出雲市を訪れます。

出雲市といえば、勿論アノ神社を訪ねます。又、次作以降では少し鉄分も入れていきます電車

お楽しみに^^パー

 

 

 

(※2023.5 文一部修正)