解脱 -25ページ目
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秋葉原の隣は御茶ノ水

 バンド練習が練習と言えるものではなくなってきていた。遅刻は当たり前、ビアーを飲みながら酔いどれギターヴォーカルをしている俺。俺が原因なのか。そこで1985年からしらふではないことに気がついた。私は勝手に脳内でアルコールを精製するため、いつでも酔いどれていた。だから免許も取れないのである。もう少しで脳内麻薬を精製できそうだ。精製した暁には人間を退職しているだろう。それが怖い。しかし自分では気が付かないのであればそれは幸せだ。ある日ふと気が付くことが無ければ。無鉄砲に色々なモノに手を出しすぎたツケは今になって回ってきており、どうも人と話が合わない。同世代の人間は彼女でも必死で作っているのだろうか。みんながスノヴォにハマっているのだろうか。さしたる用事もなく下北や原宿をぶらつけるのか。みんな紫や緑のリーヴァイスを履いているのだろうか。ゴミのような古着にとんでもない値段が付いているのを疑問に思わないのか。しかしなぜBボーイはアキバにやってくるのか。そしてなぜドンキホーテの周りをうろついているのか。ドンキだったら渋谷にもあんだろーが!とキレそうになる。奴らは無駄に横幅が広いのでアキバの狭い道路上では邪魔で邪魔で。飲食店内でも同様で無駄に脚を開くため、隣のお客様に絶大な迷惑をかける。相撲取りなんであったら仕方ない。しかしBどもは意図してああいった所業にでているぽ。見れば中の人間は意外にヒョロい。あれらは現代アメリカ黒人のコスプレであると思えば気にならないかもしれない。レイヤーである。誰も写真は撮らんが。今度撮って見ようか、と思ったがまたキレさせるのは嫌なんでやめておく。同様にギャルっちい男もよく現れる。あれらは通行の妨げにはならんがドンキ周りをセンター街かなにかと勘違いしているぽ。ぜひ本当の目的地に到着できることを祈る。そうして俺はいつも通りソフマップや古河電気の最上階やあきばお~の地下やメイドさんが店員の喫茶店を周り時刻はあっという間に午後五時になっていた。連れはリバティーに行く事を提案し、私もフィギュアを舐めるように睨みつけたくなった所以、五階へ向かった。そうしてあの五階独特の石鹸臭い店内の香りを嗅ぎながらコミケとサマソニはどっちがより気に満ちているかを考えていた。コミケのエナジーは終了間際であっても凄いものであった。サマソニの比ではない。コミケには独特の浮遊感があり、会場全体がお互いを認め合い受け入れ合っているような感覚がある。とにかく、何が何だか分からないが楽しい。並ぶのでも何でも。凄まじい活気を感じた。一方のサマソニは不良ぶったガキが集まっているだけ、という印象だった。どうもお互いを軽んじているような悪意が常に感じられた。度胸のない不良がお互いを牽制し合っているかのようである。ハードコアやサイコビリーのライブに行こうものなら三分で泣きながら外に出てきそうな輩だ。客の拳がダイレクトにぶつかり合うのだ。あれらは。俺は二度と行かんが逆にスッキリする。お互い様なので険悪にもならない。痛いけど。そうしてリバティーを出た我々はUDXに初めて入った。あの、駅の近くにポツンと存在するエスカレーターが何なのか全く知らなかった我々はたまにはジャンキーな食事以外を所望して中へ入った。そこで腹を空かした連れはB型人間らしからぬ優柔不断っぷりを見せつけ、十数分後にようやくとあるカレー屋に入ることができた。そこで彼はカレールーにまつわるグロテスクな話をいきなり始め、平然とカレーをむさぼり食った。もちろん私もである。奴はクソを食いながらメシの話を出来るのだった。私は彼に放屁が止まったかを聞き、現在も三秒に一回の率で放屁をしていることを確認した。溜めて売れば石油王である。そして彼はバイトへと向かった。私は帰りながら、どうしていつからこんなオタクの真似事を始めたのかを考えていた。

longshot music

longshot music。それはカナダに存在し、longshot musicで検索をかけても決してトップに出てこないレーベルである。


主にOi!、ストリートパンク系のバンドが在籍しているのだが、1980年代から活動しているUKのハードコアバンド、ソルジャー・ドールスがなぜかニューアルバムをリリースしている。音はストリート・パンクっぽくなっていた。他にはナックルヘッド、ウェンズデイ・ナイト・ヒーローズあたりが有名。

試聴できる曲がやたら格好いいので、つられてアルバムを買うと、他の曲のダメさに失望することになる。(wikipedia風味で)

disc unionではあまり見かけないがamazonで大量に取り扱われている。

そしてフロントマンは鬱病だったらしい。

 次のスタジオ日、奴は曲を書いてきていた。どんなメタルかと早速聞いてみると、なんと2コード1リフだった。しかも遅かった。ヴォーカルは完全に気が抜けて腐った発泡酒のごとき腐臭を放っていた。ヤバイよこの人と関わらない方が良いよ、と私の頭の中の常識たる部分が激しく訴えかけたのだが、ほぼ全体を変態的な部分に侵食されていたため効果は薄かった。「いいねこれ。今まで聞いたこと無い感じがする。(ダメダメだけど。)」と俺は言った。奴は自信たっぷしで早速練習しようなどとぬかした。でもこれって練習なしでもいけそうじゃん・・・・と反論し、何とか普通のジャムセッションに持ち込むことが出来た。そして狭苦しいスタジオ内でやたらむさくるしい金髪ロンゲマッシヴ外人もどきと二時間の時を共に過ごした。疲れ果てた私はそのまま帰路につくつもりであったが彼はひどく腹をすかして腹ペコ状態にあった。その時彼は腹ペコキャラ認定されたのだった。腹ペコよろしくどっかのファミレスで高額メニューを食い散らかした彼は満足そうにねぐらに帰っていった。ちなみに無職で実家暮らしであったという。タバコもへヴィに吸っておった。あかん、このままだと単なるダメ人間の集まりや~、と思った我は早速次なる追加メンバーの募集を開始した。そして来たのは公務員であった。公務員は公務員らしく遅刻してやってきた。もちろん連絡もなしに。そしてハードコア、の募集にもかかわらずファンキーにベースを弾きやがった。「!!!!?????」おかしい。どうも変だ。最近は特に。・・・・・まあ、あなたが良いのならば、それで。と、もう投げやりになった俺はさらなるケイオスを生み出すべき専属ヴォーカルの募集をかけた。専属ヴォーカルは気づいたらバンド内に入り込んでいた。私も、いつ、彼がやってきたのか定かではないのだが、いつの間にかそこに存在した。彼はたしかベースのツテでやってきた人間であった。たいして喋らないのだが、シャイというわけでもない。Jポップを主に聞く。もう何も言わん。ヴォーカルでいいよ。もう。と、流され気味にバンドは完成した。RAWでブルータルな方向性はへヴィ路線へと変更され、何でもありのごちゃ混ぜエレクトロリ変態系バンドへと改竄された。そして難なく初ライヴが決まってしまった。何をやるのか?オリジナル曲は私が書いた意外にまともな230曲とマッシヴ金髪が書いた超絶的に変態な約4曲があった。私は苦労して曲をためてきたが、方向性が定まっていないために色々ありすぎて選別すら面倒であった。一方奴は知識皆無独特の原始的センスのみで妙な曲を作ってきた。それらは音楽理論に真っ向から対抗し、楽譜などというものに納めようものなら大変な騒ぎになるのだった。こうして私の230曲は完全に否定された。変則的かつ簡素な奴の曲はテクニックのみでテイストを加えた私の曲よりも相当なインパクトをもっていたのだ。私は色々な音楽を聴きすぎていたため型にはまった曲しか作れなかった。楽譜も難なく読めるので頭の中で譜分けをしてしまう。しかし奴は楽譜というもの自体知っているのか怪しい程、4/4小節内にリフを収めようとしなかった。時にそれは寸足らず、時にはみ出し7/8だのなんだの数えるのすらおぞましいテンポの曲をジャズミュージシャンばりに無自覚にして書いていた。天性のテンポポテンツである。略してテンポである。そして奴はその頃から歩くメトロノームと呼ばれるようになった。そしてライヴは五月に決まった。対バンはコピバンである。最初にしてはまずまずの出来か?コピバンは自らをカヴァーバンドと呼ぶことによりライヴハウスのコピー禁止令の網をかいくぐってきたらしい。ヌルいぜ。しかし我らのヴォーカルは私がギターヴォーカルを取る事となったので客相手の格闘専門となった。ガタイは素晴らしいので期待が持てる。しかし客ゼロも夢じゃない、と噂されているため、彼の出番はとても怪しくなってしまった。ファック!そしてどうにかこうにかバンドは続いていたのだった。

確かな昔の事

その頃、私はデストラクションとかいうバンドに在籍しており、メンバーは至って平凡で早稲田だか慶応だかの出身者で占められていた。ただ一人、私を除いて。そのバンドのリーダーはあるとき錯乱し、メンバーを全員解雇せしめ、行方をくらましせしめやがった。残された俺はファッキンデストローィな気分でメン簿を出した。新たにバンドを立ち上げるのだ。今度は自分が主体となって。そして連絡は来た。意外にたくさん。その中で良さそうな奴を一人選んで会うことにした。そいつはハードコアの募集にもかかわらず金髪ロンゲメタル臭プンプンでやってきたのだった。しかも普通に連絡もいれず三十分の遅刻をかました。対する私はスパイクヘアー鋲打ちベストにドクターマーチンの王道スタイルであった。奴はATMの前(の階段)に座り込み、話始めた。「スレイヤーが・・・」「メタリカの・・・・」「サバスを・・・・」黙して奴の話に耳を傾けていた俺はその一方的な会話の中にただのひとつもハードコアらしさを感じる事が出来なかった。これはおかしい、と感じた俺はとりあえずマイナースレットあたりのメジャーバンドを振ってみた。奴は、得意げに知っていると答えた。フム。ではディスチャージ、ブラックフラッグあたりも知っていた。しかしそれらを圧倒的にマイナーなバンドだと認識していた。信じられん。なぜ俺の、俺の募集に反応したのだ、このビッチ野郎と愛用のエピフォン製低額所得者専用ギターでそのオカマ野郎のような長髪頭部に殴りかかろうとも思ったがとりあえずは奴のメタル溢れる技術を見てみようと思いスタジオへ入った。奴はドラムの所の椅子に腰掛けドラマーである意思表示をした。フム。私はギターを構えメタル臭いリフを連発する。奴は遅いテンポでのドラミングを披露した。なおかつリズムはもたついており、変な場所でフィルインが入っていた。ショボい!これぞハードコア!そうか、俺は外見や会話に騙されていたが、こいつは紛れも無くハードコアパンクだぜ。メタルは奴の願望でしかなかったのか。シット!(田中ロミオ風味に)「では、今度の練習はいつにしようか。」と俺は早速次の日程を取り付け、その日の深夜アニメを見るため足早にそこを去りせしめた。そして次のスタジオ日、奴は曲を書いて来た。

もう飽きたよ

 ライヴが五月になった。就滑中なのにヒデエ。対バンはコピーバンドだった。ヒデエ。携帯がナイナイ騒いでスタジオのお姉さんに蔑まれた。ごめんなさい。とりあえず誠意を見せ謝った。プライドは最初からなかった。蹴りは飛んでこなかった。クソを漏らしそうになった。それとは関係なしに。逃げるようにW.C.へと駆け込んで垂れた。が、出なかった。。。。アキバで友達がヂを患っていたのを思い出した。ドトールカフェの便所に五回程世話になっていた。ゲリも患っていたらしい。奴は36時間睡眠なしで夜勤の任務に就き、さすがに生気が抜けていたのだった。そしてその後また夜勤へと旅立った。都合45時間睡眠せずに、うち夜勤20時間をこなし、廃棄弁当を大量に抱え自宅であるオートロックつきマンションへと帰っていった。次の日にはケロッと株取引しつつ戦利品であるエロゲーをオートプレイモードでプレイしていた。朝、萌えヴォイスによって俺は目覚め、奴は起きるのが遅いなどと私に対する不満を漏らしつつもけっして画面からは目をそらすことなく二つのプログラムに没頭していたのだった。そしてその日も夕勤へと赴いた。彼は海苔と白湯しか食してはいなかった。ゲリをとヂを患っていたためだ。責任感の強い彼は勤務中W.C.に頻繁に篭る事を好まなかった。そして腹と菊穴の痛みに耐えつつ任務を完遂し、自宅へ帰還した。すると彼のPCはなぜか起動しなかった。愕然とした彼は業者へ問い合わせ、修理費日本円にして50000といわれる驚愕の事実を突きつけられてしまった。そのとき俺は彼が5ヶ月ほど前に現金二十万の詰まった財布を落としたかスられたかと騒いでいた頃を思い出した。当時彼は株の敗残者よろしく貯金の30%(推定)を失っていた。それらと合計せしめると生きる気力を失いつつある程度の損害であることは明らかであった。彼はアンガーとケイオスに満ち溢れカタルシスを求め日々エロゲーと向かい合い続けてしまった。私はその手伝いをするため持てる殆どのエロゲーを彼のPCへとインスコし、リハビリのためメイドカフェへと頻繁に連れて行ったのだった。その甲斐あってか彼は社会復帰を果たし、以前よりも強靭な魂を手に入れ機関銃に向かって銃剣突撃を繰り返すソ連兵の如き精神力を会得した。

 奴との出会いは確かサークルであった。当時俺はメガネをかけて格好はおっさんだった。オールディーズにハマっていたためだ。そして奴はジョージコックスのクリーパー白黒を履き頭髪はピンクやら金やら黒やら色々であり、口にピアスをぶらさげ、たまにポークパイハットを被っていた。そしてサークルではオフスプリングのall i wantやらkids arent allrightをやっていたのだった。対する私はなぜかグリーンデイをやっていた。誰もバディ・ホリーなんぞ知らなかったからだ。そしてなぜか私のライヴ中に彼と愉快な仲間達は足を運び、私がギターをストラップとネジごと吹き飛ばすのを見学していた。 その後彼と話すようになり、サークルは抜けた。彼はサークルに馴染めなかった。外見と正義感の強さが災いして彼とサークル幹部は相互に嫌悪しあった。彼にとって禁煙の表示がある場所で喫煙せしめることは氏に値する行為なのだ。彼はなかなかモテたようだが私は暴れすぎたのでさっぱりだった。あえて外見のせいだとは言わん。サークルを抜けてから彼は音楽というものに関心を示さなくなり二次元世界への扉を頻繁に叩いていた。外見はまともになっていきヒロミチやビームスでのお買い物が主流となった。対する私はアンチクラスのライダースに鋲を約500発打ち込んだものを着るようになった。髪型はモホーク、スパイク、ボウズあたりを循環していた。そしてフィンコアやスウェディッシュなどと抜かしよるジャンルを習得しバンドを組んでハードコア布教を始めた。

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