秋葉原の隣は御茶ノ水
longshot music
longshot music。それはカナダに存在し、longshot musicで検索をかけても決してトップに出てこないレーベルである。
主にOi!、ストリートパンク系のバンドが在籍しているのだが、1980年代から活動しているUKのハードコアバンド、ソルジャー・ドールスがなぜかニューアルバムをリリースしている。音はストリート・パンクっぽくなっていた。他にはナックルヘッド、ウェンズデイ・ナイト・ヒーローズあたりが有名。
試聴できる曲がやたら格好いいので、つられてアルバムを買うと、他の曲のダメさに失望することになる。(wikipedia風味で)
disc unionではあまり見かけないがamazonで大量に取り扱われている。
そしてフロントマンは鬱病だったらしい。
次のスタジオ日、奴は曲を書いてきていた。どんなメタルかと早速聞いてみると、なんと2コード1リフだった。しかも遅かった。ヴォーカルは完全に気が抜けて腐った発泡酒のごとき腐臭を放っていた。ヤバイよこの人と関わらない方が良いよ、と私の頭の中の常識たる部分が激しく訴えかけたのだが、ほぼ全体を変態的な部分に侵食されていたため効果は薄かった。「いいねこれ。今まで聞いたこと無い感じがする。(ダメダメだけど。)」と俺は言った。奴は自信たっぷしで早速練習しようなどとぬかした。でもこれって練習なしでもいけそうじゃん・・・・と反論し、何とか普通のジャムセッションに持ち込むことが出来た。そして狭苦しいスタジオ内でやたらむさくるしい金髪ロンゲマッシヴ外人もどきと二時間の時を共に過ごした。疲れ果てた私はそのまま帰路につくつもりであったが彼はひどく腹をすかして腹ペコ状態にあった。その時彼は腹ペコキャラ認定されたのだった。腹ペコよろしくどっかのファミレスで高額メニューを食い散らかした彼は満足そうにねぐらに帰っていった。ちなみに無職で実家暮らしであったという。タバコもへヴィに吸っておった。あかん、このままだと単なるダメ人間の集まりや~、と思った我は早速次なる追加メンバーの募集を開始した。そして来たのは公務員であった。公務員は公務員らしく遅刻してやってきた。もちろん連絡もなしに。そしてハードコア、の募集にもかかわらずファンキーにベースを弾きやがった。「!!!!?????」おかしい。どうも変だ。最近は特に。・・・・・まあ、あなたが良いのならば、それで。と、もう投げやりになった俺はさらなるケイオスを生み出すべき専属ヴォーカルの募集をかけた。専属ヴォーカルは気づいたらバンド内に入り込んでいた。私も、いつ、彼がやってきたのか定かではないのだが、いつの間にかそこに存在した。彼はたしかベースのツテでやってきた人間であった。たいして喋らないのだが、シャイというわけでもない。Jポップを主に聞く。もう何も言わん。ヴォーカルでいいよ。もう。と、流され気味にバンドは完成した。RAWでブルータルな方向性はへヴィ路線へと変更され、何でもありのごちゃ混ぜエレクトロリ変態系バンドへと改竄された。そして難なく初ライヴが決まってしまった。何をやるのか?オリジナル曲は私が書いた意外にまともな230曲とマッシヴ金髪が書いた超絶的に変態な約4曲があった。私は苦労して曲をためてきたが、方向性が定まっていないために色々ありすぎて選別すら面倒であった。一方奴は知識皆無独特の原始的センスのみで妙な曲を作ってきた。それらは音楽理論に真っ向から対抗し、楽譜などというものに納めようものなら大変な騒ぎになるのだった。こうして私の230曲は完全に否定された。変則的かつ簡素な奴の曲はテクニックのみでテイストを加えた私の曲よりも相当なインパクトをもっていたのだ。私は色々な音楽を聴きすぎていたため型にはまった曲しか作れなかった。楽譜も難なく読めるので頭の中で譜分けをしてしまう。しかし奴は楽譜というもの自体知っているのか怪しい程、4/4小節内にリフを収めようとしなかった。時にそれは寸足らず、時にはみ出し7/8だのなんだの数えるのすらおぞましいテンポの曲をジャズミュージシャンばりに無自覚にして書いていた。天性のテンポポテンツである。略してテンポである。そして奴はその頃から歩くメトロノームと呼ばれるようになった。そしてライヴは五月に決まった。対バンはコピバンである。最初にしてはまずまずの出来か?コピバンは自らをカヴァーバンドと呼ぶことによりライヴハウスのコピー禁止令の網をかいくぐってきたらしい。ヌルいぜ。しかし我らのヴォーカルは私がギターヴォーカルを取る事となったので客相手の格闘専門となった。ガタイは素晴らしいので期待が持てる。しかし客ゼロも夢じゃない、と噂されているため、彼の出番はとても怪しくなってしまった。ファック!そしてどうにかこうにかバンドは続いていたのだった。
確かな昔の事
もう飽きたよ
ライヴが五月になった。就滑中なのにヒデエ。対バンはコピーバンドだった。ヒデエ。携帯がナイナイ騒いでスタジオのお姉さんに蔑まれた。ごめんなさい。とりあえず誠意を見せ謝った。プライドは最初からなかった。蹴りは飛んでこなかった。クソを漏らしそうになった。それとは関係なしに。逃げるようにW.C.へと駆け込んで垂れた。が、出なかった。。。。アキバで友達がヂを患っていたのを思い出した。ドトールカフェの便所に五回程世話になっていた。ゲリも患っていたらしい。奴は36時間睡眠なしで夜勤の任務に就き、さすがに生気が抜けていたのだった。そしてその後また夜勤へと旅立った。都合45時間睡眠せずに、うち夜勤20時間をこなし、廃棄弁当を大量に抱え自宅であるオートロックつきマンションへと帰っていった。次の日にはケロッと株取引しつつ戦利品であるエロゲーをオートプレイモードでプレイしていた。朝、萌えヴォイスによって俺は目覚め、奴は起きるのが遅いなどと私に対する不満を漏らしつつもけっして画面からは目をそらすことなく二つのプログラムに没頭していたのだった。そしてその日も夕勤へと赴いた。彼は海苔と白湯しか食してはいなかった。ゲリをとヂを患っていたためだ。責任感の強い彼は勤務中W.C.に頻繁に篭る事を好まなかった。そして腹と菊穴の痛みに耐えつつ任務を完遂し、自宅へ帰還した。すると彼のPCはなぜか起動しなかった。愕然とした彼は業者へ問い合わせ、修理費日本円にして50000といわれる驚愕の事実を突きつけられてしまった。そのとき俺は彼が5ヶ月ほど前に現金二十万の詰まった財布を落としたかスられたかと騒いでいた頃を思い出した。当時彼は株の敗残者よろしく貯金の30%(推定)を失っていた。それらと合計せしめると生きる気力を失いつつある程度の損害であることは明らかであった。彼はアンガーとケイオスに満ち溢れカタルシスを求め日々エロゲーと向かい合い続けてしまった。私はその手伝いをするため持てる殆どのエロゲーを彼のPCへとインスコし、リハビリのためメイドカフェへと頻繁に連れて行ったのだった。その甲斐あってか彼は社会復帰を果たし、以前よりも強靭な魂を手に入れ機関銃に向かって銃剣突撃を繰り返すソ連兵の如き精神力を会得した。
奴との出会いは確かサークルであった。当時俺はメガネをかけて格好はおっさんだった。オールディーズにハマっていたためだ。そして奴はジョージコックスのクリーパー白黒を履き頭髪はピンクやら金やら黒やら色々であり、口にピアスをぶらさげ、たまにポークパイハットを被っていた。そしてサークルではオフスプリングのall i wantやらkids arent allrightをやっていたのだった。対する私はなぜかグリーンデイをやっていた。誰もバディ・ホリーなんぞ知らなかったからだ。そしてなぜか私のライヴ中に彼と愉快な仲間達は足を運び、私がギターをストラップとネジごと吹き飛ばすのを見学していた。 その後彼と話すようになり、サークルは抜けた。彼はサークルに馴染めなかった。外見と正義感の強さが災いして彼とサークル幹部は相互に嫌悪しあった。彼にとって禁煙の表示がある場所で喫煙せしめることは氏に値する行為なのだ。彼はなかなかモテたようだが私は暴れすぎたのでさっぱりだった。あえて外見のせいだとは言わん。サークルを抜けてから彼は音楽というものに関心を示さなくなり二次元世界への扉を頻繁に叩いていた。外見はまともになっていきヒロミチやビームスでのお買い物が主流となった。対する私はアンチクラスのライダースに鋲を約500発打ち込んだものを着るようになった。髪型はモホーク、スパイク、ボウズあたりを循環していた。そしてフィンコアやスウェディッシュなどと抜かしよるジャンルを習得しバンドを組んでハードコア布教を始めた。