vol.209 中濃・犬山ツーリング(3・終)中濃のむこう岸~国宝犬山城を訪ねる | 旅ブログ Wo’s別荘

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中濃ツーリング、今作で最終回となりますが、タイトルには第1回の当初から"中濃・犬山ツーリング"としていました。
という事は、前作で予告した名城とは・
言わずもがな、犬山城です^グッド!

濃尾平野を東西に横切る↑国道21号を走っています。
途中、岐阜市付近ではバイパスとなり、各務原市内では東海北陸道と接続しますが、さらに東へ走ると・

JR/名鉄の鵜沼駅付近から南へ入ると、岐阜・愛知県境を流れる木曽川に架かる、犬山橋に出ます。
ここ、道路橋と名鉄小牧線の鉄橋が隣接している、鉄ちゃんには撮影ポイントとして有名な橋ですみずがめ座

橋を渡ると、愛知県犬山市ですしっぽフリフリ

名鉄電車が、かなり頻繁に通過していきます電車

この犬山橋から撮影できるポイントは、名鉄鉄橋だけではありません。鉄橋の反対側に見える、川淵にポツンと立つお城は、
国宝・犬山城ですキラキラ

周辺に3ヶ所駐車場がありますが、休日は混雑して早々に満車の場合も多いとの事。
電車で行くなら名鉄小牧線・犬山遊園駅下車です車

駐車場脇のベンチで、散歩中休憩していた“犬山の犬”wわんわん

この前日は各務原市内に泊り、朝まだ犬山城オープン前だったので、少し城下町を散策してみます。
近頃少なくなってきた↑”昭和の店構え”のおみやげ屋さんも健在ですプレゼント

明治維新後、廃城令によって城の建物が破却された跡地の土地活用として、神社が建てられるという例が全国的に多くみられますが、この犬山城も例外でなく、針綱神社・猿田彦神社をはじめ城郭周辺を含めると5~6社の神社がみられました目

まだ観光客がホテルで朝ごはんを食べてる時間帯、混んでくる前に、犬山城下の街並をブラっとします男の子
↑右手に見えるとんがり屋根は犬山市文化史料館です家


城下のあちこちに、現存しない旧跡を示した石碑が・

お城からまっすぐ続く通りは↑本町筋、古い街並みが整備されています走る人

自販機も保護色にクマノミ

昨今各地で"ご当地B級グルメ"のPRを見かけますが、ここは"犬山ドッグ"、犬山だからドッグという事で(?)わかりやすい^わんわん

土日昼間は凄い人がこの街路を埋めるとの事、散策するなら朝です^晴れ

この本町筋の古家の中でも、ピカ一なのが↑『磯部家』(※国指定有形文化財)
↑屋根を見ると、前々作で行った美濃市の古街と同様、屋根の緩やかな膨らみ"むくり"がみられます。犬山で屋根むくり家が現存しているのは、この磯部家だけだそうです星


元々呉服屋さんだったそうですが、現在は一般公開されています。


お城の開城時間が近づいてきました時計
Uターンして犬山城へ向かいます^リサイクル

ご存じ、国宝・犬山城入口ですグッド!
僕初訪問ですあせる

当別荘9年目に入りましたが、著名なスポットでも未訪問の所がまだまだ残っていますあせる

天守は、木曽川に面した丘の上にあります。天守への道は登り坂です右上矢印

約10分弱、石段を登って・右上矢印

入城門が見えてきました。ここでチケットを購入し、有料区域になりますチケット

門をくぐり有料区域に入ると・
天守が至近距離に^
当然ながら、城下からとは見え方が違いますw目


現在の天守は1537年、織田信康(信長の叔父)が、ここに以前から築かれていた砦を改築したものだそうです。建材は同犬山市内にあった木ノ下城、又は現在の可児市にあった金山城から移築したとの説があります(※諸説あり)


開城直後から長蛇の行列ですあせる

天守の中へ入れる人数はスペース上制限があるんですが、犬山城では入口で渡す靴袋(天守内は脱靴)の数で人数を管理しているとの事。配る靴袋が無くなったら"定員に達した"という事で、一旦入場ストップ。そして出る人が靴袋を返却すればその分の人数を入れるというシステム^くつ

内部の階段は・
犬山城は復元でなく”本物の城”、なので↑急傾斜の階段(きざはし)ですあせる


犬山城は4層構造です。各層には・
修理の際に発見されたり、補修の際交換された瓦や建材が展示されています、まぁ全国の天守内展示の一般的パターンです^パー

かつては武者が闊歩していたであろう、磨き上げられた古木の廊下、想像が頭の中に広がります。

最上層まで来ました虹
壁際には歴代城主の写真が貼られています。これも各地の城でよく見られる光景ですが、”犬山城だけの特徴”がこの写真中に出ていますカメラ

城主ラストの3人は"スーツ姿"、明らかに江戸期のかたではありません。その上一番さいごのかたはグラスまで傾けています。
その訳とは・カクテルグラス


犬山城は、明治以降も近年まで、個人(※成瀬家)が所有していました。ここで"お城って、明治の廃城令で明治政府に全て取り上げられたんじゃないの?"という疑問がわきますが・ナゾの人


編集時に調べてみたところ(※犬山城でもらえるパンフ類にこの件は詳述されていない)、同城も明治維新により一旦は県(犬山県→名古屋県→現在の愛知県)の所有になったという事です。


しかし、1891(明治24)年に当地を襲った濃尾地震により櫓が大破。県が修復に取り掛かる気配が無かったため、これを見兼ねた元藩主の成瀬家が修復を申し出、自費修復を条件に譲渡されたという事なんですクリップ


個人の所有!なんと羨ましい、と一瞬思うんですが、維持管理にケタ外れの費用がかかるのは想像に難くありません。
しかしこの成瀬家、例えば大資産家とか、大きな会社を経営されていたという訳でもなかったようで、先代城主は大学教授、またさいごの城主となった正俊さんは会社勤めをされていたそうです。


国宝だからといって修繕費を全額国が出す訳ではないとの事で(※わずかに補助金が出る程度だそうです)、個人所有の文化財というのは基本的にその所有者が責任を持つものらしいです。


『このままでは、犬山城の維持が困難になる』と判断したラスト城主の娘さんが、財団法人を設立し移管する事を決意。2004年、(財)犬山城白帝文庫が発足、現在に至ります。

そして犬山城のもうひとつの特徴は・
天守に"最上層に、オープンエアの外回廊"(!)があること叫び

↑の外廊下を歩いて天守の周りを一周できるんですが、他の国宝天守にはこんな構造は無く、犬山城名物とも言えますw
しかも木製の廊下はやや外側に傾斜しているような気もして(汗笑)けっこう迫力満点でした^

冒頭で渡った、県境の犬山橋も天守から一望のもと目

たしかに、国境の川をにらむ丘という立地、まさに城として戦略上絶好の場所です星

オープンエアの回廊といえば、一昨年訪ねたマレーシアのKLタワー(vol.167)を思い出しますが、こちらも負けない位の絶景です^

回廊から落ちずw、無事地上へ降りてきましたしっぽフリフリ

天守の前で、↑和服の女性がなにやら店開き。"白帝茶会"と銘打ったうす茶コーナーです。
(※白帝とは、犬山城の一名"白帝城"から)お茶

出口の階段まで降りてきました右下矢印

門から出て再び街中へおりる途中、↑を見つけました。
犬山氏の姉妹都市・宮崎県日南市から贈られた、飫肥杉でつくられたベンチやテーブル目
なぜ犬山と日南が姉妹都市かというと、日南市にも古い街並みを残す城下町・飫肥があり、そこの元城主伊東家とここ犬山城主の成瀬家が姻戚関係で、古縁があるんだそうです霧

いわゆる"国宝五城"(※松本/彦根/姫路/松江/犬山の各城)の中でも、その歴史的経緯で異彩を放つ犬山城、Wo初登城しました。

犬山には、明治村やリトルワールド等、見所が沢山あるんですが、時間となりました。次の機会に譲り、帰京の途へつきますDASH!

再び犬山橋を渡って岐阜県へ戻り、各務原ICより高速の人となりますDASH!

以上、3回シリーズでおおくりしました中濃・犬山ツーリング、これでおわります。ご覧頂き、有難うございましたグッド!
車社会の東海地方、本シリーズでは、近年まで奇跡的に存続していた"名鉄の郊外路電跡"を中心にみてきましたが、前作でも書きました通り、濃尾平野には今も3社の私鉄(※長良川/樽見/養老の各鉄道)が存続しており、なんとか末永く走り続けてほしいと願うばかりです虹
名鉄路電の廃止は残念な限りですが、将来的には又、上記の3鉄道に乗って作にしたいと思っております^







(※2022.6 2024.7 文一部修正)