2015中濃ツーリング、第2回です^
前作は、↓の写真まででした。
秋空の下、濃尾平野を走っていますが、今作これから、前作で予告していた”大きなお寺”へ行きます
華厳寺(けごんじ)といいます
華厳寺といってもピンとこないかもですが、『谷汲さん』といえば、特に西日本のかたは思い浮かびやすいと思います。
西国33カ所満願札所でもある、
“谷汲(たにぐみ)山 華厳(けごん)寺”です。
↑お寺の前の信号名、ズバリ”山門前”
谷汲山の門前に着きました
後述しますが、かつてはここまで、岐阜・名古屋方面から鉄道で行くことが出来ました。しかし今では、参拝の足は車(バイク)が主となっています。広い駐車場は満車でした
山門から本堂まで700m程あります。
緑の参道を歩きます
参道にはお土産等いろんなお店が並んでいますが、↑仏具や掛軸・遍路用品を扱う大きなお店が数軒あるのが目を引きました
高齢者にはやや長い道のりかもです
参道には、↑寺までの距離を示す道標がありました(※1丁=約100m)
お店が途切れ、↑立派な門が目の前に
仁王門です。この中が境内です。
境内へ入ると、苔むした“祈りと癒しの空間”が現れます
当別荘創設以降、お寺を訪ねる機会が増えました
本堂の手前にあった、↑”三十三度石”
”お百度石”なら各地の寺でよく見かけますが、西国三十三ヶ所という事からでしょうか・
(※↑とは別にお百度石もありました)
本堂が近づくと、ラストは石段になります
標準的なお寺のパターン(?)です^
風格ある本堂が、↑姿を現しました。
西国三十三ヶ所霊場の三十三番(※いわゆる満願札所)
谷汲山華厳寺の本堂です(※天台宗)
この谷汲さん、太古より皇室との縁が深く、創建は798年、山号・寺号は醍醐天皇から賜ったものだとの事です。その後も皇室の勅願寺に指定される等、皇室からの庇護が厚かった寺院です。
周囲の森から木漏れ陽がさしこみ、本堂の縁にはベンチも設けてあって、荘厳な中にもなんとも落ち着く雰囲気でした。
仏様から「ゆっくりしてって」と言われてるみたいな心持になります^
同寺の本尊は十一面観世音菩薩。昔は定期的に開帳していたそうですが、1955(昭和30)年をさいごに開帳をやめ、秘仏となったとの事。
しかし2009年、三十三ヶ所札所合同行事の際に、54年ぶりに2週間だけ公開されたんだそうです。見たかったなぁ・
これまた同寺HPから知った逸話ですが、前述のご本尊、京都で霊木から彫られ、元々予定していた奥州の地へ運ぼうとしたところ、なんと観音さまが“自ら歩き出した”という伝説が伝わるそうです(!)
そして歩を進めた観音様、現在の大垣市まで来た時、なぜか街道から外れて北へ向かい、この谷汲の地でピタッと止まり、動かなくなったとの事。
そこで、観音像を奥州へ運ぼうとしていた会津出身の大口大領と、元々この地にいた高僧・豊然上人がこの地に堂を建立したのが同寺のおこりとされています。(※同寺HPには、この2人が開祖者とあります)
なお『谷汲』の地名由来は、この近くの谷に油が湧き、それを汲んで同寺の灯明用の油に使っていたからとの事(※昔は岐阜に油田の鉱脈があった?)
数々の謎めいた伝説もあり、ロマンと想像がかき立てられる谷汲さんです
境内に掲示されていた↑山内の案内図ですが、現在も周辺に広い寺域を有しています。
9月に山形ツーリングで訪ねた寒河江市の慈恩寺と同様、かつては地域に強い勢力を誇っていたものと思われます。
本堂以外は参拝者が訪れることも少ない山内を、少し探索してみました。地味ながら丁寧に手入れされている伽藍の数々が山の自然に溶け込み、全部廻ると半日かかりそうです^
↑写真左側、本堂の柱に"魚の彫塑"があります。
これ"精進落としの鯉"といい、同寺独特のものです
ちなみに、同寺のご朱印は3ページ(3書)書くきまりになっていて、各々が”過去・現在・未来”をあらわすというものだそうです。そのため、同寺でご朱印を授かる場合は、朱印帳に3ページ以上の余白が必要です
ネタ豊富な谷汲さんでしたが、同寺さいごに『西国三十三ヶ所』について少しふれたいと思います^
関東では"坂東三十三ヶ所"、あるいは全国的には"四国八十八ヶ所"のほうが有名ですが、それの関西版だともいえます^
↑駐車場に三十三ヶ所のわかりやすい地図が掲げてありました。
西国三十三ヶ所は、日本最古の霊場巡礼コースとも言われています
札所のお寺は近畿2府4県に点在していますが、例えば京都・清水寺や滋賀の石山寺、和歌山の紀三井寺等、おなじみな著名寺院も含まれています。
その中で、この谷汲山華厳寺は三十三ヶ所で唯一、近畿以外にある寺院で、しかもラスト札所33番目・満願札所という"締めのお寺"です^
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実はここに来たきっかけは、前作で寄った黒野レールパークで『3ヶ所目の鉄道遺産がここにある』という情報を仕入れた事からでした。
↑谷汲昆虫館と標識にある建物がありますが、実はこの建物は、元々は別の目的で建てられました
この昆虫館の建物には、2001年廃止になった旧名鉄谷汲線の終着駅・谷汲駅が入っていました。
昆虫館は、↑現在も開館しています。
岐阜県は天然記念物・ギフチョウをはじめ、昆虫の宝庫でもあるんです
この昆虫館のすぐ横が冒頭に載せた山門前の信号で、2001年までは、岐阜市や名古屋から谷汲山まで、気軽に電車で来ることが出来ました
↑谷汲駅舎やホーム、切符売場等の駅設備はほぼ原形のまま保存されています。廃止駅と思えない程きれいです
廃止が2001年と比較的近年なので、駅内標示等のデザインもほぼ現在の名鉄のものとなっています。
この谷汲駅、1996年に昆虫館が新築されたときに改築され、昆虫館と一体になりました。しかし駅だけが廃止になってしまい、現在管理は昆虫館が行っています。
↑地図の通り、前作でご覧頂いた『黒野レールパーク』がある旧・黒野駅から、V字型に路線が分岐していました。
Vの左手が揖斐線、右手に延びるのがこの谷汲線です。
黒野から約10km程の距離でした
↑の地図の左下隅に少しだけみえる路線は、後述しますが谷汲と同じく揖斐川町まで延びている養老鉄道(※旧近鉄)で、現役です
運賃表も残されていました
↑を見ると廃止の時点で、わずか10km程の黒野まで340円していた事がわかります。この距離でこの運賃、かなり割高感があります
恐らく、乗客減少→運賃値上げ→更に乗客減少という悪循環に陥った末、廃止になった事が想像できます
なお、↑の表を見るとわかりやすいですが、忠節駅から先は岐阜市内線となって路面軌道となり、さらにその先の徹明町駅では、前作でご覧頂いた美濃線とも接続していました。
最終的には名鉄岐阜駅・JR岐阜駅前まで通じていた、利便性は高かった路線でした。
岐阜・濃尾平野には一昔前まで、全国的にも稀な『郊外路電ネットワーク』があったんです
そして~
ホームに、↑赤く塗られたレトロな電車が。
この中濃ツアー3度目の『旧名鉄の保存車』に又出会いました^
駅舎は前述の通り、昆虫館と一体化のため建て替えられましたが、ホームは昔のままです^
↑保存車は、名鉄755号です。
1928(昭和3)年製という超古豪です
755号、車内にも入れました。
↑小さな子供が運転台に立ち、興味深そうに機器をさわっていました^
今の子供が、こんな旧式電車に対してどんな感想を持つのかなぁ~と、ちょっと気になりました
僕の年代なら"懐しい"の一言ですが、彼らなら「珍しい!」、あるいは「何だこりゃ?」、それとも「本当にこれが走ってたのか?」なのかもです^
休日だったので、↑プラットホームではミニコンサートが行われていました
(※月1でやってるそうです)
ホーム屋根には、最終営業日に掲げられた惜別の横断幕がそのまま残されていました
寂しい言葉が見守るプラットホームでは、音楽と人々の話し声で賑わっていました
鉄ちゃんは誰もいません、地元の人だけです。
廃線10年以上経ってなお、地元に愛されている谷汲駅です
そして755号のホーム向かい側に、↑もう1両保存車が!
前作の黒野駅に置いてあった512号と2番違いの兄弟車、514号です。前面の流線形の顔がモダンで恰好いい^
このレトロな顔になぜかよく似合う、明るい色彩の名鉄カラーの赤と白
514号は老朽化がすすんでいるようで、残念ながら内部には入れなかったんですが、窓から車内を覗き込んでみると・
車内は、↑転換クロスシートになっていました
現在主に西日本や九州等のJR快速電車で採用されている、乗客が席を自由に進行方向にする事が出来る”バッタンコシート”が路面電車に!通勤車にもセミクロスを多用する名鉄らしさが出ています。
美濃町駅や黒野駅の車両では、既に取り払われていて見れなかった"名鉄・幻のクロスシート路電"、ついに出会えました^
古いのは車両だけではなく、↑レールも1911年製という”100年選手”です。
谷汲線の開通は1926(大正15)年なので、他線で使われたレールを谷汲線建設の際に流用したものと思われます。
それにしても、前作ご覧の美濃駅・黒野駅に続き、半径20kmそこそこの範囲に、同じ鉄道会社廃駅跡・車両が3ヶ所で計5両も保存されているという濃尾平野。少々大げさに言えば奇跡的だと思います。
車社会の岐阜ですが、その一方、中濃の人々がこれら名鉄路電をいかに愛していたかがよくわかりました
ホームの先、わずかに残されている線路。
この線路が岐阜市の中心部まで続いていたとは、今となってはまさに"夢の跡"です
谷汲駅さいごに、地元のかたが駅に貼ってあった↑の文、僕が言いたいことをほとんど書かれておられるので、僕からこれ以上書くのはやめておきます
美濃駅で黒野の情報を仕入れ、そして黒野で谷汲の情報を仕入れ、まさに”芋づる式”に訪ねた旧名鉄路電の旧跡3ヶ所でした
濃尾平野には、ここ谷汲から南へ10km程の同じ揖斐川町内まで養老鉄道(※近鉄より3セク転換)が、そして東隣の本巣市には、前作で途中駅をチラッと紹介した樽見鉄道、そして美濃のところで出てきた長良川鉄道を含めると、JR以外に3つもの私鉄が現存しています。
濃尾平野は"鉄分が濃い平野"でもあると僕は思います^
名鉄の郊外路電は残念ながら全廃されてしまいましたが、上記3鉄道は、是非今後も濃尾平野に鉄輪を轟かせてほしいと願うばかりです
今作ここまでです!
次作・第3回で最終回となります。
次作は県境を越え、愛知県へ少しだけ入り、国宝の名城を訪ねます。お楽しみに
(※2023.3 2024.7 文一部修正)