おととし金沢まで延伸開通した北陸(長野)新幹線
現在のところ、集客や観光客数は終着・金沢駅の"ひとり勝ち"の様相で、途中駅各駅はけっこう苦戦してる感じですが、その中でも最もマイナーというか、注目度やメディアへの露出が最も少な目なのが、僕は"飯山駅"かなぁと感じるんです
しかし、当別荘の方針としてw、そういう街こそ是非訪れたい街です^^
前々作のバスブラで新潟を訪ねましたが、実はその翌日、新潟から長岡・越後川口経由で飯山線に乗り、僕は飯山へと向かっていました
行ったのは4月上旬でしたが、まだ雪景色が広がっていた↑飯山線の車窓^
久々に雪景色に心も真っ白になります(?)
越後川口駅から飯山線で約2時間半(!)、飯山駅到着
飯山線、長野~越後川口を結ぶ単線非電化の長大ローカル線ですが、↑のディーゼルカーのうしろ、わかりにくい写真ですが長々とした駅舎があります。
あれは・^
北陸新幹線の飯山駅です
長野駅から金沢への延伸開通部、長野駅から乗れば最初の途中駅が飯山駅です。
『かがやき』等の速達タイプの列車は全て通過するため、乗客は少な目な飯山駅ですが、駅舎はなかなか立派です^
駅構内にはコンビニや駅そば屋さんもあり、閑散としながらもさすがは新幹線の駅という感じです^
特にこの駅らしいなぁと思ったのは、通常の観光案内所とは別に、アウトドアライフ専用の観光案内所もあるという事
(※通常の観光案内所も充実しています^)
飯山周辺には、斑尾高原を始め我が国有数のスキー場や高原が多くあり、山関係レジャーへのゲートシティともなっています
実は僕、一昨年に別荘取材関係なしに、この飯山線を長野から越後川口まで乗り通していました。その際にも飯山駅に途中下車し、その時↑のパンフを手に入れてたんです。
このパンフを読んで、初めて飯山が寺の街だという事を知り、その後訪れた新潟市のBRT(※前々作のバスブラ)とともに、2年越しに今作の企画を温めていましたw
外から見た、↑新幹線飯山駅
人口2万余の飯山市に新幹線の駅(!)が出来た理由ですが、やはり飯山の『地の利』にあると思います。
たまたま北陸新幹線のルート上に位置し、しかも在来線とのクロス地点にあった飯山市、ラッキーというかタナボタというかwですが、でも運も能力のうち(笑)、このラッキーな駅設置を活かし、北信濃観光の拠点を目指す飯山市の意気込みはなかなかのものと、駅を訪ねた限り感じました^
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・では、前出のパンフを頼りに、飯山市の寺巡りへと出発したいと思います^
>但し、今回の街ブラには『時間制限』があるんです。
次の越後川口行が来るまでの約2時間半がリミットです。
その間に、何ヵ寺廻れるかw
早速スタートします
駅から歩き始めてすぐ、↑真新しい鐘楼と山門のようなものが見えてきました。これは・・
”仁王門”の中には、ツヤツヤっと黒光りする仁王さんが仁王立ち^
現地看板によると、この仁王さんはなんと元々、長野市の善光寺にあったもので、おととし当別荘でも御開帳の時善光寺を訪ねましたが(vol.197)、この仁王像は1912(明治45)年の御開帳の時に造られ、善光寺に納められたものだそうです。
御開帳の後、しばらくは善光寺近隣の寺院の軒下に解体・分解された状態で放置されていたとの事で、その後、1936(昭和11)年それを見かねた長野市内の別のお寺が引き取り、修復・安置していたそうです。
・時は流れ2011(平成23)年、縁あって飯山市が譲り受け、地元の仏壇店組合で黒光りする美しい姿に修復、新しい仁王門の中で『寺の街』のシンボルとして展示する事になったそうです
その『仏壇店組合』ですが、飯山の街を歩くとあちこちに仏壇屋さんを多く見かけます。飯山の地場産業だという事です。
こういうところも『寺の街』の一端です
仁王門公園の横には、↑SLが静態保存されていました。
C56型ですが、現地看板によると"飯山機関区に配属"とありました。国鉄時代には飯山に機関区があったようです。
現在の飯山線飯山駅は、辛うじて上下線が離合出来る線路2本しかなく、機関区があった面影は残っていません。昔日の飯山線の賑わいを偲ばせます
ここからいよいよ”お寺密集地域”に入ります^
↑のような案内板が市内各所にあるので、パンフや地図無でも充分廻れます
飯山駅から東の方向に、↑飯山線の線路沿いを歩いてゆくと~
線路のむこうにお寺が見えてきました^
まずは1ヵ寺目、西敬寺(※真宗大谷派)から
親鸞の直弟子が1255年、現在の更埴市で開基し、その後飯山へ移ってきたとの事。寺内には長野県宝の聖徳太子像があるとの事です。
次、2ヵ寺目は・
数ある飯山の寺の中でもひときわ味わい深いと言われる『正受庵』へ
ちょっと坂を登ったところにあるようです
お~
ありました、↑の苔むした藁葺き屋根の、一見農家のような佇まいが2ヵ寺目、正受庵(※臨済宗)です
残雪と藁ぶき屋根、よくマッチする光景です^
寺名の由来になった名僧・正受は、アノ真田幸村の兄の子だとの事です・
正受庵から見下ろす飯山の街^
再び飯山旧市街のメイン通り、雁木通りに出ます
別名「仏壇通り」とも言うそうですが、主にこの通り沿いに寺巡りコースのお寺が集中しています^^
そして早速、↑3ヵ寺目、慶宗寺の看板が見えます。
お寺自身が出している案内板以外に、雁木通り等には観光協会(?)が設置した寺名看板があり、廻りやすいです
小さめで素朴な本堂、3ヵ寺目、慶宗寺(※浄土宗)です
1620年、織田信長の家臣の子が開基したと伝わるそうです。
お住まいも兼ねていると見受け、除雪機械が玄関前に置かれているのも雪国らしいです^
雁木通りの北側には↑のような遊歩道も整備されていて、パンフ掲載の寺巡りが効率良く出来るようになっています^
・次は、雁木通りから少し南におりたところ、4ヵ寺目「大輪院」です。
野仏さんが見守る、住宅地を入ってゆくと・
ありました、4ヵ寺目、大輪院(※真言宗)です
玄関前にドーンと自家用車w、こちらもお住まいを兼ねていると思われます。
"人生はマラソンである"、"人生は勝負である"と刻まれた↑石碑、お寺にしてはなかなか現実的な処世訓を石碑に刻んでいますw^^
再び雁木通り、仏壇屋さんが増えてきます^
商店街には、↑雪国仕様の歩道屋根がついています
僕のすきな丸型郵便ポストをよく見かけるのも飯山の特長^
雁木通りの山側へ
5ヵ寺目、忠恩寺(※浄土宗)がありました
このお寺はあまり生活色はなくw、静かな佇まいです^
松平家・本多家の菩提寺だったとの事で、ここの本尊・阿弥陀如来像は徳川家から拝領したものだとの事。武家とのゆかりが深い寺のようです。
そして、その忠恩寺のすぐ隣にあるのが・
6ヵ寺目、妙専寺(※真宗本願寺派)ですが、除雪がまだのようで近づけませんでした・
このお寺密集地帯の中に、『お休み処・奥信濃』があったんですが、残念ながらまだ冬季休業中でした
ここはシーズン中観光案内や休憩が出来るほか、戸隠のお寺から譲り受けた不動明王や、”純金極楽トイレ”(!)があるとの事です
(※件のパンフが推奨している寺巡りの時期は4月中旬~11月中旬で、僕が行ったときは少し早かった)
次は山すそにあるちょっと近代的な本堂^
7ヵ寺目、光蓮寺(※真宗本願寺派)です
雁木通りを挟んで登ったり下りたり、かなり健脚向けの寺巡りですw
信州の山懐に包まれた、静寂な祈りの街、飯山です
さて次は(※まだまだいきますw)、8ヵ寺目、常福寺(※曹洞宗)
この飯山のお寺のうち、7ヵ寺が『いいやま七福神めぐり』のコース寺となっていて、この常福寺は↑大黒天さんの担当になってます^
立派な山門と本堂、飯山藩主・佐久間備前守の庇護が厚く、寺領も与えられていたといいます。
アップダウンが多い上、時間も気にしながらの街ブラとなったので、かなり疲れました(笑汗)
そして9ヵ寺目、西念寺(※真宗大谷派)におじゃまします
ここも石段の除雪がまだで、↑本堂へは近づけません
でも、シーズン前のこんな光景も、雪深い信州の冬らしく、なかなかよいと思いました
そして、西念寺から次のお寺へむかう歩道が一番残雪が多くかなり危ない箇所もあり、特にご高齢のかたは前述の推奨シーズン中に行ったほうが良いと思います^
その途中、伊勢神社という小さな社がありましたが、↑雪と枯れ枝が多くて近づけず、また件の寺巡りパンフにも載ってないので詳細は不明です
なんとか雪で滑らずにw、次のお寺へ到着
↑『本光精舎』の額が掲げられた本堂。
10ヵ寺目、本光寺(※日蓮宗)です
・後程、ラストに飯山城址へ行きますが、その飯山城を築いた岩井備中守信能が、元の居城・山口城から七面大明神をここ飯山に遷座したのが同寺の始まりといわれています
爽やかな信州の空気を吸いながら、寺の街・飯山を満喫しました
次は、ちょっとこじんまりしたお寺^
先程の6ヵ寺目に”妙専寺”がありましたが、11ヵ寺目のここも同じ名の『妙専寺』です(※真宗大谷派)
雁木通りからだいぶ外れてきました。お店も減り、郊外の光景となってきましたが、↑12ヵ寺目に訪ねる大聖寺があります
立派な、しかも真新しい、寺名を刻んだ碑
山門や石段もきれいに整備されており、これまで訪ねた中では一番大規模かも^
本堂もカッチリしてて立派でした。
12ヵ寺目、大聖寺です(※曹洞宗)
・実は、冒頭紹介の「寺巡りパンフ」には23ヵ寺&1神社が載っています。そのうち約半分の12ヵ寺をご覧いただいてきたんですが、冒頭の通り『時間制限』がある今回の街ブラ、そのタイムアップが近づいてきました
名残惜しいですがお寺はここまでにして、ラストに、飯山城址へ向かいます
又々、↑丸型ポスト見つけました。しかも愛好団体認定w
飯山線の線路を渡り、お寺密集地帯とは反対の、街の南側へ
小高くなってきた所に、↑城址の看板がありました
↑再建したと思われる城門が、残雪のむこうに
かつて飯山城には、15ヵ所もの門があったとの事ですが、明治の廃城令で天守ともども全て取り壊され、一部寺や民家等に移設したものもあります(※うち4門が移設先で現存している)
しかし大半の門は、解体され建材として払い下げられました。
↑の門は、飯山市内でその払い下げ建材を使用していた民家のものを譲り受けて一部使用している、いわば"一部復元の門"なんです(※現地看板による)
その城門の奥に↑市立の武道場があるんですが、そこには~
建物の脇に、かつての門の一つ『南中門』跡の礎石が保存されていました
天守があった、丘の上に登ってみます
天守跡には・
当別荘過去作では各地の城跡を訪ねてきましたが、そのご多聞に漏れず、ここも跡地に神社ができていました。
葵神社といいます。
天守跡に掲げられていた、在りし日の城内見取り図
平山城ですが、かなりの規模だったことが窺えます。
14世紀頃の築と言われますが、建築時の詳しい史料は残っていないとの事です。
数々のお寺が集まり、城跡もある、歴史の街、飯山です^
時間制限ギリギリになりました。
城址から近い飯山駅の隣駅、北飯山駅から帰途につく事にします
無人駅ですが券売機があり、また訪問者の落書き帖もありました。
地元の高校生が何人か列車を待っていました
越後川口駅への列車が入ってきました
2時間半一本勝負w、飯山街ブラ、終了です
車窓から遠ざかる雪景色、飯山線を満喫し、上越新幹線に乗換えて帰京します
信州に数ある街ですが、飯山も見所豊富な街でした。しかも観光客は少な目なので、静かな雰囲気で街ブラが楽しめる街です。
今作では12ヵ寺をやや慌ただしく廻りましたが、この街の歴史をもっと掘り下げれば、更なる歴史のロマンに浸れること間違いなしです^
長野県飯山市、訪ねてみて下さい^
(※2022.6 文リニューアル)