先月、島根県へ行って参りました
松江市・出雲市を中心に、3作シリーズでおおくりします。
”秋版・18切符”とも言える『鉄道の日乗り放題切符』を使って、行って参りました。よければお付合い下さい^
前述通り、”18キップ秋版”で来たんですが、都内→松江まで普通列車だけ乗り継いで、当日明るいうちに松江に着く事は出来ず、途中別料金で伯備線特急『やくも』の力も一部区間で借り、中国山地を越え、日本海側へやって来ました^
乗ろうと思っていた市内循環のバスが、↑駅前ロータリーに入ってきました。レトロ風な車体です
近年、地方の観光地で採用されている車種で、後部に”展望立ち乗りスペース”が付いてます
乗ったこの路線も、主に観光客むけの系統なので、モニター画面には次停案内と共に、周辺の案内やその場所の昔の写真等も写し出されます^
まずは松江市のランドマークとも言っていい名城、松江城へ行きます^
お城の入口前に立つ、↑初代城主・堀尾吉春像。
彼の右手が指し示している方角に、天守があります
大手門跡から入ると、なにやらイベントをやってました。
行ったのは10月だったんですが、この時期の松江城は『松江水燈路』という夜のイベントが行われています。
今作のタイトルを”松江城の昼と夜”としたのは、水燈路を観るために、夜にもう一度訪れるからです^
丘の上に建つ天守へ、↑登ってゆきます
松江城は、城門がほとんど残っていません。
↑から有料区域です。
この先に・
見えてきました、松江城天守です。
昨年、国宝に指定されました
明治以前の天守で、現在もその姿をとどめているものは12あり、
『現存十二天守』と呼ばれますが・
そのうち、姫路城など4城は戦後国宝に指定、『国宝四城』と言われてきました。国宝4城以外の8天守は、重要文化財に指定されました。
ツーリング作で過去訪れた高知城や丸岡城もこれにあたります。
松江城もその一つで、長らく重文だったんですが、地元の数十年来の運動が実り、2015年、国宝に格上げされ、『国宝五城』となりました
では、天守内部を見学します^
5層からなる、大きな天守内部です。
これから順に昇っていきます
1層には、古文書も多く展示してありました。
↑は明治の廃城令に基き松江藩庁が出した、『松江城廃城通知』
この通知文により天守以外の櫓や門等は全て取り壊され、建材として売却されました。
天守も、当時の金額180円(!)で売却寸前だったそうですが、保存を願う地元の篤志家が同額を国に納めて買い戻し、解体を免れたとの事です
当別荘でよく出る話、『明治期、篤志家が私財を投げ打って公益に尽くす』、松江にもありました^
全国どこの城も、階段といえば↑『はしごのような急傾斜の階段』
↑全国の天守内でみられる、歴史関係の展示も
最上階まで昇ってきました。
その昔、殿様が見下ろしていた松江の街は~
↑な感じでした^
宍道湖もみえています
大河ドラマ”真田丸”関連の展示もありました。
↑の軍扇は、大阪夏の陣で真田幸村から、敵であった松平直政の若武者ぶりに「敵ながらあっぱれ」と投げ与えたものだそうです^
でもなぜそれが、今松江城にあるのかは謎ですが^
昇る時より降りる時がコワい、↑城の階段w
天守から地上におりてくると・
これまた全国の城で近年やってますが、↑鎧兜の武者がいました^
夜の水燈路イベントにそなえ、↑ランタンが配線されて準備してあります
(※水燈路は作後半でご覧頂きます)
1611年築城、山陰地方唯一の現存天守です。
この度、見事国宝の座を射止めた、松江城です^
なお写真割愛しますが、天守内には松江市街のミニチュアジオラマが3種類もありました(※江戸期・1959年・1975年の各々につくったものだそうです)
各地の城にはその街のジオラマが大体1つくらいは展示してますが、3種あるのを見たのは松江が初めてでしたw
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・夜の水燈路の時間まで、松江市内を少し街ブラしてみます
松江城の隣は、島根県庁です。
その県庁の別館に、↑『竹島資料室』の看板を見つけました
寄ってみます。
別館の前にあった、たぶん日本唯一の↑”竹島自販機”
そんなに大規模ではないものの、ツボを押さえた展示をしていました。
↑竹島の模型、触って地形を実感する事が出来ます。
竹島は、海底から岩山がいきなり突き出したような急峻な地形で、人が住める平地はありません。2つの主島(※男島/女島)と、周囲の小岩礁から成っています。
ご存知の通り、現在韓国が占領し、実効支配しています。
なぜ島根県がこの資料室を設けているのかは、竹島は同県の隠岐の島からさらに北へ150kmの日本海上にあり、島根県に属しているからです。北方領土と同様、我が国は日本領だとして返還を求めています。
展示室内には、我が国明治以来の、竹島統治の実態や根拠を示す様々な資料をみる事が出来ます
竹島や、韓国領の鬱陵島では、江戸時代から日本人が漁労のため上陸利用していました。明治になってからはアシカ漁が盛んになったそうです。
1905(明治38)年、漁業の秩序維持のため、隠岐の漁師が無主地だった竹島の領土編入と貸下げを国に願い出、それを受け政府は、竹島の領有を閣議決定して島根県に編入しました。
この史実が、我が国の領有根拠となっています。
しかし、第2次大戦敗戦後、韓国は日本海上に”李承晩ライン”を設定、竹島を取り込んでしまいました(※韓国名・独島)
その後韓国は、竹島に灯台やヘリポートを設置し、軍を常駐させて実効支配。近年では、鬱陵島との間で観光船を就航、一般人も上陸させています(※日本人はこの観光船ルートで竹島へ行かないよう、外務省から勧告が出ています)
夏の北海道ツーリングの作では北方領土をご覧頂きましたが、この島根にも、領土問題が厳然として存在します。海に囲まれた日本、その海のむこうには厳しい国際社会があるという、日本の現実を思い知らされた一時でした。
・見学していると、係の女性が「ようこそお越し」と、竹島ボールペンをくれました^^
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つづいて街中へ
当地の方言で「有難う」の”だんだん”の字も見えます
中心部の↑”京店通り”、落ち着いた雰囲気です^
京店の横を流れる↑堀川は、遊覧船もあって、中海と宍道湖に挟まれた”水の都・松江”を楽しめます
京店の一角にある広場には~
後ろ姿の人物像が埋め込まれています。
↑この人物、松江ゆかりの作家、ご存じ・小泉八雲(※ラフカディオ・ハーン)です
街中で、↑なポスト見つけました。”松江城黒ポスト”です
県都としての整然たる姿と、歴史の都としての美しい姿の両方の魅力を持つ山陰一の都市、松江市の魅力を感じました
又、松江きっての光景といえば”宍道湖に沈む夕日”もあるんですが、これはシリーズ最終回に掲載します。お楽しみに^
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では後半・夜の部^^です
『松江水燈路』へ行きます。
再び松江城へむかいます・
松江・10月恒例のイベント”水燈路”
お城とその周辺で手づくりのランタンを灯し、光の競演を目で楽しむイベントです
堀尾公の像も↑ライトアップされ、昼間と又違った雰囲気です^
天守に登る石段もいい感じ・・
地元の小学生や、地域の方々等が手書きでつくった灯が、
↑数え切れない程灯っています^
島根出身や在住の画家等アーティストも参加していて、芸術性も持たせています
作品の後ろには、↑天守もライトアップされ輝いています^
・当別荘では過去作で、これと似たイベントを取り上げた事があります。2009年8月、『なら燈火会』という作をupしています(vol.56)
奈良市では夏に、街中に燈火を置いて光の夜を楽しむイベントがあり、久々にそれを思い出しました
燈火のうしろに、↑鮮やかにライトアップされた洋館が見えます
これ昼間見学してなかったので、行ってみます
この洋館、『興雲閣』といい、現地看板によると1903(明治36)年に松江市が、明治天皇の行幸の際の行在所として建てられたものだとの事です(※松江は、1889年の市町村制施行時から市だった)
しかし、せっかく建てたのに明治天皇の行幸は実現せず、大正天皇が皇太子の時に来訪し、使用されたそうです。
その後”松江市工芸品陳列所”として各種見本市や会合に使用され(※原爆ドームの現役時代と似た役割をしていた)、1973年から2011年までは”松江郷土館”という博物館として使われたとの事。
郷土館が城外に移転後、保存修理工事のため一時閉鎖、昨年(2015)に完成・再公開したばかりだそうです^
水燈路期間中は特別に夜間開館しています。
入ってみます
前述の通り、長年見本市会場や博物館として使われたため、多少改造されていたそうですが、今回の保存修理により、原型に近い姿に復元されたとの事
1Fでは、昔の松江の写真展をやっていました
この写真展、↑の通り明治~昭和を5期に分け、なんと1年2か月に亘って開催される超大型企画だそうです
この日は明治期の写真集でしたが、
↑写真は、山陰線が松江駅まで開通した時の記念式典の様子。
大勢の人が集まり、日の丸がはためいているのがわかります。
僕思うんですが、明治期の鉄道開通式って、大抵↑のような”アーチゲート”がつくってありますね^
つづいて2Fへ~
2Fは大広間、広々しています。
↑広間奥に、小さなドアが3つ開いているのがわかるでしょうか・
ドアの奥は、↑貴顕室(※きけんしつ)と呼ばれた貴賓室です。
前述の通り、明治天皇を迎えるためにつくられ、実際には大正天皇が皇太子時代に使用されました。3つの小部屋に分かれています。↑は真ん中の小部屋で、客人との会見に使われたそうです。
向かって左側が、↑御座所です。
つくりが面白かったのが、↑右側の寝室。
なんと、洋館に畳敷き^
なのにカーテンは、コテコテの洋風で、↑畳にまで垂れ下がっています
当時流行の、和洋折衷からくる流れなのでしょうかw
ベランダから、水燈路会場を見下ろします
たまたま10月訪れたおかげで、”松江の特別な夜”を楽しめました^
飲食コーナーは、沢山の人波で盛り上がっています。松江の夜は熱かったですw
イベント広場で、↑「秋田の竿灯がはるばる来てるのかな?」と思ったんですが、これはお隣鳥取・米子市の『がいな祭』で行われる、”万灯”と呼ばれるものです。
ご覧の通り、秋田の竿燈とそっくりですが、この祭は、米子の自衛隊が秋田竿燈に参加する機会があり、それを米子でもやろうと始めたのが始まりだそうです。
しかし当初、本家の秋田からクレームもついたとの事で、現在は、秋田から付いたいくつかの諸条件を守る事を前提に、開催されているとの事です。
賑やかに更けてゆく山陰の雄都・松江の夜でした^
今作ここまでです!
次作・第2回は、島根県もう一つの主要都市・出雲市を訪れます。
出雲市といえば、勿論アノ神社を訪ねます。又、次作以降では少し鉄分も入れていきます
お楽しみに^^
(※2023.5 文一部修正)